閑話 リュカが見た光景 2
◇◇◇ ◇◇◇
リュカの父はウィレンツィア王国の王城に勤める侍従で、母は同じく侍女として働いていた。
ウィレンツィア王国では城に従事する者達のための単身寮、家族寮などが王城の裏手の場所に建てられており、リュカの一家はそこで暮らしていた。
八年前のあの日、リュカの父は非番でちょうど在宅していた。子供が十歳までは夜勤のない勤務にしてもらっていた母が城での勤務を終えて帰ってきた後、いつも通り三人で夕食を食べたのだ。
普段と何ら変わらずその夜を過ごし、そうしてリュカは眠りに就いた。
だが夜半過ぎに周囲の喧騒に気付いて目が覚めた時、すでに家の中に父の姿はなかった。顔面蒼白な母は、けれど狼狽えることなく膝を付いてリュカと向き合うときっぱりと告げた。
『父さんは城に向かったわ。母さんも行かなければ』
当時もう十一歳だったリュカは背も伸び始めてきた頃で、膝を付いた母はベッドから立ち上がったリュカを見上げる形だった。
『……』
一見黒色のように見える母の瞳は、リュカと同じくよく見ると深い青色をした冥色をしている。
その瞳には、怯えてはいるが一筋の迷いも見受けられず、リュカは口にしたい想いをぐっと呑み込んだ。
(……行って欲しくない)
城の方から聴こえてくるのは、何か大きな物がぶつかるような音や絶え間なく鳴り響く金属音、そして人々が何かを騒いでいる怒声など、リュカが産まれてから今まで聴いたことのない騒音ばかりだった。
明らかに城の方で何か良くないことが起こっていると理解するのには十分だった。
だが覚悟を決めたリュカの母は、不安に押しつぶされそうなリュカを励ましながら自宅のある二階からリュカを連れて一階に降りる。
すると同じく寮内にいた他の家族も同じような状態だったようで、異常事態を察知して城へ向かおうとする大人達が子供達を一箇所に集めていたところだった。
そして集まった子供達の中で年長の子に他の小さな子を守るように言い聞かせると、大人達は城へと向かって行ってしまったのだ。
子供達の中には夜中に突然訳の分からない状況に追いやられた上に両親と別れさせられて、泣き叫んでいる幼児やまだ歩行もままならない乳児もいる。
その中にあってリュカは年長者の部類だ。自分も母の後を追っていきたい気持ちをぐっと堪え、同じように両親を追いかけて今にも飛び出していこうとする幼子を抱きしめその場に留めるのに必死だった。
泣き叫ぶ幼子を必死に宥めながら、リュカは自身も叫び出したい気持ちを何とか堪えていた。
耳を澄まさずとも、この泣き叫ぶ幼子の不協和音をものともしない轟音と叫び声がさっきから引っ切りなしに城の方から聞こえてきている。
『っ……』
現状を知りたいが、知りたくない気持ちがそこに混じる。知ってしまったら、この溢れ出しそうな不安をどうしていいのか分からなくなりそうで、リュカは託された子供達のことを精一杯やっている振りをして、城の方を敢えて気にしないようにしていた。
ドオォン!と爆発音が響いたのは、そのすぐ後だった。
『キャァァア!!』
『うわぁぁん!!』
あまりの騒音に一瞬静かになった室内は、一拍遅れて悲鳴と号泣の阿鼻叫喚となった。
『このままじゃここも危ない!』
『逃げなきゃ!』
誰かがそう口にした途端、誰かが寮から飛び出して行く。それにつられて、何人かが続けざまに扉を開けて寮を出て行ってしまった。
逃げ出せるのはある程度年齢が上の子供達だけだ。年端もいかない子供達は、ただこの恐ろしい状況に泣く以外の術がない。
この場から出て行く者達を見て、捨て置かれた気持ちになり残された幼子達の泣き声が更に大きくなる。追い打ちをかけるように、城の方から聞こえてくる喧騒も大きくなるばかりだった。
『外も危険だ。今動くのは危ない』
『皆で小さい子を守ろう』
残った年長者の中の誰かがこの場を落ち着かせようと声を上げる。それに賛同するように、残った子供達の中で年長の者達が自分より年下の子達を宥め始めた。
『……』
その場に留まったリュカだったが、決して年下の子達を守らなければ、という立派な信念でこの場に留まっているわけではなかった。
ただ単に、あの時足が動かなかっただけだ。今まさに、そのことを後悔していた。
(どさくさに紛れて逃げ出していれば、父さんと母さんを探しに行けたかも知れなかったのに……)
だがもう、残った皆で支え合おうという雰囲気になっているこの場から、今更出ていくことは出来ない。
それに、もし出ていってもいいと言われても、リュカは自分がこの場から外に出ていけるのかも分からなかった。
結局さっきも今も、リュカの足は微動だに動かないのだ。
その時、二度目の轟音がドォォン!と周囲に鳴り響いた。
更に室内で悲鳴があがる。何の音かも分からないがそれを知るのも怖くて、城の方に一切視線を向けられない。
そうして頑なに城の方を見ないようにしていたリュカだったが、次第に夜中だというのに明るさを感じて思わず窓の方を振り返っていた。
『……火だ……』
見ると、城の裏庭の辺りで囂々と炎が燃え盛っていた。
城の二階の窓に届こうかという程の大きな炎は、周囲を昼間のように明るく照らしながら燃え広がっている。その炎の明るさが、この寮まで届いていたのだ。
『っ!』
それと同時に、何かが燃えるひどく嫌な臭いが辺りに漂ってきた。
皆同じように感じたようで、先程数人が飛び出して行って開いたままだった寮の入り口の扉を誰かが閉めた。
それでも、燃え盛る炎の灯りと何かが燃える嫌な匂いが閉ざされた部屋の中にも届く。
それは目と鼻を塞いでもどこまでも追いかけてきて、城の方から聴こえてくる悲鳴や怒号と共に、一晩中リュカ達を不安と恐怖の底に突き落とし続けたのだった。
そうして一夜が明けると、全てが終わった後だった。
一部屋に折り重なるようにしていつの間にか眠りについていた子供達が、誰かが起きたのにつられて次々に目を覚ます。
もう誰も泣き喚く力もなく、幼子ですら声も上げていなかった。
誰も言葉を発さない。誰も動こうともしない。
窓からは眩しい程の朝日が差し込んできており、太陽が万人にその陽光を届け新しい一日の始まりを告げている。
だが今その光は、この異様な状況にひどく似つかわしくなくて、残酷なもののようですらあった。
町の大人達が助けに来てくれたのは、それからすぐのことだった。大人達は何も言わず、ただ泣きながら子供達を優しく抱きしめてくれた。
優しさに触れても、哀れに思われても、もう涙も出なかった。ただ、人形か棒切れのように何の感情も抱くことが出来ず、ただ大人達に抱かれているだけだった。
もうその頃には、リュカは誰に聞かずとも状況を理解していたように思う。ある程度の年齢の子達は皆、そうだっただろう。
この状況で、城に向かった大人達が生きて戻ってくるなどという希望を、抱けるわけがなかった。
◇◇◇ ◇◇◇
「俺は見てない……後で、教えられたんだ」
何となくそうだろうと思ってはいたが、実際にあの日に何が起こり大人達がどうなったのか、その事実を聞いた時には心を抉られた。あの日から五年経った、十六の時だった。
それでもリュカはその事実を受け止めるのが相当に辛かったのだ。それを十歳という年齢で実際に目の当たりにしたイリスの衝撃はどれほどのものか、リュカには計り知れなかった。
「……なんだよ」
不意に隣に立っていたレオンが、椅子に座るリュカの頭の上に手を置いた。そのことにリュカが俯いたまま抗議の声を上げるも、レオンは気にした様子もなくリュカの頭の上に置いた手をわしゃわしゃと動かし大雑把に撫で始めた。
「なんだよ。やめろよ」
いつもなら声を荒げて手を払い除けるところだが、今はそんな気力もなくリュカが温度のない声で抗議の言葉を呟く。
するとすぐさま頭を撫でるのを止めてくれたレオンだったが、次の瞬間、今度はその手をリュカの背中に回し背中を擦り始めたのだ。
訳が分からず、面倒だが今度こそその手を払い除けようと思ったリュカだったが、不意に視界が滲んでぼやけ、動きを止めた。
ぽたぽたっ、と音を立てて、立て続けにリュカが握り込んだ拳の上に雫が零れ落ちる。
それらはあっという間にズボンに浸み込んでいくと丸い跡を作った。それをどこか他人事のように眺めていたリュカは、再び雫が零れ落ちたのを見て、漸く自身が泣いていることに気付いた。
「え……」
涙は止めどなく溢れ、握った拳とズボンを濡らしていく。泣いている自覚がなかったリュカは驚きを隠せず、レオンに見られまいと更に俯くが、レオンは何も言わずただリュカの背中を撫で続けていた。
「……」
今までリュカは、八年前のあの日のことを辛いと言ったことはなかった。
皆辛い思いをしたのだ、言えるはずもない。
それに傷を舐めあって悲嘆にくれるよりも、それを怒りに代えて革命軍として動いている方が気持ちは楽だった。
それでも、心が折れそうになる時もあった。悲しみに圧し潰されそうな時もあった。だが涙だけは溢すまいと気を張ってきていたというのに、なぜか今、他国の地で他国の人間に慰められこんなにも自分を曝け出していることに内心リュカは驚いていた。
普段リュカに対して、レオンの物言いは辛辣だ。だがそれは言い方が若干きついだけであって、決して理不尽なことを言われているわけではない。
レオンの素直じゃない優しさと相手に対する真摯な姿勢は、ちゃんとリュカに伝わっていた。
そしてきっと、自分のこともレオンに伝わっているのだろうとリュカは思った。だからこそレオンは今こうして、何も聞き出すことなくただ黙って寄り添ってくれているのだろう。
「っ……」
リュカは八年前のあの日以来初めて、他人に甘えてただ涙を流した。
レオンはリュカが落ち着くまでずっと背中を撫でてくれていたのだが、実はその時、廊下の壁に凭れてロイもずっと見守ってくれていたのだということをリュカは後から知った。
結局レオンもロイもイリスが心配で、誰も眠ることなどできずイリスの元に戻って来たのだと後から聞かされたのだ。
泣いていたのを知られていることが気恥ずかしく非難の声を上げたリュカだったが、二人のことを咎める気など全くなかった。
この旅が始まってからいつも感じていた二人の優しさに、面と向かって言うのは何だが恥ずかしくて、リュカは心の中でありったけの感謝を述べたのだった。
これにて第八章の閑話も終了です。
次から第九章に入ります。よろしくお願いします。




