閑話 正しい対応
今回のお話は、イリス達が合同訓練期間を終えてエダルシア王都を出立する日の朝の話になります。
時系列的には、前話の最後より少しだけ前の話になります。よろしくお願いします。
「おう、おはよう」
「おはよう!」
「おはようございます、エドワードさん、ナルスさん」
朝食を頂こうと騎士棟の食堂に入室すると、今まさに食事を終えて出て行こうとする騎士二人に声を掛けられた。
「今日王都を発つんだろ?何時頃に出立するんだ?」
「朝食を頂いたら出発する予定です」
「えっ!すぐじゃん。……見送りには行けないけど、またいつかエダルシアに来てくれよな」
手を振りながら去って行く二人に軽くお辞儀をして別れる。
十日間の合同訓練を終え、朝食後にイリス達はエダルシア王国の王都を出立する予定になっていた。
食堂に入室すると、イリス達に気付いた騎士達から次々に声が掛けられる。
皆、イリス達が今日王都を発つことを知っているので、別れを惜しんだり合同訓練の礼を述べたりしてくれた。
それ故無下にすることも出来ず、イリスは声を掛けてきた全員と一言二言会話を交わし、それぞれと丁寧に別れの挨拶を行った。
そんなこんなで、漸く食事が乗ったトレイを持ってテーブルに着く頃には、あらかたの騎士達は朝食を終えて訓練や職務に就くような時間になってしまっていた。
「ずっと気になってたんだけどさ、何でイリスはエダルシアの騎士を名前で呼んでるわけ?」
山盛りの食事が乗ったお盆をテーブルに置いて腰掛けながら、リュカが訊ねた。
リュカはこの十日間、エダルシア王国騎士団の訓練生と共に訓練に励んでいた。
そのため合同訓練に駆り出されているイリス達とは全く別行動だったので、上手くやれているのか不安だったイリスは初日の合同訓練終了後、騎士訓練生の訓練場に立ち寄ってリュカの様子を見に行った。
訓練生達はリュカよりも年若い者が殆どだったが何年も騎士として訓練をしているだけあって、年下でもリュカよりずっと実力も体力もあり、リュカはついて行くのがやっとという状態だった。
しかし伊達にこの旅の道中早朝訓練を行っていたわけではなく、リュカは訓練生に対して全く歯牙にも掛からないような状態でもなかった。食らいついて行く根性もあり、訓練を同じようにやり遂げていた。
訓練が終了したのを見計らって、今まさに来たという風を装いながらリュカを迎えに行けば、あちらこちらに傷を作りながらも笑顔のリュカがそこにいた。
その様子に不安に思う必要などなかったと安堵し、労いの言葉を掛けようとしたイリスだったが、リュカに辿り着く前に居合わせた訓練生達に取り囲まれてしまい辺りは騒然となってしまったのだ。
どうやら訓練生全員があの御前試合を観覧していたようで、突然目の前に現れたイリスをまるで神々しい者でも見るかのような眼差しで見つめ我先にと話しかけ始めたので、結果イリスは揉みくちゃになってしまったのだ。
そんなことがあって、お互い怪我をしないためにもイリスがリュカを迎えに行くことはそれきりなかったのだが、一日中基礎をしっかりと叩きこまれ同じような実力の者同士で訓練をすることで、リュカはここ数日で目覚ましい成長を見せているとオリバー隊長から話を聞いていた。
そんなリュカは、椅子に腰掛けるとさっそくパンを手でちぎって口の中に放り込み、詰め込んだパンで頬を膨らませながら後ろを振り返った。
その動きにつられてイリスも視線をそちらを向ければ、先程最後に声を掛けてきた騎士達が気さくにこちらに向かって手を振りながら食堂を出て行くところだった。
「何でって、手合わせをする時に名乗られるし?」
「えぇ、全員覚えてんの?」
今度はフォークで刺した野菜を口に運びながら、リュカが大袈裟に眉を顰めた。その反応が可笑しくて、イリスはクスクスと笑った。
「そうだね、大体はね」
「……すげぇ」
リュカにそう返しながら、昨日エイミアとも同じ会話をしたなとイリスは思い出していた。
「で?覚えたから全員を名前で呼んでるわけ?」
「そうだね。……ああ、でも、『大勢の中で自分の名前だけを覚えていてくれたと勘違いして、勝手に私から行為を寄せられていると勘違いする』人もいるから今後は気を付けるよ」
「は?何それ?」
今までイリスとリュカの会話を聴きながら黙って食事をとっていたロイが、口に運びかけていたパンを持った手を空中で止めてイリスの方を振り返った。
「誰か、エダルシアの騎士にでもそう言われたの?」
(あれ?言わない方がいい言葉だった?)
真剣な表情で訊ねてくるロイの圧に、イリスは少し気不味くなって視線を逸らした。
だがもう一度頭の中でその言葉を繰り返し考えてみても、自意識過剰だと言われることはあっても、警戒すること自体は悪い事ではないだろうと結論付け、イリスは正直に話すことにした。
「誰って、エイミアに」
「……チッ」
イリスの言葉に、隣に座っていたレオンが小さく舌打ちをしたのが聴こえてイリスは益々不安になり思わず向かい側に座るエイミアの顔を見た。イリスが口にしたことで告げ口のようになってしまい、エイミアが責められるような事態になることは避けたかったのだ。
だが当のエイミアは、当然の忠告をしたまでと言わんばかりに、澄ました顔で一人黙々と食事を続けている。
自分の中では大丈夫な発言だと結論付けたが最早正解が分からなくなり、イリスは隣りに座っているロイに視線を送り助けを求めた。しかし目が合ったロイは、困ったように肩を竦めるだけだった。
「そうだね、別に間違ったことは言っていないかな。そうだなぁ、イリスは誰にでも優しいから、確かに色々気を付けた方がいいかもね」
「え……私、他にも何か間違っていることがあるの?」
途端に心配になってロイに詰め寄るも、「いや、間違ってはいない、かなぁ」と曖昧に濁された。
「いいんじゃないですか?どんな対応でも一人だけでなく誰にでも平等にそういう対応なのであれば、勘違いのしようもありません」
向かい側の端の席に座っているヴォルターが、腕を組んで何やらウンウンと一人納得している。
「イリス様は何処にいても誰にでもにお優しいので、仕方が無いかと」
「まぁ、そうだよね」
ヴォルターの言葉に同意するロイを見て、明らかに自分の対応の何かが良くないのだとイリスは悟った。
(えっ、でも、ならどうすれば良いの?)
どうやらイリスの人に対する対応は、どこか一般的なものとかけ離れているようだ。だが、どこがどう違うのかは分からない。
しかしヴォルターは、一人だけではなく全員同じように接しているのだから問題ないと言う。本当にそうなのだろうかとイリスは首を捻った。
「いいんじゃねぇ?名前はもう呼んじゃってるんだしさ、今更悩むことなくないか?」
腕を組み悶々と考え込み始めたイリスを見て、リュカが呆れたように声を掛けてきた。
きっとこういう風に真面目に物事を考え込み過ぎてしまうところも、自分の良くないところなのだろうとイリスは思った。
「そうだね、もう名前で呼んじゃった人も何人もいるしね。これからも全員の名前を覚えて呼べばいいんだよね」
イリスの結論を聞いて、リュカが分かっていないとばかりに深く溜息を吐いた。
「あのなぁ……本当なら親しくもない奴の名前なんか呼ばない方がいいっぃ゙っでぇえ!」
言い終わらないうちに、リュカの脳天にレオンの拳骨が落ちていた。
イリスが呆気に取られていると、逆隣りからロイが「ごめんね」と謝罪の言葉を口にした。おそらく横並びに座っているのでリュカの口を塞ぐことが出来なかったことを謝っているのだろう。
途中からこの旅に合流したヴォルターとエイミアも、すでに何度も見た光景なのでリュカがレオンから鉄槌を食らっていても最早動じなくなっていた。
だがエイミアに関しては、毎回リュカのことを憐れむ視線と、イリスに対して過保護過ぎるという冷ややかな視線をレオンに浴びせてはいるのだが。
そんなやり取りを目にしながら、斜め向かいからヴォルターが優しくイリスに微笑みかけた。
「いいんですよ、イリス様はそのままで」
「でも、もしかして普通はあんまり親しくないうちから、気安く名前を呼ばない方がいいってことですよね?」
リュカの言葉にそういうことかと納得したイリスが問えば、ヴォルターは優しげな表情のまま目を細めた。
「先程も申し上げましたが、イリス様は誰にでもにお優しくて、誰か一人を特別扱いしているわけではないのでそのままで良いのですよ。あなたの積み重ねてきた過去が、今のあなたを創り上げているのですから」
本来なら、間違っている対応は正すのが正解なのだろうが、ヴォルターにそう言われてしまうとイリスはそれ以上何も言えなくなり言葉を呑み込んだ。
(何が間違っているか分からない以上変えようもないし、いいのか……な?)
イリスはそれ以上深く考えることを止め、このままの対応を続けることにした。
この決定が後に本人の預かり知らないところで大きな変化をもたらす事になろうとは、露ほども知らずに。




