王都出立
予定通り十日間の合同訓練を終え、イリス達一行は本日晴れてエダルシア王都を発つことになった。
ガルーラ国王は見送りを申し出てくれたが、一国の王にそんなことをさせるわけにはいかない。多忙との話も聞いていたためそれを理由に固辞した。
だがガルーラ国王がなかなかそれに納得しなかったので、昨晩の内にイリスだけで執務室を訪れ、別れの挨拶を済ませた。
大所帯でガルーラ国王の元を訪れるのが憚られたというのもあるが、きっとイリスにだけしておきたい話もあるだろうからと、レオンやヴォルターがイリス一人で訪れることを勧めたからだった。
そして予想通り、イリスが執務室に入室するとガルーラ国王は人払いを命じ、執務室内にはイリスとガルーラ国王、そして側近である騎士団長のオリバーだけになった。
ちなみにあの時計塔で初めてガルーラ国王に会って馬車に乗せられた際に、ガルーラ国王からはイリスがウィレンツィア王国の王女かもしれないという事実を他の人物にも告げて良いかと確認されていた。
イリスはそれに対し、『ガルーラ国王陛下が話しておく必要があると考える人物で、信頼に足る人物であれば』と答えたところ、王太子とオリバーには告げると言われていたのだ。
なのでおそらく壁際に控えているオリバーは、もうすでにイリスが何者であるかを知っているため残されたのだろう。
『この数日は多分に愉しい時間であった。これがまだ続けばと思うが、あまり引き留められんしな。残念じゃ』
『ご期待に添うことが出来ず、申し訳ありません』
イリスが頭を下げると、ガルーラ国王は声を上げて愉しそうに笑った。
『よいよい。分かっておる。じゃがな、儂はそなたのことを気に入っておる。有事の際には勿論手を貸すが、何事もなくともまた顔を見せに来てはくれんかの』
『ありがとうございます。ぜひそうさせていただきます』
『……』
『?』
ガルーラ国王の心遣いに胸が温かくなり、イリスはにこやかに笑んで返答する。
だが何故かそんなイリスの笑顔を見たガルーラ国王は、眉間に皺を寄せ何かを耐えるような辛そうな表情を見せた。
訳が分からずイリスが首を傾げていると、徐にガルーラ国王は執務机から立ちあがりイリスへと歩み寄って来た。
静かな執務室の中に、ガルーラ国王が足を踏み出すたびに鳴る靴音だけがいやに大きく響く。
そしてガルーラ国王はイリスの前まで来ると立ち止まり、真っ直ぐにイリスの顔を見下ろした。
『……』
その視線に応えるように、イリスも顔を上げ目を逸らさずにガルーラ国王を見つめる。
陽に透ける程の淡い虹彩が、今は暗い闇を照らすために等間隔で配置されている照明の明かりを受けて陽炎のようにゆらゆらと揺らめいている。それを綺麗だなと思って見入っていたイリスは、次に掛けられた言葉に驚いて目を見開いた。
『年若い娘さんに言う事ではないが、抱きしめても?』
なぜそのようなことを乞われているのかは分からないが、特段断る理由もない。ガルーラ国王に対して疑心や嫌悪を抱いていないイリスは素直に頷いて返した。
『ありがとう』
イリスが拒絶しないことを確認し、遠慮がちに背中に手が回される。武人だけあって年齢からは考えられないくらい筋肉質な腕に優しく抱き留められた。
国王の胸に、そっとイリスの顔が埋まる。国王の胸の鼓動がはっきりとイリスの耳に届いていた。
『……すまなかった。何もしてやれず……辛かったろう』
絞り出すような小声で告げられた言葉に、イリスは身を固くした。
(……ガルーラ国王陛下は、ずっと八年前の事を悔いていたのね)
最初に馬車に同乗してエダルシアの王城まで来て以来、今までガルーラ国王と二人きりになる場面というのがなかったためにこういう話が出来なかったということもあるだろうが、この十日間、八年前の話が出ることなどなかったので、ガルーラ国王がドルシグの乱の際のことを悔いているなどイリスは思いもしなかったのだ。
だがドルシグの乱の際、サンスタシア帝国、エダルシア王国、オートレア王国の三国は平和条約に基づきドルシグ帝国の粛清に動こうとしてくれていた。それが実現しなかったのは、巧妙な手口でドルシグ帝国がそれを遮ったためである。エダルシア王国側に、非はなかった。
『そんなことはありません。国王陛下は手を尽くそうとして下さったはずです』
『結果として何もできなかったことには変わらん』
ガルーラ国王がイリスを抱きしめる腕の力を強めた。
『だが、今回は同じ轍は踏まん。儂に出来るすべてで、そなたの助けになると誓おう』
力強く告げられた言葉に、イリスは瞠目する。何故ここまで言ってくれるのかが分からず困惑するも、その言葉は素直に嬉しかった。
不敬かとは思ったが、今この空間にはガルーラ国王とイリス、そしてオリバーしかいない。イリスは自身もガルーラ国王の背中に腕を回すと、ぎゅっと抱きしめ返した。
『ありがとうございます……』
それ以上、何を言えばいいのか分からず口を噤む。「必ずやドルシグを討ってみせます」か、はたまた「ウィレンツィア王国を元の平和な国に戻してみせます」か。
記憶のない現段階ではそのどちらも上っ面な言葉のようで、イリスは言葉にすることが出来なかった。
自身の欠けているものを取り戻さなければ、全ては曖昧なままで、虚構のようなものでしかない。
イリスは何も言えない自分を恥じながらも、与えられる温もりがそんな自分を励ましてくれているようで、ぎゅっと縋り付かずにはいられなかった。
◇◇◇ ◇◇◇
徐々に王都から離れ街道沿いにひしめき合うようにして立ち並んでいた家々も少なくなってくると、一行の眼前にまた金色にたなびく稲穂が広がるようになってきていた。
エダルシア王国の王都は街道に沿って南北に長く街並みが広がっている。
そのためサンスタシア帝国のように王都を守る城壁などは巡らされていない。それ故、街のあちらこちらには騎士の詰め所があり、街道を常に騎士に警邏させることで、不審者や破落戸の侵入を防ぎ国家の安全を守っているのだ。
王城を辞して旅立つ際、街道ですれ違う騎士達からは別れを惜しむ声が一行に向けて次々と投げ掛けられた。中には警邏の途中で街道まで見送りに来てくれる者もおり、勤務中だろうに大丈夫なのかとこちらが心配になる程だった。
だがそれも、この十日間でエダルシア王国騎士団の面々と打ち解けたからだろう思うとイリスは素直に嬉しかった。
だが王都を抜けて街道沿いの街になってからも、警邏中の騎士や詰所から別れを惜しむ言葉が大声で掛け続けられるものだから、一行はほとほと参ってしまっていた。
勿論、ゆっくり挨拶も交わせずに旅立つこちらにも非はあるだろう。しかし、人目も憚らず大声でそこかしこから別れの挨拶をされたり、はたまた泣かれたりするものだから、道行く人々は何事かと驚いて手を止めイリス達を振り返っており、そのたびに一行は羞恥と申し訳なさとで縮こまるしかなかった。
やっと最後の詰所がある街の端を抜けてもうエダルシア王国騎士団の面々と会うことはないだろうというところまで来る頃には、一行の精神状態はボロボロだった。
「なんだか、出発したばっかりなのにもう疲れたな」
合同訓練の期間は十日間でありそれは昨日で達成されたのだが、だからと言って今朝また不意打ちのように早朝訓練を行うと初日のような混乱になることが予想されたので、今日の早朝訓練は中止している。
そのため体力的には余裕があるはずのリュカだったが、訓練後よりも疲れた声を出していた。
「仕方がないですね。イリス様は何処にいても人の心を掴んで離さないお方ですから」
「まぁそれはあるよなー。俺達に向けた別れの挨拶っていうより、さっきのはほぼほぼイリスに向けてのものだったしな」
「……」
ヴォルターとリュカが軽口をたたいているのに対して、イリスは今すぐにでも否定したい気持ちだったのだが、それをぐっと堪えた。
イリスとしては「そんなことない」と言いたいところなのだが、ヴォルターはイリスを褒め称えるこの手の発言を否定したところで絶対に譲らない。そのことを体験から学んだイリスは、無駄な抵抗は止めて反論せずに流すようにしていた。それが一番早くこういった会話を終了させることにつながると学んだのだ。
「ほんとよ。昨日の買い物の時だって、イリスったら結局声掛けられていたし」
「……」
思い出したとばかりに、後ろを歩いていたエイミアが隣を歩くヴォルターと前を行くリュカに告げ口をする。せっかく話題が終わりかけていたのに掘り返されて、イリスは気付かれないようにそっと溜息を吐いた。
だが次の瞬間、買い物どころじゃなかったと可愛らしく頬を膨らませるエイミアの肩を、最後尾を歩いていたロイがぐっと掴んで後ろに引いた。
「きゃっ!」
「ああ、ごめんね。それより何?その話。全く知らないんだけど、何の話かな?」
(わぁ……珍しくロイが怒ってる)
エイミアを見るロイの目が完全に据わっている。いつもこういう役はどちらかというとレオンなのにと思って最前列を見遣れば、どうやらエイミアに手が届かなかっただけでレオンがもすごい形相でこちらを睨んでいた。
「あ、でも何もなかったよ。ちゃんとエイミアが私を護ってくれたし、ねっ?」
あまりの圧で言葉にもならないエイミアがイリスの助け舟にコクコクと機械仕掛けの人形のように首を高速で縦に振る。
レオンとロイはまだ納得いっていないようで訝しんでいるが、元より何も無かったし、もう終わったことだ。イリスは無理矢理話題を変えようと、二人の背を押して元の隊列順に戻した。
「あ、それよりも!これから行くディルリーノの町って、ここからどのくらいかかるの?」
貿易大国であるエダルシア王国の最南端に位置し、王都に次ぐ規模を誇る港町ディルリーノ。
各国へ向けた定期船も全てそこから発着しており、輸出入品も全てこの港に集められている。王都が国政の要であるとすれば、このディルリーノの町は貿易の要だった。国の最も重要な拠点であるこの町を実質統治しているのが王太子である。
「二日くらいだ。定期船の運航は四日後。日程的には余裕があるし、王太子には元より話が付いている。問題なく船には乗れるだろう」
未だ不機嫌なレオンがぶっきらぼうに答える。それにちょっと笑ってしまいながら、イリスはまだ見ぬ港町に想いを馳せた。
「海かぁ、初めてなんだよね。どんな感じかなぁ」
あれこれと雑談を交わすリュカとヴォルター、まだエイミアを問い詰めているロイ、笑われて意地になって前を向いてしまったレオンには、イリスの呟きは聞こえなかったようだ。
イリスは一人まだ見ぬ海を頭の中に想像し、足取りも軽く先へと歩を進めた。
これにて第七章完結です。
エダルシア王国のお話は書いていて楽しかったです。
いつも通り、次から閑話を数話投稿します。よろしくお願いします。




