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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第八章 オートレアの魔女
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出航

 一行が港町ディルリーノに到着した次の日は、寒期に向かう今の時期にしては珍しく温かく穏やかな日だった。


 サンスタシア帝国に向けて出港する船を見送るために全員で港までやってきたイリス達は、船に乗り込む桟橋の手前でヴォルターとエイミアと別れた。

 昨晩散々別れを惜しんで涙していたエイミアの涙は枯れることを知らないらしく、いざその時を迎えるとまた涙腺が崩壊する。

 それに苦笑しながら、イリスは優しくエイミアの身体を抱きしめた。泣いているエイミアの顔を見ていると自分まで込み上げてくるものがあったからだ。

 鼻の奥がツンとするのを堪えながら、イリスはなんとか笑顔を作るとエイミアの身体を離した。


「またすぐに!」


 誰が聞いているとも分からないので、言葉を選んで別れを告げる。

 そう遠くない未来の再開を誓って、イリスはヴォルターとエイミアと別れたのだった。



 そうしてヴォルターとエイミアを見送った次の日、予定通りイリス達もオートレア王国へと向かって出航する船に乗り込んだ。

 吹き渡っていく潮風が心地良く肌を撫でていく。見上げた空には雲一つなく、蒼い空はどこまでも晴れ渡り絶好の航海日和だった。


「船は初めてかい?」


 甲板に佇み、どんどんと離れていくディルリーノの町を眺めていたイリスは、こちらに歩み寄って来た船員に突然声を掛けられた。

 振り返ると、日に焼けた褐色の肌に赤茶の短髪が良く似合う、いかにも海の漢といった風体の青年が立っていた。


「ええ。実は海を見たのも初めてなんです」

「そりゃいいや。海はいいよ、遮るものが何もない大海原を前にしてると、悩んでいるのが馬鹿みたいに思えてくるもんさ。オートレアまでゆっくりと船旅を楽しんでくれ」


 青年の言葉に微笑みを返した後、イリスはもう一度視線をディルリーノの町に戻した。もう港にいる人影が判別できない程、岸は遠く離れてしまっている。船の速度というものは体感では感じにくいが、離れていく景色がその速度を物語っていた。

 そんなイリスを見てふっと笑った青年は、船の縁に佇むイリスにゆっくりと近付くと隣に並び立った。まだ何か話があるのだろうかと青年を見上げると、こちらを見つめる青年と目が合った。


「俺の名はノクト。会頭から話を聞いて、君に礼を言いたくてな。会頭がステラさんと子供達と一緒にいられるようになったのは君のお陰だ。礼を言うよ、ありがとう」

「っ!いえっ、私は何も!」


 ノクトと名乗った船員は、人懐っこい笑顔でニカッと笑った。予想だにしていなかったことを言われたイリスは、慌てて胸の前で両手を振るとそれを全力で否定した。


 ノクトの言う会頭とは、エダルシア王国一と言っても過言ではない大商会である、ミュラー商会の会頭、アレク・ミュラーのことである。

 イリス達がストレアル山脈を越えてエダルシア王国領に入った時、山中にある孤児院でソルとルナという双子に出会ったのだが、その双子は離れて暮らすアレクの実の子供達だったのだ。

 色々な事情があって長い間離れて暮らしていた親子だが、それまで隠していた双子の存在が敵に露見してしまい、双子を攫うべくやって来た敵とアレク達は戦闘となってしまう。

 だが居合わせたイリスの援護もあって、敵を撃退することが出来たのだ。おそらくノクトは、その時ことを言っているのだろう。

 

 しかしその時イリスがしたことと言えば、戦闘になった際にアレクを援護したことくらいである。礼を言われる程、長い間離れて暮らしていた親子の関係修復に尽力したわけではない。


「私は偶然その場に居合わせただけで、お礼を言われるようなことは何もしていないですよ」


 慌てて言い募るイリスを見て、ノクトが可笑しそうにくくっと喉を鳴らして笑った。


「そんなことはないよ。君達がやって来たことで、拗れたままだった親子関係が動き出した。それに何もしていないって言うけれど、あの時君が会頭を助けてくれなければ、最悪会頭は今この世にいないかもしれないだろう?」

「……」


 確かに、双子を攫おうとやって来た敵に一早く気付いてアレク達が敵を迎え撃っていた時、アレクは相対していた敵に窮地に追い込まれていて、イリスの助けがなければ大怪我だけでは済まなかったかもしれない状況だった。

 その時の状況を思い返していたイリスの表情を見て、ノクトは得意そうにふふんっと鼻を鳴らした。


「ほらな、やっぱり君達は会頭の恩人なんだよ。今の会頭、本当に嬉しそうでさ。見ていられないくらいなんだぜ?」

「へぇ……想像できないです」


 イリスは記憶の中のアレクを思い起こす。出会った時のアレクは、大きな商会を束ねる会頭だけあって堅実で実直そうな印象を受けた。それが長年の子供達との別離を終えて、傍から見ていられない程幸せそうだというのがなかなか想い描けず、イリスが正直に答えるとノクトはその返答を聞いて愉しそうに笑った。


「ははっ、だろう?見たら驚くぜ?子供達相手にデレッデレな顔しちゃってさ、見てらんねぇっつうの!」


 そんな風な言い方をしつつも、ノクトはとても嬉しそうに目を細めてその様子を思い描いているようだった。話しぶりからも、アレクが船員達にとても慕われているのが窺えた。


「本当は会頭自らが、世話になった君達をオートレアまで連れてきたいところだったんだけどさ、どうしてもサンスタシアに行かなきゃならない仕事があって。申し訳ないって言っていたよ」


 愉快そうに笑っていた表情を一変させ、スッと真面目な顔付になるとノクトはイリスに向き合い深々と頭を下げた。


「いえ、そんな。本当にお礼を言われる程の事をしたわけではないですし。それにサンスタシア帝国に向かわなければならないので、送れないというのは最初から伺っていましたので」


 孤児院でアレクと別れる際、今後イリス達がオートレア王国へ向かうと知ってアレクは自分の船を使うといいと言ってくれたのだが、自分はどうしてもサンスタシア帝国に向かわなければならないので送ってやることは出来ないと言っていた。

 それこそソルとルナは自分達が送りたいとアレクに言い募ってくれたのだが、可愛い子供達に懇願されても覆すことが出来ないくらいサンスタシア帝国行きは決まっていたことらしかった。


「そういえば、何か大事な積み荷でもサンスタシア帝国に運んだのですか?」


 会頭自らが外せない仕事としてサンスタシア帝国に向かったのだ。何か大きな商談だったのだろうかと軽い気持ちで訊ねたのだが、返ってきた返答は予想外のものだった。


「さぁ?俺達も詳しくは知らないんだよ。積み荷はいつも通りの穀物とか野菜とかだったんだけどさ。貿易の関税とかの話でもあったんじゃないかな。……ああ、でも、入ってきた連絡によると、会頭ってばサンスタシアの皇帝直々に呼び出されたらしいぜ。船の連中は会頭が帝都に行っている間、ずっと港で待機させられてたって定期連絡でぼやいてた」

「……」


 この情勢だ、何か良くないことが起こったのではと不安がイリスの胸を駆け巡る。


(でも、エダルシア王国では何も聞かなかったし、ガルーラ国王陛下も何も仰ってはいなかったもの。きっと貿易に関する何かしらの話があったのかもしれない)


 つい四日前にエダルシア王国の王都を発ったが、その際、何も言われることはなかった。イリスの正体を知っているガルーラ国王なら、ドルシグ帝国に何か動きがあったのならば教えてくれるはずだ。それがなかったということは、帝がアレクを呼び出したのは貿易上の話のためで、おそらく何か不測の事態が起こったわけではないのだろう。


「どうした、気持ち悪くなったのか?船酔いなら薬を常備してあるぞ?」


 不安が表情に出てしまっていたようで、急に表情を曇らせたイリスを見てノクトが気遣わし気に顔を覗き込んできた。


「いえ、大丈夫です。何でもありません」


 直ぐに否定を口にしてみたが、ノクトはその言葉をイリスの強がりと取ったようだ。体調が優れないと判断したノクトはイリスの額にその大きな手を伸ばした。


「んー……熱はなさそうだが顔色が良くない。無理せず、船酔いなら薬があるから直ぐに言うんだぞ?」

「はい、ありがとうございます」


 心配してもらっているのに更に否定で返すのは申し訳なく、とりあえずイリスは好意に対して礼を述べた。

 自分の言葉に素直に従ったイリスを見て満足そうに頷いたノクトは、何事かを思い出したように小さく「あっ」と言葉を溢した。


「そうそう!どうせオートレアに行くんだ。体調が悪いなら魔女に診てもらうと良いんじゃないか?」

「魔女?」


 突然御伽噺から飛び出してきたような単語が出てきて、イリスは驚いてノクトを見上げた。


「知らないのか?『オートレアの魔女』だよ。医療大国として名高いオートレア王国だが、そんな発展した医療技術を凌ぐほどの名医と名高い魔女がいるんだ」


 得意気に説明するノクトだが、その内容は不思議な点ばかりでイリスは首を捻る。

 どうやら「最先端技術の医療を凌ぐほどの名医」と「魔女」という両極端のような単語が一人の人物を表す言葉であるようだ。なぜ名医と名高い人物が「魔女」などと呼ばれているのだろうか。


(高い医療技術で人々を救うのであれば、「神」とか「聖女」とか呼ばれて崇められそうだけれど……)


 魔女というのは御伽噺の中でも、どちらかと言えば不吉な印象を与える存在だ。もしその人物が本当に素晴らしい医療技術で幾人もの人々を救っているのであれば、もっと感謝や敬意が込められた呼び方をされて然るべきだろう。

 だがそんなイリスの混乱する脳内を知らないノクトは、呑気に魔女の情報を追加した。


「魔女は各所の町を回っていて、広く王国民を診ているらしい。何処かで会ったらついでに診てもらうといいぜ?」


 どうやら魔女はその高い医療技術で私腹を肥やすような人物ではなく、その持てる力を平民に分け隔てなく与えているようだ。少なくとも御伽噺の中の悪者のような魔女ではないらしい。


「……そうですね、では会えたらその時はぜひ診てもらいたいと思います」


 どんな人物なのかと興味を持ったイリスは、気付けば自然とそう答えていた。


(魔女なら、私のこの失った記憶も元に戻せるかしら?)


 無論、魔女に頼らなくとも医療大国と名高いオートレア王国の医療技術ならば、イリスの記憶は元に戻るかもしれない。

 だがもしも普通の医療機関で記憶が戻らなかった場合は、魔女の元を訪ねてみても良いのではないだろうかとイリスは思った。

 情報が不足していて怪しさは拭えないが、少なくとも現段階でイリスは魔女に対して悪感情を抱いてはいなかった。


 軽く手を振って持ち場に戻っていったノクトを見送ると、イリスは視線を進行方向の海面へと向けた。

 どこまでも続く大海原の先に、まだ大陸は見えてこない。エダルシア王国のディルリーノの港から、二国間の国境となるマニラナ大河を超えてオートレア王国領に入国するには船で半日程しか掛からないが、オートレア王国の王都まで航行して辿り着くのには二日程かかるのだそうだ。


 船は、太陽の日差しを反射して煌めく海面を白い飛沫に変えながら悠然と進んでいる。

 エダルシア王国はイリスにとって初めて足を踏み入れる地だったが、次のオートレア王国もそれは同じだ。

 イリスは船の縁に腕を乗せてその上に顔を乗せると、どこまでも広がる銀色に煌めく海原を眺めながら、まだ見ぬオートレア王国の大地と魔女に思いを馳せた。






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