疎外感
今日から第七章開始です。よろしくお願いします。
変わらず続く一面金色の稲穂の中を進む一行は、軽快な歩調で南に伸びる街道を進んでいた。
エイミアを助けるためにイリスが崖から落ちた際の不穏な雰囲気も今は鳴りを潜め、穏やかな空気が一行の中に流れていた。
というのも、一行の中に一段と明るい声で会話を楽しむ声が響いていたからだ。
「ね、イリスは髪を伸ばしたいと思ったことはないの?」
イリスの隣を歩くエイミアが朗らかに訊ねる。先程まで話していた今朝の訓練の話から一転、何の脈絡もなく話題変換されイリスは面食らった。
あの一件以降、エイミアはイリスに対して気さくに話し掛けるようになった。
元々エイミアはイリス個人に対して悪辣な態度を取ったことはない。だがイリス達一行に対してはあまり良い感情を持てていなかった。しかしそれが今では、イリス限定で軟化したと言ってよかった。
イリスがエイミアの身代わりとなって崖から落ちたがそれでも殆ど無傷で発見された直後は、エイミアの口から出る言葉はほぼ謝罪や自責の念が占めていた。
だが旅の中でエイミアは少しずつイリスについてその為人を知ろうとしてくれるようになり、日が経つにつれて様々な会話が繰り広げられるようになったのだ。
エイミアは元来話し好きな性格のようで、一度相手の懐に入ると途端に気を許すらしく、今ではイリスへの質問は好きな食べ物からドルシグ帝国のことまで多岐に渡っていた。
ドルシグ帝国の事など不穏な話ししかないのだが、当の本人は質問に対しての深い意味はないらしく、会話の中で思いついたので聞いてみた、ぐらいの気安さである。
興味も関心もくるくると変わり、前の会話と全く関係ない話が次に展開されることもしょっちゅうだ。
けれどエイミア本人の中では話題と質問には何らかの繋がりがあるらしく、最終的に会話として成立していることも多かった。
そんな感じで延々と脈絡のない話に付き合わされるわけだが、次々テンポよく繰り出される質問は決して煩わしいだけのものでもなく、他意無く問われる質問に答えていると、自然と会話が弾んでいるのだ。何よりエイミアは話し上手で、聞き上手でもあった。
そんな感じであの一件以降、移動中エイミアはイリスの隣を歩くことが多くなり、その上この旅初の同姓であるため、野営時なども行動が共になるのは自然な流れだった。
ほとんどの時間をエイミアと一緒に過ごすことになり最初こそイリスも戸惑ったが、慣れてしまうと同姓が同行しているというのは存外心強いという事に気付く。
そしてなにより、今まで同年代の同姓とこんな風に他愛ない会話をしながら過ごすという機会を得てこなかったイリスにとって、エイミアとのやり取りはとても愉しいものだった。
今までもサンスタシア帝国にいた際に、騎士同士での気軽な会話というものもあるにはあった。しかしどうしてもどこか一線を引いての会話だったのだ。
だがエイミアは違った。同姓であるために感性は似ているし、何よりエイミアはイリスより年上であるため会話に遠慮がなかった。寧ろそれがイリスには心地良かった。
騎士時代は女性である上に騎士団を纏めるアイザックの娘であるという肩書が常に付き纏い、どこか遠慮されて接せられることが多かったのだ。
また、ヴォルターのように昔のイリスを知っている人物はイリスに王女という肩書を当てはめるので、そこには越えられない壁がある。
しかしそうした忖度が一切ないエイミアの態度と言動が、イリスにはとても嬉しかった。
「どうかな。剣を振る時に邪魔になるから、伸ばしたいと思ったことはないかもしれない」
「えぇ、もったいない!綺麗な琥珀色をしているのに」
こんな会話もエイミアとでなければ叶わなかっただろうと、半分うわの空でそんなことを考える。
(女の子同士の会話って、こんな感じなのかな)
そんなことを考え少しくすぐったい気持ちになるが、尤も自分の返答は女の子のそれではないだろうとイリスは小さく自嘲気味に笑った。
「うーん……あ、じゃあこうしよう。エダルシア王都に着いたら、私と一緒に買い物しましょ!」
髪の毛の話が何故買い物をする流れになったのか、エイミアの頭の中での繋がりは一切不明だ。
しかし当のエイミアは名案だと言わんばかりに二つに結んだ髪を傾けながらイリスの顔を覗き込む。
「え……と、そう、だね?」
嬉しそうな顔を見ると水を差すのも申し訳なくて、微妙な返しをしながらとりあえず笑って受け流す。
しかしその笑みを了承と取ったようで、エイミアは嬉々として声を上げた。
「よーし、決定!楽しみだなぁ」
「え、あの……」
決定事項になってしまったことに戸惑い、今のうちに撤回しようとエイミアの背中に手を伸ばすが、楽しそうに歩くエイミアの歩調に合わせて揺れる二房の髪が喜びを顕わにする犬の尻尾のようで、イリスの伸ばした手はエイミアに届く前に力なく降ろされてしまった。
「すみませんイリス様。悪い奴ではないのですが……多少強引な面があるもので」
後ろを歩いていたヴォルターが歩幅を大きくしてスッと音もなくイリスの横に並ぶと、頭を下げた。先程までのイリス達の会話を聞いていたのだろう。その表情は申し訳なさそうに眉が垂れ下がっていた。
「それは分かっているから大丈夫ですよ。同姓とこんな風に会話をしたことがなかったので戸惑っているだけで、嫌とかそういうことではないですから」
小声でヴォルターに告げながら、視線を前方に戻す。エイミアはエダルシア王都に着いたらイリスと買い物をするのだという事を前を行くリュカに話して聞かせているところだった。この様子ならば、こちらのやり取りには気付いていないだろう。
イリスとて別にエイミアと買い物をすることが嫌な訳ではない。急に話が出たので戸惑ってはいるが、同姓と買い物をした記憶など終ぞないため、どんな感じなのかと少し期待に胸は膨らんだ。
本当に買い物に行くとなったら不安の方が大きいかもしれないが、エイミアならば勝手に話を進めて好きに買い物をしてくれそうな気もするので、その点は安心感もあった。
「しかし買い物ですか。私もぜひイリス様には、このような平服ではなくその身に相応しい物をお召しになっていただきたいです」
「いやいや、似合わないですよ。それに私はこういう服装の方が慣れていますし、動きやすくないと困ります」
ヴォルターの言うその身に相応しい服装とは、ドレスなどを指すのだろうかと考える。
サンスタシア帝国にいた頃は、家にいる時は養父であるアイザックに女性らしい服を着るよう言いつけられていたので、常には動きやすい服装が主であっても、イリスはスカートなど女性らしい服装を身に着けることに抵抗はない。
アイザックは、本来王女であるイリスが騎士団に身を置くことで男装の女性になることを懸念し、女性であることを自覚させるために家では女性の格好を意識してさせていたのだろう。
もしそのことがなければ、イリスは自分でも動きやすい服しか着ないようになっていたと思うし、女性らしい恰好をすることに恥ずかしさのようなものを抱くようになっていたと思っている。
今となっては、アイザックの気遣いにイリスは感謝しかなかった。
「どんな格好をしていても、イリスはイリスだよ」
イリスの思考を遮るように、後方から少し棘のある言葉が投げかけられる。
振り返ると、最後尾を歩くロイが険しい表情でヴォルターを睨んでいた。
「ああ、そうだな。……私は別に女性らしい恰好をして欲しいと言ったわけではないが、君の言う通り、どんなお姿をしていようとイリス様はイリス様だな」
睨まれていることを気にも止めず、ロイの言葉を受けて微笑みを返しながらヴォルターが優しく答えた。
そんなヴォルターの大人としての余裕のある返しに、ロイも黙るしかなかった。
(それにしても、ロイも歩み寄る気がないなぁ……)
温厚で皆の調整役であるロイの、普段あまり見ることのない敵愾心剥き出しの態度に苦笑が漏れる。
ヴォルターと接していると、普段イリスを護る兄のような存在であるレオンとロイも、簡単にあしらわれて子供扱いされてしまう。
ヴォルターの度量があり抱擁力があるそんな姿は、どこかアイザックに似ていた。
「歳も父さんと同じくらいだし、……何だかヴォルターさんって皆のお父さんって感じ」
「いえいえ。私はまだまだ若いつもりですよ。こんな大きな息子は手に負えません」
「っ!え、あれ?口に出てました?」
心の中で思っていたはずなのに、思わず口をついて出てしまっていたらしい。恥ずかしくてイリスは顔を真っ赤にして慌てた。
そんなイリスの様子を愉しそうに笑いながら見ていたヴォルターだったが、一瞬だけ遠く虚空を見上げ表情を消した。
だが、直ぐにその顔に笑みを戻した。
「ははっ。いいえ、冗談です。こんなに立派な娘や息子なら、今すぐにでも欲しいくらいですよ」
「あ、いえ、そんな……えっと」
尚も愉しそうに笑うヴォルターに、先程見た表情は一瞬すぎて見間違いだったのではないかと思ってしまう。けれどさっきの表情が、何故だかイリスの心に深く刺さった。
酷く胸を掻きむしられ、忘れてしまっている記憶の中にその答えがあるような気がしてイリスは必死に記憶を紐解こうと試みた。
「ヴォルターの息子なんて願い下げだよ!すっごい扱かれそう!」
「ヴォルターの娘なんてまっぴら!すっごい扱き使われそう!」
けれど前を行く二人が振り返って抗議したことで、イリスの思考はそこで断ち切られてしまった。
どうやらリュカとエイミアの会話は一段落していたようで、二人はこちらの会話を聴いていたようだ。まさかのヴォルターの発言に声を上げずにはいられなかったらしい。文句を言うリュカとエイミアの息はピッタリだった。
そういえば革命軍に所属している仲間だという事は聞いたが、エイミアとリュカがどんな関係性なのかという事は聞いていなかったなと思い至る。
ヴォルター達に出会ったばかりの時は、再会した喜びがあったにせよエイミアのリュカに対する距離感は異常に近かった。リュカは距離を取るように言っていたが、心底嫌がってもいないようだった。
エイミアはリュカのことを弟のように思っていると言ってはいたが、今の息が合った様子からも、二人が気心の知れた間柄だという事が伝わる。
「……」
モヤモヤとした思いを抱えながらイリスが二人を見遣れば、二人はお互いが同じような事を思っていたことに堪え切れず声を上げて笑い合っていた。そこに、口調は怒っている風だが笑顔のヴォルターが加わる。
三人の愉しそうなやり取りに入り込めない空気を感じて、イリスは後ろからその光景をただぼんやりと眺めていた。
きっと革命軍として共に過ごしてきた日々が、三人の中にはあるのだろう。
それが分かっていても、今までイリス達と行動を共にし剣の訓練や道中の様々な出来事を一緒に経験し乗り越えてきたはずのリュカが、どこか遠い存在のように感じられてイリスは戸惑った。
ヴォルターとエイミアに囲まれて愉しそうに笑うリュカが別人のように感じられて、イリスは蚊帳の外で何とも言えない想いを抱えながらただその光景を眺めていることしかできなかった。




