閑話 密命と代償 1
今回のお話は、エダルシア王国騎士団団長、オリバー視点のお話です。
「陛下、今、何と……」
ガルーラ国王陛下の執務室。人払いをされたそこには今、陛下と私しかいない。
静かすぎる室内に、自分が生唾を嚥下する音だけが響き渡る。それが逆に非現実感を助長させ、今耳にしたことがまるで信じられなかった。
だが陛下は真っ直ぐに私を見つめ、ゆっくりともう一度口を開いた。
「言った通りだ。今日出会ったサンスタシア帝国の騎士、フラッデルを乗りこなす彼女こそ、八年前に亡くなったとされているウィレンツィア王国の王女、アリスティア王女だ」
告げられた言葉を理解するのに大分時間が掛かった。
サンスタシア帝国から旅人を装って騎士が数名我が国に入国してきたという話を、ストレアル山脈の麓に常駐させている騎士団から報告を受けていた。それからずっと警戒し、それとなく監視していた人物達だ。
そしていよいよ王都に近付いてきたその人物達を、陛下自らが見極めると言って無茶な計画を立て街中で待ち受けていたのが今日の話だ。
吃驚したのは勿論だった。だがそれよりも、私の胸の中は別の想いが駆け巡っていた。
「よか……た……」
頬を一筋の涙が流れ落ちる。泣いていると分かったのは、執務机から立ち上がり自分に向かって歩み寄って来た陛下が黙ってハンカチを差し出してくれたからだった。
「良かったのぅ、オリバー」
肩に置かれた陛下の手の温かさに、余計に涙が瞳から零れ落ちる。そんな自分を、陛下は八年前のあの時と同じように抱きしめて下さった。
あの日の想いが胸を締め付ける。私はまたしても陛下の胸をお借りしながら、年甲斐もなく流れるままに涙を流した。
◇◇◇ ◇◇◇
私は陛下を支える身として少しでもお力になれるよう、陛下の御傍に配属されるようになってからは国内外の軍事にまつわる文献や資料には全て目を通すようにしてきた。
こう見えて、意外と私は脳筋ではないのだ。
それが役に立ったのかどうかは分からないが、騎士団内でも着実に実力を伸ばし、気付くと騎士団長という立場まで上り詰めていた。
若い騎士の育成から騎士の訓練の指導、そして王都や街道沿いの街の警備体制の把握や陛下の護衛など、目まぐるしい毎日を送る日々ではあったが、それでも情報収集は変わらず続けていた。
陛下の一番御傍に侍る以上、情報はいくらあっても困らない。自分の使命とばかりに、限られた時間の中でありとあらゆる文献や資料を読み漁り、情報収集に努めた。
そんな中、陛下から王族以外の立ち入りを禁止されている禁書庫にも立ち入ることを許可された。
初めこそ驚いたが、私はそのお心遣いに感謝し、時間の許す限り各国の情報や軍事にまつわる文献に目を通した。
禁書庫には実に様々な書物があり、千年前の世界大戦以降の各国の様子を知るには十分な資料が残っていた。
しかしどんなに探してみても、ドルシグ帝国の文献や資料だけは国が興った千年前から殆ど見当たらなかった。軍事どころか、他の情報も何も一切がないのだ。
完全に情報が制御されており、徹底的に管理されている。国としては優秀であり策が功を奏しているのかもしれないが、その一部の隙の無さが不気味さを感じさせた。
『オリバー!探検に行くぞ!!』
『え、探検……ですか?』
そんな日々の中で、突然陛下が探検に出掛けると言い出した。何処に行くのかと問えば、ストレアル山脈に行くのだという。
古来よりストレアル山脈に生活の場を置くナタラ族。
エダルシア王国側とサンスタシア帝国側の両方に居を構え、古くは狩猟などを生業にしながら生活していた部族だが、昨今ではストレアル山脈を越えて二国間を行き来する者達のために山小屋を経営し旅人の安全を守っている。
だがその実、禁書庫の文献によれば彼等には古い歴史の中で与えられた使命があるのだという。
長い年月が過ぎた今、部族の中では風化しつつある使命ではあるが、本来はストレアル山脈を越えようとする者を見極める門番の役目を任された部族だったようだ。
表向きは山小屋を経営し山脈越えをしようとする者の手助けなどをしているが、族長をはじめとする部族内の一部の人間にはその使命が継承されているとおよそ百年前の文献には書いてあった。
現在の族長であるダングワーン・リューが百年前と同じようにその使命を継承しているかは分からない。そもそも見つけた文献自体、眉唾物の話が多くその話が真実かどうかも定かではない。
だが少なくとも、ストレアル山脈に入る者を監視していたような部族にいい感情を持てるはずがない。
しかもそんな輩がいる場所に、よもや探検に出掛けると言う陛下にはほとほと参ってしまった。
一国の王が視察に来るだけでも歓迎されなさそうなのに、視察の先触れも出さずに勝手にストレアル山脈に入り探検など始めたら、ナタラ族との間に軋轢を生むだろう。
国としては、一部族と小競り合いを始めるわけにはいかない。
『陛下、僭越ながら、何故ストレアル山脈を探検なされたいのですか?』
とりあえず頭ごなしに否定はせず理由を聴いてみると、陛下は実に愉しそうに快活に笑った。
『なに、お前さんが禁書庫で何やら調べ物をしておるだろう?何か面白い物でもあるかと、儂も入ってみたんじゃよ』
『……』
『そうしたら、ストレアル山脈に住むナタラ族は何か宝を隠し持っているという文献が出て来ての、面白うそうじゃから探しに行こうと思うんじゃ』
『……』
私が禁書庫に入ったせいで余計な事態を引き起こしたことが分かり思わず頭を抱えた。
だが、こうなってしまった陛下はもう誰にも止められない。ならばストレアル山脈近くの町や地域に外聞的に問題ない視察の理由をこじつけて、正式に訪問する体を取るしかない。
私は自分が良かれと思ってしてきたことが招いた結果の罪深さに、深い溜息を吐いた。
『おう、オリバー!探したか?』
ストレアル山脈の麓付近にある町に正式に視察の通達をし、そのついでに陛下が山で狩りを楽しまれることをナタラ族の方にも伝えこの訪問を実現させた。
だがさっさと町の視察を終え、狩りと称してストレアル山脈に入ると追従する護衛を撒いたっきり姿が見えなくなっていた陛下がひょっこりと顔を表したのは、ゆうに半日以上が過ぎてからだった。
その間の護衛の心情を察してもらいたい。心臓が動いているのが不思議なくらい、全く生きた心地がしなかった。
護衛が護衛対象を見失うなど本来あってはならない。陛下が無事だったとはいえ、首が飛ぶのを全員が覚悟していたのだが、陛下はご自身が撒いたと仰り特段の処罰はなかった。
だが護衛対象を見失うなどもっての外だ。私はこの日の教訓を胸に刻み付けた。
『オリバー、実は折り入って頼みがある』
ある時、私はいつも通り陛下に呼び出された。だが、この日はいつもとは様子が違っていた。
この日のことは良く覚えている。執務室はすでに人払いがされており、中に入ると陛下以外誰もいなかった。
『はっ、何なりとお申し付けください』
陛下の前に立ち騎士の礼を取る。陛下は珍しく溜息を吐いた後、執務机に両肘をついて顔の前で掌を組んだ。
『実はな、ドルシグ帝国に不穏な動きがあるんじゃ。次の臨時の国際会議の際に、ウィレンツィア王国で何かを起こすつもりかもしれん』
『まさかっ!国際会議の場でなど、ウィレンツィア王国どころか各国にも喧嘩を売るつもりですか?』
『分からん。だが、これを機にドルシグ帝国に放っていた間諜を呼び戻そうと思っておる』
ドルシグ帝国は警戒心がどの国よりも強い。ドルシグ帝国に入国することは一応出来るのだが、一度入ったが最後、そこから出ることは叶わないとまで言われている。
エダルシア王国と貿易も行っているが、船員の厳重な身元確認と偽造防止がされた王の書状が必要になるほどの徹底ぶりで、見慣れない顔ぶれの者を乗せていると船すら港に入れてくれないとも聞いている。
『どうやって、彼の国からその間諜を連れ戻すおつもりですか?』
そんな厳戒態勢の国からどうやって連れ出せるというのだろうか。
荒事になったら敵対しているとみなされ、平和条約を掲げてエダルシア王国に攻め込んでくるかもしれない。ドルシグ帝国とはそういう国なのだ。
『今度の臨時の国際会議には、エルヴィン皇子が出席することになっている。その時しか連れ出す好機はないじゃろう。そこでオリバーには国際会議の際にドルシグ帝国に向かって、間諜を救い出してもらいたいんじゃ』
『それは構いませんが、それでは陛下の御傍を離れることになってしまいます』
護衛が護衛対象の傍を離れることがないようにと肝に命じた私には、ドルシグ帝国が何かを仕掛けてくるかもしれないそんな不穏な状況下で、陛下の傍を離れるという選択肢はなかった。
『エルヴィン皇子が国を出てすぐドルシグ帝国に入って間諜を救出し、国際会議までに儂の下に戻ってきてくれればよい』
普段の国際会議ならば、会議の前に各国の王族をもてなしたり晩餐会などが催されるので、各国とも数日前からウィレンツィア王国入りをする。エルヴィン皇子が国を出てから間諜を救出し、会議が始まる前までに戻ってくることは可能だろう。
だが今回は臨時の国際会議だ、数日前からエルヴィン皇子が国を離れる保証はない。
私の杞憂を察したのか、陛下が眉を下げて困ったように笑んだ。
『ドルシグ帝国からの救出じゃ、かなりの危険が伴う。成功するかも分からん。だからこの任は実力があり信頼のおける者にしか務まらんのじゃ。すまんがオリバー、引き受けてはくれんか』
『……分かりました。全力をもって救出の任にあたり、その後すぐに陛下の下に参上いたします』
『頼んだぞ』
私の返答を聞いて、陛下は力強く頷いた。
『あの、陛下、僭越ながら……』
『なんじゃ?』
どうしようもない事なのだと分かってはいたが、私は思っていることを陛下にぶつけてみた。
『ドルシグ帝国が何かを起こすことが分かっているのであれば、何かが起こらないように動くことは出来ないのでしょうか?』
三十代、まだ青臭い理想を持つ私を見つめ、陛下が目を細めたのが分かった。しかしその表情は、次第に陰ってゆく。
『ドルシグ帝国が何をしようとしているのかが全く分からず手の打ちようがないんじゃ。無論、ウィレンツィア王国側には情報の提供は済ませてある。あちらとて気付いてはいるだろう。それ相応の対応は取っているはずだ』
『……御意』
納得できなくても、それ以上陛下に詰め寄っても仕方のないことだと分かっていた。
何も事が起こっていない状況でドルシグ帝国が怪しいからと彼の国を叩くことは出来ないし、もしそんなことをすればこちら側が平和条約に則り正式に粛清されてしまうだろう。
だがその日呑み込んだ言葉をその後すぐ後悔することになるなど、その時の私は知る由もなかったのだった。




