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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第八章 オートレアの魔女
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診断

今回話の中に出てくる症状名は全て架空のものです。

実際にある病気やウィルスではありません。

「それで?患者はどんな状態なの?」


 フラッデルに横座りで乗せられながら進むことに最初こそ戸惑った魔女だったが、思いの外それは安定しており快適で、今では会話が出来る位の余裕が出てきていた。

 更には並走するイリスの両腕に守られるようにして囲われているので安心感もある。

 角を曲がる時ですらフラッデルは傾くこともなく平衡を保っており、今では魔女はすっかりイリスに身を委ねていた。


「今港に入港しようとしている船内で乗組員の船員が前触れもなく突然倒れました。倒れた時は呼吸が無かったので、私の連れが心臓マッサージを施し今は僅かに呼吸が回復しています。ですが私が船を離れるまでの間に意識は戻りませんでした。倒れる前に怪我を負った素振りも無く、目立った外傷などはありません」


 かなりの速さで走っているのに息が上がることもなく、イリスは淀みなく言葉を返す。

 だがそれを聴いた魔女は、唸るように低く呻いた。


「それだけの情報では何故倒れたのかの判断は出来かねるわね」


 確かに情報が少なすぎるとイリスも思っている。しかし多少の医療知識があるだけで素人同然のイリスでは、あの状況でこれ以上の情報を掴むことは出来なかった。


「先程最初に訪れた医院でもそのように言われました」


 悔し気にイリスが溢す。たがその言葉に、魔女は予想外の事を聴いたとばかりに驚きの声を上げた。


「最初にカリスディナル病院を訪ねたのね?町の北西にある病院よ?」


 港から距離がある場所にある病院なので魔女は驚いたようだ。だがフラッデルで走行するイリスにとってはその程度の距離は関係ない。驚く魔女に、イリスは先程の病院でのやり取りを告げた。


「……おそらくその医院でしょう。そちらの医院では直ぐに医師を派遣して頂くことが難しいと言われ途方に暮れていたところ、居合わせた方から貴方の話を聴いたのです」


 なるほどと魔女は頷き、そのあと僅かに口角を上げて微笑んだ。


「カリスディナル病院は王立の病院なの。直ぐに医師を派遣することは難しいと言われたかもしれないけれど、貴方が来たことを受けて、準備が整い次第きっと港に医師を派遣してくれるわ」


 その言葉にイリスが顔を上げると、にこやかに微笑む魔女と目が合った。


「私はそれまでの間に、出来る限り最善を尽くして初期治療にあたりましょう」

「ありがとうございます」


 礼を返しながら目の前の角を曲がると、開けた視界の先には幾つもの大型船が停っている港が広がった。

 イリスは素早く視線を左右に動かし、ミュラー商会の船を探す。見ると、手前に居る船の陰になっていて見えにくいが、三隻奥に停泊している船がイリスが乗って来た船に間違いなかった。


「少し揺れますよ!」

「え?……えぇっ!!」


 港にはいくつもの商船が停泊しているので、積み荷を降ろす人や直接買い付けや交渉に来たであろう仲買人などでごった返していた。

 イリスはその人混みを縫うようにしてフラッデルを走行させる。ぶつかることなく安全にすり抜けているとはいえ、行き交う人々は急に人混みから出てきたイリス達に驚きの声を上げた。


「うぉ!」

「何だっ!」

「おいっ、危ねぇだろ!!」


 声を荒げる人もいたが、先を急ぐイリスは「すみません」と謝罪を口にしながらも振り返らずに通り過ぎる。それを見て一人の男性から更に大声が上がった。


「なんなんだ!止まりやがれ!!」


 声を張り上げながら、男性は顔を歪め怒りを顕にしなからこちらを追いかけてきた。

 面倒なことになりそうな気配が過り、足は止めないままイリスがどうするかと頭を悩ませていると、イリスの両腕の間から身を捩って魔女が後ろに向かってひょっこりと顔を覗かせた。


「ごめんなさーい!急患なのっ!」


 後方に向けて声が届くように口元に掌を添えて魔女が叫ぶ。突然の大声に驚いてイリスは魔女を見上げた。

 イリスの視線に気付き、魔女がイリスを見る。その顔に悪戯っ子のような笑顔を浮かべた後、魔女は視線を後方に戻した。状況がよく分からないまま、イリスも促されるようにして視線を後方に向ける。すると先程まで怒り心頭だった男性が、頭を下げこちらに向けて一礼をしているところだった。

 訳も分からずイリスが再び魔女を見上げると、魔女もイリスを見て微笑んでいた。


「この国は、医療従事者への敬意が深いのよ」


 確かにそれもあるかもしれないが、それよりも魔女自身に対しての尊敬の念が深いのではないかとイリスは思った。だが、今そんな話をしている時間はない。


「この船です!」


 言いながらイリスは船と陸地とを繋ぐ為に掛けられた桟橋を駆け上がった。斜面を登る形になったが、フラッデルは天から見えない糸で吊り上げられているかのように地表と水平のままだ。

 魔女が驚いて瞠目しているが説明している余裕はなく、イリスはそれを無視して勢い良く甲板に飛び込んだ。


「医師を連れてきましたっ!」


 船の中央部、人垣ができている方向へ声を張り上げる。

 イリスの声に気付いて一斉に集まっていた人々が振り返ると、フラッデルに乗っている魔女の姿を認めてその存在を知っている船員達からは安堵の声が上がった。


「イリス!早くっ!!」

「!」


 人垣の中心から、リュカの大声が響いた。焦って動揺した声色から、状況が芳しくないことが嫌でも想像される。

 走り込んだ勢いのままイリスが魔女を乗せたフラッデルと共に人々が集まっている方向に進むと、人垣が自然と別れて道が出来た。


「今はどんな状況?」


 人垣の中心でその動きを止めたフラッデルからトンッと軽い音を立てて飛び降りた魔女は、膝に抱えていた鞄を手に足早に進むと患者の横に膝をつき、様子を窺っていたレオンとロイに状況を訊ねた。


「心臓マッサージで息を吹きかえして間もなく意識も戻ったが、相変わらず呼吸が苦しい。脈が早く発汗があるが発熱は伴っていない」


 分かる限りの情報を伝えたレオンに頷くと、魔女は手にしていた鞄から聴診器を取り出し耳にかけた。

 レオンとロイが自身が居た場所を譲るように立ち上がって脇に避ける。それに軽く頷くと魔女は患者の脇に移動して膝を付いた。


「この患者に既往歴や特定の疾患を有しているということはある?」


 患者に対して診察を続けながら魔女が誰ともなしに問えば、それに人垣の中から年配の男性が答えた。


「ノクトは昔から身体が丈夫なのが取り柄だ。そりゃ風邪ぐらいひくことはあったが、今まで大きな病気なんざしたことねぇし、今何か病に侵されてるって話も聞いたことねぇよ」


 話に耳を傾け頷きながらも、視線を患者から外すことなく手は忙しなく脈を図ったり上衣の袖や裾を捲って腕や腹などの皮膚状態を観察していた魔女の手が止まった。


「!」


 明らかに、魔女の放つ空気が変わったのが傍で見守っていたイリスにも分かった。

 魔女が上位の裾を捲ったノクトの腹には、明らかに病気によるものだと思われる赤紫色の紅斑がいくつもあったのだ。

 魔女は何かを確信したようで、患者の頬に手を添え口を大きく開けさせるとその口内を覗き込んだ。


「……この船、何処からきたって?」


 魔女の声が剣呑さを纏う。その圧に押されながらも周囲に居た年若い船員が恐る恐る声を上げた。


「エ……エダルシアからです。積み荷は小麦や農作物が主ですが果実も多少積んでいます」


 魔女は応えてくれた青年を見向きもせずに、自身の隣に置いていた医療鞄を漁る。その中からいくつかの小瓶を取り出し、もう片方の手で注射器を取り出した。


「南の方で作られるっていう特産の果実も積んでる?」

「え?……えぇ、勿論」


 狼狽えながらも青年が応えると、そこで初めて魔女は後方を振り返った。


「今すぐ船を出して!陸地から十キリルは距離を取って沖合に錨を降ろして停泊させて。誰か手が空いている人はお湯沸かして持ってきて!この患者は何処か離れた部屋に隔離を!」


 怒涛のように告げられた指示に、周囲は驚いて一瞬皆時が止まったかのように動けなかった。それに業を煮やした魔女は、勢い良く両手を合わせて打ち鳴らすと声を張り上げた。


「急いで!一分一秒を争う事態なのよっ!!」


 パンッという乾いた音に皆が我に返る。そうなれば船乗りとしてこの船を取り仕切る者達だ、皆弾かれたように動き出した。

 魔女のすぐ傍に控えていたレオンとロイも、指示通りノクトを何処かの部屋に運ぶ為に身体の下に手を差し入れようとした。


「待てよっ!直接触れても大丈夫なのか!?」


 躊躇なくノクトの身体に手を掛けた二人を見て、リュカが慌てて魔女に声を掛ける。

 何処かに運んで隔離するように指示したからには感染症等の病気だろうと誰にでも想像できる。リュカの言葉にイリスも魔女を振り返った。


 魔女は変わらず声を上げたリュカを見遣りもせずに、取り出した小瓶の蓋を開けてその中に注射器の先端を差し込み液体を吸い上げると、ピクリとも動かないノクトの腕にその針を刺した。


「……この患者の症状は……おそらく、ニザルベリナリア……。蚊の一種を媒介にして起こる、感染症よ」


 できる限り声を落とした声音はか細く、僅かに震えている。

 周囲にまだ残っていたイリスやレオン、ロイ、リュカが辛うじて聞き取れるぐらいの声で告げられた事実に、皆が息を呑んだ。

 

 騎士として人命救助にも当たることがあるため多少の医療知識があるイリスやレオン、ロイどころか、全く医学の知識が無いリュカですらその名を聞いたことのあるくらい、それは世界で一番有名な病の名前だった。


「人類を破滅に導いたっていう……あの死のウィルス……だ……と?」


 リュカの口から囁くような微かな呟きが溢れる。

 皆今聞いたことが俄には信じられず、それ以上の口を閉ざした。否、誰も何も言葉を発することが出来なかった。



 ニザルベリア――それは千年前の世界大戦時に兵器として利用され、人類の約九割を死に追いやったという伝説の殺人兵器。

 世界中で最も有名なウィルスの名前だった。






1キリル(約1キロメートル)

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