閑話 リュカが見た光景 1
今回のお話は前話の続きで、イリスが眠りについた後のお話です。
長くなりそうだったので、キリのいいところで区切ったので短めです。
風も無く、穏やかな夜だった。
窓の外からは生物のたてる物音も息遣いも何一つ聞こえてこない。皆眠りについた時間帯なのだろう。
雲一つない夜空には少しだけ欠けた月が輝いており、この室内にもその仄かな光が差し込んできている。室内があまりにも静かすぎるために、窓の外から差し込む銀色に輝く月の光だけが、まるでキラキラと音を立てて室内に降り注いでいるかのようだった。
だが、そんな幻想的な静寂に包まれた部屋の中でベッドに横たわるイリスは、表情が硬く時折魘されては苦しそうに顔を歪めていた。
リュカはベッド脇に簡素な木の椅子を持って来て、イリスの隣に座っていた。
看病とは名ばかりだ。こうやって座っていても、リュカにできることなど何もない。
イリスが魘された時に大丈夫だと囁きその手を握ってみても、その声と温もりがイリスに届くことはなく苦し気に呻くだけだった。
何もしてやれないことが歯痒いが、本当に何もしてやれることがないのだ。
出来ることがあるとすれば、イリスの状態が急変した際にマルグリットや医師を呼ぶことくらいだろうか。
だがイリスは病気の類で眠っているわけではない。念のため眠り込んでから診察もしてもらったが、問題ないだろうとの診断だった。
しかしイリスを心配するマルグリットは、この王立病院にも信頼のおける医師が居るにも関わらず今晩は何かあった時の為にとこの病院に泊まり込んでくれている。
ならばせめて病室でイリスの容体を見守る役目は自分達が請け負うと申し出、リュカとレオン、ロイが交代で行うことになっていた。
記憶を取り戻すと断言し、マルグリットに誘われて深い眠りについたイリス。
マルグリットの話によれば、イリスは今、自らが封じ込めた膨大な量の記憶を思い出しているのだろうとのことだった。
だから声を掛けても目を覚ますことはなく、あれから眠り続けている。
「違うな……『戦い続けている』んだな」
また苦し気に眉を寄せたイリスの眉間をそっと撫でる。撫でられたことで顰めた眉は元の状態に戻ったが、時折小さく呻き声を溢しており辛そうだった。どう見ても、穏やかな眠りには程遠かった。
「交代しよう。リュカスも休め」
不意に後方から声を掛けられたが、そろそろ戻って来る頃だろうと予想していたので驚きはしなかった。
先程これから皆がどう動くのかを確認してこの部屋を退出していった後、レオンとロイはサンスタシア帝国への報告のために一旦この部屋を離れていたのだ。
「……」
リュカは後ろを振り返ることなく、苦しそうに呻くイリスの額に添えていた手を離すと、その手でベッドに力なく投げ出されているイリスの手を包み込んだ。
実は今、マルグリットがイリスのためにここに留まると言ったので、国王陛下も病院の空き部屋の一室に一緒に泊まり込んでいる。
警備の面からも、兵力を分散するより護衛対象を一か所に纏めていた方が警備がしやすいからだ。
単に寵愛する妃と離れがたいという理由からではないことが分かっていたので、マルグリットもそのことに対して強く反対はしなかった。
何故なら、護るべき者は国王陛下とマルグリットだけではないからだ。
「……」
返事のないリュカを気にする様子もなく、レオンは扉をくぐるとゆっくりと歩を進め、椅子に座るリュカの隣まで歩み寄ってきた。
「イリスは?」
「……さっきより酷い。呻く回数が多くなってる」
「そうか」
レオンの声色にも苦しさが混じる。リュカはそれに気付かない振りをしながら、握ったイリスの手を見つめた。
「……どうせ眠れない。ここに居る」
「……そうか」
「えっ……」
リュカとしては、そう言ったところで反対されると思っていたのだが、予想に反して同意の言葉を返されリュカは思わずレオンを振り返った。
隣に立つレオンを見上げれば、そこには苦しそうに表情を歪めイリスを見つめ続けるレオンがいた。
レオンは深く息を吐き出すと、ゆっくりと口を開いた。
「イリスが見たものを……リュカスも見たのか?」
「っ!」
リュカの視線は感じているだろうが、目を合わせることなくイリスを見つめたままレオンが呟く。
予想外の質問で一瞬息を呑んだリュカは、その言葉に咄嗟にレオンを見上げていた視線をイリスに戻した。
イリスは相変わらず苦しそうに眉を寄せているが、今は呻き声は治まり、穏やかな息遣いが聴こえてきている。
そのことに僅かながら安堵すると同時に、胸が締め付けられるような痛みを覚えて、リュカは握ったままだったイリスの手をそっと放した。
温もりを失くしたイリスの手が力なく真っ白なシーツの上にパタリと落ちる。リュカは悲痛な面持ちで、イリスから離れた自身の両手を見つめるとそれを握り込んだ。
「俺は……見ていない」
「そうか」
やっとのことで返答したリュカの声は、喉の奥からやっと絞り出したかのような酷く苦し気な声だった。
それに対して、レオンは先程から簡潔に同じ返答しか返さない。いつものリュカなら文句の一つも言いそうな場面ではあるが、逆にそれが今のリュカにはありがたかった。
何かを聞かれても今のリュカでは、上手く説明できる自信がなかったからだ。
「……」
「……」
真っ白なシーツの上に流れるイリスの短い琥珀色の髪の毛が、銀色の月明かりに照らし出されてキラキラと煌めいている。
苦しそうに呻いてさえいなければ、まるで月の精かと見紛うかのような美しい光景だ。しかしその身の内では、今まさに自ら封じ込めた程の辛い過去の記憶と対峙している。
だがこうして傍にいても、苦しむイリスのためにしてやれることなどリュカにもレオンにも何一つとしてない。
そのことを歯痒く思いながらも、二人はただ黙って、横たわるイリスを見つめ続けることしかできなかった。




