第五十九節 : 聖人フォルセリア
第五十九節 : 聖人フォルセリア
邪神の体が物凄い速度で上昇していく。
閉ざされた筒の中で吹き上げ続ける水蒸気の爆風によって押し出され、さながら砲弾のように加速しながら川岸の断崖を越え、雲を突き抜け、北部大山脈のもっとも高き頂きすらも遥かに越えた高空へと撃ち出された。そして暫し上昇を続けた後、反転して落下を始める。
風の精霊達が銀翼の望む位置へと落下方向を誘導する。風に煽られながら邪神はミュリッタ達が待ち構える最終決戦の場へと落下していった。
轟音と共に邪神が地面に叩きつけられ大地が激しく揺れた。
邪神の肉体が弾け無数の肉片が飛び散った。しかし肉片は砕けてなお蠢き続け、異形の化け物へと姿を変える。そしてその体液は高熱により蒸発すると暗黒の霧となって辺りを黒く染めていった。
邪神の肉体はもはや原型を留めぬまでに砕かれ、勝敗は決したかと多くの者が思ったのだった。
「勝った・・・のか?!」誰かがそんな言葉を呟いた。
「オイヤメロ・・・」
「あ~あ、言っちまったよ。」
一斉に周囲からツッコミが入った。
「気を抜くんじゃないよ!! ダメージを受けたのは肉体だけだ!!」そんな彼らにフォルセリアの檄が飛ぶ。
「奴の魂は健在だ!! これからが本番なんだよ!!」
そんな彼らの声を背中に聞きながら、ミュリッタは険しい表情で一人立ち尽くしていた。
邪神の残骸で黒く染まった大地から巨大な影が頭をもたげた。明確な形を成さず揺らぎながらも、圧倒的な威圧感・・・いや恐怖を放つそれこそが冥界の影、邪神の真の姿であった。
肉体を持って顕現するのはこの世界に実体化しその存在をこの世界に繋ぎ止めるため。それは阻止出来たが逆に肉体に閉じ込められる事で限定されていた『神』としての本来の能力はその鎖から解放されてしまった。
神を神たらしめる力。それこそが象徴としての神が纏う、最も恐れるべき『真理』の力であった。
彼我の距離はおよそ500メートル。位置取りは銀翼のおかげで完璧だった。
だがミュリッタはここに来て、自分が一つ致命的な見落としをしていた事に気が付いてしまった。
『なぜ?! なぜ冥界の門が開いている!?』
それはかつて太古の昔、水の大精霊、いや大天使ノアルとの戦いで封じられたと伝えられていた。ミュリッタもそれを前提で邪神との戦いに挑んでいた。
だがミュリッタは知らなかった。ガルドーが自らの力で遂に新たな冥府魔道を開いた事を。そしてガルドーが滅びた事で邪神がそれを我が物とした事を。それがここに来てミュリッタの計画に致命的なエラーを発生させたのだった。
『完全に想定外だった・・・奴はまだ死と恐怖の源を失っていない!』
邪神が真の姿を現したことで露わになった事実。それはミュリッタがたどり着いた邪神打倒の計画の根幹を揺るがす大問題だった。
ミュリッタの顔が見る見る青ざめていった。
「ミュリッタ! 大丈夫かい?!」
どっしりとした温もりに満ちた声が聞こえた。気が付けばフォルセリアがミュリッタの後ろに寄り添うように立っていた。ミュリッタは彼女に涙声で答えた。
「大丈夫じゃない・・・冥界が・・・冥界の門がひらいちゃってるの。これじゃ邪神を倒せない・・・絶望させられないのよ!!」
「なんだって!? それでその冥界の門は大きいのかい?!」
「ううん・・・まだごく小さいものよ。でも大小の問題じゃないの。少しでも死と恐怖の可能性が残されてしまったら奴の存在を消し去る事が出来ないのよ・・・」
「そうか・・・ミュリッタ?」
「・・・・・。」
「そいつは私に任せな。命に代えても私がその門は潰してみせるさ。」
「無理だよ・・・どこかの邪法師が呼び出したものなら魔法でなんとでも出来たの。でもあれはもう邪神に取り込まれてその一部になっちゃってる。魂と同化してるのよ・・・人間がどうこう出来るわけがないのよ!! それこそ大天使様でもなければ・・・」
「おいおい、私を誰だと思っているんだい? これでも世界で最も信仰を集める神様に愛されたオンナなんだぞ?」
「・・・・・別に女である必要はなかったと思うけど。」
「はっはっはっ!!! まあそうなんだけどさ!! 私にだって出来る事があるって事さ!」
そう言うとフォルセリアはミュリッタの肩を叩いて横を通り過ぎていった。
「ちょっとここだと遠いねぇ・・・もう少し前に出させてもらうよ。まあ、見ててごらん!」
まるで恐れも見せずフォルセリアは大槌を肩に担いで、のしのしと邪神に向かって進み始めた。
そしてミュリッタは一縷の望みを託してその背中を見送る事しか出来なかったのである。
フォルセリアは歩み続けた。
その顔にもう笑顔は微塵も残っていなかった。
本当はフォルセリアは神から自分に与えられた力が疎ましかった。多くの者の意思を歪め、多くの命を死へと向かわせてしまった。
そんな力が真実だと言われて素直に喜べるほど彼女は人でなしではなかった。それが拒絶感となって自らの体を責め苛む苦痛を与えた。
いや、だからこそ真実の神は彼女に力を託したのだろう。力は所詮力でしかない。強きものが弱き者を無理やりねじ伏せ従わせる。それを喜ぶような魂に神の恩寵など与えられるものか。神はそんなフォルセリアの揺るがぬ信念をこそ愛し、その力を与えたのだ。
『全てはこの日のため・・・私の全てを懸ける事ができるあの子の為!』
フォルセリアは今日、初めて神が与えてくれたその力に感謝した。
「ちょっと・・・どこまで進む気なの?!!」ミュリッタが悲鳴を上げた。
フォルセリアはすでに邪神までの距離の半分を進んでいた。なのに立ち止まる気配は全くなかった。
邪神の周りでうごめいていた異形達がフォルセリアの存在に気付くと一斉に彼女目がけて動き出す。
その異形達からは今までの邪霊とは比べ物にならないほどの圧を感じる。ただの肉片とあなどる事など出来ない邪気と殺意に満ちた姿形もバラバラな化け物達であった。
足の速い異形の一匹が瞬く間にフォルセリアに辿り着き、襲い掛かる。それを大槌の一閃で粉砕するとフォルセリアは更に前へと進む。その先には異形の大群が迫っていた。
「誰か!! 誰かフォルセリアを助けて!!!」
ミュリッタの泣き叫ぶ声が響くと彼女はフォルセリアの後を追って走り出していた。
ミュリッタの頭上に巨大な光球が現れた。それはあの赤竜亭に押し寄せた死霊の群体を一掃した光の魔法であった。だが今の位置ではフォルセリアが邪魔になってその先の異形共を上手く攻撃出来ない。ミュリッタは攻撃出来る位置を求めて走り出していた。
地を蹴り空へと舞い上がる。だがまだ角度が足りない。そうしている内にも異形の集団がフォルセリアに襲いかかっていた。
その時、空気を切り裂く雷鳴と共に天空から雷の雨が降り注ぎ、フォルセリアに押し寄せた異形の第二波の大半を吹き飛ばした。完璧なタイミングによる絶妙な支援。それは邪神本体の肉体が消失した事により攻撃方針を速やかに変更した銀翼の見事なアシストだった。
そしてミュリッタの眼下では彼女の悲鳴を聞いた伯爵をはじめとする討伐隊の全軍が、雄たけびを上げながら異形の集団に向かって突撃を開始していた。
だが、その先にはまだ数えきれない程の異形の大群が迫っていた。ミュリッタがその大群に向けて光球を叩き込む。
乱戦が始まった。
行く手を異形に遮られ応戦せざるを得なくなったフォルセリアの元に伯爵が駆け付けた。
「援護します! フォルセリア様!!」
「様付け禁止だよっ! 伯爵!!」
「じゃあ私の事もレイナと呼んでください!」
「オーケー、レイナっ!! 邪神の野郎に一発かましに行くよ!!」
「望むところっ!!」
気合を入れた二人の前に立ちふさがる異形が次々と上空からの攻撃で吹き飛ぶ。銀翼も道を切り開くように上空から二人の援護を開始していた。
「あれもいい男だねぇ!! どうだい婿に取らないかい!?」
「まあまあですけど、まだ足りませんねっ!!」
道が開けたのを見て二人が一気に前へ出る。邪神までの距離はあと100メートルほどに迫っていた。
ミュリッタはそんな彼女達を後方の少し離れた場所の空中から見守っていた。
今いる場所は戦線の最後尾。ティモや他の魔術師達を守るように赤竜亭の冒険者達が左右に展開し、側面から回り込んできた異形と相対していた。
前方で戦っている者達と比べると一見地味な様に見えるかもしれないが、彼らの背後を守る重要なポジションである。敵の数が多いのでなるべく近接戦闘は避け、前衛が挑発して引き寄せた異形をミュリッタや他の魔術師が仕留めるという方法で戦果を拡大していた。
『そもそも乱戦なんて完全に予定外だったのに・・・』
元はといえばミュリッタの目算違いでこうなったのだ。文句が言える立場ではないがまさかフォルセリアが敵のど真ん中に突っ込んでいくとは予定外もいいところだった。
『お願い。死なないで!!』
フォルセリアを失うかもしれないと考えた時の震えがまだ治まっていなかった。今、フォルセリアは間違いなくゼロ距離からの邪神への一撃を狙っている。例え成功したとしても次の瞬間には反撃で命を落としても不思議は無かった。
しかしミュリッタは断じてそのような結果は受け入れるつもりはない。
「しばらく雑魚は任せるわよ!!」
ミュリッタは近くで魔術を使っていたアマシスにそう告げると精神を集中し、逆転の一手に向けた準備を開始した。
伯爵の闘気術が邪神との間に立ちふさがる異形の群れを切り裂く。それに畳みかけるように銀翼の精霊術が炸裂し、フォルセリアと邪神の間の邪魔者が消えた。
「勝機!!!」
フォルセリアと伯爵は同時に叫ぶと全速力でその空白地帯を駆け抜ける。
その時間、わずか10秒ほど。伯爵が露払いで先行し、尚も行く手を阻もうとする異形を切り伏せフォルセリアがその後ろに続く。50メートルを走り抜けると完全に異形の姿が消えた。
顕わになるその姿。地面に広がった漆黒の闇から20メートルほど頭をもたげた巨大な上半身のような影。その虚ろな目のようなものは確実に近づいてくるフォルセリア達を捉えていた。
そして、その頭部に黒紫色の稲妻のような光が現れる。そして光は急速に力を増していく。
だが、フォルセリアは迷うことなくそのまま邪神へと突撃する。
彼女の体が金色の光を帯びた。膨大な神力がフォルセリアの中へと流れ込む。
今までのフォルセリアならば間違いなく絶命したであろうとてつもない神力。だがフォルセリアはその全てを拒絶する事なく受け止めた。
神力によって全てが跳ね上がった身体能力。その脚力でフォルセリアは一気に邪神の顔面の高さにまで跳躍する。その振りかざした大槌が邪神の顔面を捉える方が、邪神の攻撃が放たれるよりわずかだけ早かった。
「消えろ!! 冥界の門!!!」
フォルセリアの全力の真言が金色の閃光となって炸裂した。
「ティモ!! フォルセリア達以外を守って!!」
ミュリッタがそう叫ぶとその姿が掻き消える。
次の瞬間、邪神の頭部からフォルセリアに向けて凄まじい力の暗黒光線が放たれる。
それは目の前のフォルセリアを貫いた・・・かに見えた。
だがそこには彼女の姿は無く、金色に輝く大槌だけが邪神の頭部に突き刺さっていた。
空を切った光線はその先にいた討伐軍をを薙ぎ払う。しかしそれもティモの姿をした何者かが展開した金色の結界によって消滅させられたのだった。
「伯爵!! 入って!!」
邪神の足元でミュリッタの声が聞こえた。次の瞬間伯爵の姿もかき消すように消える。
しばらくするとフォルセリアと伯爵が先ほどまでミュリッタがいた後方の陣の中に放り出された。
ミュリッタはフォルセリアと伯爵に付けたマーカーを使って隠形術を発動し、邪神の攻撃が放たれる寸前にフォルセリアを回収したのだった。
大きなフォルセリアの体にちっこいミュリッタの体がぶら下がっていた。
ボロボロと涙をこぼし泣きわめきながら両足で蹴りをいれていた。
「バカ! バカ!! バカバカ!!! バカぁあっっ!!!!!」
そんなミュリッタをフォルセリアはしっかり抱きしめた。
「心配させてごめんよ・・・本当に。」
そんなミュリッタが泣き止むまでには暫くかかったのであった。
その背後では実体のないはずの頭部に突き刺さった大槌から、金色の亀裂が拡がっていた。
そして邪神の絶叫と共にその頭の半分は崩れ落ちたのだった。
聖人フォルセリア全力の真言によって、こうして冥界の門は完全に閉ざされたのある。




