馬車の中で
走り出した馬車は河川敷の堤防を登り、街道には戻らず密集している家々を避け舗装されていない道をガタガタと音を立てながらゆっくりと走行していた。
悪路とまではいかないが所詮は舗装されていない道のため道路状況は良くない。だがさすが一国の王を乗せる程の馬車というべきか、揺れはそこまでひどくはなく乗っていて不快感を感じるほどではなかった。
ふと視線を窓の外に向けると、時計塔が街中に悠然と聳え立っているのが見える。
どこから見ても見えるようにと造られた物だろうから、だいぶ離れたこの距離からでも時計塔の文字盤は良く見えた。
「なんで儂が時計塔の上にいたか、知りたいじゃろ?」
イリスは失礼がないように姿勢は真正面を向いたまま、僅かに視線だけを動かして外の景色を確認していたつもりだったのだが、どうやら向かい側に座るガルーラ国王には気付かれていたらしい。
驚きながらも、できるだけそれを表情に出さないようにしてイリスは頭を下げた。
「申し訳ありません。初めて国を出たもので、他国の街の様子が気になってしまいました」
改まったイリスの言葉を耳にしたガルーラ国王は、豪快に笑い出した。
「わはははっ。そんな口調ではなく、先程の一介の老人に接するようにして話してくれんかの」
「ですが……」
そう言われても、一国の王に対してこちらは他国の騎士にすぎない。下手をすれば国家間の問題に発展してしまう。
イリスが尚も言い募ろうとすると、大きな掌が目の前に翳されそれを遮られた。
「儂がいいと言うておる。それに、ここにはお前さんと儂の二人だけだ」
恐縮するイリスを面白がるように、ガルーラ国王は笑みを深めた。
「儂が何のために馬車に乗ったと思っておる。お前さんと内密の話をするためじゃ。でなければ馬に乗っておるわい」
そう言えば先程、何を使って王城に帰還するか問われた際、乗ることを渋りながらも馬車を選択していた。どうやらそれは、イリスと話をするためだったようだ。
「分かりました。では失礼ながらそうさせていただきます」
「まだまだ硬そうな口調ではあるが、まぁいいじゃろ。そうしてくれ」
ガルーラ国王が愉しそうに笑うので、イリスも自然と頬が緩む。
皺の刻まれた顔に一層皺を深くして笑うガルーラ国王は、裏表がなく信じられる人のように思えた。
「では、話の続きじゃな。儂はお前さん達が我が国に来たことを知っていた。色々噂は聞いとったが実際に会ってみないとどんな輩か分からんじゃろ?だからこうして会いに来た、というわけじゃ」
「……」
ガルーラ国王の言葉にイリスは驚きを隠せなかった。実際に会ってみないとその為人が分からないのは当然だが、それで一国の王自らが出向いてくるなど信じられなかったのだ。
それに今の話によれば、イリス達の行動はエダルシア王国に入国以降、把握されていたということになる。怪しげな入国者を監視するのは当然だ。サンスタシア帝国であってもそうする。
だが問題はそこではなく、イリス達が何の理由で監視されていたのかということだ。
(……ガルーラ国王陛下は、私がウィレンツィア王国の生き残りの王女だと知っているようだった。それ故監視されていたのかしら?)
エダルシア王国としてはイリスがウィレンツィア王国の生き残りの王女だったとしても、迫りくるドルシグ帝国の手から護る必要も義務も義理もない。国として『世界の力』を欲していないのであれば、イリスの生き死にはどちらでもよいからだ。
だがイリス達はこの旅に出てからドルシグ帝国の手の者と思われる者から襲撃されることも少なくなく、そういう意味では自国の民がそれに巻き込まれないために監視する必要はあったのだろう。
「お前さん達が我が国に危害を加える気がないということは分かっておったよ。だが国としては、見張らないわけにはいかなくてね」
イリスの心を見透かしたようにガルーラ国王が言葉を続ける。そんなにも考えていたことが顔に出ていたかと、イリスは眉間にぐっと力を込め表情を引き締めた。
「なに、そんなに心配せんでもよい。言うておろう?儂は自分のこの目で見たものを信じておる。お前さんのことは認めとるよ」
確かに先程の戦闘でイリスはガルーラ国王から試され、そして認められたのだろう。
「儂はな、お前さんがどんな人物か確かめるために一計を案じたんじゃ」
「……?」
その一計が先程の戦闘を指す言葉ではないと気付き、イリスは首を捻る。だが、考えを巡らせているうちにそれが何なのかに気付いて、イリスは驚愕に目を見開いた。
「まさか……」
息を呑んだイリスを見て、悪戯が成功した時の子供のような顔でガルーラ国王が嗤う。それが、答えだった。
つまりガルーラ国王は、イリス達が通るのを見計らって時計塔に登り、態と足を踏み外して落ちて見せたのだ。
「なに、お前さんが儂を助けんでも、うちの騎士達が受け止める手筈になっとったから心配せんでもいいわい」
「そういう問題では……」
言いたいことがたくさんあるのは山々だが、相手は一国の王だ。しかも他国の王の考えにおいそれと苦言を呈するわけにはいかず、イリスはぐっと言葉を呑み込んだ。
(ガルーラ国王陛下が落ちた瞬間に沸き上がった気配は、待機していたエダルシア王国騎士団の人達のものだったのね)
何でもないことのようにガルーラ国王は言うが、その計画をのために待機させられていた騎士達は生きた心地がしなかったことだろう。
あの高さから落ちたのならまず助からない。一歩間違えれば国王が死に至るかも知れないのだ。いくらフラッデル隊が控えていたとしても万が一ということもある。重責を負わされた騎士達が不憫でならなかった。
(……あり得ない。そんな事、一国の王がすることじゃない)
自身を守るべき臣下にそんな役割を担わすなど上に立つ者のすることではない。少なくとも尊敬する君主であるサンスタシア帝国のテオドール帝ならこんなことは絶対にしないだろう。
「ほほっ、どんなことを考えておるか手に取るようじゃの。まぁ理解しろとまでは言わんが、甘く見てもらっては困る。儂は昔から自分の目で物事の真実を見極めてきた。それに付き合わされる部下達もたまったもんじゃなかろうが、儂は部下達を信じておる。エダルシアの騎士達は傑物揃いじゃよ。無論、儂が育てた」
屈託なく笑う国王とは対照的に、心内を見透かされたイリスは気不味さに視線を落とした。
きっと、エダルシア王国にはエダルシア王国なりの国王と臣下の関係があるのだ。それはサンスタシア帝国とはまた違った形ではあるが、国王が臣下を信頼し、その命を預けられるということに他ならない。他国の一介の騎士如きが苦言を呈していいようなものではなかった。
慌てて一礼し表情を取り繕うも、そんなイリスの心内もガルーラ国王には筒抜けらしかった。
「ああ、よいよい。そんな取ってつけたように取り繕わんでもいいわい。言うておろう?今はお前さんと儂だけじゃ」
「……申し訳ありません」
ガルーラ国王は人の機微を読み取る力に長けているのだろう。イリスがどう足掻いても叶わない相手だった。
「さて。くだらない雑談はここまでじゃな。そろそろ本題に入ろうかの」
その言葉で、ガルーラ国王の纏う空気が一変した。接しやすそうな穏やかな空気は一瞬にして霧散し、威圧感を含んだ一国の王たるに相応しい厳格な圧のようなものが馬車内を支配する。
イリスは直ぐに居住まいを正すと、それに気圧されないように膝の上に置いた拳をぐっと握り込んだ。
「儂はお前さんがウィレンツィア王国のアリスティア王女だと知っておる」
「……そう、ですか」
やはり知っていたのだと、イリスはその言葉を冷静に受け止めた。
「だが、お前さんには八年前のドルシグの乱以前の記憶はない」
「……」
続く王の言葉に、殆どの事を知られているのだと確信する。こうなれば、嘘偽りを述べても意味はない。イリスは正直に首肯した。
「仰る通りです。ですから私自身には、ウィレンツィア王国の王女だという自覚はありません」
「ほう?」
顎髭に手を伸ばすと、ガルーラ国王は暫し何かを思案しながらそれを撫でた。
「では王女たる自覚のないお前さんは、今後どうしたい」
「オートレア王国に渡り、医療大国の力を借りて失われた記憶を元に戻したいと考えております」
「そうではない」
今後の予定を話せば、ガルーラ国王は髭を撫でていた手を放して首を振った。
「自覚が無いのに記憶を取り戻そうとするのは何故だね?今までの八年間、それこそサンスタシアの騎士としてその地位を不動のものにし、暮らしていたのじゃろう?」
(……なんだろう、どこかで同じような質問をされた気がする……)
いつだったか誰かに同じような質問をされた記憶があるのだが思い出せない。イリスはとりあえず思い出した記憶の中から、その時話した理由を告げた。
「ですがドルシグ帝国のエルヴィン皇子に私の存在が知られました。きっと彼の方は私を逃しはしないでしょう」
エルヴィン皇子に見つかったあの日、八年前から止まっていた時が再び動き始めたのだ。
「ならばサンスタシア帝国で迎え撃てばよい。それこそドルシグ帝国がサンスタシア帝国皇帝直属の騎士であるお前さんを攫い陥れようとするのならば、今度こそ確実に『平和条約』の名の下、他三国からの制裁が下ろうて」
「……ですがそれでは、サンスタシア帝国に迷惑が掛かります」
イリスがサンスタシア帝国に留まることで、サンスタシア帝国が戦禍に呑み込まれることだけは避けたい。助けてもらった恩を仇で返すわけにはいかない。
だがガルーラ国王は、畳み掛けるようにイリスに正論をぶつけた。
「サンスタシア帝国は大国じゃ。迎え撃つにしてもウィレンツィア王国とは軍の質も量も違う。それはサンスタシア帝国の騎士であるお前さんが一番よく知っておろう?それにドルシグの乱で各国が辛酸を舐めたことに変わりはないが、学んだことも大きい。サンスタシアの若造とて、次にドルシグ帝国が攻めてきた際の対策ぐらい練っておろうて」
そこで言葉を区切ったガルーラ国王は、意地の悪い笑みを浮かべながら続けた。
「それとも、ウィレンツィア王国が争いの舞台となり、ウィレンツィア王国に迷惑が掛かるのはいいと?」
「そんなことは!!」
「一緒じゃろう、その理屈であれば。だがお前さんは敢えて自身を取り戻し、ウィレンツィア王国王女としてドルシグ帝国を討とうとしている。それは何故だね?」
確かにガルーラ国王の言っていることを、イリス自身も考えたことがある。
ドルシグ帝国が攻めてくるのならば、軍が機能しているサンスタシア帝国で迎え撃った方が利がある。ウィレンツィア王国で、革命軍という名のもとに集まった烏合の衆で対抗するよりよっぽど勝算があるだろう。
だがイリスは敢えて革命軍に協力し、ウィレンツィア王国王女としてドルシグ帝国と対峙しようとしている。それは何故か?
――過去を抱えながら未来を生きていくしかないんだ。過去に囚われ過ぎるな。
不意に、暗闇の中に佇む屈強な体躯が目に浮かんだ。黒い眼帯を左目に付けたその男は、褐色の肌によく映える白い歯を覗かせながら豪快に笑んでいた。
(そうだ、……ダンさんに言われたんだ)
ストレアル山脈を越えようと山に入ったイリスがナタラ族に攫われた際、ナタラ族の族長であるダンから同じことを問われたのだ。
そして、ダンは言った。
「どんなに頑張っても過去は変えられない。復讐を果たしても、過去は無かった事にはならない。死者は生き返らない」
「……?」
急に前方の虚空を見つめながら何事かを呟きだしたイリスを訝しみ、ガルーラ国王の眉間に皺が寄る。
イリスはそんなガルーラ国王に向き直ると、穏やかな表情で微笑んだ。
「この旅の途中で出会った人に言われた言葉です。『過去に囚われ過ぎるな』と。私は私の意志で、記憶を取り戻したいと思っています。そして、私の意志で、ウィレンツィア王国王女として、ドルシグと対峙したいのです」
今のウィレンツィア王国では、ドルシグ帝国と真っ向からやり合ったら全く歯が立たないだろう。どれ程の戦力差があるかなど考えるまでもない。しかし、イリスがウィレンツィア王国の王女として立つことには意味がある。
「覚悟がある、という事じゃな」
「はい」
迷わずに頷いたイリスを見て、ガルーラ国王も満足げに頷いた。
「お前さんという人物が更に良く分かった。よろしい。エダルシア王国も貴国に対する協力は惜しまん。有事の際には儂が責任を持って協力することを誓おう」
「本当ですか!ありがとうございます!」
「じゃが一つ……」
嬉しさのあまり馬車内で立ち上がろうとしてしまったイリスは、続く言葉に息を呑んだ。協力するためには何か条件があるような口ぶりに、イリスに緊張が走る。
だが当のガルーラ国王は、拗ねた子供のように口を尖らせるとイリスから視線を逸らしてしまった。ガルーラ国王の謎の行動にイリスは首を捻りつつも、理由が分からないイリスはガルーラ国王の言葉を待つ他ない。
「……気に入らんな」
「え?」
「どうせダンじゃろ?解せんな。あんな若造の言葉がお前さんに刺さっとるなぞ」
ついにはイリスから視線を逸らし窓の外を眺めながら、「儂の言葉の方がずっと言葉のありがたみも重みも上じゃ」と呟いている。
ガルーラ国王はどうやらナタラ族の族長であるダンのことを知っているようだ。しかも、ダンの言葉にイリスが支えられていることが気に食わないらしい。
「ガルーラ国王陛下は、ダンさんと面識がおありなんですか?」
「知らんわ、そんな奴」
拗ねたままの国王がなんだか可愛らしくて笑ってしまう。
「ダンさんの言葉に気付かされたのは本当ですが、大事なことなのに今まで忘れてしまっていました。思い出せたのはガルーラ国王陛下のお話のお陰です」
イリスが言い終わるや否やこちらを振り返ったガルーラ国王は、嬉しそうに破顔した。
「そうじゃろ?儂は大事な話だと思っておったんじゃ」
あっという間に機嫌の直った国王に苦笑する。
こんな赤子同然に掌の上で転がされて大丈夫なのかと心配になるが、本来の国王としての顔は先程見せたような威厳に満ちたものなのだろう。
「ところでじゃな、お前さんの戦い方についてなんじゃが……」
機嫌を直したガルーラ国王は、大事な話は終わったとばかりに聞きたかった事を話し始める。
乗車前に騎士達に言った言葉は方便でも何でもなく、こっちの話題の方が本当はしたかったのではないかと思うぐらいの前のめり具合にイリスはたじたじだ。
この後王宮に着くまでの道中、フラッデルを使っての戦闘方法やイリスがこの戦い方を習得するために行った練習方法まで延々と事細かに聞かれることになるとは、この時のイリスは知る由もなかった。




