第64話
* *
「父上……」
王太子ウルリスは聖堂に安置された棺の前で、膝をついて祈りを捧げていた。辺りには香の匂いが立ちこめており、静謐な雰囲気が漂っている。
(まさか遠征で父上が亡くなるなんて……)
聞くところによると、ガソー公の新当主アングが一騎討ちで銃撃してきたらしい。もちろん一騎討ちの作法に反する行いだ。
歴史上でも類を見ない前代未聞の騙し討ち、完全な暗殺だ。
(アングは父上自ら討ち取ったそうだが、フィオレは何をしていたんだ。いや、そもそも叔父上の軍勢が合流できていれば……)
他責思考がぐるぐると渦巻くが、ウルリスはハッと気づく。
(違う。戦場に不慣れな従弟たちが兵を指揮したのは、私が叔父上の出陣を引き留めたからだ。つまり原因は私自身にある)
背筋を冷たいものが走る。
父の死の遠因を作ったのは、他でもない自分自身なのだ。
しかし今度は必死に自己弁護に走る。
(しょうがないじゃないか。内陸の小国たちが不穏な動きを見せているという情報もあった。叔父上がティゲル城を留守にしてしまえば、何が起きるかわからなかったんだ)
だがその瞬間、亡き父の教えが脳裏をよぎった。
――よいか、ウルリスよ。全ての危険に備えようとするお前の姿勢は正しい。だが実際には全ての危険に備えることはできぬ。暗殺を恐れて全ての民を遠ざけた王は、無人の荒野に暮らし、自らパンを焼くことになろう。
(それは……そうですが! 父上!)
目の前の棺は何も語りかけてはこない。
だがウルリスの心の中にいる父は、生前と同じように力強く語りかけてくる。
――何に備え、どのような危険を冒すか。それを判断するのが王であり、その結果を受け入れるのもまた王である。
(じゃあ父上は、御自身が戦死したことも受け入れるっていうんですか……そんなのやだよ……私はもっと、父上から教えを請いたかったのに)
棺にすがりついて泣きたい気持ちを、ウルリスはぐっと押さえつける。自分は王太子なのだ。
(泣いている場合ではない。私が王位を継がねば。父上の直系たる男子は私一人だ。私が王になるしかない)
微かに手が震える。それを反対側の手でギュッと握り込み、震えを押し隠す。
ゆっくり立ち上がると、ウルリスは父の棺に深々と一礼した。
「父上の無念、この私が必ずや晴らして御覧に入れましょう」
(本心がどうあれ、今はこう言うべきだ。それが王太子というものだ)
ウルリスは力強くうなずき、棺に背を向けて歩き出す。
「遠征は未だ継続中である。ただちに即位の準備をせよ」
* *
「姫、廊下を走ってはいけません」
「ええい、やかましいわ! 今回は正真正銘の非常事態であろう! 兄上!」
ドアを蹴破りそうな勢いで開け放ち、姫が会議室に飛び込んでいく。
しょうがないので俺も後に続いた。
王城の会議室では、今まさにウルリス即位の手続きについて議論が交わされているところだった。廷臣たちだけでなく法学者や高位の神官も出席していた。
上座に座っているのはもちろん、ウルリス王太子だ。
……なんか印象変わったな? どこがどうとはうまく言えないけど。
「フィオレか、無事に戻ってきてくれて嬉しいぞ」
微笑む王太子。でも目があんまり嬉しそうじゃない。
姫は大股で歩み寄る。
「兄上、即位はなりませぬ! 自らの死を隠せとの父上の遺言、兄上もお聞きになっておられるはずです!」
「ああ、聞いたよ。だが王位が空白では国政に支障が生じるのだ。だから私が王位を継ぐ」
確かにそれはひとつの手だろう。これからどうするかは残された者たちで考えるべきだ。王太子の言葉には一理ある。
だが俺や姫は王の遺言通り、まだ崩御を公表しない方がいいと考えている。
「父上の最期のお言いつけを、兄上は無視なさるのですか!?」
「それは……いや、情に訴えても無駄だ。王の崩御があれば、王太子が王位を継ぐ。それが筋だ」
あくまでも正論を貫くつもりか。
姫は机を叩く。
「父上の遺言は、あの場にいた家臣たちも聞いております! 父上直参の近衛騎士たちですぞ! 兄上が父上の遺言に背けば、彼らの忠誠は得られませぬ!」
王の近衛騎士たちは百戦錬磨のベテランたちで、日本風に言えば馬廻り衆だ。絶対の信頼が置ける武のエキスパートたちであり、これからのサイダル攻略には欠かせない存在だった。
ウルリスが無言なので、姫はさらに詰め寄る。
「私は戦場の空気を吸い、命のやり取りをしてきました! だからこそわかるのです! 父上の死を公表すれば、遠征軍の将兵たちやユナトに服属したサイダルの領主たちが動揺します! もう少し待つべきです!」
しかしウルリスは冷たく返す。
「戦場にいなかったことを責められているようで気分が悪い。私は父上の命で留守を預かっていたのだ。妹とはいえ、王太子に対して不敬であろう」
「今はそういう話をしているのではありませぬぞ!」
なんか感情的になってこじれてきちゃったな。これはちょっと厄介だ。
姫もちょっとむきになってきている。
「そもそも兄上が叔父上の参陣を認めなかったのが原因ではありませんか! 叔父上が兵を率いていれば進軍を止めることもなく、父上が殿軍を務める必要もなかったのに!」
「父上の最も近くにいたお前が、父上の死を私のせいにするのか」
うーん、良くない流れだ。
なんかわからんけど見えない誰かが俺の背中をつついているような気もするので、俺は仕方なく前に進み出る。
やればいいんでしょう、やれば。
「姫、王太子殿下の仰る通りです。言葉を慎みましょう」
「お前は兄上の肩を持つのか?」
「そうではありません。しかし兄妹でこんな言い争いをしているところは、陛下にお見せできないなと」
「むう……」
姫が沈黙したので、俺は王太子に話しかける。
「畏れながら申し上げます、王太子殿下」
「なんだ、エンド卿よ」
「国王陛下が御自身の死を隠蔽するように言い残された理由は、殿下も察しておいでのはずです」
王太子は答えない。
だがその苛立ったような険しい視線が、千の言葉よりも雄弁に物語っていた。
ウルリスが即位するよりも、諸外国にはオルバ存命と思わせておいた方が有利なのだ。
なぜならウルリスじゃ全然怖くないから。
さすがにそこまで言うのは非礼すぎるので避けたが、それでも会議室の空気がざわっと一変する。
出席者の何人かが怒りの表情を浮かべた。
「エンド卿、口を慎め!」
「臣下の分をわきまえよ!」
「平民上がりの紋章官が無礼であろう!」
「口先だけの臆病者が何を言うか!」
この反応を見る限り、この場にいる全員が察しているようだ。話が早くて助かる。
もう少し無礼を働いてみるかと考えたとき、姫が前に進み出た。
だけど妙だな。いつもと違って物静かだぞ。
「今、私の紋章官を侮辱した者は誰か」
驚くほど優しい口調で、姫が微笑む。
「この満身創痍の男を見るがよい。この者はな、退却戦で敵に囲まれ自害しようとした私を生かしてくれたのだ。鎧も着ずにたった一人で敵勢と切り結び、瀕死の重傷を負いながらも私を守ってくれた。王室の恩人であり、まことの忠臣である」
そして腰の魔剣ウィルベルニルの柄に手を置いた。
「その忠臣を臆病者と愚弄した以上、おぬしらは同じことができるのであろうな? できぬと申すのなら、口先だけの臆病者はおぬしらの方だ」
口調は穏やかだが、隠しきれないほどの怒りと殺意が渦巻いていた。冗談抜きで抜剣しかねない。
さっきまでやいやい言っていた連中が一瞬で黙り込み、気圧されたようにうつむいてしまう。
場の空気が完全に凍り付いてしまったので、今度は俺が割って入る。
「姫、それぐらいで良いでしょう。今は揉めている場合ではありません」
「おぬしが余計なことを言うからだぞ」
あ、いつもの姫だ。よかったよかった。
だがウルリス王太子は相変わらず険しい視線を俺に向けている。
「お前たちがどう言おうが私は即位する。王太子の義務を放棄はできぬ」
「王太子の義務を持ち出されるのなら、この国の安寧を第一に考えるべきではありませんか。今は陛下の御遺言に従うべきです」
前から思っていたことだが、ウルリスには姫やオルバ王のようなカリスマ性がない。優秀で責任感も強くて非の打ち所がないのだが、人々を魅了するような存在感は乏しいのだ。
だから今この局面で即位させるのはまずい。
「ウルリス殿下はオルバ陛下とは異なった魅力を持っておいでです。勇み足が過ぎては、殿下の魅力を損なう結果となりましょう」
「私の師にでもなったつもりか」
少なくとも君よりは人生経験長いからね……。いろんな失敗を見てきたから、君の危うさも多少はわかるつもりだ。
けど困ったな。こういうタイプは言えば言うほど頑なになっちゃうんだよな。
「申し訳ありません。ですが周囲の声に耳を傾けるのも王者の務めではありませんか?」
「差し出がましいぞ」
ダメだ、完全に態度を硬化させちゃった。話の持っていき方を間違えた。紋章官なのに交渉下手だな、俺。
しょうがないので俺は決裂覚悟で本音を言う。
「今のユナトに必要なのは、オルバ陛下のような力強い指導者です。安定と堅実が持ち味のウルリス殿下は、戦乱終結後に求められます。まだウルリス殿下の出番ではないので、陛下は自分の威光を頼れと仰ったのですよ」
ド直球の無礼を言っちゃった。でもみんなが同じことを思っているはずだ。
当然、王太子は俺を睨みつける。
「随分と吠えたな、エンド卿」
「吠えるだけではありませんよ。ちゃんと噛みます」
ニヤリと笑ってみせた瞬間、背後から姫に尻をペチンと叩かれる。
「痛いんですが」
「おぬしは引っ込んでおれ。これは王室の問題である」
姫は溜息をつき、それからくるりと背を向けた。
「だが私も意見は同じだ。帰るぞ」
「よろしいのですか?」
「構わぬ。話し合うだけ時間の無駄だ」
そして姫は振り返り、肩越しに兄に微笑みかける。
「実力でわからせてやる」
その微笑みはゾッとするほど美しかった。




