波乱の一日の終わり
一瞬湧き上がったどよめきが静まると、誰も何も言葉を発することが出来ず辺りはまた静寂に包まれた。
こんなにも大勢の観客がいるのにも関わらず、聞こえてくるのはイリスやレオン、ロイの吐く荒い息遣いだけだ。
皆一様に今見たものが信じられず、また、理解するのに時間を要していた。しかしこの状況をいち早く理解し受け入れたのは流石というべきか、ガルーラ国王その人だった。
国王はゆっくりとした一定のリズムで拍手をしながら、訓練場によく響く声で観客の騎士達に向かって御前試合の終了を告げた。
「まこと、見事な試合じゃった!」
その一言に、理解が追いつかず呆けていた観客の騎士達が漸く現実に引き戻される。我に返った騎士達は途端、わっ!と一瞬で歓声を上げて立ち上がり、国王と同じく三人に拍手を送った。
あっという間に訓練場は割れんばかりの拍手喝采となり、辺りはお祭り騒ぎのように盛り上がり出した。
「っ……」
イリスは沸き起こった歓声に、咄嗟に片方の手で耳を塞ぎながら剣を背中の鞘に収めた。
普段の訓練と何ら変わらないことをしただけではあるが、この反応を見るにどうやら喜んではもらえたようだ。
(期待に応えられたようで良かった)
周囲を見回しながらほっと胸をなで下ろす。
「お疲れ様」
「あ、ロイっ、大丈夫だった?」
イリスに剣を弾き飛ばされていたロイが、地面に転がった剣を拾い上げながらイリスに労いの声を掛ける。
「また腕を上げたな」
そこに、剣を鞘に収めながらレオンも加わった。
「本当?そう言ってもらえると嬉しい」
素直に喜べば、ロイが腕を組んで態とらしく困ったような笑顔を浮かべて見せた。
「けど、イリスがまた新しい動きをするようになったからね。僕も精進しないと置いていかれそうだ」
「ふふっ。そんなことを言っているけれど、その初見の動きに即座に対応していたくせに」
顔を見合わせ、イリスとロイが笑い合う。
そんな会話を繰り広げながらにこやかに談笑する三人の様子を、ガルーラ国王はまじまじと見つめていた。
「……」
イリスは小柄な背恰好である上に見るからに華奢な体躯をしている。フラッデルを地面から抱え上げた姿など、その細腕では重そうに感じるほどだ。
だが先程フラッデルを使って戦っていた時には、その小柄で華奢な体躯を感じさせない程、ガルーラ国王には大きく見えていた。寧ろ、圧倒的強者感さえ醸し出していたのだ。
だか今はそんな姿から一転、戦いを終えたイリスの顔には安堵が浮かび、笑みが溢れ、どこからどう見ても年相応の少女に見えた。
一連の様子をつぶさに観察していたガルーラ国王は、先程の戦闘時と今の落差に苦笑するしかなかった。
「皆、そなたの戦いぶりに敬服しておる。素晴らしい戦いぶりじゃった」
ゆっくりとイリス達に向かって歩み寄ってきたガルーラ国王が、そっとイリスに向かって右手を差し出す。その言葉は少し大袈裟だと思いながらも、イリスは自身も右手を差し出して握手に応じた。
「普段通りに訓練を行ったまでです。何か特別なことをしたわけではありません」
握り返したガルーラ国王の手は節くれだって皺だらけでありまさに老人の手そのものだったが、まだまだその掌には剣だこが健在だった。
「あれで普段通りと言われては、我が国の騎士達はそなた一人に全滅させられてしまうのぅ」
「いえっ!あの、そういう意味ではなく!」
ガルーラ国王の皮肉にイリスは慌てた。
実際にはそんな事はあり得ないからだ。イリスだとて数で囲まれれば身動きは取れないし、その上で矢やナイフなどの投擲武器で上空も塞がれれば最早逃げ場はないだろう。
だがそれを事細かに説明するのは憚られた。ガルーラ国王とて本気で言っている訳ではないことが分かっていたからだ。
武人であるガルーラ国王が自ら育てたと豪語するエダルシア王国騎士団だ、実際の戦闘となれば先程の河川敷でのように簡単には行かないだろう。
慌てて否定するイリスを見て、国王は愉快そうに笑った。
「よいよい、分かっておる。だが今この時をもって、我が国もフラッデルを使っての戦闘というものへの対策がとれよう。我が国もそなたに負けぬよう研鑽を重ねるつもりだ」
一国の王であるにも関わらず、相手の強さと自国の足りない部分を素直に認め、そこから今後の対策を練ろうとするガルーラ国王の姿勢に頭が下がる。
普通こうも柔軟に対応できるものではないだろう。上に立つ立場で在ればあるほど、尊厳が邪魔をするものだ。
だがガルーラ国王は自身の未熟さを認め現状あるものを踏襲するだけでなく、より良くなるように変革を行っていける人物なのだろう。
(帝とは全く違うけど、自国をより良くしようと思う気持ちはきっと同じなのね)
ふとサンスタシア帝国のテオドール帝の姿が頭に浮かぶ。それと共に、国に残してきた面々のことが懐かしく思い出された。
(父さんもおばぁちゃんもカインも、元気かな)
他国に行くどころか帝都を出ることすらほとんどなかったイリスは、こんなにも長い間サンスタシア帝国のロードベルク城を離れたのも初めてだ。
感傷に浸りかけた時、ごほんっ、とガルーラ国王が咳払いを一つしたことでイリスの意識は現実に引き戻された。
「ところで、旅人に休息も与えず御前試合に突き合わせて悪かったのぅ。用意させた客室で、今晩はゆっくり旅の疲れを癒やしてくれ」
見上げると空も夕暮れに染まり始めてきている。王城を辞去し王都で宿を取ることも出来なくはないが、エイミアを置いていくわけにもいかないし、国王からの申し出を無碍に断るわけにもいかない。
確認の意味も込めてレオンとロイを振り返った後、リュカとヴォルターの方も見遣る。
イリスの視線に気付いて、レオンとロイが軽く頷く。ヴォルターの方はこの距離なのでガルーラ国王との会話の内容まで聞こえているわけではないだろうが、判断を一任してくれるようで大きく頷いていた。
「お心遣い、感謝いたします」
許可を得て、イリスは微笑み好意に礼を述べた。今晩は快く王城の一室をお借りすることにしよう。
その言葉に、国王は片側の口角だけをあげながらニヤリと笑った。
「よし。言質は取ったぞ、皆の者。明日は存分に剣技なりフラッデルの極意なり教わるとよいぞ!」
「え?」
「は?」
「なっ!」
不穏な発言がガルーラ国王から聞こえた気がして息を整えていた三人が一斉に振り返ったが、ガルーラ国王は機嫌良さそうに歯を見せながら豪快に笑っているだけだ。
一方、ガルーラ国王の発言を聞いた観客の騎士達は驚きと喜びの声を上げた。あまりにも大きなその声は、先程と同じく怒号のように辺りに響き渡っている。
こちらの視線に気付いたガルーラ国王がイリス達を振り返る。その顔は悪戯が成功した子供のように、してやったりといわんばかりで楽しそうに笑っていた。
「儂は『今晩はゆっくり休め』と言ったんじゃ。どうせ明日も訓練をするんじゃろう?明日の訓練に観客が一人や二人や百人いたところで変わらんじゃろうて」
(いや、今人数がものすごく増えたんだけど!)
リュカの早朝訓練もあるので訓練はするつもりだったし、その為にわざわざ王城から郊外へ場所を移すのも面倒なので場所を貸して貰えるのはありがたいが、明日もこんなに観客がいるのだろうかと思うとイリスは複雑な気持ちになる。
(しかも『教わるとよい』って……)
イリスがガルーラ国王の言葉の不穏さに気付いてその顔を見遣った時、ガルーラ国王は尚も愉しそうに笑った。
「訓練ついでに、我が国の騎士共の相手もしてやってくれ。質問がある奴もいるかもしれんが、分かる範囲で答えてやってくれんかのぅ」
(やられたっ……)
ガルーラ国王は、イリス達が王城に滞在するのならばそれを利用して、自国の強化のために尽力させるつもりなのだ。
無論、ウィレンツィア王国への協力を了承してもらった手前、この位の協力を惜しむつもりは無い。けれど、その対価として自国の兵の増強をイリス達に望むのであれば、それは一日や二日で終わるものなのだろうか。
(ある程度のところで解放してもらうにしても、ちょっと長い滞在になりそう)
今後のこともあるのであまり長くエダルシア王国に留まる訳にはいかないが、致し方ないだろう。
(リュカもヴォルターさんもごめんなさい)
イリスはちらりと訓練場の壁際に立つリュカとヴォルターを見た。
相変わらず頷き全てを肯定してくれるヴォルターを目にして、感じていた罪悪感が少し救われた気持ちになる。
そして、その隣で一人何も訳が分からず首を捻っているリュカの安定の姿に、思わず笑みが零れた。
「ふふっ」
「どうかしたかね?」
「いえ、何でもありません」
イリスは持っていたフラッデルを背に担ぎ胸の前でベルトに固定する。いつも通りの負荷が肩に掛かり、不思議と安堵が心を満たしていた。
振り返ると、今日一日で色々なことがあった。時計塔から飛び降りそうな老人を発見したところから始まり、そこから何故かエダルシア王国の騎士達との戦闘に発展して、その後この御前試合だ。緊張の連続だったことを痛感する。
「んー……疲れたぁ」
ガルーラ国王がこれからのことについてオリバーに指示を出すために離れたところで、イリスは深く息を吐いて大きく伸びをする。
見上げた西の空には雲一つなく、少しずつ茜色から濃紺へと染まりつつある。
今日は本当に様々なことがあった。けれど、それら全てを帳消しにするくらい綺麗な紅い空に暫し見とれる。
明日の訓練からエダルシア王国騎士団も参加するので、明日もきっと今日のような波乱に満ちた一日になるかもしれない。けれどきっと、今日のように何とかなるだろう。きっと、悪いようにはならない。
刻一刻とその紅い色が薄れ上空に紺色が降りてくる様子を、イリスはいつまでも黙って眺めていた。




