シシリス草
「……あれは……故障とかで落ちたわけではないわよね?」
呆気に取られていた状態から立ち直ったマルグリットが、イリスの消えた穴を見つめながら騎士達に問うた。
その声で意識を現実に引き戻された騎士達は、勢いよくマルグリットに向き直ると姿勢を正した。
「恐れながら……私達にも何が起こったのか分かりかねます。……少なくとも私には、あの状態であのように飛行することは出来ません」
フラッデルを背負った騎士は瞬きすら忘れて目を見開き、未だ先程イリスが消えた穴を見つめていた。
(どうしてあんなことが出来るんだ?)
騎士達はその一挙一動を逃すまいとイリスの行動の一部始終を見ていたのだが、それでも今見たものが現実に起きたことだとは信じられなかった。
片足が拘束されているとはいえ他に身体を支える物は何もなく、フラッデルは非常に不安定な乗り物なのだ。それなのに完全に身体とフラッデルを下に向けて降下するなど、正気の沙汰とは思えなかった。
「……あの後、鍾乳洞内で一体どのようにして体勢を立て直すのか……」
フラッデルを背負った騎士が、独り言のような呟きを溢す。
騎士はオートレア王国内で一番のフラッデル乗りであると自負しており、またそうであると他者から認められてもいたのだが、そのことをこれほど恥ずかしく思う事はなかった。
それほどまでにイリスのフラッデル操作術は見たこともなく、また同じことが自分に出来るかと問われれば、それが出来るとは到底思えなかった。
だがそんな茫然自失の騎士の肩に、マルグリットがそっと手を添える。
敬愛する国王陛下唯一の妃に突然触れられ、騎士は驚愕の表情で勢いよく顔を上げた。
「きっと、あれが普通ではないのでしょう?落ち込む必要はないわ」
「ですが……」
「あのフラッデル操作術のお陰で、一人の瀕死の患者が一命を取り留める。今はそれでいいじゃない」
「!」
今は技術を競う場ではないと窘められ騎士はすぐに自身の考えを恥じると、マルグリットの前に膝を付いた。
(王妃陛下の仰る通りだ)
今は一刻も早く薬草を持ち帰ることが先決であり、自身の自尊心が打ち砕かれようともそれは取るに足らない出来事だと気持ちを切り替える。
膝を付き頭を下げた騎士に、マルグリットは優しく微笑みかけた。
「今はただ、イリスちゃんが怪我無く無事に戻ってくることを祈りましょう」
「「はっ」」
そうして三人はそのまま、イリスが消えた穴を祈るような気持ちで見つめ続けた。
◇◇◇ ◇◇◇
鍾乳洞へと続く縦穴はそれほど長くなく、縦穴に飛び込んだイリスはすぐに暗くて広い空間に出た。
これほど地表近くまで鍾乳洞の天井が抉れていたからこそ、長年の雨水や地下水の浸食によって地表との間に縦穴が開いたのだろう。
広い空間に出たイリスはすぐさま体勢を立て直すと、自身を軸にフラッデルを独楽のように回転させて降下の威力と速度を弱めた。
降下の距離が短かったこともあり、さほど回転せずとも威力を相殺することが出来たので、イリスは空中で回転を止めるとホバリングの状態に入った。
「……」
ぐるりと鍾乳洞内を見回す。薄暗いがかなり広い空間がそこには開けているようだった。
今降りてきた頭上を見上げると、そこには大小様々な鍾乳石や鍾乳管が天井に幾つもぶら下がっている。
その天井に、幾つかの穴が開いているのも見て取れた。その穴からは陽の光が柱のように真っ直ぐに伸びてきており、その光が鍾乳洞内を柔らかく照らしていた。
その光の柱を辿って視線を下に向けると、そこだけまるでスポットライトを浴びたかのように鍾乳洞内の岩肌が照らし出されていた。
その陽の光を浴びる岩の上には、地表から落ちてきたのだろうと思われる土があった。一緒に様々な植物の種も落ちてきたのだろうが、この僅かな光と多湿な環境では地表の植物は悉く生育出来なかったようだ。
今この鍾乳洞内に生えているのは、地表での種の生存競争に負け、この過酷な環境下でのみ生育することを余儀なくされた、小さな白い花を携えた一種類の薬草だけだった。
「あれが……シシリス草」
見れば、他の穴の下にも同じようにシシリス草が群生している。
薄暗い鍾乳洞内でシシリス草が生えている場所だけが、柔らかい陽の光を浴びてまるで浮かび上がっているかのように見える。こんな時ではあるが、幻想的な光景にイリスは暫し見とれた。
ゆっくりと斜めにフラッデルを降下させ、シシリス草を避けて岩の上に降り立つ。
シシリス草は鍾乳洞内全体に群生しているわけではなく、あくまで土があるこの辺り一帯にだけ生えているようだった。
「お前も……数奇な運命を辿って尚、頑張っているのね」
膝を付いてシシリス草を手折る。
他の植物に淘汰され絶滅しかけたが、僅かな土と陽光で何とかしぶとく生き残っているシシリス草が、イリスには自分と重なって感じられた。
(私もこの薬草のように、生き残ったからには人々の役に立てるようになりたいものね)
摘み取ったシシリス草を預かった袋に詰める。
この薬草がなければニザルベリナウイルスに感染した患者は助からない。イリスは、自分もいつかはこの薬草のように人々の助けになれたらと強く思った。
「さぁ、直ぐに戻らないと」
袋が落ちないようにしっかりと懐にしまうと、イリスはフラッデルを再び起動させた。
◇◇◇ ◇◇◇
「……フラッデルの駆動音です!」
「嘘っ!!」
「間違いありません!」
地表で待っていた三人が、思わず驚きの声を上げる。何故ならイリスが穴の中に消えてから、まだ五分程しか経っていなかったからだ。
確かに穴の下にはシシリス草しか生えていないので、降りれさえすれば迷うことなく直ぐに手に入れて戻ってくることが可能だ。だが、こんなに早いとはマルグリット達も想定外だったのだ。
(普通に入り口から入ったら、シシリス草の場所まで丸一日かかるのよ?早すぎない?)
そんなことを考えているうちに、シュンという風を切る小気味いい音と共に、穴から噴き出す一陣の風の如くイリスが穴から飛び出してきた。
縦穴から飛び出すために、イリスはフラッデルの先端を片手で持ち身体が完全に上向きの状態で飛行していた。その操作術に、騎士達は再び呆気に取られて言葉を失う。
フラッデルの操縦など全く分からないマルグリットにさえ、それがいかに凄い事なのかが分かる。それでも今は、風のようにフラッデルを駆るイリスの姿にただ見とれた。
上空でピタリと上昇を止めたイリスは、体勢を立て直すと自身を軸に回転しながら降下する。地表近くで回転を止めると、何事もなかったかのようにふわりと地面に降り立った。
「ただいま戻りました」
「……」
驚愕の表情を浮かべる三人を目の当たりにして、イリスは苦笑して肩を竦めた。
大概イリスがフラッデルを乗りこなすところを初めて見た人は、目の前の三人と同じ様な反応をするのだ。なのでその反応は、イリスにとっては見慣れたものだった。
「えっと、シシリス草を採取してきました。急いで戻りましょう」
「……え、ええ、そうね。じゃあ貴方達、馬を連れて来て頂戴」
「っ!!」
「はっ!」
口籠りながらも何とか言葉を絞り出したマルグリットが、隣に立つ騎士達に指示を出す。
それを受けて、やっと正気に戻った騎士達は勢いよく返事を返すと、木の幹に繋いだ馬を取りに向かった。
「それじゃあ、……戻りましょうか」
騎士達が馬を連れて戻って来たのを確認し、マルグリットがイリスに声をかけた。
それに頷いて返すと、イリスは再びフラッデルを起動させる。その間、フラッデルを背負った騎士は眉間に皺を寄せ、何とも言えない表情でずっとイリスのことを見つめていた。
(やっぱり、面白くない……よね)
今回の薬草の採取にあたって、オートレア王国側でもフラッデルに乗れる騎士を派遣してきたというのに、彼等を差し置いてイリスが出しゃばったことに変わりはない。
患者の命がかかっているのでイリスは自分がしたことに後悔はないが、騎士の気持ちを思うとイリスの胸中は複雑だった。
(すみません、は違うか。かえって怒らせそう。でも、じゃあ何て言えばいいのかしら?)
イリスが何と声を掛けるべきかを迷っていると、苦渋の表情を浮かべた騎士はスッと音もなくイリスの前に立ちはだかった。
「……」
「?」
何か言いたそうに騎士が口を開くも、結局言葉を紡ぐことなくその口は歪められてしまう。
(何か、文句を言われるのかも?)
言いたいことはあるが、マルグリットの手前面と向かって言いにくい事なのかもしれないと予想をつける。イリスは何を言われてもいいようにと、気を引き締め直した。
「あの、申し訳ないのだが……」
(……あ、これはまずい)
漸く紡いだその言葉の出だしに、何となくその後に続く言葉が予想できてしまったイリスは慌てて一歩後退った。
言いにくそうに口籠っていた騎士は、一つ深呼吸をするとその続きを一息に吐き出した。
「……今度貴殿がフラッデルに乗るところを、もう一度見せてもらえないだろうか!」
(やっぱり!!)
つい先月、エダルシア王国で同じような経験をしたことがイリスの頭の中で思い起こされていた。
イリスのフラッデル操作を間近で見ると大抵の人が驚くのは前から知っていたのだが、同じ騎士として従事している者からは、更に尊敬の眼差しで見られることに最近になってイリスは気付いたのだ。
確かにイリスのようにフラッデルを乗りこなしたり、フラッデルに乗ったまま戦闘をしようとする人が他にいないことは知っている。だがサンスタシア帝国においては皆がイリスのことを「フラッデルをそういう使い方をする人」として認識しており、誰一人イリスを特別だとは思っていなかったのだ。
なので国を出て初めて、自分がこれほどまでに特異だったのだとイリスは思い知ったのだった。
(一回で済めばいいけど……)
先日まで訪れていたエダルシア王国では、結局定期船の運航を待つ間の十日間、王宮でエダルシア王国騎士団との合同訓練をさせられてしまった。
先日までの事を思い出し、ついイリスは遠い目になる。
結局、一回で終わる訳などなかったのだが、この時のイリスはまだそのことを知る由もなかった。




