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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第八章 オートレアの魔女
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イリスが見た光景

今回のお話には残虐な行為の表現が出てきます。苦手な方はご注意ください。

 マルグリットはイリスに負担をかけることがないよう、その様子を確かめながら一つずつゆっくりと質問を投げかけた。


「イリスちゃんは記憶の断片を思い出すことがあると言っていたけれど、間違いない?」

「はい、何度か夢で見ることがありました」

「どんな時にその夢を見たか、覚えている?」

「……どんな時……」


 言われてみれば、そんなことを考えてみたこともなくイリスは押し黙った。


(確か、……ストレアル山脈の大地の裂け目でニーナを助けて怪我を負った後に、見たような気がする。後はヴォルターさん達に出会って、焚火の炎を見て発作を起こ……っ)


 発作を起こした際のことを思い出した途端、脳裏に描いたその時の焚火の炎が一昨日の積み荷を燃やしていた炎と重なって見えて、イリスは咄嗟に思考を止めると頭からその記憶を振り払った。

 

「大丈夫よ!ゆっくり息をしてっ!」


 マルグリットがイリスの背中を擦る。知らずに息を詰めていたようで、イリスは慌てて呼吸をすると身体に空気を取り込んだ。

 背中に感じるマルグリットの掌の温もりを介して、一気に血の気が引いて冷たくなっていた身体に少しずつ体温が戻ってくるかのようだった。


 幾分イリスの呼吸も楽になって落ち着いてきたのを見計らうと、マルグリットは背中を擦っていた手を離し室内に佇む面々を振り返った。


「おそらく、きっかけがあればイリスちゃんの記憶は完全に戻るはずよ……ただ」


 話の途中で言葉を切り、マルグリットが次の言葉を言い淀む。

 記憶の断片を思い出した時の事を振り返ったぐらいでも、この有様なのだ。自らが封印する程の記憶が蘇ったのならば、イリスが感じるであろう苦しみがこの比ではないことは想像に難くない。


 イリスのことを慮って言葉を呑み込むマルグリットの優しさを嬉しく思いながら、イリスが言葉を引き継いだ。


「自ら封印するほどの記憶なだけに、思い出すのは相当辛いことだと思います。けれど、思い出さない事には私は前に進めません」


 イリスが淀みなく告げると、マルグリットは困ったように微笑んだ。


「医者としては承諾しかねるのだけれど……覚悟があるのね?」

「はい。どんなに辛い記憶でも、無かったことには出来ません。自身の事として受け止め、その上で自分が今後どうしたいのかを決めたいのです」

「……分かったわ」


 イリスの言葉に頷くと、マルグリットは振り返って他の面々をぐるりと見回した。


「だそうよ。それで?先程も聞いたけれど、皆にもその覚悟はある?」


 マルグリットに問われ、レオンとロイが力強く頷いて見せた。


「もとより、その覚悟でここまで来ています。どんなことが起ころうとイリスを支えるつもりです」

「レオンに同じです。僕達はどこまでもイリスの味方ですから」


 レオンとロイの言葉に、イリスの心はじんわりと温かくなっていくようだった。

 自らが封印した記憶がどんなに辛いものであったとしても、独りじゃないと思うだけで乗り越えられそうな気がした。

 

 だが一人、周囲に賛同することなくイリスの傍で俯き、何かを堪えるように唇を噛みしめる者がいた。――リュカだ。


「……リュカ?」


 不思議に思ってイリスが声を掛けると、リュカは俯いたまま拳をぎゅっと握りしめた。

 

「失くした記憶……どうしても戻さないといけないか?」

「リュカ?」


 突然反対意見を述べたリュカに、驚きを隠せず皆が一斉にリュカの方を見た。

 イリスがサンスタシア帝国を出て旅に出た目的は、オートレア王国の医療技術で、イリスの失くした記憶を取り戻すことである。勿論同行しているリュカは当初からそのことを知っているので、今更記憶を戻すことに反対されるなどイリスは思ってもみなかった。


 皆からの視線を感じながらもそれに怯むことなく、リュカは顔を上げるとイリスに詰め寄った。


「記憶が無くたって、イリスはイリスだろう!」

「リュカ……」


 必死に言い募るその姿に、リュカが何故突然そんなことを言い始めたのかを察する。


「……私のことを、心配してくれてるんだね」


 リュカは積み荷を燃やすところを見て倒れたイリスを目の当たりにしている。そして何より、リュカはウィレンツィア王国の出身だ。当時のことを見聞きしていてもおかしくはない。

 おそらくリュカは、何がきっかけでイリスが記憶を封印するに至ったか、その原因に心当たりがあるのだろう。


 リュカの懸念は、間違っていない。

 けれど、ここで止める気はイリスにはなかった。


「大丈夫。私、あの炎(・)の(・)中(・)に(・)あ(・)っ(・)た(・)も(・)の(・)……たぶん知っているよ」

「!!」


 リュカが驚愕の表情で固まる。イリスはリュカが安心できるように、できるだけ笑顔を作ってみせた。


「大丈夫。……もう、見て見ぬ振りはしない」

「……」


 イリスの言葉に、リュカは黙って顔を伏せイリスから視線を逸らした。リュカ自身は納得していないのだろうけれど、イリスの意志が固いのを知ってこれ以上止めずにいてくれるようだった。


 そのことを申し訳なく思いながらも、イリスは決意を胸に視線をマルグリットに戻した。


「マルグリットさん、どうしたら私の記憶は戻るのでしょうか?」


 一瞬考える素振りをしたが、マルグリットは確信を持った様子ではっきりと告げた。


「私は精神や心の専門医ではないけれど……記憶が戻りそうなきっかけが何か、イリスちゃんには分かっているのでしょう?」

「はい」


 淀みなく答えると、マルグリットは「横になって」と上体を起こしてベッドに座っていたイリスの身体を横たえさせた。


「思考により意識を向けられるように、視界を塞ぐわね」


 マルグリットの手が顔の前に伸びてきたのを見て、視界が完全に塞がれる前にイリスは皆の顔を見渡した。

 レオンとロイは安心しろと言わんばかりにイリスに向かって力強く頷いてくれていたが、リュカは未だ顔を伏せたままだった。


「私、頑張るね」


 決意を述べた直後、温かく優しい掌がイリスの目元を覆う。それに合わせるように、イリスも瞼を閉じた。


「イリスちゃんの目の前には、今大きな炎が燃え盛っているわ。……見える?」


 マルグリットの言葉に呼応するかのように、眼前に広がる暗い闇の中に小さな炎が灯る。

 生まれたばかりの小さな炎は、みるみる勢いを増すと真っ赤な濁流のようにうねりながら一気に天に向って燃え広がった。


「……はい」


 小さく答えると、マルグリットが次の段階に進んだ。


「……その炎の中に、何があるか……見える?」


 燃え盛る炎の中に目を凝らさなくても、その中で燃えているものが何なのかをイリスは知っていた。


「っ!」


 急に息苦しさを感じて目を閉じたまま胸を押さえると、瞼に添えられた温かな手と同じ手がイリスの胸を押さえた手にそっと添えられた。


「大丈夫。ここにいるわ。ゆっくり息をして」


 その言葉に合わせて、イリスはゆっくりと深く呼吸を繰り返す。すると少しだけ、呼吸と共に気持ちも楽になった気がした。


「大丈夫、皆ここにいる。あなたが炎の中に何を見ても、私達があなたの傍にいるわ」

「……」


 その言葉に、イリスの閉じた瞳から涙が一粒零れ落ちた。


(大丈夫、皆がいる。私が全てを知っても、皆が傍にいてくれる)


 これからどんなに辛く苦しい記憶を思い出すことになっても、自身の目元と手の上に置かれた温かな掌から伝わる温もりが、いつもイリスの傍には皆がいることを思い出させてくれるようだった。


(私は、独りじゃない)


 一つ長く息を吐いたイリスは、深淵に向かって意識を沈めていく。

 どこまでも暗く何もない暗闇にのみ込まれてしまうような気がして恐ろしくもあったが、皆が傍にいてくれる安心感が、イリスの背中を押してくれていた。

 


 そうして、イリスはゆっくりと意識を手放したのだった。




◇◇◇   ◇◇◇




「……イリスは、どうなったんですかっ?」


 イリスの身体を横たえさせてから、十分程が経過していた。

 静かな室内には何の音も聴こえず、お互いの息遣いを聴き分けることが出来る程の静寂が流れていた。その間誰も言葉を発することが出来ず、ただ固唾を呑んで事の成り行きを見守っていたのだ。

 そうして永遠にも思われる沈黙の時間が過ぎ、静かにベッドに横たわるイリスの目元から手を離したマルグリットを見て、後方で固唾を呑んで見守っていたロイが堪らず声を掛けたのだった。


「今は眠っているわ。……でもきっと、溢れ出した記憶の渦の中にいると思う」


 安らかな眠りではないと告げられ、レオンが思わずマルグリットに詰め寄った。


「大丈夫なんですかっ!いつ目覚めるんです!」

「分からない。でも、命の危険はないはずよ」


 曖昧で不明確な返答しか返ってこずレオンが憤る。だが一国の王妃にそれをぶつけるわけにもいかず、レオンはマルグリットの隣に佇むリュカの胸倉を掴むと語気を強めた。


「炎の中には、何があったんだ!」


 それまでずっと俯いたままだったリュカは、レオンの手を勢い良く払い除けると逆にレオンの胸倉を掴んだ。


「俺は見てないっ!実際には見てない、んだ。……それでもこんなにも胸糞が悪い……。あんなの、人の心を持った奴の所業じゃないっ!」


 レオンの胸倉を掴んでいた手から力が抜け、リュカの手はそのままダラリと床に向かって垂れ下がる。そして再び顔を伏せると、視線だけを動かしてちらりとイリスを見遣った。

 そこには眠っているものの、眉間に皺を寄せ時々苦しそうに小さく呻くイリスが横たわっていた。


「記憶を封印したくなるのも、思い出しかけて気を失うのも当たり前なんだ。あんなの……思い出したくもないだろう」

「……まさか!……炎の中にあったものって……」


 リュカの言葉で何かに思い至り、ロイが思わず呟きを溢す。

 横たわるイリスを見つめたまま、リュカは苦痛に顔を歪めた。


「……炎の中で燃えていたのは、人だよ。それも、夥しい数の……」

「!!」

「っ!」

「なっ!」


 リュカの言葉に、マルグリットは両手で口元を押さえて悲鳴を呑み込む。レオンとロイは目を見開き、あまりの事実に絶句していた。

 



 ウィレンツィア王国の王城に居た侍女や侍従、騎士……そして、イリスの家族である王族の人々。

 イリスの見知った者達が次々と殺され、炎の中に投げ込まれ、燃やされる。



 ――それこそが、八年前のあの日にイリスが見た光景。

 心の奥底に記憶を封印するに至った、思い出したくもない過去だった。






これにて第八章完結です。

次に閑話を数話投稿した後、第九章はイリスの過去編になる予定です。

よろしくお願いします。

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