第二章・第一節 : 旅立つ者達
第二章・第一節 : 旅立つ者達
薄暗い冬の日差しが差し込む酒場で二人の男が黙々と山盛りのシチューを口に運んでいた。
しっかりと噛み締め、味わうように一匙、また一匙と頬張り、そして吞み込んでいく。
そうやって時間をかけて赤竜亭の名物シチューを完食した二人は、手を合わせて深々と空の皿に頭を下げると感謝の言葉をつぶやいた。
「ご馳走様です・・・今までお世話になりました。」
「今日も美味かったです。ありがとうございました。」
人もまばらな朝の赤竜亭。半月前まで多くの冒険者達がここで夜を明かしていたのとはうって変わった今の有様は多くの冒険者がこの地を去った事を物語っていた。
そしてこの二人の男、魔術師シガノーとその寡黙な相棒も今日ついに赤竜亭を旅立つ時を迎えていた。
「それにしても雪かよ・・・ついてねぇな。」
「お前の旅立ちが最悪なのは今更だろう。こんな小雪で済むなら運がいいぞ。」
そういうと二人は立ち上がり丁寧に椅子を戻した。そして皿を持つと厨房にいるおやっさんのもとへ向かい皿をカウンターの上に差し出す。その二人の首には見慣れない小さなアミュレットのようなものが光っていた。
おやっさんがカウンター越しに二人の皿を受け取る。何か気の利いた事を言おうと思ったシガノーだったが、突然胸から何かがこみ上げてきて言葉が出なかった。
「行くのか?」そんな二人の様子を見ておやっさんが静かに声を掛ける。
「・・・ええ、本当に今までお世話になりました。」泣きそうな声でシガノーが答え、二人は深々とおやっさんに頭を下げた。
「達者でな。生き抜けよ、絶対に。」
そのおやっさんの言葉に何度も頭を下げながら二人は赤竜亭を去ったのだった。
邪神討伐から一月が経とうとしていた。
早めに訪れた冬は山々をうっすらと白く染め、冷たい風が絶え間なく吹くような季節になっていた。
邪神討伐によって一生暮らしていけるほどの大金を得た冒険者の多くは、あるものは冒険者を引退し新たな生き方を求め、あるいは資金を得て胸に秘めていた想いを実現するべく次の目標に向かって歩を進めようとしていた。
あるものは故郷に錦を飾り、あるものはまだ見たことの無い景色を求めて旅に出た。そうして一人また一人と赤竜亭の冒険者達も姿を消し、今では常連だった冒険者も半分以下にまでその数を減らしていた。
入れ替わるように邪神討伐の恩恵からあぶれた冒険者がいくらか流れてはきたものの、古参の強面の迫力に気おされてしまい居付いた者はわずかだった。
だがそれでもおやっさんは『仕事が楽になった』と上機嫌であった。おやっさんにしてみれば子供のように面倒を見てきた冒険者達が巣立っていく事は寂しくもあるが嬉しいことでもあったのである。
そんな中、赤竜亭の周りの廃墟にも少し変化があらわれ始めていた。
一つはミュリッタが勢いで作ってしまった大浴場である。湯浴みができるこの場所が冒険者達に大好評だった事は言うまでもなく、恒久化しようと皆が動いたおかげで整備が急ピッチで進んでいた。
その際に、この水不足のカエルラの廃墟のど真ん中に突如水がこんこんとあふれ出す水場が作られた事は多くの人々の度肝を抜いた出来事だった。だがそれも『大魔導様すげ~』で片付けられたので一件落着となったのである。
実際のところはアルテュストネがアーティファクトである導水管掘削機を使ってレタリス川の川底から水路を通してくれたおかげなのだが、そこは借金のせいで矢面にたたされたミュリッタ様の偉業とされてしまったのだった。まあ実際200メートルも揚水できる魔導ポンプを作った事も十分偉業ではあったのだが。
そして水があれば人が集まる。それがこの地カエルラの歴史である。
幸い赤竜亭の周辺の廃墟の多くはすでにおやっさんが土地の権利を確保していたおかげで大きなトラブルは無かったものの、水場の水の一部をすべての人々へ無料で提供した事により赤竜亭の周辺には冒険者ではない人たちの姿がちらほらと見られるようになっていた。
中には『ここは私の先祖代々の土地である』などとほざく詐欺師も混ざっていたが、そういう輩は赤竜亭へ連れていかれて二度と馬鹿な事は言えなくなるまで叩きのめされた事は言うまでもない。
それでも念には念を入れという事で、国王直々に周辺の再開発が公布されると権利者の定かでなかった土地や建物はすべてカエルラの行政府に接収される事となった。それと併せて、まだ所有権を持つ人間が残っていた廃棄街区の一帯でも大規模な用地の買収が行われ、その際少なくない金が動いたと噂になったのだった。
これはミュリッタがタヌキ呼ばわりした執政官閣下による提案だったのだが、その後接収された区画の一部が邪神討伐に対する謝礼としてミュリッタとフォルセリアへと贈呈される事となる。その区画の中にはエナンの住処だった大風車跡と、ティモが育ったあの孤児院の跡地が含まれていた。それぞれ大風車跡はミュリッタの所有に、そして孤児院跡はフォルセリアの所有になったのである。
もちろん執政官閣下としてもカエルラの周辺地域を再開発したいのは事実であった。すでにカエルラの市街地は飽和状態で城壁外の隣接地域には市街区に住めなかった多数の人間があふれていた。治安の悪化も懸念される中、水の問題が解決するのであればカエルラ市街そのものを拡張したいというのは偽らざる本音だったのである。
この再開発の話が持ち上がったのは、水場の話を聞いた執政官閣下が血相を変えて赤竜亭にやってきてミュリッタ達と会談した翌日の事であった。まだカエルラに逗留していた国王によって発せられたその告知はまたたく間に商売人達の間に広まり、大商いの好機との噂はカエルラのみならず国全体へと広まりつつあった。
そしてこの話の裏ではとある高貴な御方によって莫大な資金が動いている・・・という噂が密やかにささやかれていたのであった。
「ヤダヤダヤダヤダッ!! 絶対行っちゃやだぁっつ!!!」
その渦中の高貴な御方は今、フォルセリアにぶら下がって蹴りを入れている最中であった。
困り果てたフォルセリアがアルゲの方を見るが、ミュリッタの機嫌を損ねるとそれこそ物理的にただでは済まない事になるのでアルゲですら距離を置いて見ている始末であった。
「ちょっと南方まで戻って孤児院のみんなにお金を渡してくるだけだって・・・そんなに泣かないでもいいだろう?」
「そんなの誰かに任せたらいいだけじゃない!! フォルセリアが行っちゃうなんて許さない!!」
そういう問題ではないのは頭では分かっていてもフォルセリアが居なくなってしまう事に耐えられないミュリッタが延々と駄々をこねている最中であった。
「しょうがないな・・・それじゃミュリッタも一緒に来るかい?」
「うぅ・・・それもヤダ。」
「はぁあ・・・・。」
ミュリッタはこの宮殿暮らしがいたく気に入ってしまってここから離れたくないのだ。だからこんな我儘を言っている訳だった。
邪神討伐の一件の後、フォルセリア達はいつまでも赤竜亭の厄介になるのも申し訳ないのでアルテの館にその居場所を移していた。
ティモとミュリッタが当分カエルラから動く事は無い状況のため、フォルセリアとアルゲは一度フォルセリアの居た孤児院まで戻って邪神討伐で得た莫大なお金を孤児院経営の為に寄付しようと考えていた。ちなみにアグリッサはカエルラ逗留が長くなりそうだと分かると大喜びで伯爵の家に住み着こうとしたのだがやんわりと拒絶されてしまって今は盛大に落ち込んでいる最中である。
ティモはカエルラに残り、かつて自分の育ったシスターヘケティアの孤児院を再建するために活動する事になった。もちろんそこには大天使テスからの頼みである大天使ノアルの捜索とエナンに対する見守り活動も含まれていたが、それは誰にも話してはいない。
地下宮殿の生活は快適そのもので、その点はあのアグリッサですら文句を言わずに暮らしているので何の問題もなかった。むしろ彼女にとってはロドピスが住んでいる事に最初は驚いたものの、その後アルテが伝説の魔人である事などを知るほどにこの館の主がそういう存在に対して偏見や憎悪をいだかないのだと知り安心するようになったのである。
半人半魔の彼女にとってもこのアルテの館は居心地が良い場所となったのであった。
目下の問題は出入口がまだ赤竜亭にしかない事である。さすがに地下から出入りするのも面倒なので今はフォルセリア達が泊まっていた客間に転送魔方陣を作らせてもらってまだフォルセリア一行は赤竜亭に逗留中という事に表向きはさせてもらっていた。
現在この状況を改善するべく、赤竜亭の近くに小さな館を建造中である。
その他にも赤竜亭の面する大通りには長年の懸案だった宿泊施設の不足を解消するために宿屋が建設中である。これはおやっさんの負担を軽くしたいというエナンからの恩返しの気持として提案された物で、当然ながらその資金についてもエナンが用意したのであった。
ちなみに相場を外れた大金が投資されたため、巷では『ホテル・ミュリッタ』などと呼ばれているとの事である。
そして結局、フォルセリアはミュリッタや他のメンバーが癒されているの見て冬が明けるまでは出立を見合わせる事にしたのだった。
かわいいミュリッタの願いは断れない、というのは内緒である。




