早朝の衝撃
イリスが仮眠をとっている間に船は目的の場所まで航行したようで、イリスが目覚めた時にはすでに船は人気が感じられない港に停泊していた。
イリスが目覚めたのは明け方前だ。どうしてもいつもの癖で見張りの交代の時間に目が覚めてしまい、甲板に出てきてみたら船は既に停まっていたのだ。
「……」
船の縁まで歩いて外の景色に目を凝らすが、廃港だけに陸地に人の気配は全く感じられない。
空を見上げると今日の月は新月に近く、月明かりも少ないため余計に視界が悪い。夜明け前のこの時間はまだ暗闇が広がっていて、船の灯りに照らされた港の近く以外は何も見えなかった。
「まだ寝ていてもいいのに」
振り返るとロイが歩み寄ってきているところだった。甲板に出て来た時からロイの気配を感じ取っていたので、突然声を掛けられたが驚くことは無かった。
「無事に目的の港まで着いたのね」
「ああ。夜間の航海にも関わらず、全く問題なくこの暗闇の港に接岸させていたよ」
船の操縦などはイリス達には全くの門外漢だが、灯りの一切ない中でそれを行う事が簡単でないことぐらい想像に難くなかった。
「皆は?」
甲板にはイリスとロイの他に動く人の気配は感じられない。そのため今現在他の船員が休んでいることは見て分かるのだが、イリスは暗にイリスが休んだ後のことを訊ねた。
「?」
すると何故か、ロイは苦笑しながら肩を竦めた。
仮眠をとっていた間に何かあったのではとイリスの顔に焦りが浮かぶと、ロイはそれを察して安心させる様に緩く首を横に振った。
「問題は何も無かったよ。……それよりも、どうもこうも、あの魔女さんは凄いね」
「?」
訳が分からずイリスが首を傾げると、ロイは困ったように笑った。
「先ず、明日の朝一番でオートレア王国騎士団の先発隊が到着する。目的は現状把握ではなく、乗って来た馬でイリスとマルグリットさんが薬草を取りに出掛けるための護衛をするそうだ」
「え?」
「その後、必要な他の薬草や医療機器を携えた王立医師団が派遣されてくる。こっちは準備をしてから来るから、昨日マルグリットさんが言っていたように昼頃の到着になるそうだよ」
「……なるほど?」
「で、俺達の今後についてだけれど、ニザルべリナリアの潜伏期間が七日から十日だそうなので、全員ワクチンを投薬してから十日はここで待機するよう言われたよ」
「……そんなに悠長に滞在してもいられないけれど、感染していないと断言出来ない以上仕方がないわね。……あ!でも……」
そこで何かに気付いたイリスが声をあげる。
ロイは言い淀んだイリスに口を挟まず続きを待ってくれていたので、イリスはそのまま話を続けた。
「私も感染しているかもしれないのに、明日薬草を採取しに船を出てもいいのかしら?」
当然の問いに、ロイは再び肩を竦めた。
「それも対策済みだってさ。先発隊が感染を調べる検査キッドを持ってくるそうだ。でも結果を百パーセント鵜呑みにもできないから、例え二人が感染していなかったとしても、ここから目的の薬草が生えている場所までは、人の往来がない場所を選んで行くそうだよ」
感染を拡大させないために船内に皆を隔離しているのに、イリスとマルグリッドが外に出てしまったら元も子もないのではないかと思ったのだが、それも対策済みだったことにイリスは感心した。
「隔離生活は十日にも及ぶから、その間はこの廃港に騎士団が持ってくるテントを設置して過ごすそうだよ。幸い食料だけはこの船の積み荷があるから安泰だしね」
「……え?それは駄目でしょう?」
ここまでの話の内容は、疑問はあれど反論すべき点はなかったが、積み荷を隔離生活の間の食料として消費するという話は看過できなかった。
この船の積み荷は大事な『商品』なのだ。緊急事態ではあるが、それを食べるわけにはいかない。
だがロイは、分かっていると言わんばかりに片手を挙げてイリスの言葉を遮った。
「それは僕達もイリスと同じ意見だったんだ。けれど、マルグリットさんの主張はこうだ。消費者の立場からすれば『ニザルベリナリアに感染した者がいる船内に積んでいた食料を食べるなんて、感染するんじゃないか不安で食べたくない』だってさ」
「そんなこと!」
「ああ。ニザルベリナリアウイルスは感染している蚊が媒介して感染するウイルスだから、それが無生物に付着するという事は無い」
ニザルベリナリアウイルスを改良して造られた殺人兵器ニザルベリナは感染力が強く空気感染もするが、今回は殺人兵器とは似て非なるウイルスである。人から人へ、まして無生物を介して伝染ることはない。
「じゃあなぜ!」
憤るイリスに、ロイは困ったように眉根を下げた。
「風評被害はどうしようもない。人々が一度不安に思ったものを払拭するのは難しいんだ」
結論はこうだった。今回この船でニザルベリナリアの感染者が出たことを、オートレア王国として正式に公表するのだそうだ。
人の口に戸は立てられない。何処からか今回のことが広まり、真偽が明らかでない噂が流れ、結果的に国外から入ってくる全ての食品などに対して国民が不安を抱き懸念するような事態になるよりは、感染者が出た船を公表し、人のいない場所に完全に隔離して治療を行い、積み荷は全て処分したと明らかにした方が結果的に被害が少ないとの判断が下されたのだそうだ。
なるほどと息を一つ溢す。理由は分かったが、それでもイリスは何ともしがたい思いを抱えて俯いた。
この船はあまり大型ではない定期船とはいえ、数多くの積み荷が乗っている。その中にはエダルシアの北部山岳地帯で採れる果実も入っていると聞いた。もしかしたらソルとルナが収穫したものも積み荷の中にはあるかもしれない。そう思うとやりきれなかった。
「僕も気持ちは同じだけれど、こればかりは仕方がないね」
「そう、だね」
ロイに詰め寄っても仕方が無い事だと言葉を呑み込む。確かに現状では、このまま取引に出しても買い手がつかず腐らせてしまうだけかもしれない。
そうなれば、結果的に隔離生活の中で消費するのが積み荷を最も無駄にしない方法だろう。
「そこで、明日には港に天幕を設置して簡易の調理場を作るそうだよ。その手筈も全てマルグリットさんがしていた。あの人、何者なんだろうね?」
ロイがふっと息を吐き出しなから苦笑した。
ここまでの話は独断ではなく王国側と相談して決めたことだとしても、この短時間で国とここまでの決定をし、最短で実行に移せるように整えることが一介の市民に出来るとは思えなかった。
「まぁ、それを探るのはこの危機を脱してからでもいいと思っているよ。少なくとも悪い人ではないしね」
もしかしたらマルグリットは、魔女として王国にも意見できる程の権力を持っているのかもしれない。
けれどマルグリッドが何者だとしても、今はこの状況を脱するために皆で力を合わせて取り組まなければならない。ロイが言うように、今は素性の詮索などは不要だった。
「ところでもう一度言うけど、イリスはまだ休んでいたら?」
「……もう目が覚めちゃったし、いつもなら見張りの交代時間でしょう?ロイこそ仮眠をとったら?」
イリスの提案に、ロイは顎に手を添えて低く唸った。
「うーん……。じゃあ、お言葉に甘えてそうしようかな。仮眠をとったら、患者の容体を見ているレオンと交代してあいつを休ませるよ」
「そうして。私はしっかり休ませてもらったから、ここは任せてよ」
トンと自身の胸を叩けば、そんなイリスの様子にロイが小さく笑った。
そうしてロイと見張りを交代し、イリスは甲板で朝を迎えたのだった。
「おはよう、朝早いのね」
「おはようございます」
早朝、まだ陽が昇り切らないうちに準備を終えたマルグリットが甲板にやって来た。
見張りを交代し夜明け前から起きていたとは言えず、イリスは挨拶を返すだけに留めた。
「今日は馬で駆けると聞きました」
「そうよ。貴方はどうする?」
騎士としてイリスは当然馬にも乗れるのだが、イリスの回答は決まっていた。
「ご迷惑でなければ、私はフラッデルを使わせていただきたいです」
「そう、分かったわ」
甲板でそんなやり取りをしていると、遠くの方から馬の蹄の音が響いてくる。予定通り早駆けの先発隊が到着したようだ。
マルグリットが陸地へと下ろされた渡り板を降り始めたので、イリスもその後に続く。
聞こえていた蹄の音が徐々に大きくなってくると、騎士服に身を包んだ男達が乗る十頭の馬が目視でもはっきりと捉えられた。
そしてあっという間に船の前までやってくると、騎士達は軽やかに馬を降り、マルグリットの前に膝を付いて恭しく頭を下げた。
「王国騎士団、ただいま到着いたしました」
「早かったわね」
「……この度の事態に際し、国王陛下が大層御身を心配しておられます」
「私は大丈夫よ?」
一斉に跪いた騎士達に動揺するでもなく、慣れた様子でマルグリットは顔を上げるよう騎士達を促した。
その異様とも言える光景にイリスは一言も声を発することができず、ただ呆然と眺めていることしかできなかった。
「シシリスの薬草を取りに向かわれるとのこと。であれば、我々が採取して参ります」
先程声を発していた真ん中に佇む騎士が顔を上げるなり申し出る。この中で一番立場が上の人物なのだろう。だが、その言葉にマルグリットは眉間に皺を寄せた。
「貴方達には無理よ。普通に採取に行ったら一日がかりでしょう。量が必要だからそれはそれで別で貴方達にお願いするわ。私達は別ルートから一先ず必要な分を急いで取ってくると伝えたでしょう?」
「ですが!国王陛下も心配しておられます」
国王が心配するとはどういう事だろうかと、イリスはまじまじと隣に立つマルグリットを見上げた。イリスよりも幾分背が高く燃えるような髪色をしたマルグリットは、その髪色と同じ色をした意志の強い瞳で騎士を見下ろしていた。
「この時間が無駄よ。患者の命が掛かっているの。一分一秒たりとも無駄にできないわ」
「昨日のお話を受け、こちらもフラッデル隊から一番の乗り手を連れて参りました。他国の騎士を受け入れるお優しきお心はそのままに、自国の騎士も信頼していただけたらと思っております」
「……」
マルグリットが困った様子で隣に立つイリスを見る。何か言って自分を援護して欲しそうなのは分かるのだが、イリスも困惑していて直ぐには言葉が出てこなかった。
(要するに、王国騎士団の人達はマルグリットさんを薬草の採取に向かわせたくないのね。しかも、王国騎士団もフラッデル隊の人を連れて来たのに、マルグリットさんは何故か私のフラッデル乗りとしての腕を買ってくれているみたい)
昨日イリスがフラッデルに実際に乗っているところを見たからかもしれない。イリスの腕を買ってくれるのは嬉しいが、フラッデルに乗れる騎士が居るのであればその者にお願いしても問題ない様に思われた。
「あの、……お願いしてはどうでしょうか。私でなくても、フラッデルでなら早く採取してこられるんですよね?」
イリスが口を挟むと、後押しを得たとばかりに騎士が言葉を重ねた。
「この方もこう申されておりますし!」
「けれど、貴方達も知っているでしょう?シシリスが何処に群生しているか。貴方達でフラッデルを使って取ってこられると?」
マルグリットの言葉に、騎士が口を噤んだ。どうやらその薬草は本当にとても難しい場所に自生しているようだ。
「……では、こちらの方ならばフラッデルで問題なく取ってこられると仰るのですか?」
言葉の丁寧さとは裏腹に睨みつけるような視線を向けられてイリスがたじろぐ。
そんな視線からイリスを護るように片手をイリスの前に翳したマルグリットは、騎士達に向けてはっきりと告げた。
「そうよ。だってイリスちゃんは、大陸で一番の乗り手だそうだもの」
(ロイの馬鹿っ!)
胸を張って堂々と告げたマルグリットに、イリスは深い溜息を吐いた。ロイが昨日語った言葉を信じているようだ。
だがその言葉を聞いた騎士の面々は、皆一様に剣呑な視線をイリスに向けてきた。それはそうだろう。マルグリットの紹介でイリスが女であるということが分かっただろうし、他国の騎士どころか女に負けるとあっては面白くないのは当然だ。
だが面と向かって不平を述べたりはせずぐっと言葉を呑み込むと、代表で話をしていた騎士は再び頭を下げた。
「……分かりました。では当初の予定通り、護衛として同行させていただきます」
「……そうね、そうして頂戴」
「王妃陛下のお心のままに」
「!」
騎士の発したその一言で、一瞬にしてイリスの時が止まった。
「王妃……陛下?」
イリスの口から小さく言葉が零れる。だが隣に立つマルグリットには聞こえていたようで、振り返ったマルグリットは困ったように眉を下げた。
「こうやってバレちゃうから、本当は騎士達にも来て欲しくなかったのに」
跪く騎士達から上がる「そんな!」という声が、どこか遠くで聴こえているかのようだった。
(オートレア王国の国王には息子が何人かいるから、側妃を娶る必要はなくて、妃は一人しかいなかったはず……)
視線が合い、マルグリットが優しく微笑む。その瞬間、イリスは弾かれた様に我に返るとその場に膝を付こうとした。
だがそれに気付いたマルグリットが、イリスの腕を掴んでその行為を止めた。
「やめてやめて!そんな風になるからバレたくなかったの!仰々しく接するのは禁止!」
怒ったように捲し立てるマルグリットに、イリスはどうしたらいいのか分からずただ呆然と立ち尽くすしかなかった。




