第16話 「美容祝福って聖女様しかできなかったんじゃなかったんですか?」
「うーん……」
エレオノーラの従妹ソフィアの治療を終えて部屋に戻ったリリアは、壁にかかった鏡をじっと見つめていた。
「何か考え込んでいるようだが、どうした?」
椅子に腰かけたアレクシスが声をかけてくる。
「さっきふと思いついたことがあって……試してみたいのですが、どうなるか分からなくて」
そう言いながらリリアは鏡の前に立ち、自分の顔をまじまじと眺めた。
「《老化症》にかかっていない人に【時間逆行】を使ったら、どうなるのかと思って」
部屋の隅で控えていたミレイユが視線を向けてくる。
「【時間逆行】は、容姿を元の年齢に戻す力ですよね。でも《老化症》にかかっていない人を視た時も、文字盤が黒色になっていないんです。つまり……巻き戻せる余地がある、ということになるのかしら、と思って」
「若くなれる余地があるということか……?」
アレクシスが思案するように呟いた。
「自分で試してみても良いですか?」
リリアの言葉に、アレクシスが無言で傍に寄り添い、頷く。リリアは目を閉じて精神を集中させた。
裏ステータス【時間逆行】を起動するイメージを脳裏に組み立てる。視界に時計の文字盤が浮かび上がり、針が動き出そうとした瞬間――白い盤面がすぐに黒色に変わり、ぴたりと止まった。
ふわりと視界が歪み、リリアがよろめくと、アレクシスが素早く支えた。
「大丈夫か?」
(……これは)
リリアは自分の掌を見つめた。以前よりも肌が滑らかになっている気がする。頬に手を当てると、触感が違う。張りと瑞々しさがあって、なんだか少し幼くなったような。
「リリア、顔が……」
アレクシスが目を見開いた。リリアは鏡へと歩み寄り、自分の姿を凝視する。
確かに、変わっていた。昨日より肌が艶やかで、目の下の隈もない。年齢が若返っているわけではなく、肌や髪が純粋に美しくなっているようだった。驚くより先に、不思議とこれが本来の自分の顔なのかもしれないという気がした。
「美容効果があることは間違いないな」
アレクシスが低く唸った。
「太陽の光や乾燥、過剰な皮脂によって老化は加速されると聞いたことがある。つまり……それがリリアの本来の外見なのだろう」
「なるほど……つまり《老化症》の治療だけじゃなく、普通の人には美容効果もある、ということになるのかしら」
その独り言が耳に入った瞬間。
「お、奥様! わ、私にもやっていただけませんかっ!?」
ミレイユが身を乗り出して懇願してきた。アレクシスが咎めるように視線を向けるが、ミレイユはリリアをしっかりと見つめて離さない。
リリアは困ったようにアレクシスを見た。
「体調は大丈夫なのか?」
「はい。《老化症》ほどの負担はないようです。針がほとんど動かなかったせいかもしれません」
ミレイユの熱意に根負けしたリリアは、おそるおそる【時間逆行】を使ってみた。
「うわぁ……本当に肌が綺麗になっています……。もう四十歳近いというのに、まるで二十代みたいで……夢のようです!」
ミレイユは両手で自分の頬を包みながら感慨深げに呟いた。その姿にリリアは思わず微笑ましくなった。
ふと視線を感じて扉の方を向くと、ティーセットを運んできたメイドが目を輝かせてこちらを見ていた。扉が開いたままになっており、廊下には使用人たちがずらりと並んでいた。
「お願いですっ! 私も若返らせてください!」
「えっ」
王宮付きのメイドたちが殺到し、互いに押し合いながらリリアの手に縋りついてくる。
「わ、ちょっと待って……!」
「どうかお願いします! 昔の顔を取り戻させてください!」
「私も、私も……!」
「皆、落ち着け! 私はアレクシス・ヴァルディア・ローデンヴァルト、王弟であるぞ!」
アレクシスが制止に入った。しかしメイドたちは一斉に振り返り、鋭い目を向ける。
「公爵様は男性だからお分かりにならないんですよ!」
「肌が荒れたり皺が増えていく恐怖を知らないくせに!」
「そもそも奥様を独占しないでください!」
「……い、今、王弟だと言ったのだが」
「今は奥様のご亭主ですわ!」
たじたじになったアレクシスが助けを求めるようにリリアを見た。リリアは相手が王弟だということを忘れていないだろうか、と心の中で思いながらも、笑いを噛み殺した。
(皆、必死なのね……)
王宮の侍女として働く女性たちは皆若く美しい。貴族の子女が婚家を探すために行儀見習いとして務めていることも多く、自分を少しでも輝かせることに必死なのは当然かもしれない。
「分かりました。順番にやりましょう」
リリアがそう言うと、侍女たちが歓声を上げた。
こうして王宮のメイドたちに次々と【時間逆行】を施していく。ひとりひとりが喜びに顔を輝かせる様子を見て、リリアも自然と笑顔になった。
アレクシスは口元に苦笑を浮かべながら眺めていた。
「全く……君の魅力でメイドたちが暴走するのではないかと心配だよ」
リリアも苦笑しながらも、皆が喜ぶ姿が嬉しかった。
最後の一人が部屋を出ると、リリアは大きく息をついて背もたれに身を預けた。
「さすがに疲れました……」
ミレイユがお茶を淹れて、静かに差し出した。
「お疲れさまです」
「ありがとう」
紅茶の香りが疲れた体に染み渡る。アレクシスが笑いながら傍に来た。
「まさか【時間逆行】にこんな使い方があるとは思わなかった」
「私も驚きました」
「しかしこんなに喜ばれるとはな」
「今頃は王宮中に広まっているでしょうね」
ミレイユがくすりと笑う。
「でも良かったのではないですか? これで奥様は『若返りの聖女』として名を馳せますわ」
「やめてちょうだい……目立ちたくないのに」
リリアが肩を落とすと、アレクシスがリリアの肩に手を置いた。
「リリア、君はもっと自信を持っていい。君がどれほど価値のある存在か、私はよく知っているから」
リリアは頬をわずかに赤らめながら頷いた。
◆
リリアの噂は、あっという間に王都の貴族社会へと広まった。「若返りの聖女」という言葉が街角の噂話にも登場するようになる。
「どうしましょう……」
王城の一室で、リリアは頭を抱えていた。
若返りを求める貴族たちが続々と押し寄せるようになった。アレクシスが断ってくれているのだが、今は手洗いで席を外している。その隙を狙ったように、侍女たちがリリアの周りに集まっていた。
「もう一度お願いします! きっともっと若返れるはずです!」
「ちょっと、あなただけ何を言っているの! 私だって……!」
「私もです!」
(きりがないわ……)
今の年齢以上に若返らせることは断っているのだが、それでも次から次へと要求が来る。本当に力が必要な人を優先させたいのに、とリリアは思う。
視線を泳がせていると、廊下の壁際に立つ若い侍女の左手が目に入った。手首から甲にかけて、包帯が巻かれている。
(もしかして……【時間逆行】は怪我にも使えるのかしら?)
そうだとしたら、途方もない力ということになるのだが――。
「止めろ、お前たち。少し目を離した隙に」
アレクシスが戻ってきて、リリアと侍女たちの間に割って入った。
「リリアに迷惑をかけないように」
「も、申し訳ありません!」
貴婦人たちがすごすごと退いていく。アレクシスはリリアの手を取った。
「大丈夫か?」
「ありがとうございます」
リリアは複雑な笑みを浮かべながら、卓の上に積み上がった手紙の山へと目を向けた。一番上には、見覚えのある家紋の封蝋がある。生家であるハイデルシュタイン伯爵家のものだった。
若返りの力を持つリリアの噂を聞きつけて、連絡を取ろうとしてきたのだろう。おそらく継母や義妹が美容のために【時間逆行】を要求してくるに違いない。最初の一通を流し見した後は、封を開けることすらしていなかった。
借金を返済するためにリリアを利用しておいて、また利用価値が出てきたら近寄ってくる。あまりにも都合が良すぎる。
けれど――かつてのリリアならば、この手紙を前にして、怖くて震えていたかもしれない。今は、ただ疲れを覚えるだけだった。それだけ、変わったのだ。
「リリア」
アレクシスがリリアの手を握り、心配そうに眉を寄せた。
「あまり悩まなくていい。誰の要望も全て叶えることはできないのだから」
「……そうですね」
リリアは小さく息をついて、微笑んだ。
「ありがとうございます、アレクシス様」
「あと……」
アレクシスが少し間を置いてから、穏やかに言った。
「今日、君は本当に頑張った。もっと褒められて良いよ」
その言葉に、リリアの胸がじんわりと温かくなった。
「……アレクシス様」
名前を呼んだ声が少し震えたのに自分でも気づいて、リリアは下を向いた。そのままでいると、アレクシスの指がリリアの顎に添えられ、そっと顔を上げさせた。
「ちゃんと私を見てくれ」
見つめ合った瞬間、静かに唇が触れた。今日のアレクシスは、いつもより少し長く、そのままでいた。
(こんなことで、こんなにドキドキしてしまうなんて……)
自分の反応が恥ずかしくて、それでもアレクシスの優しさがたまらなく嬉しかった。




