病室にて
「下がれ。人払いを」
「「「……はっ」」」
扉の前で控えていた騎士達は一瞬承服してよいものか思案顔を見せたが、国王陛下の隣に佇むマルグリットが頷いたことで命令に従ってもよいのだと察したようだ。
誰とも素性の知れない連中がいる中に国王陛下を残していくため警戒を滲ませながらも、騎士達は声を揃えて返答すると扉の外へと出て行った。
オートレア王国の騎士達が出て行った後、扉の近くに立っていたロイの手によって扉が閉められ、部屋の中は国王陛下、マルグリット、イリス、リュカ、レオン、ロイの六人だけになる。
気配からして扉すぐ外に騎士達は控えているようだったが、中での会話の内容までは聴き取ることは出来ないだろう。
部屋の中に関係者だけになったのを見計らうと、マルグリットはこれ見よがしに大きく溜息を吐いた。
「……それで?陛下はイリスちゃんのことをどうして知っていらっしゃるの?」
今この場で事情を知らないのは自分だけだろうという事を察しているようで、マルグリットは少し拗ねたような口調で国王陛下に詰め寄った。
「こちらの方々は?」
マルグリットの質問には答えず、国王陛下がリュカ達を見遣る。マルグリットは質問の答えが返ってこないことに不満顔だったが、それでも国王陛下に向かって一人ずつ紹介をした。
「陛下の隣にいるのはリュカ君。そこにいるレオン君とロイ君はサンスタシア帝国の騎士ですって。ちなみにイリスちゃんもね」
「サンスタシア帝国の、騎士……」
国王陛下は、マルグリットの言葉を反芻するように口の中で小さく呟いた。
「……昼過ぎにそなた達がこの町に到着した際に、抱えられて運び込まれるそなたを遠目で見たのだよ」
国王陛下は再び視線をイリスに戻すと、困ったように笑った。
「……遠目に見ただけでも、まさかと思ったよ。自分の見たものが信じられなかったくらいだ」
「こちらに来る前に立ち寄ったエダルシア王国でも、ガルーラ国王陛下に同じように驚かれました」
イリスは困りましたと言わんばかりに肩を竦めて見せると、その返答に国王陛下は相好を崩した。
「そうか、そうだろうな。……ではやはり、そなたは……」
微笑みから一転、国王陛下の顔が苦しげに歪む。眉根を寄せ唇を噛むその姿は、潤む瞳から涙を溢さまいと堪えているようだった。
その表情に、イリスもつられて自然と目頭が熱くなる。自分の生き死にに、一国の王ともあろう人物がこれほど一喜一憂してくれることが素直に嬉しかった。
「もうっ!二人だけで話を進めないで私にも教えて下さいますか!」
見つめ合い微笑み合う二人の間に、マルグリットが割って入る。
自身の身体を滑り込ませ物理的に国王陛下の視界からイリスを遮るその態度は、話が見えないことへの苛立ちより、ただならぬ雰囲気を醸し出している二人に対しての嫉妬のようだった。
年配の女性相手に対して使う表現としては失礼かもしれないが、マルグリットが嫉妬する姿をイリスは可愛らしいと思った。
「そうか、我が妃は公務に随行しておらぬから知らなんだな」
「だから、イリスちゃんのことをどうして知っていらっしゃるのかと聞いているのです!」
イリスからはマルグリットの背中しか見えないのだが、いつもより声を荒げて国王陛下に詰め寄る姿も何とも可愛らしい。
国王陛下は寵姫としてマルグリットのことを大切にしているようだが、マルグリットも国王陛下のことを好いているようだ。国王陛下に突っかかっていく態度が可愛らしく、イリスは思わず「ふふっ」と笑い声を溢してしまっていた。
「もう!イリスちゃんまで私を揶揄っているのね!」
「いえ……すみません」
悪い意味ではないにしても相手に不快感を与えたことに変わりはなく、イリスは表情を引き締め謝罪を述べた。
「すまない、儂の説明不足が招いたことだ」
国王陛下は申し訳なさそうにイリスを見て謝罪を述べた後、直ぐにその表情を一変させ鋭い眼差しで周囲をぐるりと見回した。
周囲にはリュカやレオン、ロイがいる。この者達が居て話していいのかと確認を取られているのだと察した。
「彼等は私のことを全て知っています。なので、このままお話していただいても構いません」
「うむ。分かった」
イリスの返答に頷くと、国王陛下はゆっくりとマルグリットに向き直った。
「妃よ、この者はな……ウィレンツィア王国の王女殿下だ」
「!?ウィレンツィアって……」
弾かれた様にマルグリットがイリスを振り返る。その目は信じられないと言わんばかりに見開かれ、口は開いたまま塞がっていない。
国王陛下は確信を持っているらしくその言葉に一切の淀みはない。しかしそのことが逆に申し訳なく、イリスは眉根を下げた。
「でもまだ、『かもしれない』という段階です」
「……どういうことだ?」
イリスの言葉に驚いたのはマルグリットではなく国王陛下だった。国王陛下はマルグリットを押し退けるようにして前に出ると、ベッドに座るイリスを見下ろした。
「儂は確かに昔、国際会議の際にウィレンツィア王国でそなたを見たことがある。幼かったが今のそなたそのものだった。昼に運び込まれてきたそなたを遠目で見ただけでも、分かったほどだぞ」
余程イリスの言葉が予想外だったようで、国王陛下が常の語り口より早口で捲し立てる。
イリスはできるだけ落ち着いてもらえるよう、あえてゆっくりと言葉を紡いだ。
「サンスタシア帝国に居る育ての父から、私をウィレンツィア王国から脱出させた経緯は聞いています。状況的に見て私は『ウィレンツィア王国王女』でしょう。ですが私には……八年前以前の記憶がないのです」
「記憶が、ない?」
医療従事者として気になったのだろう。マルグリットの口から、思わず小さな呟きが零れ落ちていた。
「はい。私には八年前以前の記憶が全くありません。ですから、私は自分がウィレンツィア王国の王女だという確信が持てないのです。そこでオートレア王国の医療技術をもって記憶を戻せないものかと、今回オートレア王国までやってきた次第です」
イリスの言葉を聴き、顎に手を当てて何かを考えていたマルグリットは、伏せていた視線を上げると疑問を投げかけた。
「……言いにくい事だったらごめんなさい。イリスちゃんは自分がウィレンツィア王国の王女だと、その育ての父という人に聞くまで一切記憶の断片も思い出したことはないの?それとも、何となく思い出しかけていたことはあったの?」
先程までの可愛らしいと感じた姿は一切消え、医療従事者としてイリスに向き合うマルグリットの姿がそこにはあった。
その姿に、イリスも真摯に答える。
「どうしても真実を知らなければならない事態に陥り、育ての父から、私をウィレンツィア王国から連れ出すに至った経緯を教えてもらいました。それまでは私は自分が王女だなどと思ったことは一度もありませんし、記憶の断片を思い出したこともありません」
「『それまでは』ということは、真実を知って以降は思い出したこともある、ということかしら?」
「……その通りです」
イリスの返答を聞いて、扉の近くに控えていたレオンとロイ、そしてベッド脇にいたリュカが目を見開き息を呑む。
レオンが何か言いたそうにイリスを見ていたが、一国の王妃陛下の話を遮る訳にもいかず堪えているのがイリスにも分かった。
(今まで皆には、記憶を思い出しかけていることは一切伝えていなかったものね…)
言い出せなかったことは申し訳ないとしか言えず、イリスはレオンの視線から逃れるように俯いた。
「今回倒れたのも……何か思い出したことが原因かしら?」
マルグリットに問われ、イリスは俯いたまま答えた。
「……そうかも、しれません。燃え盛る炎を見て、咄嗟に見てはいけないと感じました。その後は気を失って、今に至ります」
「そう……」
イリスの言葉を受けて、マルグリットが再び顎に手を添え何かを思案し始める。
その時、それまで黙ってイリスとマルグリットの会話を聴いていた国王陛下が、マルグリットの肩にポンと手を置いて一歩前に進み出た。
「ひとつ、確認してもいいか?そなたが先程言っていた、『どうしても真実を知らなければならない事態』とは、何だったんだね?」
イリスは一つ息を吐き出すと、俯けていた顔を上げて国王陛下を見つめた。
「あの日サンスタシア帝国領に、ドルシグ兵に追われたリュカが現れました。リュカはウィレンツィア王国の、革命軍の一員です」
驚いた顔で国王陛下がリュカを振り返る。
為人を見極めるかのような鋭い視線を国王陛下から向けられたリュカだが、リュカはそれに怯むことなく国王陛下を見返していた。
「私は不可侵の掟に則り、ドルシグ兵と相対しました。そこに……ドルシグ帝国のエルヴィン皇子が現れたのです」
「なんだって?!」
国王がひどく狼狽した声を上げる。それもそうだろう。ドルシグ帝国のエルヴィン皇子はウィレンツィア王国を簒奪した張本人であり、常にはウィレンツィア王国に居てそこを離れることなど今までなかったのだ。
ウィレンツィア王国を離れ自ら他国にやって来るなど、異例のことだった。
「……それで……どうなったのだ」
「そのままエルヴィン皇子は去りました。私の存在を知り、今後の対策を練るために一旦大人しく引いたのでしょう。そのため、私がこのまま何も知らないままではエルヴィン皇子と渡り合えないだろうと、育ての父が私に八年前の真実を教えてくれました」
「……なるほどな、よく分かった。ここのところドルシグ帝国が不穏な動きをしていることは察知していたが……その理由がようやく分かったよ」
国王陛下は更に一歩ベッドに近付くと、徐に床に膝を付いた。ベッドに上体を起こして座っているイリスよりも目線が低くなり、少し見上げる角度で国王陛下がイリスの顔を覗き込んだ。
「国王陛下!お止めください!!」
イリスは慌ててベッドから降りて国王陛下を立たせようとするが、国王陛下の手がイリスの肩に置かれそれをやんわりと制された。
一国の王の手を払い除けることなど他国の一介の騎士にできる訳もなく、イリスはされるがままそのままベッドに再び腰を降ろすことになった。
「大体の状況は掴めた。後は国同士の話だろう。サンスタシア帝国の若き皇帝にもそなたが無事にオートレア王国に着いたことと、今後の協力体制について話をしておこう」
「それはっ!!」
ベッド脇に立っていたリュカが国王陛下の言葉に思わず声を上げた。国王陛下はちらりとリュカを見遣ると優しく頷く。
「お前さんの仲間だろう、先日ウィレンツィア王国民を名乗る者からの文書も預かっておる。今はドルシグ帝国が動いているのもあって間者がなりすましているのかと半信半疑だったが故、直接応対はしておらなんだが、これで合点がいったよ」
国王陛下はゆっくりとイリスに視線を戻すと、肩に置いていた手を降ろしイリスの手を両手で優しく包み込んだ。
「八年前は、何もしてやれず悔いたものだ。今度は必ず、そなたの力になると誓おう」
「っ……ありがとう、ございます」
一国の王にこんなにも温かい言葉を掛けて貰え、イリスは感謝の言葉に詰まった。
そんなイリスの様子に、国王陛下は困ったように笑うと握っていた片方の手を放して、そっとイリスの頬に手を伸ばした。
伸ばされた手が優しくイリスの目元をなぞる。その動きで初めて、自分が涙を流していたのだとイリスは気付いた。
(……おかしいな。エダルシア王国で同じようにガルーラ国王陛下から、ウィレンツィア王国への協力を確約してもらった時はこんなに涙脆くなかったのに)
嬉しいことのはずなのに、意に反して涙がとめどなく溢れてきて、イリスは困惑しながら両手で顔を覆った。
(なんでだろう……記憶の断片を思い出したせいで、気持ちが不安定なのかもしれない)
何かが確実にイリスの不安を煽ってきていて、掛けられた優しい言動に涙が溢れて止まらない。
遂には覆った口元から小さく嗚咽が漏れ出て、それを聴いた国王陛下は何も言わずイリスの背中をそっと撫でてくれた。
その優しさに、更に涙が溢れる。
イリスはそんな自分をどうすることも出来ず、ただ涙が流れるままに泣き続けた。
その間国王陛下はただ黙って、泣き続けるイリスが落ち着くまで優しく背中を撫で続けてくれたのだった。




