恋愛指導
呆れ顔のエイミアはさらに深く溜息を吐くと、突然顔を上げてビシッとこちらを見ていた騎士を指差した。
「あの人も!あの人も、あの人も、あの人も、み〜んなイリスを見ているのよ!分かる?」
「……」
通りの向こうを警邏していた騎士から遠方の詰め所の窓越しにこちらの様子を窺っていた騎士まで、ビシビシッとエイミアが容赦なく指を差していくと、指差された騎士達は気まずそうに視線を逸らした。
本来なら人を指差す事自体あまり良くない。申し訳ない気持ちになりながらも、エイミアが言う「分かる」が何のことだか分からず、イリスは大人しくエイミアの次の言葉を待った。
「本当、鈍いんだから!……いい?皆イリスに、好意を持って見てるってことよ!」
「……それは、そうかも?最初は得体のしれない他国の騎士だっただろうけど、今は剣技も認められて一緒に訓練もしている仲だし」
紛うことなき事実を述べたイリスに対して、エイミアはこれ見よがしに深い深い溜息を吐いた。
「はぁ……これだから。あのね、そうじゃなくて、皆女性としてのイリスのことを好ましく思ってるってことよ!」
「は?」
エイミアの突飛な発言に目が点になったイリスは、一拍置いて自身も溜息を吐いた。
「……それはないでしょ。わざわざこんな男みたいな女を好む?他に可愛い女の子はいっぱいいるのに?」
世の中には可愛らしい女の子が沢山いるというのに、何故こんな男女みたいなのを好まなければならないのかイリスは理解に苦しむ。
だが勢いの衰えないエイミアは、片手を腰に当てもう一方の手でイリスを指差すと声高らかに捲し立てた。
「いい?イリスは可愛いの!男の子みたいなのはそういう格好をしているだけで、イリスは全然男の子じゃないの!」
褒められることは素直に嬉しいのだが、如何せん可愛いなどと褒められ慣れていない分野での褒め言葉にイリスは耐性がなく顔を真っ赤にしてしまう。
そんなイリスを見たエイミアが尚も言葉を続けた。
「ほら、そんな反応も可愛い!いいこと?自覚しなさい。イリスはとっっっても可愛いのよ!」
追い打ちを掛けられ、ついにイリスは俯いてしまった。
しかもここは往来の真ん中だ。道行く人々が何事かとこちらに視線を向けてくるのが分かる。皆に見られているような気持ちになり居た堪れなくなったイリスは、無言でエイミアの手を取ると俯いたまま走り出し路地裏に逃げ込んだ。
「ちょ、イリス!」
後ろで引き摺られるようにして走るエイミアが怒ったように声を掛けてくるが、イリスはそれどころではなくとにかく狭い路地を駆け人混みから離れた。
建物の影になる路地裏は少し薄暗かったが、路地の先が明るく開けていた。何処か別の大通りに繋がっているのだろう。
先程いた大通りからは大分離れたことでようやく少し気持ちが落ち着いてきたイリスは、路地を出たところで止まろうと考えた。手を引き一緒に走っているエイミアの息が上がってきたからだ。
しかしあと数歩で路地裏を抜けると思った矢先、不意に通りから路地に向かって曲がってきた人物とイリスは正面からぶつかってしまった。
「っ!すみませんっ!」
「わっ!すみません、大丈夫?……って、イリスちゃん?」
驚いて顔を上げると、何度か訓練で見掛けたことがある騎士の顔がそこにあった。騎士服を纏っているので、おそらく今日は警邏の任に就いているのだろう。
「え……っと、セドリック、さん?」
「っ!名前、覚えててくれたの?嬉しいな!」
すかさずイリスの手を取ろうとした大きな手を、後ろから出てきた可憐な手がパシッと払い除けた。
「イリスちゃん?」
イリスの背後から顔を出したエイミアが、どこから出したのかと思う程普段とは掛け離れた低い声を出していた。そのことに驚いて振り返れば、恐ろしい形相で目の前の騎士を睨み付けるエイミアがそこにはいた。
エイミアの勢いに押され一歩後退った騎士は、慌てて両手を掲げ他意がないことを示す。
「あっ、と、ごめんね。名前を覚えててくれてたことが嬉しくて。つい仲間内で呼んでるみたいに呼んじゃって……」
軽薄な物言いの騎士に対して、エイミアは警戒の眼差しを解こうとしない。
だが騎士の方も、最初こそ驚きが勝ってたじろいだが本来エイミア程度の睨みに怯むはずもなく、落ち着きを取り戻すと普通に話しかけてきた。
「不快な思いをさせたのなら謝るよ。申し訳ない。お詫びに、これから一緒に昼飯でもどうかな?もちろん、お嬢さんも一緒に」
騎士はエイミアにも視線を送る。何と言うか、手慣れている感じがしてイリスはクスクスと笑ってしまった。
「あ、本気にしていない?勿論二人に不快な思いをさせたぶん、俺が奢るよ?」
イリスが冗談と受け取ったと思った騎士が言葉を重ねるが、愉しそうに笑うイリスと騎士との間に後ろから割り込むように立ちはだかったエイミアがキッと騎士を睨み付けた。
「今日は私がイリスの護衛を任されてるの。今日は諦めて下さる?」
それは初耳だった。誰に任されたと言うのだろうか。だがそこまで考えてから、聞くまでもないことかとイリスは半分呆れたように溜息を吐いた。
エイミアの言葉を聞いた騎士は、これ以上誘っても無駄だと悟ったようでそれ以上は食い下がらずあっさりと引いてくれた。
「それじゃ仕方がないな。昼飯は残念だけど、また手合わせ願えるかな?」
勿論とイリスが頷けば騎士は朗らかに笑って手を振り、イリス達が今来た路地の奥へと進んで行った。
油断なくその姿を睨みつけるように見ていたエイミアは、その姿が路地を抜け大通りの先へ消えると盛大な溜息を吐いた。
「もう、イリスのそういうとこは良くないところよ!」
「??」
エイミアがその小さな手を握り拳骨を作ると、それでイリスの肩をコツンと叩いた。加減されているので全く痛くはなかったが、何を怒られているのかが分からずイリスは首を捻る。
「大体、なんであの騎士の名前覚えてるのよ」
「何でって、一緒に訓練した時に名乗られたから」
それ以上の言いようがなく事実を述べる。
「じゃあ何?今までイリスの下には沢山の初対面の騎士が来てたけど、全員の名前を覚えているってわけ?」
「ええ、大体は覚えてる」
「……は?」
そんな訳ないでしょう、と言わんばかりに目を見開いたエイミアには申し訳ないが、事実だった。
「え、イリス、ちょっと待って。毎日あれだけの騎士が代わるがわる訓練に来ていて、全員の名前を覚えているの?」
「ちょっとうろ覚えなところもあるよ?」
今回の騎士だってちょっと怪しかったが、結果として間違っていなかったので良かったと内心胸を撫で下ろしたばかりだ。
だがエイミアはイリスの返答を聞いて頭を抱えてしまっている。
何か不味いのだろうかと慌てるが、そう言えばイリスには「良くないところ」があると怒られている最中だったと思い至り、エイミアを思い悩ませてばかりで申し訳ないとイリスは思った。
「あぁ……うん、どこから話したらいいかしらね?」
頭を抱えたエイミアは今度はグリグリと蟀谷の辺りを押さえながら呟いている。イリスの言動に頭痛がすると言わんばかりの態度に申し訳なさが募った。
「長くなりそうだから、お昼ごはんを食べながらにしましょう」
ふぅ、と大きな溜息を吐いたエイミアはイリスの手を引いて通りを進む。そして良さそうなお店を見つけると、迷わず入店したのだった。
◇◇◇ ◇◇◇
「……というわけよ、分かる?」
「はい……」
食事が運ばれてくる間、延々と「思わせ振りな態度を取ることは良くない」と指導をされたイリスは完全に意気消沈していた。
イリスに全くその気がなくても、相手はそう受け取らないことがあるということを見分けるのは難しい。
まず名前だが、イリスにとっては教えて貰った名前を忘れるのは失礼だと思うのだが、エイミアに言わせればその他大勢の名前など覚えなくとも一向に構わないらしい。
寧ろ、その他大勢の中で自分の名前だけを覚えていてくれたと勘違いして、勝手にイリスからも好意を寄せられていると勘違いする輩もいるから気を付けた方がいいとまで言われた。
そこまで疑ってかからなくても、と少しだけ意見したら、その三倍の勢いの反論を食らったイリスは、もう二度とエイミアの意見に口出しはすまいと思ったのだった。
食事が運ばれてくると少しエイミアの機嫌も治ったようで、ありがたい指導はそこで終わりになる。
目の前に並んだ食事に目を輝かせるエイミアを見て、イリスはこの美味しそうな食事に別の意味でとても感謝した。
「でもまぁ。こんなこともあろうかと、ヴォルターとリュカとイリスの騎士達から今日のイリスの事を頼まれていたんだけどね」
運ばれてきた野菜のサラダにフォークを突き刺しながらエイミアが独り言ちる。
先程言っていたエイミアにイリスの護衛を任せた人物達は、やはり予想通りの面々だったようだ。
「過保護すぎじゃない?って最初は思ったけど、街に出るなりあの視線だもん。そりゃ心配にもなるわよね」
「いや、だから、あの視線の全部が私に対する好意だとは……」
そこまで言ったところでエイミアに睨まれてしまい、イリスはそのまま口を噤んだ。そこはエイミアの中で絶対らしい。
「はぁ、本っ当にイリスって人からの好意に鈍感よね」
「……そうかな?」
これでも自分では、人の心の機微を察して動ける方だと思っているのだが、反論したら反撃が返ってくるので疑問で返すに留めておいた。
「そうよ。全っ然鈍いんだから。……あぁ、可哀想!」
「別に可哀想じゃないけど」
仮にエイミアが言うように相手が好意を抱いていることにイリスが気付けないのだとしても、イリスはそれで困っているわけではないし、可哀想な訳でもない。
ちょっと怒ったように告げたイリスに、違う違う、とエイミアは勢いよく手を降って否定を表した。
「イリスじゃなくて。イリスに気付いてもらえもしない好意を抱いている奴等が可哀想、って言ったの」
果たしてそんな人がいるのだろうかとイリスは訝しむ。
「……そんな奇特な人いるかな?大体、さっきも言ったけど可愛くて綺麗な女の人は世の中いっぱいいるのよ?敢えて私みたいなのじゃなくてもよくない?」
「近くにいればいるほど、イリスの良さが分かるのかもねー」
エイミアが言うように、外見の良さが大事な人もいるが、内面を重視する人もいるだろう。
だとしても剣を振り回し男性よりも強い女性など、選択肢的にはずいぶん下なんじゃないかとイリスは思った。
「ね、じゃあ、レオンさんとロイさんとリュカの三人の中なら、恋愛の相手として誰がいい?」
「えぇ?」
説教から始まってのまさかの恋愛話に、イリスは戸惑う。
騎士はたいてい男所帯のためイリスに年の近い女友達などいるはずもなく、こうした恋愛話などにはとんと縁がなかったのだ。
だが真面目なイリスは真剣に一人一人について考え始めた。
(レオンは小さい頃からの幼馴染だから、一緒にいて違和感がないというか、頼れるお兄ちゃんって感じかな。
ロイは皆に優しくて皆のまとめ役で、優しい兄ちゃんって感じよね。
リュカは……そうだなぁ、手のかかる弟みたいかな。空気が読めなくて、頼りなくて、まだ弱いから護ってあげなくちゃいけないし……)
一人で思案していたイリスは、そこではたと動きを止めた。
(でも……私を護ってもくれたんだよね)
イリスはふと、リュカが崖から転落するイリスを追って崖下に飛び降りてきてくれたことを思い出した。
途端、何か言い表せないものが身体の中を這い上がってきて、ぶわりと身体全体に広がる感じがした。
「あら、あらあら?……イリス、真っ赤よ?」
目の前の席に座るエイミアがニヤニヤしながらフォークの先でイリスに指摘する。
まさか赤くなっているとは思わず、エイミアに言われて余計に恥ずかしくなってイリスは片手で顔を覆って俯いた。
(いえ、そういうのじゃなくて、エイミアに揶揄われたから過剰に反応して赤くなってしまっただけで……)
そう自分に言い聞かせると、羞恥がどんどん引いて冷静になっていくのが自分でも分かった。
(本来護るべき相手から護られるなど恥ずべきことだもの。もっと鍛錬を重ねないと)
決意も新たに顔を上げたイリスは、何事もなかったかのように食事を再開する。それを見たエイミアは、つまらなそうに小さく息を吐き出した。
「なぁんだ、残念。もう少しだったのに」
「何が?」
エイミアの言っていることがやっぱりよく分からずイリスは首を捻る。だがエイミアは面白いものでも見たとばかりにニヤリと嗤った。
「でもまぁ、全く可哀想な訳でもなさそうで良かったわ」
「だから、何が?」
イリスが尚も首を捻ると、「こっちの話」と愉しそうに笑ったきりエイミアは何も答えてはくれなかった。




