第五十八節 : レタリス川の攻防
第五十八節 : レタリス川の攻防
ミュリッタはアルテュストネとやりあいながらも既に腹をくくっていた。
エナンの力がどうなるかは最早発動してみるまで分からない。一体どういうからくりでエナンの力をアルテが引き出す事が出来たのかは分からないが、今のエナンがミュリッタや赤竜亭の皆まで滅ぼすような力を使う事など考えられない・・・そう思うことにした。
魔力もいずれ限界が来る。ここはひとまず力をセーブして時間を稼ぐか、と考えながら周辺の状況を確認する。
カエルラ方向へと向かった邪霊共は、伯爵とフォルセリアが率いる討伐隊との交戦に入っていた。
さすがにあれだけの人数を揃えれば邪霊がそれを無視できる訳もなく、ある意味思惑通りに全ての邪霊は大挙して彼らに襲い掛かる事となっていた。
大丈夫・・・十分な守護の魔法をかけたし、何よりあそこにはティモがいる。いざとなれば大天使様の力を使ってでも彼らを守ってくれるだろう。エナンを救いたい気持ちは大天使テス様とて同じなのだから。
何も問題はない、すべては想定通りだ。
これでエナンからの援護が決定的な打撃を与える事になれば状況は一気に好転する。
何が起こるかはまだ分からないが、恐らく想定されていた最悪の状況を封じる一手になる事はほぼ間違いない。そうなればミュリッタの奥の手を使える状況が整う事になる。
神託の成就まで手が届くところに来た。ミュリッタの心にそんな安堵の気持ちが芽生えた時だった。
背筋に一瞬悪寒が走った。
反射的に体が動いて急速離脱していた。次の瞬間、ミュリッタが今いた場所を禍々しい暗黒の闇が衝撃波となって切り裂いていた。
完全にかわし切れずミュリッタが展開していた防御結界が砕け散る。攻撃の余波を受けてミュリッタの小さな体が弾き飛ばされ宙を舞った。
眼下のレタリス川の川底では、先ほどまでミュリッタを無視していた邪神が凄まじい殺気を込めてミュリッタを凝視していた。
元来、感情を象徴とする神は人間などの感情の動きに鋭敏である。
だから邪神は不安や焦燥に満ちたミュリッタの心が突然希望と安堵に満たされた事を察知していた。
死と恐怖の象徴たる邪神を前にしてそのような感情を抱く存在、それは邪神にとって看過できぬ冒涜である。そして弱者が勝利を確信するかのような自信をみせた事で邪神は何かの策を弄した事を嗅ぎ付け、本腰を入れて潰しに出たのだった。
三たび邪神が咆哮を上げる。そして体勢を崩したミュリッタを、再び容赦なくその鉤爪から放たれた暗黒の衝撃波が襲った。
だが窮地に陥った事で一気にミュリッタもギアが上がった。先ほどまでとは比べ物にならない魔力がその体からほとばしり、その体が銀色のオーラに包まれる。
「よくも・・・やってくれたわね!!」ミュリッタの怒声が響き渡る。そしてその両手の拳に白銀の光を放つ光球が現れた。
「同じ攻撃、二度も食らうと思ってんのか!! ボケがあっ!!!」
そう絶叫するとミュリッタは両の拳で襲い来る暗黒の衝撃波を打ち砕いたのだった。
反射的に肉体を突き動かす本能ともいえる衝動。無意識下で実行されるその攻防一体の自己保存欲求に魔力を融合させ、普段は無意識に掛けられているリミットすら超えて自分の身を守る。それがミュリッタの編み出した『肉体言語魔法』だった。
ネーミングセンスはともかく、この状態になったミュリッタは平時とは比べ物にならない程の出力を発揮する。だがそれは激しく消耗していくという事と表裏一体であった。
暫しの間、ミュリッタと邪神の攻防は一進一退の均衡を保つ。
だがこの勝負、ミュリッタには勝ち目のない戦いだった。
『もう少し・・・もう少しだけ耐えれば!!』
肩で息をしながら必死に魔力を絞り出すミュリッタ。エナンの助けが来る事だけが今や心の支えになりつつあった。そして邪神はそんなミュリッタの心の内を見透かしたように絶え間ない攻撃でミュリッタを追い詰めていったのであった。
ミュリッタの動きが怪しくなってきた。邪神がすかさずとどめと言わんばかりの斬撃を二連発すると同時に邪神の体の一部と化した邪霊が一斉に襲い掛かる。
絶対絶命の危機が訪れたその時だった。
淡い、だが暖かい陽光のような光にうっすらとミュリッタの体が包まれた。
今もあのテラスの上でエナンは祈り続けていた。
『ミュリッタちゃんを助けられますように、彼女を守れますように。』
神に祈るのではなく、何かにすがるでもなく、両手で彼女からもらったペンダントを握りしめてただただ願い続ける。
『守れ、守れ、守れ、守れ・・・ミュリッタを守るんだ!!』
その手の中でペンダントは金色の輝きを放ちはじめていた。
祈りとともに膨大な力がペンダントへと流れ込み、それはミュリッタへのパスを通じて彼女の元へと向かっていた。
何が起こったのか考える間もなく、邪神の攻撃がミュリッタを直撃する。
だがそれはミュリッタの体に届く寸前で彼女を包む光に触れると力を失い閃光をあげながら粉々に砕け散る。無色透明の結晶の砂粒が、奔流となって煌めきながらミュリッタの上を流れていった。
それは大天使テスとは少し違う、全てを焼き尽くし世界を浄化する炎の女神の力の片鱗であった。だがミュリッタはその光に包まれながらも何の恐怖も感じる事はなかった。
それは陽光のような温もりをもった優しい炎だった。
「これ・・・エナン、だよね?」
何が起こったのかを悟ったミュリッタの目から涙があふれていた。
ミュリッタの変貌を悟った邪神が動揺した。
邪神は今、自らの体の一部が浄化され、わずかではあるがその魂すら消し飛ばされた事を感じていた。そんな真似が出来るのは神と同等の存在だけのはずであった。
邪神は初めて、その羽虫のような小さな存在を脅威と感じたのだった。
邪神の体内で膨大なエネルギーが収束し始める。ついに本気を出したのだ。今まではただ弄り恐怖を味あわせるための遊戯でしかなかった。だが今度は違う。
脆弱な魂、取るに足りぬ力。すべてが足元にも及ばぬ存在でありながら神に盾突く不埒者。だが、たとえ神性の加護を受けようとも力の差の前には屈するしかないのだ。すべてを上回る一撃をもって邪神はこの邪魔者を消滅させると決めた。それは死と恐怖の象徴たる神の意志。決して逃れる事の出来ぬ死の因果となってミュリッタの命を奪うはずだった。
強大な殺意と冥界の力が渦となって放たれた。竜巻のような漆黒の激流がミュリッタに向けて襲い掛かる。その時、誰かの声が聞こえた。
「放て。世界を汚せし者共に、世界の怒りの鉄槌を!!」
けっして大きな声ではなかった。むしろ囁くようなその言霊はそれでも風の精霊達に運ばれてミュリッタの耳にもはっきりと聞こえたのだった。
次の瞬間、巨大な雷の柱が天より降り注いだ。
それは雷と呼ぶにはあまりにも巨大過ぎる、直径数十メートルはあろうかという光の柱だった。
それは邪神の放ったすべてを粉砕し、水中にいた邪神本体をも貫く。すると邪神が咆哮ではなく、苦痛に苛まれた悲鳴のような絶叫を上げた。
その雷を放ち邪神の神力と因果すら打ち砕いてミュリッタの危機を救ったのは天翔ける白き翼、銀翼であった。
グリフォンが滑るように空中を舞いながらミュリッタのもとに駆け付ける。そして空中でよろめいていたミュリッタを抱き上げると銀翼は急上昇して邪神との距離をとった。
「ミュリッタ様、ご無事ですか?!」
その銀翼の問いにミュリッタはいつもの調子で応じる。
「ありがとう、助かったわ。あと、その気持ち悪い呼び方やめてくれない?」その反応に思わず銀翼が吹き出す。
「あはは・・・変わりないみたいだね、ミュリッタ君。まさか邪神と正面から殴り合っているとはおもわなかったよ。」
「何が正面からよ!! あのタコは水中に潜ったきりで一方的に攻撃してくんのよ?! こっちは動きを読まれて距離を取ることもままならなかったって言うのに。」
いまのところ邪神は銀翼の攻撃で相当のダメージを受けたのか沈黙している。水中の敵に対して雷の攻撃が相性が良かったという事もあるのだろうが、その威力は凄まじいものだった。
「それにしても・・・とんでもない攻撃ね。正直今の私じゃあそこまでの攻撃は出来なかったわ。」
「私の力ではありませんよ。この世界に宿る精霊たちの総意なればこそ、あそこまでの力を束ねられたのです。恐ろしくも清きレタリス川を冥界の暗黒に汚されて黙っているほど彼らは寛容ではありませんからね。」
銀翼は天を見上げた。
「それに世界中から精霊達の力を分けてもらうのにも限界があります。本当は畳みかけたいところなのですが、今一度力を収束するまでには暫く時間がかかりそうです。」
いつの間にか現れた巨大な雷雲が稲妻をまといながら頭上で渦を巻いていた。
「ところで・・・もう大丈夫だから降ろしてちょうだい!」
体を包んでいた光は見えなくなったがエナンの力はまだミュリッタを守護していた。体力と魔力が急激に回復していくのを感じている。
だが、その要望を銀翼は爽やかな笑顔で拒絶した。
「もう少し休んでいたほうがいい。まだこれからなんだろう?」
腕の中でじたばたするミュリッタをやんわりと制圧しながら銀翼は上昇をやめて邪神の様子を観察した。
「それで、次は何を狙っているんだい?」
その質問にミュリッタは暫し沈黙し、そして答えた。
「もうすぐエナンからの支援攻撃が発動するわ。それが上手くいけば一気に決着を付ける。」
それを聞いて銀翼は少し驚いた顔をした。
「エナン君が攻撃に参加するのかい? それは予想外だったな。」
そういう銀翼の顔には何か楽しそうな、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
「ガルドーを倒した事といい、邪神への攻撃といい、一体彼は何者なんだい?」
そういいながらも銀翼はさして驚いた様子も見せない。恐らくエナンから何かを感じてはいたのだろう。
だが、それに対するミュリッタの答えは一つだった。
「エナンはエナンよ。それ以外の何者でもないわ。」
「ところで、あっちの方はもういいの?」
ミュリッタは大量に向かった邪霊の事に話題をすり替える。
銀翼はうなずくと微妙な顔をした。
「ミュリッタ君の加護があったからね。あの程度の邪霊ならすぐに決着がついたよ。討ち漏らしそうなものはすべて聖女様が一網打尽にしてしまったしね。」
ミュリッタがその表情の意味を測りかねていると銀翼は続けた。
「本当に、フォルセリア様といいあの聖女様といい、君の連れはとんでもない人ばかりだね。一瞬、あの聖女様が本気を出したら邪神など太刀打ちできないのではと思ってしまったよ。」
「・・・・・!!」
そうか、銀翼はティモの中にいる彼の存在の気配に気付いたのか。
それも当然かもしれない。彼は精霊の友なのだ。精霊達がかつて自分達の王であった存在の気配に気付いたとしても不思議は無かった。
だが、大天使テスは彼らにその存在を明かす事はしなかった。世界の行く末を託した者として、彼らが大天使様を頼りとしてしまう事は彼女にとって望む姿ではない。
もし彼女が邪神を倒してしまえば、人々は世界の危機に立ち向かう事をやめてただお祈りをするだけの存在になってしまうだろう。そんな世界になんの未来があるというのか。
本当は彼女が一番苦しかろう。手を差し伸べる事も出来ず死んでいく子供達をただ見守るしか出来ないという事がどれほど彼女の心を責め苛むことか。ミュリッタは女神フィニスが世界を無に帰そうとした気持ちが少しだけ理解できたような気がしたのだった。
「私の連れって・・・逆でしょ? 私はフォルセリアのおまけみたいなものよ。」
銀翼は確信が欲しいのかもしれない。でもそれに応えるべきではないのだろう。ミュリッタは少し匂わす程度で勘弁してもらう事にした。
「あと、ティモの奴は断じて聖女なんかじゃないからね!! あんなの、ただ修道服を着てるだけのエセ神官だから!」
・・・ひねくれ過ぎたリドルが炸裂する。これで真実に辿りつけるのは完璧イケメンの銀翼くらいだったであろう。
その時、ミュリッタの思念にアルテュストネからの連絡が入った。
「ミュリッタさん、無事ですか? もうすぐそちらに届きます。」
「はぁ・・・ようやくなのね。私はエナンに助けてもらったおかげで何とか生きてるわ。」
「ええ、見えてますわよ。この浮気者。」
「ち・・・ちょっ!! すぐ降りるからエナンに言うんじゃないわよ!?」
「言いませんよそんなこと。どんだけ嫌な女扱いすれば気が済むんですか。」
「・・・ごめん、反省する。」
「はいはい、そんな事言ってるうちにもう届きますよ、あと30秒!」
声ではなく魔力で直接コンタクトを取る。音声で発するよりそちらのほうが遥かに会話が早いからである。ミュリッタは瞬時にアルテとのコンタクトを終えて状況を銀翼に伝える。
「銀翼! 今連絡が来たわ。あと30秒で発動する!! ここから離れて!」
「了解だ!」
「川底からの攻撃になるわ。おそらく真上に吹き飛ばされるはず! 射線から離れて頂戴!」
ミュリッタの指示を聞いた銀翼が邪神の上空から距離を取った。さらに高度を上げ斜め上から邪神の様子をうかがえる位置に移動する。
「10・9・8・7・6・5・4・3!! 2!! 1!! ゼロ!!!」
レタリス川の川面の一点が沸騰したように沸き立ち、鈍い衝撃音が響いた。そして一瞬の空白の後、邪神を中心とした直径50メートル程の巨大な光の柱が天に向かって伸びあがる。
この一撃に込められた祈りは強大な魂と魔力を伴いエナンの願いを世界に顕現させたのだった。
その光の柱は聖霊陣のような強固な防御結界であった。エナンの願いは、まず最初に周囲を巻き込まないための強力な防壁を周囲に張り巡らせた。
だが、いくら強固な結界であったとしても閉鎖された空間の中で力が発動すればそのエネルギーは逃げ場を失い、最後には結界もろともに大爆発を引き起こす。だからその結界は力を逃がす為に天に向かう方向のみ開かれていた。結界はその力の逃げ口を安全な所まで遠ざけるために雲を貫くほどの高さまで上空へと伸びていったのだった。
その有り様はエナンの魂に刻まれた記憶や知識によって形作られる。エナンのイメージから生まれたのは、言うなれば巨大な煙突であった。
その力が発動した時、邪神の意識は天空に陣取る二人の脅威に釘付けとなっていた。
この世界からの手痛い一撃をくらった邪神は新たに出現した銀翼こそが最大の脅威と信じて疑わなかった。だから全ての力と殺意を天へと向けて身構えていた。
だがその時、真の脅威は密やかに、邪神の真下の地中から迫って来ていた。
こうして邪神は完全に無防備となった尻(があるかどうかは知らないが)に岩をも溶かす灼熱の掘削機を突き刺される羽目になったのである。邪神からしてみればまさに卑怯千万な不意打ちであった。
どこかで青い髪の少女が大笑いしている声が聞こえてきた・・・気がした。
光の柱が生まれると同時にその最下部、鍛冶師の炉に火が入る。邪神が張り付いたまま全く動こうとしなかったレタリス川の川底が真っ赤に輝きだした。
思わず邪神が川底からその体を浮かせた。するとその隙間に流れこんできた水が一瞬で蒸気と化して水蒸気爆発を起こす。それは邪神の体をさらに上へと押し上げ、そこへさらに流れ込む水も新たな蒸気に変えると力をさらに強めていく。
邪神が吹き飛ばされまいと川底へとしがみつく。目に見えぬ不可視の力で川底に体を繋ぎとめて必死で水蒸気の爆風に抵抗する。
その周りをすさまじい勢いで水蒸気と熱が流れていった。そしてついにそれに耐えきれず、巨大な鉤爪の付いた片腕がその体から引きちぎられた。
邪神を川底に繋ぎとめていた力が弱まり、邪神はついに川底から引き剝がされると上空へ向かって物凄い勢いで吹き飛ばされていったのだった。




