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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第八章 オートレアの魔女
174/244

要請

 海面から少し離れた低空を、イリスはサマナの町に向かってフラッデルで駆けた。

 フラッデルが通り過ぎた後の海面が、二つに割れて大きな水飛沫を上げては消えていく。上空に飛び散っては陽の光を反射して煌めく飛沫はとても綺麗だったが、今はそれを悠長に眺めている場合ではなかった。


 イリスは肩から掛けているマントを首の処で半回転させ後ろを前にすると、それを顔の方まで引き上げて布で鼻と口を塞いだ。

 ノクトの症状がどんなものか分からないので、町に降り立った時に周囲への感染を防止するためだ。

 もしノクトが何らかの感染症に罹患していた場合、症状が出ていないだけですでにイリスも感染している可能性がある。何の対策も取らずに町中に降りるわけにはいかなかった。

 まだそうと決まったわけではないし、もし感染症だったとしても感染症の種類によっては鼻と口を覆ったくらいでは周囲への感染のリスクがどの程度下がるかも分からないが、何も対策をしないよりはましだろう。

 イリスはズボンのポケットから滅多に使うことのない皮手袋も身につけると、飛沫感染と接触感染を防ぐ出来るだけの対処をしながらフラッデルを走らせた。



 船がもうすぐ港に着く頃合いだったこともあり、フラッデルで海上を走行したのは数分にも満たない時間で、あっという間にイリスはサマナの港町に辿り着いた。


 サマナの町は、オートレア王国の王都に一番近い港町だけあってそれなりに規模が大きく、港には何艘もの商船が停泊している。

 それらを横目に通り過ぎ、イリスは高度を上げると上空から町中を見回した。これだけ大きな町なら病院が何処かにあるはずだ。

 病院は遠目からでも見て分かるように、建物の上部に薬草を模した紋章を掲げることが義務付けられている。それはどこの国であっても変わることのない世界の取り決めだ。

 イリスは目を凝らし、住宅街の建物の上部を眺める。すると北西に聳える尖塔に、見慣れた薬草の紋章を見つけることができた。


「あった!」


 イリスはフラッデルの前に置いている左足を僅かに傾けて舵を切ると、今見つけたばかりの紋章の元へと急いだ。


(港からは徒歩で十分程度、と言ったところかな)


 今フラッデルで走行している道程から考慮すると、病院から医師を連れて港に戻るのに十五分はかかるだろう。船が港に接岸し次第ノクトを診てもらうためには、直ぐにでも医師を連れて戻る必要があるなとイリスは頭の中で算段をつけた。


 紋章の元まで辿り着いたイリスは、上空から病院の建物を見下ろす。

 病院の前は広場になっているらしく、石畳が敷き詰められた空間が広がっていた。広場には所々にベンチが置かれており、座って歓談する人々の姿も見える。


(この広さがあれば、安全に降りられる)


 イリスは広場の状況を確認すると、ぐるりと旋回して一旦病院の建物から距離を取ると、広場にいる人々を驚かさないように緩やかに傾斜をつけながら出来る限りゆっくりと下降し広場に降り立った。


「っ、うわぁ!!」

「きゃあぁぁ!!」


 だがそれでも、急に空から降りてきたイリスを目にして広場は一瞬にして騒然となってしまった。

 フラッデル自体が希少な機械であるだけに、その存在を知っていても見たことがない人の方が圧倒的に多く、どうしても驚きが勝ってしまうようだった。


(驚かせてごめんなさい!)


 しかし今はそんな周囲に構っている余裕は無く、イリスはフラッデルから足を外すとそれを素早く拾い上げて脇に抱え、開け放たれている病院の入り口の扉をくぐった。


「すみません!急いで医師を派遣していただきたいのですが!どなたか港まで一緒にご足労いただけないでしょうかっ!!」

「!!」


 イリス自身も感染しているかもしれないことを想定すると、病院内に入ることは出来ない。イリスはここが病院であるということに配慮はしつつも、控えめとは言い難い声で中に向かって呼び掛けた。

 突然静かな病院内に響いたその声に、病院内にいた人々は皆一様に驚いて、一斉にイリスを振り返った。


 病院内には、松葉杖をついた青年や点滴を腕に繋いだまま歩く女性、具合が悪そうに椅子に蹲る老女など何十人もの人々が入り口を入ってすぐの広間にいたが、誰もが突然のことに驚いて一言も声を発することができずに、ただ黙ってイリスを凝視していた。

 明らかに病人である人々がいる場所で大声を発したことに申し訳なさを感じつつも、今は優先すべきことがあると自分に言い聞かせ、イリスは深く息を吸い込むともう一度声を上げた。


「お騒がせして申し訳ありません!ですが、今入港しようとしている船の中に意識不明の患者がいるんです。医師を港まで派遣していただけないでしょうか!」


 尚もイリスが声を張り上げるが、病院内の広間にいる人々はこの突然の状況をまだ呑み込むことができず、誰も言葉を発することができない。

 そんな静寂の中、廊下をゆっくりとこちらに向かって歩いてくる靴音が、人々がいる広間に響き渡った。

 今度は皆の視線が、イリスからその音の方向に向けられる。見ると、そこには騒ぎを聞きつけたのか、白衣を着た老齢の医師が奥の廊下から入り口に向かって歩いて向かってくるところだった。


「何の騒ぎですか?ここは病院内ですよ」

「サリヴァン医師!」


 現れた老齢の医師の名と思われるものを、周囲にいた患者の誰かが叫んだ。

 医師はその声に軽く微笑みを返すと、優雅な所作で周囲を見渡す。そして、事の元凶であるだろう病院の入り口に佇むイリスを目にして視線を止めた。

 全てを見透かすようなその眼差しに射貫かれ、イリスがはっと我に返る。どうやら周囲の人々同様、サリヴァン医師の動向に目を奪われていたようだ。イリスは気を取り直すと慌てて弁明を口にした。


「申し訳ありませんっ。今港に入ろうとしている船の中に重症の患者がいて!どなたか医師の方に来ていただきたいのです!」

「ふむ……して、その患者はどんな状態なのかな?」


 医師は慌てた様子もなく、白髪と同じ色をした顎髭をゆっくりと撫でながらイリスに問うた。


「今から十分ほど前に、船内で突然倒れました。倒れた直後は呼吸がなく、心臓マッサージを施して今は僅かに呼吸が回復していますが意識がありません。目立った外傷は無し。既往歴については分かりません」

「……それだけだと何とも言えんな。……トーマス、誰か派遣できるか?」

「調整すれば何とか。……ですが、今すぐという訳には……」


 サリヴァンと呼ばれた医師は受付の処にいた男性を振り返った。呼び掛けられたトーマスと呼ばれた人物は、何かの資料を捲りながら手短に答える。医師の予定表か何かを確認したのだろうが、どうやらすぐに医師を派遣するのは難しいようでトーマスの返答は芳しくなかった。


「儂もこの後手術を控えとるし……どうにかならんのか?」

「出来るだけ調整してみます」

 

 倒れた原因が何かも分からないノクトの身体を動かすのは危険が伴う。出来ればノクトを病院に運び込むよりは医師に来て診てもらう方が安全だと考えたのだが、やはり同じ意見なようでサリヴァン医師はノクトを連れてくるように言うことはなかった。


「……」


 出来る限り医師の派遣を前向きに考えてもらえるだけでもありがたいのだが、出来れば今すぐに来てもらいたいところだ。そんな思いをぐっと押さえて、イリスはそのまま返答を待った。


「あの……」


 するとその時、事の成り行きを見守っていた周囲の人々の中から、松葉杖をついた青年が窺うように片手を僅かに上げて、イリスとサリヴァン医師に控えめに声を掛けてきた。


「……今、南地区に魔女先生がきてますよ?」


 おずおずと探るように、青年が言葉を発する。その内容が、昨日船上で聴いたばかりの「魔女」のことを言っているのだと気付くまでにイリスは暫し時間を要した。

 魔女などと呼ばれているが、その実その人物は医療大国と名高いオートレア王国にあっても名医だとノクトは言っていた。そんな人が診てくれるのならば安心だったが、青年の言葉を聞いたサリヴァン医師は途端に眉を顰めた。


「だが……」


 言葉を濁したサリヴァン医師とは裏腹に、青年の言葉を聞いた周囲の者達は一斉に歓喜に沸いた。


「そりゃいい!南地区なら港とすぐ目と鼻の先だ。まずあの方に見ていただければ安心じゃ」

「魔女先生が近くにいたなんて、あなた、良かったわね!」

「これできっと患者も助かるじゃろう」


 次々に良案だと口にする周囲の者達を見て、サリヴァン医師は短く息を吐き出した。こちらの病院での医師の派遣が難しい以上、その案を採用するしかないと判断したようだった。


「……調整がつき次第、こちらからも医師を派遣しその後の治療にあたれるように準備しよう」

「ありがとうございますっ!」


 その言葉に深く頭を下げながら、イリスは確認のために訊ねた。


「あの……『魔女先生』とは?」

「魔女先生などと呼ばれとるが、あの御方は民のために尽くしておられる尊い御方だ。出来れば何の病気か分からない者の診察などさせたくはないが……致し方がないだろう」


 言いながら、サリヴァン医師は苦悶の表情を浮かべた。どうやら最初に青年が魔女の存在を口にした際サリヴァン医師が言葉を濁したのは、魔女への信用がないからではなく、尊い存在の魔女に得体の知れない症状の患者を診察させたくなかったからのようだ。

 医師からの尊敬と信用を得ている魔女というのは、相当に凄い人物なのだろうと思われた。


「俺は経過観察だから魔女先生じゃなくて病院に来たけど、今日は南地区の広場の処で青空診療所をやっていたよ」


 先程魔女の情報を教えてくれた青年が嬉々として情報を提供してくれる。どうやら魔女は、医療従事者として尊敬に値する人物であり、人々にも慕われている人物であるようだ。


「ありがとうございます!行ってみます!!」

「広場は港の前の通りを左に進んですぐのところにあるよ!」


 お礼の言葉もそこそこに、すぐさまフラッデルを地面に置いて起動させたイリスを見て、情報をくれた青年は慌てて魔女の居場所を叫んで教えてくれた。

 振り返って青年に軽く頭を下げたイリスは、そのままフラッデルを発進させた。病院前の広場にいた人々を避けて一直線に上空へと飛び上がる。

 後方で周囲の人々が驚いた声を上げるのを聞いて心の中で謝罪しながら、イリスは教えられた場所を目指してフラッデルを走らせた。


(何とかして、魔女に来てもらわないと)


 船は間もなく港に着く頃だ。着いたら直ぐに診てもらえるよう、それまでに何としても魔女に事情を説明して港まで来てもらっておきたい。

 イリスは焦る気持ちを落ち着かせながら、教えられた場所へと急いだ。






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