第14話 国王の治療
王宮内は多くの侍女や使用人が行き来しており、広大な城内は迷路のように入り組んでいた。
案内役の王太子レオンハルトに従いながら長い廊下を進み、国王レオニスと王妃エレオノーラの待つ部屋へと向かう。
一行が辿り着くと、侍従が立派な樫の扉をノックした。
「陛下、王太子レオンハルト様と、王弟アレクシス様。ならびに公爵夫人リリア様がいらっしゃっております」
「ああ……入ってくれ」
返答があり扉が開かれると、天蓋ベッドに腰かけた男性と、その傍らに寄り添うように座る上品なドレス姿の女性がいた。
(あの方が、国王レオニス・アウレリウス・ヴァルディエール陛下……)
《老化症》のために六十代を超えて見えるが、実年齢は四十二歳のはずだ。彫りの深い端正な顔立ちだが、今は病によって頬がこけ、顔色は青白い。目元には深い隈があり、衰弱が全身に滲んでいた。色褪せた淡い金の髪は短く切り揃えられ、こめかみには白髪が混じっている。瞳は金色がかった琥珀色で、どこか憂いを帯びた静かな光をたたえていた。
アレクシスと同じく長身だが、かつて豊かだったであろう肩幅の名残を残しつつも、全体的に細い。
傍らの王妃エレオノーラは国王と同じくらいの年の頃だろうか。淡い金の髪を低い位置でシニヨンにまとめ、薄紫がかった青灰色の瞳が凛とした気品を醸している。
アレクシスはレオニスのそばに進み、膝をついて礼をした。慌ててリリアも彼に倣い、カーテシーをする。
「久しぶりだな、アレクシス。それに公爵夫人。よく来てくれた」
「ご無沙汰しております、兄上」
「ベッドに座ったままで済まない」
「ご体調が優れないのですから、どうかお気になさらず」
「……ありがとう。それにしても、お前は随分と変わったな。まるで別人ではないか。これはまやかしか? 私と同じ――いや、私以上の老人だったはずだが」
レオニスがアレクシスを凝視しながら言った。
「いいえ、兄上……これが本来の私の顔です」
「ほう。なぜ今になって若返ったのだ? 《老化症》は不治の病のはずなのに」
その時、王妃エレオノーラが音を立てて扇を開き、アレクシスを鋭く睨みつけた。
「陛下に《老化症》を移しておきながら、よくも王宮にお戻りになれましたわね。その厚顔さには恐れ入ります」
エレオノーラの言葉に、アレクシスの肩が一瞬だけ震えた。その表情に、苦悶の色が滲む。
(アレク様……)
リリアは心配になり、静かに彼の肩に手を置いた。
ヴァルディエール王国の国王と王弟が半年前に相次いで《老化症》を発症したことは、王国全土を揺るがした。しかし実際には、王弟であるアレクシスの方が早く症状が出ていた。そのため人々は、アレクシスが国王に病を移したのだと噂した。アレクシスはその誤解を否定せず、黙って受け入れた。
(……だから、アレク様はおひとりで公爵領へ戻られたのね)
立派に国を支えてきたというのに。その冷淡な扱いがどれほど彼を傷つけたことかと思うと、胸が痛んだ。
《老化症》は伝染しない。けれど、同じ時期にそばにいた者が同じ病を患えば、人々は伝染性だと思い込む。恐怖は、人に偏狭な確信をもたらす。
リリアは黙っていられなかった。
「王妃様、それは誤解です。《老化症》は感染する病ではありません」
事実、リリアはずっとアレクシスのそばにいたのに、一切の症状が出ていない。正しい情報を探せば、同様の事例はいくらでも見つかるはずだ。
「王妃様、この世界には誤った情報がたくさんあります。ですが正しい知識を広める努力をすれば、《老化症》への認識は必ず変わるはずです」
「なにを――」
王妃エレオノーラが反論しようとした時、静かな声が遮った。
「良い。エレオノーラ、下がれ」
国王レオニスだった。王妃は言葉を呑み込み、扇を音もなく閉じた。表情には何かを堪えるような翳りがあった。
「……陛下。ですが」
「お前が私への愛情からそう言っているのは分かる。しかしアレクシスに非はない。前にも伝えただろう。……それに、アレクシスは私を治癒できる者を連れてきてくれたのだ」
老いてもなお鋭い琥珀色の瞳が、リリアをまっすぐに射抜いた。
「リリア殿、だったな。我が弟が若返った経緯を聞かせてもらえるか」
「……実は、私には特殊な能力があります。アレク様が【真理看破】のスキルで見つけてくださいました。聖女セレスティナ様のような祝福の力とは異なりますが、私は対象者の時間を戻すことができます」
「時間、を……」
国王レオニスが息を呑んで呟いた。王妃エレオノーラも口元に手を当て、目を見開く。レオンハルトは「まさか」と呟いたまま絶句していた。
「それは神の領域ではないか。そのようなことが、本当に可能なのか」
「はい。ただ私への負担もありますので、一度に完全に元通りにすることはできません。時間をかければ、完治は可能だと思います」
「……つまり、私の《老化症》も治るのだな?」
「おそらく可能かと」
リリアが頷くと、国王レオニスは大きく息を吸い込んだ。そしてリリアをまっすぐに見つめ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……私に、その力を使ってくれないか」
切実な声だった。リリアはゆっくりと息を整え、覚悟を決めた。
(アレク様の時よりも、長い年月を抱えていらっしゃる。楽ではないはずだ。でも——)
「……お任せください。できる限りのことをいたします」
リリアは椅子に腰かけ、レオニスの右手を両手でしっかりと包み込んだ。乾いた皺深い肌は冷たかった。レオニスが目を閉じ、力を抜く。
「……リリア」
深い心配と感謝が入り混じった眼差しで、アレクシスは一歩引いた。しかし背にそっと片腕を添え、支えるように寄り添う。
「無理はするな。私はここにいる」
「ありがとうございます」
(裏ステータス――【時間逆行】)
心の中でそう唱えた瞬間、リリアの手から淡い青白い光が漏れ出し、レオニスの腕を包み込んだ。微かな音とともに光の粒子が室内に漂う。
視界に、巨大な時計の文字盤が浮かび上がる。長針と短針がものすごい速さで逆回転していく。
(過去へ、戻れ――)
「……っ」
途端に全身に倦怠感が押し寄せた。アレクシスの治療の時とは比べものにならない重さだった。視界がチカチカと明滅し、額にじわりと汗が滲む。蓄積した年月の重みを、そのまま引き受けているような感覚だった。
(辛い……)
それでも歯を食いしばって耐えた。
「リリア……!」
アレクシスが覗き込んだ。リリアはおもむろに目を開け、微笑む。
「大丈夫です……続けます」
レオニスも目を開いた。憔悴した表情は変わらないが、何かを感じ取ったように、リリアをじっと見つめていた。
「……確かに、体が軽くなってきた気がする」
彼が手をわずかに握り返す。その動作にも、少しずつ力が戻り始めているのが分かった。
――どれくらい時間が経っただろうか。
「……陛下?」
控えていた王妃エレオノーラが、驚きの声を上げた。最初は不信感を露わにしていた彼女が、目に見えて変化する夫の姿に気づいたのだ。レオニスの顔色が徐々に紅潮し、乾いていた肌に潤いが戻り始めていた。白髪交じりの金の髪にも、艶が蘇りつつある。
「なんと……」
レオニス自身も驚愕の表情で、指先で自分の頬に触れた。
「これは……」
手渡された手鏡を覗き込み、目を見開く。声も、枯れていた喉から放たれるものが、低くも張りのあるものへと変わりつつあった。
「まだ途中です。あと少し――」
しかし次の瞬間、強烈な眩暈が頭を直撃した。足元が崩れる感覚に体が傾きかけた時――。
「リリア!」
アレクシスが素早く支えた。逞しい腕が、リリアをしっかりと受け止める。
「大丈夫か? もう限界だろう」
「でも、まだ……」
「無理をするな。今日はここまでだ」
アレクシスの厳しい眼差しに押されるように、レオニスもゆっくりと頷いた。
「十分だ。……ありがとう、リリア殿。我が弟を救ってくれたことへの礼も、改めて伝えよう」
その声はもう、明らかに若々しくなっていた。顔つきも、半年前――いや、もっと以前の面影を取り戻しつつあるように見えた。
「たった一度で、これほどの変化が……」
レオンハルトが信じられない面持ちで父を見つめた。
「奇跡ではない。リリアの努力の結果だ」
アレクシスがリリアの肩を抱きながら答えた。
リリアはアレクシスの腕の中で、深く息を吸った。疲労は極限に達していたが、心のどこかに温かなものが広がっていた。
(アレク様の時のように……必ず、治して差し上げる)
瞼を閉じながら、リリアはそう心に誓った。




