第六十節 : 帝杖 Homo Industrius(足掻く者達)
第六十節 : 帝杖 Homo Industrius(足掻く者達)
フォルセリアの力によって冥界の門が消滅した。
遂にミュリッタの目指す邪神討伐に手が届くところまで状況は整った。
まだ異形との闘いは続いていた。
むしろそれは先程よりも激しさを増している。
邪神が冥界の門を失ったことで、より一層『この場に居る者たちの死と恐怖』を激しく求めるようになったからである。失われた自分の力を取り戻そうと残された手段を使って死と恐怖をかき集めようとしているのだ。
兵達の消耗が激しくなってきた。長引けば押し切られる。
現実に引き戻されたミュリッタは最後の切り札を早急に切らねばならない状況であることを悟った。
実のところ、ミュリッタはその切札に100パーセントの自信があるわけではない。彼女は三年前、一度はその力を引き継ぐ事を拒絶したのだ。それはおばあちゃんの死を認める事と同じであったから。
それから三年、彼女はその力の存在を一度も顧みる事はなかった。
だが今更そんな事はどうでも良い。今、世界を救うためにはその力が必要なのだ。たとえ拒絶されても力ずくで引きずり出してみせる・・・ミュリッタはそう開き直っていた。
ミュリッタは周囲の人々に自分から離れるように頼むと目を閉じて静かに詠唱を始める。
「・・・・・ 其の力 天に頼らず 地に根差さず・・・」
それは魔法を志す者ならば知らぬ者はいないであろう、あまりに有名な詩の一篇。それを聞いたアマシスの顔が驚愕で固まった。
『そんなまさか・・・いや、彼女には『資格』があるということなのか。』
ミュリッタの姿を凝視する。彼女の周りには尋常ならざる魔力が漂い始めていた。
それは初代魔導帝国皇帝ルゥが創りし人類の至宝。神器をも超える奇跡の存在であった魔導帝国皇帝の帝杖を召喚する儀式に於いて詠われた詩であった。
帝杖は、この世にたった一人のみ、それを手にするに最も相応しい者のみが呼び出すことが出来ると伝えられていた。それ故に、歴代の全ての魔導帝国皇帝がその杖を呼び出せたわけではなかった。
それは古代魔導帝国皇帝に代わって帝杖の継承者となった大魔導とて同じであるはずだ。
それを呼び出す『資格』を持つならば、それはミュリッタが歴史に名を刻んだ過去の偉大な魔導帝国皇帝たちに比肩する存在足りうるという事であった。
「其の力 天に頼らず 地に根差さず
此の世を彷徨う 根無草」
静かに、囁くように詠唱は始まった。
ミュリッタの周囲に魔力が満ちていく。濃密な魔力の揺らぎが陽炎のように立ち昇り、うっすらと光を放ちながら上へと流れていく。
「真理一つ持たぬ身で 世界に挑みし同胞の
愚行と労苦とその血肉 積み上げ築きし愚者の塔」
言霊は次第に力強く、熱を帯びていく。立ち昇った魔力の流れがミュリッタの頭上で渦を巻き収束していった。
「其の力 無限に紡ぐ 人の力
無力な足掻きに始まりて 全てを越える歩みを成さん!」
収束した魔力の中心に光を放つ球体が現れる。そこへ向かって周囲の魔力が白い稲妻のような閃光をまといながら白と黒の渦となって激しく流れ込み始める。すると、ミュリッタの頭の中に何かが流れ込んできた。
それはかつてこの杖を手にした者達の苦難と葛藤の記憶。理想と現実の狭間で必死に抗い続けた愚か者たちの辿った道の物語であった。ミュリッタはその全てを受け止め叫ぶ。
「讃えよ全ての愚者達を! 紡ぎし叡智の輝きを
足掻き続ける我らの歩みを 永久続く探求を!」
目から涙があふれ出ていた。その記憶の中でミュリッタは懐かしいおばあちゃんの姿を見た。優しく微笑むその幻に向かって胸を張り、天を仰いて朗々とミュリッタは謡う。
「其は人の杖 全ての迷える者達の 支えなれとぞ望まれし
其の道標 この手に掲げ 全ての賢者に道を示さん!!」
頭上には巨大な光と闇の入り乱れた渦が巻く。ミュリッタの詩に応えるように白い稲妻のような閃光が激しく走ると、その渦の中心にぽっかりと虹色に光る異界への門が現れた。
『おお・・・おお遂に・・・遂にその真名を聞くことが出来るのか!!』アマシスは年甲斐もなく涙を流しながら立ち尽くしていた。
その杖は、この世の真理の名を纏うと伝えられていた。
だが、その名を呼ぶ事が出来るのは杖の主ただ一人。書き記す事も出来ぬその神秘は人の業が神の領域へと辿り着いた揺るがぬ証明でもあった。
その真名を呼ぶ魔導皇帝の姿をその目で焼き付けた者だけがその名を心に刻むと書物は伝える。
アマシスだけではない、その場にいた全ての魔術師が、戦士が、邪神の異形までもがその輝きをから目をそらす事が出来なかった。全ての観衆が今、ただ一人舞台の上で謡うミュリッタと彼女が呼び出した扉を身じろぎもせず凝視していた。
ミュリッタが右手を高く天へと掲げる。そして記される事なき最後の一節を声高く叫んだ。
「来たれ!! ホモ・インダストリウス(足掻く者達)よ!!!」
それはルゥが名付けた人類を示す名前にして杖の真名。
いかなる困難にも屈せず進み続けた先人達を称える人類への賛歌だった。
アマシスはその名を深く心に刻んだのだった。
門の中から杖の先端が姿を現した。徐々にその姿が露わとなりついにその全貌を現わす。
異界の門より溢れ出した魔力が怒涛となって嵐の如く吹き荒れた。
それは幾千年の年月に耐えた古木の枝のように曲がりねじれた灰色の杖。
ミュリッタの背丈の倍は優にあろうかというその杖の頭には、翼の生えた蛇が、早春の陽光のように柔らかい光を放つ宝玉を抱くように巻き付いていた。
稲妻のような白い光を纏いながらミュリッタの前へとその杖はゆっくりと下りてくる。
空中に浮いたまま、杖の動きが止まる。ミュリッタは全力でしっかとその杖を握りしめた。
「杖を継ぐ者よ・・・汝の言葉をこの杖に刻め。」
聞き覚えのある問いが脳裏に響いた。
かつてミュリッタはこの問いに答える事を拒んだのだ。ミュリッタはその時『おばあちゃんを生き返らせて!!』と杖に求め、そして杖はその願いを叶えると消えたのだった。
だが杖は再び問うて来た。ミュリッタは迷いなく、自らの辿り着いた境地を杖に刻んだ。
「愚者の道、忘れるべからず。我ら愚者なればこそ道を得ん!」
その言葉と共にミュリッタの体は光に包まれた。
・・・・・・・・・・・・
気が付くとミュリッタは天井の見えない巨大な塔の中に立っていた。
丸く筒のように天まで届くかという巨大な壁が見えたので、ようやくここが塔のような建物の中なのだと認識する。
そしてミュリッタを取り囲むように幾つもの高御座が柱のように天に向かって伸びていた。
見上げると首が痛くなりそうなその柱の頂の一つ一つに、そこに座る人影が見えた。
すぐに理解した。それがかつてこの杖を手にした人々であるという事を。
「ようやく来たか、ミュリッタよ。この杖を、我らの叡智をそなたに託そう。」
二番目に高い高御座に座る男がそう宣言した。託したぞ・・・託したぞ・・・託しましたよ・・・と、たくさんの声がそれに続いた。
だがミュリッタはその声には何も答えず、その人々の中にいるはずの一人の人物を必死に探していた。
見つけた。その人はさして高くない高御座の上で優しく微笑みながらミュリッタを見つめていた。ミュリッタはその高御座に向かって駆け寄ると叫んだ。
「おばあちゃん!! おばあちゃんのお祈り、神様に届いたよ!!」
涙があふれ出し、声を詰まらせながらミュリッタは叫び続けた。
「フォルセリアが導いてくれたの! 大天使様に魂を癒してもらったの!! 私の事を大切に思ってくれる人がいっぱい出来たの!!!」
おばあちゃんも泣いていた。嬉しそうに、涙を流しながらうなづいていた。
「だから・・・だからね! 私頑張って生きるから!! ごめんね、そっちに行くにはまだしばらくかかりそうだから!!!」
そう絶叫したミュリッタの体は、再び光に包まれたのだった。
「・・・・・・・・。」 意識が現世に引き戻された。
あれは、この世界では刹那の時間の出来事だったのだろう。ミュリッタは杖の問いに答えたあの瞬間へと戻ってきていた。
だが全てを覚えている。泣いて喜ぶおばあちゃんの姿も、自分の心からあふれ出た本当の気持ちも。
私は生きる。生きのびて未来を紡ぐ。
そのために今、邪神を倒しこの手で未来をつかみ取るのだ。
ミュリッタは高く杖を掲げ、そして力強くその石突で大地を突いた。
甲高い、澄んだ音が響いた。
それに呼応して杖からすさまじい魔力が衝撃波となって放たれる。それを浴びた周囲の異形どもが塵と化して消し飛んだ。
その波動は周囲を覆う暗黒の霧を払い、天を覆う雲すら吹き飛ばす。
その音が鳴り響いた後、ミュリッタの頭上には煌めく澄んだ冬の星空が広がっていた。
「さあ・・・決着を付けましょう。」
ミュリッタは静かにそう呟くと、深く、深く精神を集中し最後の魔法を紡ぎ始めた。
その夜は新月だった。
天空に月の姿は無く、空には星の光だけが輝いていた。
だが地上に突如月の如き輝きが現れる。
『銀月のミュリッタ』その名に恥じぬ白銀の輝き。
ミュリッタから溢れる魔力の光が輝きを増し、その身を包む純白の光球と化す。
白銀の輝きと呼ばれたその光は、ミュリッタが此の世に生まれた瞬間から纏っていたものだった。その日、生まれ落ちたミュリッタを見たおばあちゃんは一篇の詩を詠んだ。
其の輝き 白銀の輝き
真の銀には非ずとも その純白 汚れる事なき魂の輝き
其の姿 天空に輝く月の如し
陽の温もりは持たねども その光 暗闇に迷う者達に一筋の道を示さん
其の名は 『銀月のミュリッタ』
それが祖母から貰ったミュリッタの二つ名であった。
その天空の月の如き輝きの中、天に掲げたミュリッタの杖の先に眩く輝く光が現れた。
ミュリッタから溢れる魔力がその光へと収束し、その輝きは急速に大きくなっていった。
例え太陽ならぬ身だとしても、その身に映すは太陽の輝き。例え神を名乗らずとも神に等しき光の姿をミュリッタはもう知っている。神、それは遍く者達に何かを与え続ける存在を示す言葉だという事をミュリッタは悟っていた。
ならば与えて見せよう。私もこの白銀の光を。
それが絶望となるか希望となるかは知る由もないが、我、大天使テスの射影ならんと望む。
その輝きに邪神が反応した。
邪神が冥界の底から響いてくるような恐ろしい叫び声をあげると、その周りにまだ残っていた数多くの異形達が一斉にミュリッタに向かって突進を始めた。
最前線で戦っていたアルミス伯爵軍の兵士は疲弊していた。全てを無視して怒涛の勢いでミュリッタへと走り始めた異形達の勢いをさばき切れず突破を許してしまう。
「ミュリッタ君を守るんだ!!」銀翼の声が響くと、赤竜亭と共に戦う全ての冒険者達がミュリッタを守ろうと突破してきた異形達の前に立ち塞がった。異形達はその中へと雪崩れ込むと正面から激突した。
伯爵や銀翼、おやっさんも最前列で奮戦していた。
ミュリッタの傍には全力を使い果たし武器も失ったフォルセリアと、ティモの二人だけが残された。
その時邪神が動いた。
今まであの黒く染まった大地の上から全く動かなかった邪神が突然、空中に舞った。上半身だけの不気味な冥界の影法師が空中を飛翔しミュリッタへと迫る。
だが、まだ距離はある・・・と皆が思っていた。しかし突然、凄まじい殺意と共にその鉤爪の付いたような巨大な右手の影が大きく伸びた。
死の闇がミュリッタへと向かって一直線に伸びていった。
それは死の恐怖の真理を纏った邪神の一撃だった。それを目にしただけで全ての者が恐怖で動きを止める。
その一撃にはミュリッタの死が定められていた。邪神はその神力をもってミュリッタの死そのものをこの世界に顕現させたのだった。
遂に来てしまった。ミュリッタが抗い反転させ続けた因果の反動が。ティモの不吉な予想は的中してしまった。だが・・・
『体が・・・動かない!!』
定められた死の因果を前にして、ティモはそれを打ち破る事が・・・打ち破るために行動する事が出来なかった。恐怖からではない。邪神の定めた未来への流れがティモに動くことを許さなかったのである。
「逃げて!! ミュリッタ!!!」
ティモはかろうじて、そう叫ぶ事しか出来なかった。
その声に応えるように、目を閉じ集中していたミュリッタがくわっと目を見開いた。
すでに邪神の神力はミュリッタの体の自由すら奪おうとしていた。だがミュリッタは邪神を睨みつけ、その力に抗い前へと体を傾け大きく足を揚げる。
死をまとった鉤爪がミュリッタに届こうとした時、ミュリッタが大きく一歩を踏み出した。
白銀に輝くミュリッタと暗黒の闇が激突する。
次の瞬間、邪神の右手が砕け散ったのだった。
『邪神の因果が砕けた!?』その光景にティモは歓喜しながらも驚愕した。
人の身でありながら邪神の真理の力を打ち破るなどありえない事のはずだった。しかしミュリッタは邪神の神力を正面から打ち破ったのだった。
そのミュリッタの足元では、前へと延びる光の帯が淡く輝いていた。
その光はミュリッタ自身が定めた自分の道。
帝杖、またの呼び名を人杖ホモ・インダストリウス。それを手にした今のミュリッタは言うならば人間の象徴であった。
その歩みは神でも止めること能わず。死も、恐怖も全てを乗り越え屍の山を築きながら進み続ける。己が欲望の目指す先へと進む為なら全てを破壊し踏みつけていく。それが人の傲慢、神をも恐れぬ人間の業。今のミュリッタはその化身であった。
その歩みは邪神の真理ごときで止められるものでは無かったのである。
「その程度で・・・神を騙るな!!」
ミュリッタの声が響くとその杖に宿る光が一気に輝きを増していく。そして、ついにミュリッタの神殺しの魔法が完成した。
「死を渇望する者よ! 白き世界に絶望せよ!!」ミュリッタの叫びと共に光が弾けた。
杖から放たれた巨大な白銀の光の束が周りの人々までをも巻き込み邪神を薙ぎ払う。
「俺たちもろともですかぁあぁっ?!!!」誰かがそう悲鳴を上げるのが聞こえていた。
銀翼はその光に包まれながら佇んでいた。
白銀の光は銀翼の体に何一つ傷をつける事はなかった。微かな温もりだけが傍らを凄まじい速さで流れていくのを感じる。光に包まれ何も見えないが眩しさは感じなかった。ただ白い世界がそこには広がっていた。
邪神の気配が光の中で消滅していくのを感じる。邪神を滅するその光が人の力なのか神の力なのかは銀翼には分からない。だが世界が今、彼女と共に邪神へと立ち向かった人々を祝福している事だけははっきりと感じる。
我らはまだ世界に見捨てられた訳ではない。銀翼の胸は静かな喜びで満たされていったのだった。
ミュリッタの放った光が過ぎ去った後、そこに邪神の痕跡は何一つ残ってはいなかった。
遠く、カエルラの街からは真夜中の十二時を告げる鐘の音が聞こえていた。




