鍾乳洞の入り口
「じゃあマルグリットさんは、今から向かう場所の近くにある村の出身なんですか?」
イリス達は今、港を後にし森の中を馬で駆けていた。
先導する騎士はオートレア王国のフラッデル隊の人のようで、背中にフラッデルを背負っている。そしてその後ろを、マルグリットを乗せてもう一人の騎士が馬で駆けていた。今回イリスとマルグリットに同行しているのは、この二人の騎士だけだった。
元々先発隊の騎士達は全員でマルグリットの薬草採取に護衛として同行するつもりで来たようだが、最初マルグリットは自分で馬に乗れるからと騎士との相乗りですら断っていたのだ。
それを何とか思い留まらせ、相乗りで向かう代わりに護衛は最小限でというマルグリットの意向を汲むことで手打ちとなったため、この二人だけが護衛として同行していた。
「そうなのよ。だからこの辺りの景色は懐かしいわ」
馬を驚かせないよう、近付きすぎないように留意しながらフラッデルで並走するイリスに向かって、マルグリットはニッコリと微笑んだ。
あの後イリスがマルグリットのことを「陛下」呼びをしたら怒られたことは言うまでもない。結局、元々イリスがマルグリットに対して遣っていた敬語は許されたが、「さん」という敬称呼びは強く希望された。
「私はその村で、薬師をしていた母の手伝いをしながら生活していたのよ」
だから自分は薬草に詳しいのだとマルグリットが続ける。
マルグリットが薬草に精通している理由は分かったが、そんな田舎暮らしをしていてどこに国王との接点が出来るのか分からなかった。
そんな疑問が顔に出ていたようで、ふふっとマルグリットはさも可笑しそうに声を上げて笑った。
「ある時ね、村の近くに狩りに訪れていた陛下が……あの時はまだ王太子殿下だったけれど、毒草の被害に遭われたのよ。医師も当然同行していたけれど、医術には詳しくても薬草には詳しくなかったみたいでね。助力を乞われて母と手当てに向かった時に、陛下とは出会ったのよ」
そんな一度きりの出会いでマルグリットを妃にと望むほど、国王陛下にとってその出会いは衝撃だったのだろう。
だが村娘と王族とでは全く身分が釣り合っていない。それでも自身の望みを押し通したということは、国王陛下は相当にマルグリットに惚れ込んだということだ。
(そういえば今朝先発隊が来た時も、真っ先に国王陛下が心配していることを述べていたわね)
どうやらマルグリットは、国王陛下に寵姫として大切にされているようだ。
「あ、でも。……王国の民は、マルグリットさんが王妃だという事は知らないのですか?」
器用に前方の木々を避けながらイリスが訊ねる。馬に走りやすい道を譲り、イリスは木々の間をすり抜けながら馬と並走していた。
「そうよ。身分差に誰も納得しないでしょう?それに薬師は続けたかったし。王妃は病弱ってことになっているわ」
「病弱……」
「病弱であれば公務などの公の場に出ずとも誰も疑問に思わないし、公の場に顔を出していなければ市井に出ていても誰も分からないでしょう?」
まるで何でもないことのようにマルグリットは言うが、そんなに上手く隠し通せるものなのだろうか。
だがそうやって、三十年近く隠し通せているのだという。
「公務を殆ど行わないことに関しては、陛下には申し訳なく思っているのよ?でもね、私に公務は務まらないもの。でも出来ないことを嘆くのではなく、その分王宮でちゃんとした医術を学ばせてもらって、一人でも多くの国民の助けになるように各地の町を巡って医療面で恩返しをしているつもりなの」
「……」
マルグリットは村娘らしく自由にしていたいという自身の我儘で公務に参加しないのではなく、村娘だった自分の能力を正確に把握しているからこそ、公務ではなく自身の得意分野を生かす決断をしたようだ。
王妃教育などどんなに頑張っても、幼少の頃よりそうした教育を受けてきた令嬢と違って村娘ではそこそこの成果しが出すことは出来ないだろう。
そんな状態で国王の寵愛を笠にお飾りのように公務に参加するよりも、自分に出来ることをと考えて行動しているのだ。
この婚姻は身分差があるだけに、マルグリット本人にも迎え入れる王国側にも大変な決断だったことだろう。
それでも現国王の治世において不穏な噂は一切聞いたことがない。大変な苦労を伴ったことは間違いないだろうが、それでも王国は現状良好に運営できているということなのだろう。
「市井に出ても夜には王宮に帰るんだけど、王妃っていう自覚はあんまりないのよね。だからイリスちゃんも、これからも変わらずに接してね」
「はい……」
なかなかの承服しかねるお願いに、イリスの返答は小声になった。
だがそんなイリスを気にした様子もなく、マルグリットはイリスから視線を外すと相乗りする騎士の背中から少し顔を覗かせて前方を見遣った。
「さあ、そろそろ着くわよ」
マルグリットの言葉にイリスも視線を向けると、先行する騎士が馬の速度を緩め始めているところだった。
イリスもフラッデルの後方に乗せた足を僅かに浮かせ、速度を緩める。すると程なくして、森を抜け開けた場所に出た。
騎士が馬を降りたのを見てイリスもフラッデルを着地させる。隣を駆けていたマルグリットも、相乗りしていた騎士の手を借りて地面に降り立った。
「この下にはね、実は鍾乳洞が広がっているの。ここは海に近いでしょう?遥か昔はこの辺りも海の底だったみたいなの。それが地殻変動によって地上に隆起して、雨水や地下水による浸食を受けて鍾乳洞が出来上がったらしいわ」
マルグリットの言葉に視線を地面に向けるが、そこは雑草が生い茂る何の変哲もない草地のように見えた。この下に鍾乳洞が広がっているなど、言われなければ全く気付くことはないだろう。
「この辺りは鍾乳洞の最深部に近いのだけれど、長い年月の間に雨風に浸食されて地表から縦穴が開いている場所が幾つか在るの。そこから入る僅かな陽の光を糧として、日陰と湿った環境を好むシシリス草が偶然にもこの鍾乳洞内に群生しているのよ」
「!」
聞けば、目当てのシシリス草という薬草は、地表でも陽があまり当たらない森の中などに自生していたそうなのだが、そうした場所ではコケ類やシダ類の方が繁殖能力が高く、遠い昔に絶滅した植物だと思われていたのだそうだ。
それが偶然、この鍾乳洞の調査に入った時にその存在が発見されたそうだ。他の植物の浸食が無い場所で、生き残っていたらしい。
「なるほど。鍾乳洞の入り口から徒歩で採取しに行こうと思ったら一日かかってしまうけれど、その縦穴から中に入れば直ぐに採取して戻ってこられるという訳ですね」
「そうなの。話が早くて助かるわ」
「一つ質問なのですが。縦穴から入らずとも、横穴からフラッデルで走行して取りに行けばいいのでは?」
イリスが首を傾げていると、馬を近くの大木に繋ぎ終わった騎士がちょうど戻って来て、イリスの質問に答えた。
「途中、這いつくばって通らなければならないような箇所がいくつもあるのです」
「なるほど、そうなんですね」
入り口の横穴からフラッデルで走行して行っても、途中フラッデルでは通れない場所があるので時間が掛かるのだろう。納得の声を上げたイリスに、騎士は何故か眉を顰め怪訝な顔をした。
「分かったような顔をしていますが、どうやって縦穴から中に入るつもりですか?フラッデルで垂直に降下できないことはご存じでしょう?」
そうなのだ。フラッデルで真下に降下することは出来ない。正確にはフラッデルを空中で停止させれば、自由落下で真下に降下することは出来る。だがその後、地面に衝突する前にフラッデルを起動させたとしても、落下の速度とフラッデルが浮上しようとする浮力とがせめぎ合い、まるで磁石の同じ極同士を合わせた時のように反発し合ってあらぬ方向に弾き飛ばされてしまうのだ。
それを防ぎながら真下に降下するためには、イリスが得意としている回転しながら独楽のように降下するという手法がある。だがこの方法はフラッデルの繊細なコントロール技術が求められるため、イリスにしかできない芸当だった。
「その点は大丈夫よ。イリスちゃんは出来るって、ロイ君が言っていたもの」
「まさか!どうやって垂直に下降して止まるというんです!」
マルグリットの言葉に、フラッデルを背負った騎士が弾かれた様に疑問を投げかけた。
王妃であるマルグリットに対して不敬とも取れる発言だが、絶対出来ないと知っている騎士からすれば、その言葉が信じられないのも無理はなかった。
「……薬草が生えている場所は、広い空間になっていると聞きましたが、間違いないですか?」
「ええ、そうよ。お城のダンスホールくらいの広さがあるらしいわ」
回転するスペースがあれば問題なく降下はできるのだが、ある程度広い空間がなければ上昇することができない。真下に降下できないのと同じで、フラッデルは真上に上昇することが出来ないのだ。
流石のイリスも、上昇するためには徐々に高度を上げていく正攻法でしか上昇することが出来ない。だが鍾乳洞内にある程度広さがあるのならば、なんとかなるだろう。
「それなら大丈夫です。任せて下さい」
「っ!そんなもの、無理に決まっているだろう!!」
「まぁまぁ。イリスちゃんが大丈夫だって言っているんだもの。私達は見守っていましょう?」
声を荒げた騎士に、マルグリットが優しく微笑みかける。王妃の手前それ以上の言葉を呑み込んだが、騎士達は納得いかないとばかりにイリスを鋭く睨んでいた。
(嫌われちゃったなぁ……でもまぁ、仕方がないか)
普段なら相手を立ててイリスは出しゃばらず静観するところだが、今回は患者の命が掛かっている。一分一秒も無駄にできない場面で、相手の自尊心を慮ってはいられない。
イリスは騎士の視線に気付かない振りをしながら、マルグリットを見た。
「では、行って参ります」
「日陰を好む薬草だから、採取したら陽の光に当てないようにこの袋に入れて持って来て頂戴」
「分かりました。他に、採取の際に注意すべき点はありますか?」
袋を受け取りながらイリスが訊ねると、マルグリットは「そうねぇ」と首を傾げた。
「群生しているから数は十分なのだけれど、また生えるように根からは抜かずに茎を手折って採って来てくれるかしら」
「分かりました」
地表では絶滅してしまった植物に変わりはない。慎重に持ち帰ろうとイリスは思った。
「少し離れていてくださいね」
右足を踏み込みフラッデルを起動させると、イリスはそのまま上空に飛び上がった。
(縦穴って、あれね)
地上からは全く分からなかったが、上空から見下ろすと草地の地面に幾つか暗く底が見えない穴が開いているのが見えた。その中でも比較的大きそうな穴にイリスは狙いを定める。
大きいとは言っても人が一人通って僅かに余裕があるくらいだろうか。あまり大きな穴とは言い難かった。
「さて、では行きますかね」
独り言を呟き自分に喝を入れる。イリスとて小さな穴に飛び込むのに恐怖心がないわけではなかった。
だがつい数か月前に、ストレアル山脈の山頂で同じような経験をイリスはしたばかりだ。ナタラ族のダンの娘であるニーナが大地の裂け目に落ちた際、同じように穴の中に入って助けたことは記憶に新しい。
「よしっ!」
気合を入れフラッデルの先端を掴んで下に向ける。
その瞬間、地上にいるマルグリットと騎士達から悲鳴と怒号があがったが、イリスはそのまま上空から一気に穴の中に向かって飛び込んだ。




