マルグリット
魔女が出て行ってしまった室内で、一同は黙って顔を見合わせる。
この部屋にはイリス達の他に、言わずもがな患者であるノクトが取り残されている。まさか患者を放置して魔女を追っていく事も出来ず、一同はその場から動くことが出来ずにいた。
「えっと……どうしよう、か?」
困ったようにイリスが口を開けば、それを合図とばかりに皆が張り詰めていた息をふっと吐き出した。
「どうもこうも、何なんだよあの医者!ニザルべリアじゃないっつったって、死亡率の高いウイルスに感染してるってことなんだろ?患者を置いてってどうすんだよ!」
「……待て、よく見ろ」
リュカが苛立たしげに声を荒げると、それをレオンが制して視線をノクトの方に動かした。
まだまだリュカの憤りは収まらないようで、レオンに注意され面白くなさそうに眉間の皺を深くしたが、レオンの視線の先にいるのはベッドに横たわるノクトだ。病人が寝ているのだから静かにしろと注意されたと思ったリュカは、吐き出し足りない様子ではあったが渋々口を閉ざした。
「凄い……呼吸が楽になってきてる」
「?」
レオンの視線に促され患者を見下ろしたロイが、小声ながらも驚きの声を上げる。その言葉を耳にして、扉の前に居たリュカも恐る恐るベッドまで歩み寄ってきた。
ゆっくりと歩を進めベッドの上に横たわるノクトの顔が見える位置まできたリュカは、その様子に驚いて息を呑んだ。
先程までの呼吸が困難な状況からは考えられない程、一転して呼吸は落ち着いており、その顔色も幾分生気が戻ってきていたのだ。
「さっき患者に注射していたのはウイルスに対してのワクチンではないんだろう?それなのにここまで容態を安定させるとは……凄いね」
ロイの言葉にイリスもノクトを見つめる。確かに、患者の容体を瞬時に判断して、特効薬であるワクチンがない中でこうも症状を安定させる処置を的確に行えるのは流石としか言いようがなかった。
一同が感心してノクトの容体を見守っていると、こちらに近づいてくる足音を察して三人が一斉に扉の方を見た。
その足音は駆けていないまでも階段を降りると足早に廊下を通り、この部屋の前まで来ると勢いよく扉を開け放った。
「今から王国の西側にこの船を接岸させるわ。……えーと……」
部屋へ入室してきた魔女は、捲し立てるように話し出したが途中で言い淀むように言葉を切った。視線を彷徨わせ一同を見回しながら困ったように首を傾げる魔女を見て、イリスは魔女が何に困っているのかを察して慌てて声をあげた。
「申し遅れました!私はサンスタシア帝国で騎士をしておりますイリスと申します。患者の傍にいる二人も同じ騎士団に所属するレオンとロイ。そして……共に旅をしているリュカです」
緊急事態だっただけに名乗ってもいなかったことを思い出し早口で告げる。レオンとロイはイリスの紹介に合わせて、それぞれが魔女に向かって軽く会釈をした。
しかしリュカだけはイリスの紹介に明らかに不服そうに眉を顰める。それに気付いたイリスは申し訳ないと思いながらも、今は言い訳をしている時間もないので取り合わずにそのまま流すことにした。
イリスとてその紹介で良いとは思っていない。けれども、どう伝えるのが正解なのかが分からなかったのだ。まさか一般の人相手に『ウィレンツィア王国の革命軍』と言う訳にもいかない。
一瞬気まずい雰囲気が室内に流れたが、イリスからの紹介を受けた魔女はそんなこちら側の様子には気付くことなくにこやかに応えた。
「こちらこそ名乗りもしないでごめんなさい。私はマルグリット。魔女なんて呼ばれる事もあるけれど、多少の薬草の知識と囓った程度の医術の心得があるだけの、ただのお婆さんよ」
マルグリットはそんな風に自己紹介すると柔らかく微笑んだ。表情に合わせて目尻や頬に優しげな皺が刻まれるが、どう見てもお婆さんと称する程年齢を重ねているようには見えなかった。
それにマルグリットをこの港まで連れて来る間の人々の反応からは、彼女が医療従事者として皆から尊敬され慕われていることが窺えた。決してただのお婆さんではないだろう。
「それで?なぜ感染を広げないために沖合に停泊するよう指示した船を接岸させるので?」
窓際に立つレオンが問うと、マルグリットは開け放っていた扉を閉めて室内に歩を進めた。
「その場所で、王立病院の医師を数名乗船させる手筈を取ってきたわ。今無線で要請したから、船がその港に着く頃には乗船できるはずよ」
船内の無線で要請したのだという魔女に、イリスは驚きを隠せなかった。
脅威のウイルスに感染した患者がいるとはいえ、一医療従事者の話を受けて国がこんなにも適切且つ迅速に対応してくれるものなのだろうかと訝しむ。
感染をこれ以上拡大させないためには迅速に対応することが何よりも大事だ。しかし、これと同じ対応がサンスタシア帝国で出来るかと問われれば、答えは否だろう。
どんな案件であっても、該当の部署と何人もの責任者を通し熟考された上で最終的に帝の決定が下されなければ物事は動かない。いくつもの行程が必要なのだ。
(マルグリットさんは、本当に何者なの?)
イリスはマルグリットをまじまじと見つめる。だが、今はそれをじっくり考えている暇はなかった。
「接岸させる港への対応は?感染が広まるかもしれないだろう?」
リュカが焦った様子で問うと、マルグリットは大丈夫と言うように大きく頷いた。
「そうね。ニザルベリナリアは人から人へは感染しないといは言え、医療従事者としてはこの船にいる全員が感染していないことがはっきりと証明されるまではこの船を世間から隔離する判断を下すわね。
でも、接岸する港は何百年か前に廃れた港なの。元々国の西側の海は海流の影響で波が荒い場所で、嵐の度に防波堤を越えてくる波の脅威と被害が絶えない場所だったから、今は廃港になっているのよ。今は人が住んでいないただの荒れ地よ」
「なるほど、廃港であれば周囲への感染を気にすることなく船を接岸することが出来ますね」
イリスが答えれば、マルグリットは正解とばかりにニッコリと微笑んだ。
おそらく遥か昔の人々は、船を着けられる開けた場所に集落を築いたはいいが、いざ住んでみると自然の猛威に晒される土地だったために見切りをつけたのだろう。自然に抗うよりも、他の住み良い場所に新たに集落を築く方が遥かに容易い。
「それで、騎士の皆は医療の心得があると思っていいかしら?」
「ええ勿論。ですが、応急処置が施せる程度の基礎の知識しかなく、貴方の足元にも及びませんが」
ロイが苦笑しながら言葉を返すと、マルグリットは緩く首を横に振った。
「いいえ、この患者は貴方達がたまたまこの船に乗船していた事を神に感謝すべきだわ。貴方達の初期対応が良かったお陰で、その後の私の治療も意味を成し、彼は一命を取り留めた。貴方達は自分のしたことを誇っていいわ」
面と向かって褒められ、レオンとロイが気恥ずかしそうに視線を逸らす。そんな二人の姿を見るのは珍しかった。
「それで?俺達は何をすれば?」
恥ずかしさを誤魔化すように咳払いを一つしてからレオンが問えば、「そうそう」とマルグリットが徐にその場にしゃがみ込むと自身の鞄を漁りだした。
「王立病院の医師が到着するまで、このままここで患者を診ていて欲しいの。先程応援の要請をしたけれど、もう夜でしょう?おそらく早くても到着は明日の昼頃になるわ。それまでに最初のように患者の呼吸が困難な状態になるようだったら、この薬を与薬して欲しいの。はい、レオン君」
「く……君……」
驚愕の表情でマルグリットを見つめるレオンにお構いなしに、マルグリットは鞄から小さな密閉容器に入った薬と思われる物を取り出すと呆然と佇むレオンの手にぎゅっと握らせた。
その様子を目にし、ロイは口元を掌で押さえて顔を背け、肩を震わせて笑いを堪えていた。
イリス達の直属の上司であるアイザックや仕えるべき君主である帝などもイリス達を若輩者として扱うが、ここまであからさまに子供扱いされることは今までなかっただけに、レオンの驚きと動揺も分からなくもない。
しかしそんな風に扱う程に、マルグリットからすればイリス達はまだまだ子供だということなのだろう。
イリスはそんなマルグリットに対して怒りを感じることはなく、寧ろとても新鮮な気持ちだった。
記憶にある限りイリスは、できるだけ父であるアイザックの負担にならないよう自立を心掛け、騎士を目指してからは厳しい規律の中で生きてきた。
イリスにとって、掛け値なしに子供扱いされることはひどく懐かしい感覚だった。
(え……『懐かしいって』……?)
自分の中に芽生えた感情の出処が分からず、思わず頭を片手で押さえる。
その仕草に何か違和感を感じたようで、後ろに立つリュカが徐ろにイリスの肩を掴んで振り向かせた。
「どうした?……って、顔真っ青だぞ?大丈夫か?」
頭を押さえてはいるが、記憶が混乱しているだけで頭痛がするわけでもない。にも関わらず、顔色が変わるほど動揺していたようだ。
「大丈夫。何でもない」
そう言葉にはしたものの、その言葉は全く真実味が感じられなかったようだ。イリスの言葉に安心するどころか、レオンやロイまでもが心配そうにイリスに駆け寄ってきてしまった。
だが二人がイリスの元に辿り着く前に、さっと人影がイリスの前に立ち塞がった。
「そうねぇ……。呼吸も荒くはないし熱は平熱。けれど脈は早いわね。医者の見解としては身体は大丈夫そうだけれど……」
イリスの首筋に伸びてきた指が次に額にあてられる。額が触れそうな程顔を近付けられてイリスが内心で慌てふためくも、魔女は動じる様子もなくイリスの瞼を押し上げて眼球内を観察したり頬を押して口腔内を確かめてからやっとイリスから手を離した。
「でも疲労は蓄積していそうね。どうせ薬草を採りに出発するのは明朝だから、イリスちゃんはもう仮眠を取りなさい。リュカ君とロイ君は、船内にこれからのことを伝えて対処する手筈を整えるから手伝いに来てくれるかしら」
「それはっ!私だけ休むなんて……」
マルグリットに詰め寄って抗議するも、伸びてきたリュカの手がイリスの肩を掴んだ。
「いいから、イリスは休んどけって。本当に顔色悪い。後のことは俺達でやっとくから」
「そうだね。リュカの分も僕がやっておくから、イリスはゆっくり休んでいていいよ」
「おい!そこは普通、『イリスの分も』だろ。何で俺の分なんだよ!」
いいことを言ったとばかりに胸を張るリュカの言葉尻をロイが揶揄う。普段と変わらない気安いやり取りに、イリスは気落ちしていた気分が幾分和らぎ、呼吸が楽になるような気がした。
そんな二人の様子に目を細めたマルグリットは、イリスに向き直ると安心させるように一つ頷いた。
「大丈夫。医者として、徹夜で作業なんて身体に悪いことは誰にもさせないわ。勿論私も、指示出しが終わったらしっかり休むつもりよ?」
そこで一旦言葉を区切ったマルグリットは、茶目っ気たっぷりに微笑んで見せた。
「老人の夜は早いのよ?いつもならもうすぐ寝る時間だもの」
「……」
冗談めかして話していたが、これで会話は終わりとばかりに話を切り上げたマルグリットに、気付けばイリスは黙らされていた。
マルグリットは柔らかい物腰であるにも関わらず、その中に有無を言わせぬ圧というか、人を従わせる術というかがあり、思い返すと、イリス達はマルグリットが思うように行動させられてしまっている事が何度もあった。
(本当に、マルグリットさんって何者なのかしら……)
結局これ以上意見することは出来そうになく、イリスは小さく溜息を吐く。
そうして早々にその場から退場させられることになったイリスは、一人早目の就寝についたのだった。




