第10話 デート
屋敷の外に出ると、陽光が眩しいほど降り注いでいた。空は晴れ渡り、冷風も凪いでいる。久しぶりの外出に、リリアの心は自然と弾んだ。
アレクシスの手を借りて馬車に乗り込み、街の商業区域へと向かう。公爵邸は閑静な場所に建てられているため、人々の喧騒が珍しく、どこか新鮮に感じられた。
「今日は外出にちょうど良い気候ですね」
「そうだな。雪でなくて良かったよ」
アレクシスが笑いながら同意した。
「その外套……よく似合っているよ」
そう言ってアレクシスが微笑んだ。
「あっ、ありがとうございます……」
語尾が自然に小さくなってしまう。
(軍服姿で微笑まれると、いつも以上に破壊力があるわ……)
「そのコートは北方にのみ生息する白銀狐の毛皮で仕立てさせた。雪のように淡く輝く毛並みは、王家に献上されるほどの希少品だ。……きみが来ると分かった時に、注文させた」
「そんな貴重なものを、私に……?」
恐れ多くて、リリアはおそるおそる白い毛並みにそっと触れた。
アレクシスはふっと苦笑する。
「きみは私の妻なのだから、当然だ」
その言葉に、どきりとした。形だけではなく、本当に妻として扱ってもらえている。その実感が、体の奥からじわじわと温かいものを押し上げてきた。
落ち着かなくなって、リリアは窓の外へ目を向けた。
「わあ……すごい賑わいですね」
「ここは市街地の中心だからな。昼間は特に活気がある」
馬車の窓から見える景色には、沢山の人々が行き交い、様々な店が軒を連ねていた。露天商も多く、色鮮やかな果物や手織りの布地が所狭しと並んでいる。焼きたてのパンの甘い香りが馬車の中まで漂い、鍛冶師が鉄を打つ乾いた音が遠くから届いた。
馬車を降りると、アレクシスとともに石畳の道をゆっくりと歩いた。
「リリア、人が多い。離れないよう気をつけて」
「わかりました」
リリアはそう答えながら、自然とアレクシスのそばに寄り添った。
大通りは馬車の往来が激しく、両脇には色とりどりの旗が翻り、露天商たちの威勢の良い声が飛び交っている。
「迷子にならないよう、私の腕にしっかりつかまっていなさい」
「は、はい。ありがとうございます」
子ども扱いされているようで少し不服だったが、リリアは言われた通りにアレクシスの腕に手を絡ませた。
道行く人々の服装や顔つき、店先に並ぶ品物、飛び交う声――何もかもが新鮮で目移りしてしまう。
「王都に比べたら見劣りするかもしれないが、なかなか面白いだろう?」
アレクシスが笑ってそう言った。
「いいえ、とても楽しいです」
「そうか。それは良かった」
アレクシスも笑みを深める。
(私ってろくに街を歩いたことがないのよね)
社交界デビューも果たせず、舞踏会にも参加したことがない。伯爵家では継母に居場所を奪われ続け、外に出ることもほとんどなかった。けれど――あの家族がアレクシスとの縁談を持ち込んでくれたおかげで、こうして人並みの幸せを見つけることができた。
(アレク様のおかげで、今の私がある)
アレクシスがいたからこそ、リリアは自分に自信を持てるようになった。目に映るものすべてが眩しい。
ふいに、前を歩く女性たちの会話が耳に入ってきた。
「ねえ、知ってる? 公爵様が若返られたんですって! 噂で聞いたのよ」
「ええ!? あの、《老化症》を患っていらした公爵様が……!?」
「そうなのよ。治ったって聞いたわ」
「まさか。それって聖女様のおかげ?」
(……っ)
リリアは思わず聞き耳を立てた。女性たちはまさか噂の当人が背後を歩いているとは気づいていないのだろう。
隣のアレクシスが、わざとらしい大きな咳払いをした。女性たちがはっとして振り返る。
「え……えっ!?」
「長い銀髪……その麗しいご尊顔……もしかして、公爵様ですか!?」
「本当に若返っていらっしゃる……!」
領主の顔は庶民にも知られていたようだ。
「ごきげんよう、ご婦人方」
アレクシスがにっこりと笑みを浮かべた。女性たちが真っ赤な顔で見惚れたように立ちすくむ。
「間違った噂が広まるのは困りものだ。私を治療してくれたのは、この女性だよ。リリア・エルフェンハイン・ローデンヴァルト……私の大切な妻だ」
(た、大切な妻って……)
ドキリと胸が跳ねる。
(い、いや。《老化症》を治しているからそう言ってくれているだけよ)
「まあ! そうなのですか?」
「ええ。私の命を救ってくれた恩人だ」
アレクシスは当たり前のようにそう言って、リリアを愛おしげに見つめた。
(そんな眼差しで見つめないでください……! 恥ずかしいです……!)
リリアが羞恥で俯いている間に、女性たちの視線がリリアへと移った。
「この方が奥様なのですね。とってもお綺麗……」
「こんなに素敵な奥様がいらっしゃるなんて……」
感嘆の溜め息が漏れた。ミレイユたちが丁寧に支度してくれたおかげだろうと思いながらも、リリアは急に恥ずかしくなった。
アレクシスは領民と分け隔てなく接する領主だとは聞いていたが、これほど距離が近いとは思わなかった。権威主義だったリリアの父とは、まるで違う。
「奥様、どうやって公爵様の《老化症》を治されたんですか?」
女性の問いかけに、アレクシスが口を開いた。
「それはリリアの能力だよ。詳しくは秘密だが」
軽やかな口ぶりだったが、どこか本気が滲んでいた。リリアが視線を向けると、アレクシスがそっと耳打ちしてくる。
「……きみの能力が知れ渡れば、厄介な者に目をつけられるかもしれないからな。できるだけ他言無用にしておいて損はない」
「なるほど、おっしゃる通りですね」
確かに裏ステータス【時間逆行】が広まれば、それを悪用しようとする者が現れるかもしれない。
「本当は君が治してくれたことも公にすべきではないのかもしれない。でも、私が若返ったことを全て神殿や聖女の功績にされてしまうのは本意ではなくてね。私を救ってくれたのはリリア、きみなのだから。誤解されたくない」
アレクシスはそう言って笑った。その笑顔には屈託がなく、心から嬉しいという気持ちが滲んでいる。リリアの胸がいっぱいになった。と同時に、くすぐったいような恥ずかしさが込み上げてきた。
「では奥様が、私たちの公爵様を助けてくださったのですね」
「素晴らしい奥様に巡り会えて、本当に良かったです」
「ああ、本当に。妻に巡り会えたことは、私の人生で一番の幸運だ」
臆面もなくそう言い切るアレクシスに、女性たちが「まあ、なんて素敵なお話!」と顔をほころばせた。
「お二人、本当にお似合いの素敵なカップルですわ!」
リリアはますます俯いてしまった。
「ありがとう。さあ、我々は用があるのでこれで失礼するよ」
アレクシスが颯爽と歩き出す。リリアは慌てて後を追いながら、その後ろ姿を見つめた。
(やっぱり……この人の気遣いには、かなわないわ)
言葉をいつも選んでくれている。相手を喜ばせることをさりげなくできてしまう人だ。そういえばアレクシスのような人が、並みの男性であるはずがなかった。リリアはますます惹かれていく自分を感じた。
「リリア、どうかしたか?」
振り返ったアレクシスに尋ねられて、リリアは微笑んで首を振った。
「いいえ、何でもありません」
並んで歩きながら、リリアは心の中でそっと思った。
(アレク様は、素敵な旦那様だわ)
このままどこまでも歩いていけそうなほど、幸せな気持ちだった。
「そろそろ小腹が空いてきたな。少し休もうか。何が食べたい?」
「そうですね……何でも!」
外で食べるものを自分で選んだことがないリリアには、何が良いのかも分からなかった。
「アフタヌーンティにケーキや焼き菓子はどうだ?」
「ぜひ食べたいです!」
しばらく歩くと目的地に到着した。入口の看板には《シャトレー亭》と品良く記されている。格式高そうな店構えに、リリアは少し背筋を伸ばした。
「ここで休憩しよう」
扉を開けて中に入ると、大理石の床に真紅の絨毯が敷かれ、壁際にはアンティーク調の家具が並ぶ落ち着いた空間が広がっていた。暖かな照明の下、どこかから花の甘い香りがほのかに漂っている。
「いらっしゃいませ。アレクシス様、お待ちしておりました」
支配人が恭しく出迎え、二階の奥の個室へと案内してくれた。窓際の席で、外の大通りを一望できる絶好の場所だった。
「すごい、特別な席ですね!」
「貸し切りにしてあるから、ゆっくりしてくれ」
他の客の姿がないのはそのためか、と納得した。
(デートの演出ができすぎているわ……! い、いや、デートじゃないかもしれないけれど)
「ありがとうございます、アレク様」
「気にしなくていい。ここなら他の目もない。緊張せず自由に過ごしてくれ」
(この人の気遣いには、本当にかなわないわ……)
その優しさに触れるたびに、もっと好きになってしまう。
「リリア、どれが食べたい?」
アレクシスが微笑みながら尋ねた。支配人から手渡されたメニューには、どれも美味しそうなものが並んでいる。
「全部食べたいくらいです……」
「では、いくつか頼もう。分け合えば食べきれるだろう」
「はい!」
アレクシスが支配人を呼んで手際よく注文し、ほどなくして運ばれてきたのは、季節のフルーツを使ったタルト、プリンアラモード、キャラメルとヘーゼルナッツのトルテ、チョコレートムース――繊細で美しい菓子たちだった。
「わあ……! 素敵!」
リリアは目を輝かせた。生まれてこのかた、これほど豪華なスイーツを目にしたことがなかった。
「リリア、食べてみて」
アレクシスがナイフとフォークで取り分けてくれた。
「いただきます」
一口サイズのタルトを口に含むと、濃厚な甘さと程よい酸味が広がった。絶妙なバランスで、いくらでも食べられそうだ。次にチョコレートムースを一口。濃厚なのに驚くほど軽く、舌の上でふわりと溶けていく。
「おいしい……!」
思わず顔がほころぶ。アレクシスを見ると、彼も嬉しそうな顔をしていた。
「君が喜んでくれて良かった」
その表情が本当に嬉しそうで、見ているこちらまで幸せになる。
ケーキを食べ終えて紅茶を一口飲み、リリアはほっと息をついた。
「アレク様、ありがとうございます。本当に美味しかったです!」
「それなら良かった」
微笑むアレクシスの目が、窓からの光を受けて今日は特別に澄んで見えた。胸が高鳴る。
《シャトレー亭》を出ると、公爵家の馬車が目の前に待機していた。
(いつの間に……?)
食事の間、そんなそぶりは一切なかったのに。リリアには全く見当がつかない。
「歩き疲れただろうから、馬車を待たせておいたんだ」
「ご配慮ありがとうございます」
お腹もいっぱいで、ちょうど帰りたい気持ちになっていたところだった。本当に、よく気が付く人だ。
「今日はありがとうございます。また明日、アレク様の治療を頑張りますね!」
「ありがとう。でも無理はしないでくれ。辛くなったら必ず言うんだよ」
「はい!」
リリアは笑顔で返事をした。
(アレク様が完全に元気になったら、またこうして出かけたいな)
そう思うと、自然と笑みが溢れてきた。
◆
――リリアは気づかなかった。
街角の影から、こちらをじっと見つめる視線があったことを。
黒いローブを纏い、ふたりを見つめていたのは、マルクス・アウグスティヌス枢機卿だった。行き交う人々の誰もが彼の存在に気づかず、荷物を担いだ行商人が一人だけ不思議そうに視線を向けたが、次の瞬間にはもう、男の姿はそこになかった。
「公爵が若返っているという噂は……本当だったか」
低く呟いてから、男はゆっくりとその場を立ち去った。
「大司教様にお伝えせねば」
その背中が人混みの中に消えていくのと、リリアたちを乗せた馬車が走り去るのは、ほぼ同時だった。




