第12話 王家からの招待状
「国王である兄上から呼び出しがあった。私とリリアを招待したいらしい」
執務室にて、アレクシスは真剣な顔つきでリリアにそう告げた。
「やはり、国王陛下の治療のためでしょうか?」
「おそらく、そうだろう。ここ一か月で私が急速に回復したことが王都まで知れ渡ってしまったようだ」
アレクシスは深く溜め息をついた。執務机の上には王城からの正式な招待状が置かれている。
「そうですか……」
リリアは静かに言葉を反芻した。
レオニス・アウレリウス・ヴァルディエール国王は御年四十二歳。二十八歳のアレクシスとは年の離れた異母兄弟だ。かつては「獅子王」と称えられた美丈夫だったが、今は《老化症》を患い、第一線から退いていると聞く。現在、実質的に国を動かしているのは王太子のレオンハルトのはずだった。
アレクシスが心配そうにリリアを見た。
「私は兄を治してやりたい……そんな気持ちがある。だが敬愛する兄のためであっても、君に負担を強いることになるのは心苦しい。……リリアはどうしたい?」
リリアは迷わずに頷いた。心はとっくに決まっていた。
「私に陛下をお助けできるか分かりませんが……精一杯、頑張ります」
アレクシスはほっとしたように微笑んだ。しかしその笑顔の奥には、拭いきれない不安の色も見えた。
「ありがとう。リリアは本当に優しいな……兄上のために、すまない」
「いいえ。国王陛下でいらっしゃるということもありますが……何よりアレク様のご家族ですから。苦しんでいらっしゃるなら、見捨てることなどできません」
リリアが素直な気持ちを口にすると、アレクシスは慈しむような眼差しで彼女を見つめた。
「だが……もし君が陛下の症状を改善したら、神殿はあらゆる手を使ってでもリリアを手に入れようとするかもしれない。兄上も、君を聖女セレスティナ以上の存在と見做すだろう。そうなれば神殿の権威が揺らぐ」
「ええ……ですが、神の使徒たる神官たちが、私に危害を加えるとは思えません」
あこぎな奉納金を集め、聖女を酷使する神殿ではあっても、公爵の妻であるリリアに露骨な危害を加えるような暴挙には出ないだろう。王宮内でならばなおさらだと、リリアは思っていたのだが――。
「甘い。神殿は君を逃がさないだろう。汚い手だって使ってくる。神殿はこれまでも、あらゆる手を使いながら国の中枢に近づいてきたのだから」
アレクシスは強い口調で言った。その意味深な言い方に、リリアは目を丸くする。宰相だった彼は、王宮で何か異変を感じていたのだろうか。
「だから護衛を増やし、対策を取ろうと思っている。公爵邸の警備は以前より強化しているが、君を守るためにはさらに万全の体制を整えたい」
「護衛を……それは心強いですが、ご負担ではありませんか?」
公爵家には相応の騎士団がいるが、大人数を王都へ連れて行けば、王家に叛意を疑われかねない。リリアはそれを心配した。
「君の安全が最優先だ。人数は考えるが、手練れの騎士たちを警護につける」
「ありがとうございます……あまりご無理なさらないでくださいね」
リリアの気遣いに、アレクシスはふっと笑った。その笑みは、いつもより少し柔らかかった。
「リリアのためなら多少の無茶は平気だよ。それに私はもう老人でも病人でもない。十分に動けるから、安心して任せてくれ」
「……はい」
頼もしい言葉に、リリアは自然と微笑んでいた。
「それに、できるだけ私のそばを離れないでくれ。どんな時もだ」
「はい、そういたします」
リリアは神妙に頷いた。やむなく離れる場合は必ず護衛をつけ、侍女たちと共に行動することを約束する。
(王都は人が多すぎて、公爵邸とは警護の難易度が違うはず……王宮ともなれば、アレクシス様以外の貴族たちとも関わることになる。用心しなければ)
話が一段落した後、しばらくの沈黙が部屋に落ちた。暖炉の薪がぱちりと鳴り、炎が揺れる。アレクシスがじっとリリアを見つめていた。その青い瞳に、珍しく不安の色が揺れている。
「……リリア、私は君を誰かに任せるのが不安なんだ」
「アレク様……」
「私は君がいないと生きていけないから」
「そ、そんな……お戯れを」
リリアは顔に熱が上るのを感じた。最近のアレクシスは、時折こんな言葉を使う。愛情をにじませた言葉を、あまりにも自然に。寡黙だったかつての彼とは、すっかり別人のようだった。
「本当だよ。君に出会うまでは、生きる希望が持てなかった。でもリリアが私を変えてくれた。君がいるから、私は今を生きていられる」
静かに、しかし揺るぎなく、アレクシスはそう言った。
その言葉がじわりと胸に染みこんでくるのを感じながら、リリアはやっと口を開いた。
「私も……同じです。アレク様がいなければ、ここまで自分に自信を持てませんでした」
彼のおかげで生きる希望を見つけたのは、リリアも同じだった。
アレクシスがそっとリリアの手を握った。大きくて温かい手だ。
「ようやく、若返ったこの手で君に触れることができる」
愛しそうに囁くその声に、リリアの胸がどきりと高鳴った。
自然と視線が引き寄せられ、ふたりは見つめ合った。アレクシスの顔が、ゆっくりと近づいてくる。息の仕方を忘れた、と思った瞬間、リリアは静かに目を閉じた。
柔らかな唇が、そっと触れた。
しっとりとした温もりに、頭の中が真っ白になる。
(どうしよう……)
「リリア……好きだよ」
耳元に落とされた声に、全身が熱くなった。アレクシスの腕が、気づけば肩に回っていて、柔らかく抱き寄せられる。
「わ、私も……お慕いしております」
彼の胸に頭を預けたままそう返した後、リリアはおそるおそる顔を上げた。アレクシスの表情が目に入ってくる。想像よりずっと柔らかく、ひどく嬉しそうな顔だった。その顔を見た瞬間、胸が締まるような感覚があった。
「ずっとそばにいてくれ、リリア」
懇願するような口調に、全身の力がふっと抜けていくようだった。そのまま強く抱きしめられて、リリアもおずおずと彼の背中に腕を回した。
彼の胸板に耳を当てていると、速い鼓動が伝わってくる。その体温を感じていると、心の底から満ち足りた気持ちになった。
(ああ……今、私はすごく幸せだわ)
やがてふたりは再び見つめ合い、口付けを交わした。今度は最初よりも、少し長くて深いものだった。
この日から、これまで分けていた寝室を、ともに過ごすようになった。




