予想外の面会者
「ん……」
(……頭がズキズキする……それに、身体が重い)
イリスは頭痛と倦怠感を感じて目が覚めた。
しかし目は覚めたのだが、瞼が重くて目を開ける事ができない。とりあえず身体を動かそうと手足に力を込めてみたのだが、身体も上手く動かすことが出来なかった。
そのうち、朦朧としていた意識が少しずつはっきりとしてくる。
しかしどうしてこういう状況になったのかを把握しようと頭を働かせてみるも、それもいまひとつよく分からなかった。
分かることと言えば、自分が今ベッドに横になっているということくらいだった。
「……っ」
ゆっくりと重い瞼を持ち上げると、眩しさに一瞬目が眩んだ。
(ここ、どこ……)
素朴な木造の見慣れない天井が見える。頭を動かして周囲を見回すと、ベッドが一つが置かれただけの割と広めの部屋だという事が分かった。
室内に一つだけある大きな窓からは陽の光が燦燦と差し込んできていたが、この窓がどの方角に位置しているのかが分からないので陽光の方角から今の時間を割り出すことは出来ない。
周囲を見回してみての結論としては、イリスはこの部屋に見覚えは無かった。
(船室にこんな部屋はなかったはずだけど)
窓の外を見ればこの場所が何処なのかはっきりするだろう。イリスはもっとよく観察しようと、横になっていた身体をなんとかゆっくりと持ち上げた。
するとイリスの足元の処に、椅子に座った状態でベッドの端に頭を付けてうつ伏せて寝ているリュカの姿を見つけた。
「……ふふ、寝てる」
窓からの日差しを受けてすやすやと気持ちよさそうに寝息を立てるリュカに思わず笑みが零れた。
今の今まで、よく分からないこの状況にそこはかとない不安を感じていたイリスだったが、何とも穏やかな光景に少しだけ緊張が解れたような気がした。
イリスはリュカを起こさないようにゆっくりと身体を掛け布から引き抜きベッドの脇に降り立つ。
途中リュカが少し身動ぎしたものの、目が覚めることはなくイリスはそっと息を吐いた。
「ここ、何処だろ……」
窓の外を眺めてみると、そこには見たことのない町並みが広がっていた。
イリスが居たはずの廃港は勿論人が住んでいなかったので、こんな風に家々が建ち並んでなどいなかった。
(確か、オートレア王国の騎士との訓練を終えた時にリュカが呼びに来て、積み荷を処分するところを見届けようと二人で向かって……)
イリスは懸命に自身の記憶を辿るが、その辺りまでしか思い出せない。
だが積み荷の処まで向かったのが夕方だったので、窓から陽光が差し込んでいる事を考えると少なくとも一晩は眠っていたということだろう。
イリスは片手で頭を押さえて、空白の記憶を辿った。
(積み荷に近付くと酷い腐敗臭がして……そして、炎が大きくなって積み荷が燃え……)
「っ!!」
突如激しい頭痛に襲われ、イリスは両手で頭を押さえると窓際の床に蹲る。
イリスが呻き声を上げたことで異変に気付いたリュカが、途端にガバリと飛び起きた。
「?!イリス!どうした!?大丈夫かっ!」
ベッドを回り込んでイリスの元に駆け付けたリュカが、イリスの背を擦りながら「誰か!」と扉に向かって大声で応援を呼ぶ。
あまり大事にして欲しくないと思いながらも、割れんばかりの頭痛に苛まれイリスは呻く以外の言葉を発することが出来なかった。
直ぐにバタバタと廊下を走ってくる複数の音が聴こえてきて、ノックもなく勢いよく扉が開け放たれた。
「イリス!」
「大丈夫かっ!」
最初に飛び込んできたレオンとロイの声に少し気持ちは和らぐが、頭痛は治まる気配がなく一言も言葉を返すことができない。
そうこうしているうちに、先程から聞こえていた複数の足音の残りが部屋に到着したようだった。
「状況は?目覚めたのは今?」
ガチャガチャと器具がぶつかる音を立てながらこちらに近付く足音がある。それはマルグリットの声だったので、金属音は診察道具を準備している音だろうと察せられた。
「目覚めて直ぐこの状態だ!」
「イリスちゃん?分かるかしら?私よ、マルグリット。今一番ひどいのは頭痛かしら?」
リュカの話に頷くと、マルグリットは蹲った状態のイリスの首元に手を当て脈を測る。
話し掛けながら、聴診器を持った方の手をイリスの胸元に滑り込ませたマルグリットは眉を顰めた。
「脈が少し早いわね。イリスちゃん、横になれる?この体勢が楽ならそれでもいいのだけれど、横になれるのなら手を貸すから身体を横たえましょう?」
頷く代わりに横になろうと身体を捩ると、傍にいたリュカが意を察してイリスの背に手を添え身体を抱えようとしてくれる。だがすぐさまレオンの手も伸びてきて、二人に抱えられてイリスはベッドに横になった。
「……イリスちゃん、もし話せそうなら、状況を聴いてもいいかしら?」
マルグリットがイリスの額に手を置いて熱を測る。その手はひんやりとして心地良く、イリスは少しだけ笑んでそれに応えた。
「あなた倒れてから、丸二日、目を覚まさなかったのよ?どこか辛いところはある?」
「……ふつ、か?」
イリスは顔を動かして窓の外を見た。陽光が室内に入り込んでいることから一晩は経ったのだろうと思っていたが、どうやらそれよりずっと時間が経っていたようだ。
「ここ、は?」
「元々移動する予定だったリーンベルトの町よ」
マルグリットが申し訳無さそうに眉尻を下げながら教えてくれた。
「一日目は隔離の最終日だったこともあって様子を診ながら過ごしていたんだけれど、二日目になっても目を覚まさなかったから、申し訳ないけれど予定通りこの町に移動させてもらったの。
魘されてはいたけれど諸症状は診られなかったし、万が一イリスちゃんに何かあった場合、あのまま廃港に留まっていても十分な治療設備が整っていなかったから……」
「ごめんなさいね」と続けるマルグリットに、イリスは緩く首を振った。
「心配掛けてごめんなさい。どこも何ともないし、大丈夫です」
イリスの言葉にマルグリットは幾分ほっとした表情を浮かべたものの、医療従事者としては昏睡している患者を移送させるなど、正しい判断とは言い難く苦渋の決断だったのだろう。マルグリットの表情には罪悪感が見て取れた。
これ以上どう言えばマルグリットを気に病ませないだろうかとイリスが考えていると、マルグリットの後方に控えていたレオンが助け舟を出してくれた。
「昏睡した状態でも、今日迎えに来た王族用の馬車でならイリスを安全に町まで運べるだろうということだったんだ。だから俺からもお願いして、この町まで運んでもらった」
自分の判断だと言うレオンに、すかさずイリスも頷いて言葉を重ねた。
「自分のせいで皆の予定を変更させていたら申し訳なかったので、予定通り移動してくれていて良かったです。この通り体調も、頭痛以外は平気ですので」
これは紛れもなくイリスの本心だった。嘘偽りのない言葉はマルグリットにも伝わったようで、少しだけその表情が和らぐ。それを目にしてイリスも安堵の息を吐いた。
「それじゃあここは、病院ですか?」
「そう、ここはリーンベルトの町の王立病院の一室よ。ここなら何かあっても対応できるから」
ここは病棟の中でも個室の部屋とのことだった。
国民は魔女先生が王妃だということは知らないが、王宮関係者や王立病院従事者は当然周知の事実だ。王妃自らが関わっている患者を大部屋に配置することは出来なかったのかもしれない。
「……陛下っ、お待ち下さい!」
「?」
突然、廊下から慌てた叫び声が聴こえてきた。
その声を皮切りに、「お待ち下さいっ」という必死な声が次々に聴こえてくる。だが声を掛けられている御仁は全くそれを聞く気がないようで、それらの声はどんどんとイリスの病室の方に近付いてきていた。
(え、「陛下」って……)
まさかの呼び名に横になっている訳にはいかず、イリスはベッドに片肘を付いて上半身を起こそうとする。傍にいたリュカがそれに気付いて、すかさず身体を支えて起き上がるのを手伝ってくれた。
それに「ありがとう」と言葉を返していると、扉の前が更に騒がしくなった。
「陛下!」
「お待ち下さい陛下!」
護衛の騎士達が何とか思い留まらせようとその御前に立ちはだかるが、呼び止められている御仁は一向に歩みを止めないようだ。
するとその時、突然部屋の扉が開け放たれた。必死に止めようとしていたものの、扉が開いてしまっては騎士達は御身に触れるわけにもいかず道を開けざるを得なかったのだろう。人垣が割れるようにして出来上がった道から、その御仁は現れた。
「陛下」
現れた人物にマルグリットが声を掛ける。国王陛下はその声に気付くとマルグリットの方に視線を向け、穏やかに微笑んだ。
月光のような柔らかい銀糸の髪が、国王陛下の動きに合わせて優雅に揺れている。顔に刻まれた皺は深く国王陛下の年齢を推し測るには十分だったが、上背があり腰も曲がっておらず年齢を感じさせない風体をしていた。
しかし浮かべられた笑みは皺のせいもあり柔和で、好々爺の印象を与えるものだった。
室内にいる全員が、静かに国王陛下に向かって膝を付き頭を下げた。
国王陛下はマルグリットから視線を外すと、ベッドの方へとゆっくりとその歩を進める。
一歩ずつ確実にこちらに向かって近付いてくる足音に、ベッドの上で頭を下げていたイリスにも緊張が走った。
「よい。皆の者、顔を上げなさい」
低く優しい声音で、ゆったりと紡がれた言葉に従い皆が顔を上げる。
イリスも同じように下げていた頭を上げると、真っ直ぐにイリスを見つめる国王陛下の視線とぶつかった。
「……!」
イリスを間近で見た国王陛下の目がゆっくりと見開かれ、その顔に驚愕の表情が浮かぶ。
だが国王陛下は何も言葉を発することなく、ただ黙ってイリスを見つめ続けていた。
「……」
誰も言葉を発することが出来ず、室内には長い沈黙が流れる。
動きを止めていた国王陛下は徐に足を踏み出すと、そのまま一歩、また一歩と確かめるようにイリスに近付いて来た。
ベッド脇に来た国王陛下を、イリスが見上げる。すると突然、国王陛下の碧眼の双眸から一筋の涙が零れ落ちた。
「国王陛下っ!」
驚いてイリスが声を掛けると、国王陛下は更に驚き瞠目した。
(……国王陛下は、昔の私のことを知っていらっしゃるんだわ)
イリスはそこでやっと、国王陛下が自分の正体に気付いていることと、言葉を発したことでイリスが女性であることが分かって更に驚いたのだろうということを理解した。
国王陛下がイリスに向かって手を伸ばす。その手はイリスの頬に触れると、遠慮がちに掌でイリスの頬を包みこんだ。
大きくて皺だらけの手が優しくイリスの頬を撫でる。イリスはされるがまま、その手に頬を預けた。
「……よく、生きて……」
言葉にならない想いが、国王陛下の口から溢れ落ちる。
こういう時何と答えていいか分からず、イリスは大丈夫だという想いを込めて真っ直ぐに国王陛下を見つめ返すと微笑んで見せた。
この場に居る誰も言葉を発さず、ただ目の前の光景を見つめていた。
マルグリットやオートレア王国の騎士達は、国王陛下がイリスのことを知っているようだということは状況から理解しただろうが、何故知っているのかということは全く掴めていないだろう。困惑がありありとその表情に浮かんでいた。
だがそれでも、誰も国王陛下の邪魔をすることはない。誰も彼も、黙ってその様子を見守っていた。
国王陛下は静かに涙を流し、イリスは微笑みを返す。
病室内は暫しの間、窓から差し込む茜色に染まった斜陽の中で、穏やかで温かな空気に包まれていた。




