登用理由
『それじゃあまた明日。おやすみティア』
『おやすみなさいティド』
ティドは軽く手を振りながら、眠そうな目を擦り自室へと入るティアを見送る。
今日はマリーの赤ちゃんを見てはしゃいだこともあり疲れたのだろう。いつになく虚ろで眠さを隠しきれていないティアに苦笑しながら、ティドはその後ろ姿が扉の奥に消えるまでじっと見つめていた。
今日から王女付きになったウィルニーナはメリザから諸々の引継ぎがあるとのことで、午後からは不在だった。王女付きの侍女としての本格始動は明日からのようで、今日は本当に顔合わせだけだったようだ。
そのため今日は別の侍女がティアに付いており、その侍女はこちらに一礼をすると部屋の扉をゆっくりと閉めた。
ティドとティアの部屋は隣同士だ。普段はこのまま隣の部屋の扉をくぐるところだが、ティドは前を見据えたまま真っ直ぐに歩き始めた。
『許可は?』
『取れております。執務室でお待ちしているとのことでした』
歩みを止めずに後ろを追従してくるヴォルターに訊ねれば、頼んでおいたことをしっかり熟してくれていたようで淀みない返事が返ってくる。
ちなみにヴォルターは騎士として王城に在籍していたため引継ぎは事前に済んでおり、今日から王子付としての任に就いていた。
『初日から夜遅くまですまないね』
『とんでもございません。こんな時間全く遅くなどありません。騎士として夜間の巡回任務に就くこともありますので、四、五日徹夜をしても問題なく動けます』
『……ふふっ』
ティドは剣技の授業のために騎士団を訪れることもあり、ヴォルターとは見知った間柄だ。だが会話をしたことは今まで数える程しかない。
それ故こうして一緒に過ごすのは初めてで、二人の間にはまだぎこちなさのようなものがあった。
そのためか、ヴォルターは多少話を盛って場を和ませようと試みたようだ。だが真面目なヴォルターの冗談が妙に可笑しくて、ティドは思わず忍び笑いを溢してしまっていた。
『……申し訳ありません、問われてもいないことを』
ヴォルターはどうやらティドの笑い声を失笑と受け取ったようで、足を止めると深く頭を下げ謝罪を述べた。
謝罪の言葉を耳にして、ティドは慌てて振り返るとヴォルターの頭を上げさせた。
『すまない、私の護衛は頼もしいと思っただけだよ。……でも、徹夜はしないでくれると助かる。夜間の任務なら致し方無いが、それ以外はしっかり休んで有事の際に備えられるようにしておいてくれ』
『申し訳ありません、王子殿下の仰る通りです。精進致します』
先程の冗談から一転、また仰々しく畏まってしまったヴォルターに、ティドは困ったように眉根を下げた。
『こんな若輩者に、そんなに畏まらなくてもいいんだけど』
『いいえ、王子殿下はご立派で尊敬すべき主であらせられます。それに、自分はこれが素ですのでご容赦ください』
剣技の授業の際にヴォルターが実際に相対したティドは、真面目で努力家で呑み込みも早く、思慮深く物事を冷静に判断し、それでいて誰にでも分け隔てなく接する人柄で、僅か九歳にして敬うべき主そのものだったのだ。
ヴォルターはこの王子に、生涯を捧げて仕えようとその時決意していた。
それに、騎士団という縦社会に身を置いている上に元来が真面目な性格のヴォルターは、普段から敬語が身に染み付いてしまっている。
ティドに対してだけではなく、誰に対してもヴォルターの接し方はこうだった。
『えぇー……』
そんなヴォルターの返答に対して、ティドは珍しく子供らしい不満気な声を上げる。
だがその態度は、態とだということをウォルターは知っていた。自分を年相応に扱って欲しい場面で、ティドは態と子供らしく振舞うのだ。
それは、自分に気を遣わないで欲しい、王子としてではなく他と同等に扱って構わないというティドなりの気遣いからくる態度なのだ。
だがそれを知っていても、ヴォルターはこの件に関して一切引く気はなかった。
『……分かったよ。でも慣れてきたら、もう少し砕けて接してくれてもいいんだからね』
頑として譲る気のないヴォルターに、仕方なくティドが折れる。
『ご容赦ください』
『はぁ……』
言ったところで全く聞く気のないヴォルターに大袈裟に溜息を吐いて見せた後、ティドは再び目的の場所へと向かって歩き始めた。
階段を降り、長い廊下の先に見えてきた重厚な扉の前でティドは足を止めた。
廊下の片側は大きな窓が並んでおり、その反対側には等間隔で明かりが灯されている。
窓の外に目をやれば、この場所からは城の裏側にある庭園を見下ろすことが出来るのだが、今日は月も星も厚い雲に覆われており外は暗闇に染まっていて、その姿を見ることは叶わなかった。
月明かりも星明かりも差し込まず仄暗い灯りに照らされた廊下は、普段より薄暗く重たい空気を纏っているかのようだった。
『……アリスティドです』
ティドの透き通るような声がしぃんと静まり返った王城内の廊下に響き渡る。
『……入っておいで』
一拍置いて中から声が掛かり、扉の前にいた衛兵によって両開きの扉がゆっくりと開かれる。
それに合わせて、ティドは室内へと足を踏み入れた。
『どうした?こんな時間に珍しいな』
執務机で書類にサインをしていたティドの父親である国王は、持っていたペンを机に置き書類から顔を上げると入室してきたティドを見つめた。
普段一国を率いる王としての任に就いている時は威厳のある姿を見せる国王だが、双子にとって普段は柔和で優しい父親だった。
『座るか?』
『いえ、すぐに済みますので』
執務机の手前にあるソファーを促されるが、それには応じずティドは執務机を挟んで国王と向かい合うと口を開いた。
『父上、単刀直入に伺います。今回ティアの侍女にウィルニーナを登用した理由は何ですか』
『……ははっ、本当に単刀直入だな』
ティドの言葉に国王は愉し気に声を出して笑うと、ゆっくりと執務机に両肘をついて手を組んだ。
『それで?聞かずとも答えが分かっていそうだが?』
その言葉に驚いたのは、後方に控え壁と化していたヴォルターだった。
真っ直ぐ前を見据え立哨していたにも関わらず、思わず視線を動かして国王を前にしても動じることのない小さな後ろ姿を目で追ってしまっていた。
『ドルシグ帝国に、何か動きがあるということでしょうか』
淀みなく答えるその後ろ姿に、ヴォルターは瞠目する。
ドルシグ帝国は常に不穏な動きをしておりきな臭い噂が絶えない国なのだが、ここのところ特にその傾向が強い。騎士団内でも最近はいくつか信憑性のある不穏な噂が聴こえてきいる。
現在のドルシグ帝国は表面上落ち着いているように見えるのだが、その水面下では皇子達による熾烈な後継者争いが絶えないと専らの噂なのだ。
(しかも、後継者争いで収まるとは考えにくいのが現状……)
ドルシグ帝国の皇帝はまだ健在だが、その帝位を自身の子供である皇子達が虎視眈々と狙っているようなのだ。
(だがそんな噂を、王子殿下が知っていたとは思えない。いくら各国の情勢なども教育の一環として学ぶにしても、教師陣も現状の詳細までは教えないだろうし……)
ティドは予想で問うただけかもしれないが、それにしては完全に的を射た発言だった。
一人内心で焦るヴォルターだったが、執務机に悠然と座りティドと相対している国王は、ティドの言葉に一瞬驚いた顔をしたものの、直ぐに表情を戻すとティドを真っ直ぐに見据えた。
『……ウィルニーナは、エリクトの妹の子供でね。幼い頃から剣を振るエリクトに憧れていたらしくて、時々剣を教えて貰っていたそうだよ』
『剣を……』
エリクトとは、ウィレンツィア王国騎士団の団長の名前だ。そして、ウィレンツィア王国では女性騎士の登用はない。
それ故騎士団長に剣を教わったと言っても、ウィルニーナは騎士団で訓練を積んだということではないのだろう。だが、それでもそこそこ剣の腕はあるということに他ならない。
(このタイミングでティアの侍女として剣を扱える者を登用するということは……きっとそういうことなのだろうな)
騎士団長がどの程度ウィルニーナに剣の指導をしたのかは定かではないが、ティアの護衛に抜擢されるぐらいには腕が立つということだろう。
そしてティアの傍にずっと控える侍女をそのような人物にする程、国王として懸念すべき状況があるのだということは推し量ることが出来た。
(これ以上は……教えてもらえないだろうな)
結局問いに対して正確な回答は貰えなかったが、ウィルニーナを登用した理由を知ることが出来、ティドは満足気に頷いた。
(今はそれさえ分かれば十分だ。現在の情勢も何となく分かったし、事前に対策を練ることもできる)
ティドはこれからやるべきことを頭の中で思案し、少しだけ口角を上げて微笑んだ。
国王はまだあどけなさの残る息子のそんな小さな機微を見逃さず、ふっと笑みを溢した。
『聞きたいことは聞けたかい?』
『はい。遅くに申し訳ありませんでした』
丁寧に一礼をした後、ティドは振り返らずにそのまま執務室を退出して行った。
扉の脇に控える衛兵がゆっくりと扉を閉めその小さな背中が扉の向こうに消えると、じっとその後ろ姿を眺めていた国王は長く息を吐いた。
『……そんなに急に大きくならなくてもいいんだがな』
椅子の背凭れに深く身体を預け、国王が独り言ちる。
その言葉を聴いて、傍に控えていた宰相が苦笑を漏らした。
『父親に似て大変御立派にお育ちになりましたな』
嫌味とも取れる発言に国王は視線だけを宰相に向け軽く睨み付けたが、前国王の時代から王家に仕える古参の宰相には何の効果も無く澄ました表情が崩れることはなかった。
『はぁ……何も無い事を祈るばかりだな』
できれば我が子の代は平和な治世であって欲しいと願わずにはいられない。
そう思いながら、今できることは目の前の問題に全力で取り組むだけだと、椅子の背凭れに預けていた身体を起こすと国王はまた手元の書類に目を通し始めた。




