第62話
敵のクロスボウ兵たちはたぶん、戦闘が終わった後で騎士たちの亡骸から鎧や武器を奪うつもりだ。生き残った軍馬がいれば大金になる。
だから彼らは前進をやめないし、このまま前進を続ければ必ず見つかる。森の中とはいえ、さすがに馬体が目立ちすぎる。
俺は前世でろくすっぽ戦ったことがない。剣道は習ったが、あくまでも試合でしか戦っていない。
今世でも争い事を避け続けてきた。
だがもう避けられない。
目の前にクロスボウ兵がヌッと現れた瞬間、俺はいきなり斬りかかった。
「ぐわっ!?」
完全な奇襲が決まった。敵はクロスボウを担いでいて完全に無防備だったので、俺の剣が敵兵の首筋を切り裂く。
だがやはり、所詮は道場剣法。
頸動脈をバッサリやって倒すつもりだったのだが、どうやら浅かったようだ。致命傷には至らなかったらしい。
「なっ、なんだてめえ!?」
声を聞く限り元気そうだ。元気で何よりだと言いたいところだが、死んでもらわないと困るんだよ。剣道部の部活じゃ頸動脈を斬る練習なんてしないからな。
だがもう殺し合いになった以上、ぐだぐだ言ってもしょうがない。
「ふん!」
可愛らしい声が聞こえたかと思うと、クロスボウ兵の口からゴボリと血が溢れてきた。
「何をやっておる、ジュナン」
魔剣ウィルベルニルで刺突を繰り出したまま、姫が呆れた顔で俺を見ていた。
肉厚の刀身をクロスボウ兵の鳩尾から心臓へと突き上げると、クロスボウ兵がガクリと膝を折る。何の恨みもないが殺してしまった。すまん。
「お見事です」
姫は血まみれの刀身を引き抜くと、ヒュッと振って鮮血を払う。
「おぬしが下手なだけであろう。剣の振り方ではなく、敵の殺し方を学ばぬか」
「すみませんね」
二人がかりの先制攻撃で雑兵を何とか倒したが、おかげで敵には気づかれてしまった。
「敵か!?」
「敵がいるぞ!?」
「どこだ!?」
当初の予定では茂みに身を隠しながら一人ずつ倒す予定だったのだが、紋章官にそんな芸当ができる訳もなかった。でもしょうがない。
今ここで姫を守れるのは世界でたった一人、俺だけだ。
「あそこに馬がいるぞ!」
「とりあえず撃っちまえ!」
バンッという弦の鳴る音がして、クロスボウの太矢が放たれる。木々と茂みが邪魔をしてくれるおかげで当たる気はしないが、生きた心地がしない。
馬を殺されると脱出の手段が失われる。こうなったらやれるだけ戦うしかない。
「姫、隠れていてください」
「馬鹿を言え、戦場で王族が逃げ隠れできるか」
姫は血まみれの魔剣ウィルベルニルを構えて戦う気まんまんだが、俺は首を横に振る。
「御身が十四歳の女の子だということを忘れないでください。あいつら、何をするかわかりませんよ。少なくとも捕虜にはなれないでしょう」
農民兵は貴族を捕虜にしない。捕虜交換の身代金を受け取るのは貴族や士分だ。
だから殺して鎧を剥ぎ取る。
もし鎧の中身が十四歳の可憐な少女だったらどうするか。容易に想像がついたが、それを口に出すのはさすがに憚られた。
「太矢がもったいねえ、囲んでぶっ殺せ!」
「馬は俺のもんだからな!」
「馬鹿言え、早いもん勝ちよ!」
予想通りの反応だ。姫を見つけたら本当に何をするかわからないぞ。
俺は剣を握る手に力をこめる。
例え弱くても、俺が戦うんだ。
「うおりゃああ!」
さっきの一撃とは違う、渾身の一撃。
最初に駆け込んできたクロスボウ兵の頭を叩き割る。儀礼用とはいえ貴族御用達の剣、さすがに切れ味がいい。
「がっ!?」
額を割られてのけぞったところに袈裟切りの一太刀。返り血を浴びるが今はそれどころじゃない。まだ二人目だ。
「はあっ、はあっ……」
人を斬るってこんなに疲れるのか。やっぱり文官の俺には荷が重いよ。おまけに血と臓物の臭いが酷い。吐き気がする。
「そんな有様で大丈夫か?」
姫が剣を握ったまま心配そうに尋ねてくるが、俺も大丈夫なのか不安に思っているところだ。
だけどここはこう言うしかないだろ。
「大丈夫ですよ、姫。少なくとも姫よりは強いですから」
「強がっておる場合か」
そう。二人斬った時点で、俺たちの居場所は完全に見つかっていた。
「おう、いたいた」
「鎧を着てねえのが一人いるな。召使いか何かか?」
「あっちのは随分と立派な鎧を着てるが、えらくちっこいな?」
「どっかの若君と従者ってとこだろ」
だいたい合ってるよ。性別以外は。
「ま、若君にゃ用はねえ。死体にすりゃ余計なことも言わんしな」
「それより撃つなよ。馬に当たっちまうと大損だ」
「違いねえ」
農民兵たちはクロスボウをその場に置き、一斉に剣やナイフを抜いた。
「じゃ、早い者勝ちってことで」
「おう」
罪の意識など全くなさそうな様子で、農民兵たちが襲いかかってくる。
「させるかよ!」
最初の一人が不用意に仕掛けてきたので、短剣の切っ先を払って喉を突いた。正面から来てくれると剣道の技が使いやすい。
「ぐぶぅっ!?」
喉を突いたら、思ったよりも深く剣が刺さってしまった。嫌な感触が手に伝わってくる。竹刀とはまるで違う。
だが刺さったままでは剣を使えないので、俺は強引に剣を引き抜く。
「ごぼっ! がはぁっ!」
喉を貫かれても即死とはいかないようで、その場で悶え苦しむ農民兵。酷いことをしてしまったという罪悪感はあるが、ここで戦意喪失したら俺も同じ目に遭わされる。
「次は誰だ!? 来い!」
「ちいっ!」
左右から同時に二人襲ってきた。
まともに受ければどちらかは防ぎ損ねるから、俺は思いきって右側の兵士を横薙ぎに斬る。抜き胴だ。
「ぐっ!?」
踏み込みが浅かったか。キルトの布鎧が思ったよりも頑丈で、肉まで斬れていない。
片方を倒して一対一に持ち込むつもりだったが、このままだと二対一のままだ。負けてしまう。
「ジュナン!」
姫がとっさに剣を振り回し、敵兵を牽制する。二対二の睨み合いだ。
だが姫の声で農民兵たちの反応が変わった。
「おい待て、ありゃ女か!?」
「ガキの声だぜ」
「ガキでも何でも構わねえ。女は女だ」
「こりゃ話が変わってきたな」
うわ、良くない流れだ。急に空気が濁ってきた気がする。
農民兵たちは俺を指差し、完全に馬鹿にした口調でこう言った。
「おい、そこのあんちゃん。そのガキを置いて失せな。鎧も着てねえし、命だけは助けてやるぜ」
俺を馬鹿にするなよ。後ろにいるのが誰であろうと、十四歳の女の子をこんな奴らに引き渡すはずがないだろう。
「悪いが俺の忠誠は飾りじゃないんだ。それにお前ら、背中を見せたら撃つ気だろ」
農民兵たちは目配せし、軽く舌打ちする。
「ちっ、察しのいいヤツは面倒でいけねえ。さっさと死にな」
今度は数人まとめて襲いかかってきた。さすがにこれは無理だ。
無理だけどやるしかない。
「うおああああっ!」
こうなったら剣の技量なんか大した意味はない。無我夢中で剣を振り回し、敵の剣を弾き飛ばす。
「ジュナンよ、助太刀するぞ!」
姫が甲冑姿で割り込んできて、その頑丈な装甲で幾太刀も防いでくれた。さすがに王族用の甲冑だけあって防御力が高い。だが刃が通らないだけで、鎧の下は痣だらけになっているはずだ。
「なんだこいつ、チビのくせにやたらと固えぞ!」
「おい、甲冑に傷をつけるな!」
受けきれなかった太刀筋が俺の肩や腕に激痛を走らせるが、俺の腕はまだ胴体にくっついている。まだやれる。
「その子に触れるな!」
叫びながら思いっきり剣を振り下ろすと、びっくりしたことにクロスボウ兵が肩から真っ二つになった。
「ひぎゃあああっ!」
即死して崩れ落ちる兵士を見て、他の兵士たちが慌てて間合いを取る。
「な、なんだこいつ!?」
「気をつけろ、こりゃ相当な達人だ!」
俺が剣の達人でも何でもないことは、俺が一番よく知っている。
だが今の俺は命懸けだ。
そしてあいつらは命を懸ける気は全くない。
その差が命のやり取りで決定的な差になる。
負ける気がしない。
「面倒だな、こいつ結構強いぞ」
「もう撃っちまうか」
「そうだなあ……」
向こうは多数の上に飛び道具まで持っているので、戦いの主導権はこちらにはない。
クロスボウの太矢を剣で防ぐのは無理だ。弓と違って弦を引くのに手間がかかるが、素人でも威力を出せる。
だが農民兵の一人が鼻先で笑いながら俺の剣を指差した。
「心配するな、あいつの剣はもう使えねえぜ。見ろよ、曲がっちまってる」
え? あっ、本当だ!?
さっき力任せに敵を斬ったとき、肉に挟まれた刀身が変な方向にねじれたらしい。刀身が横にたわんでいる。これじゃもう使い物にならない。
そういえばこの剣、鉄が軟らかすぎるとカナティエが言っていたっけ。こんなことになるんだ。
「よっしゃ、殺すか」
「あの小娘もなんかムカつくから殺そうぜ。捕まえても暴れそうだ」
「なあに、足の指を全部切り落とせばおとなしくなるさ。それで無理なら手の指全部だ」
農民兵たちが物騒な会話をしながら、剣を構えてにじり寄ってくる。本気で言っているのがタチが悪い。
傷だらけの甲冑をまとった姫が、震える声で俺にそっと言う。
「ジュナンよ、もうよい。私は自害する」
「今ちょっと忙しいので、冗談なら後で聞きます」
「冗談ではないぞ。私が自害したらおぬしは逃げよ」
「お断りです。絶対に死なせません」
戦争がなくても人間はあっさり死ぬ。命を落とすのは弱い者たちだ。子供だって例外ではない。弱肉強食、適者生存。それが乱世だ。
でもそれがまかり通るのなら、俺たちは獣と変わらない。何のために文明や社会を築いてきたんだ?
「よい、よいと言うに……。そこまで忠義を尽くさずとも誰も責めはせぬ」
「忠義の問題でもありませんし、誰かに責められるのを恐れている訳でもありません」
「では何なのだ」
俺は敵を睨みつけていたが、一瞬だけ姫の方を見て笑う。
「子供を守るのは大人の役目です」
「誰が子供だっ!」
甲冑の籠手で思いっきり殴られた。普通に痛いんだが!?
文句のひとつも言おうと思ったとき、敵が一斉に襲いかかってきた。
「ジュナン!?」
「姫!」
俺は曲がった剣をメチャクチャに振り回し、なんとか敵を追い払おうとする。
だが敵は俺より姫の方に執着していて、姫は地面に引きずり倒されてしまう。完全武装をしていても子供だ。
「おい脱がせ脱がせ」
「先に始末しちまえ」
「いや殺すな」
「まずは顔を拝もうぜ」
組み伏せられた姫を見た瞬間、俺の中で何かがプツンと音を立てて切れた。
「俺の姫に!! 触るな!!」
曲がった剣を大上段から叩きつけると、農民兵の肩から斜めにめり込んだ。刃は心臓まで達し、そして完全に抜けなくなる。
「くそっ!」
絶命した農民兵を蹴り飛ばし、落ちていた剣を拾ったところで他の敵が俺に殺到してきた。あちこちに激痛が走る。致命傷を避けるので精一杯だ。
あと何秒持ちこたえられるか。
そのとき、森の木々を揺らすほどの名乗りが轟いた。
「カナティエ・シドール推参!」
聞き覚えのある声だと思った瞬間、雑兵どもが木の葉のようにまとめて吹き飛ぶ。
「なっ、なんだあっ!?」
「うわああっ!?」
騎乗したカナティエが槍で横薙ぎに払うと、誰かの腕とか首とかが景気よくポンポン飛んでいく。草でも刈ってるみたいだ。
馬の筋力を槍に乗せているのは何となく理解できたが、それにしてもとんでもない威力だ。一馬力は伊達じゃない。
「姫様、御無事ですか!?」
「うむ! しかし間一髪であったな!」
「『烈風』の動きがおかしかったのですぐに駆けつけたのですが、途中のサイダル騎士たちが邪魔で手間取りました。あっ、『烈風』は元気ですよ!」
そういえばカナティエはユナト騎士たちの突撃には混ざっていなかったな。どこで何をしてたんだろう。
「カナティエ殿はさっきまでどちらに?」
カナティエは雑兵たちをざくざく斬り捨てながら、笑顔で答える。
「不測の事態に備え、本隊最前列でずっと見守っておりました!」
「なるほど……」
武功を立てる絶好の機会にもかかわらず、カナティエは姫を守るために控えていた訳か。騎士叙勲欲しさに討ち死にしたがっていた頃とはまるで別人だ。
「ありがとうございます、カナティエ殿」
「いえいえ、これが私の務めですので!」
おしゃべりしている間にもサイダルのクロスボウ兵たちはどんどん討伐されていく。
中にはクロスボウを発射してくる敵兵もいたが、馬首を返して動き回るカナティエにはかすりもしない。背中に目でもついてるんじゃないか、この子。
カナティエの馬術は本当に洗練されており、足場の悪さをまるで感じさせない。敵兵は蹄に踏まれ、槍に貫かれ、みるみるうちに数を減らしていく。
「な、なんだこいつ!?」
「ひいいぃっ!?」
「ダメだ逃げろ!」
「おっ、置いてかないでくれえっ!」
「ぎゃああああああ!」
カナティエの武勇が人並み外れているのは知っているが、騎乗してるとこんなに強いのか。さすがは本職だ。
目の前の敵をあっという間に蹴散らして死体の山に変えると、カナティエは姫に叫んだ。
「今です! 姫様、ジュナン殿を馬に!」
「わかっておる! ほれ、行くぞジュナン! しっかりせよ!」
なんで俺?
疑問に思ったとき、俺の両脚から急に力が抜けた。嘘みたいに脱力してしまって全く立てない。手が震える。
「えっ!?」
「いかん! カナ、手を貸してくれ!」
「はい! 私が血路を切り拓きますので、ジュナン殿はあちらの馬に!」
俺はカナティエに引っ張り上げられ、横付けされた馬に座らされる。鞍の後ろだ。
姫がひらりと鞍に飛び乗り、手綱を握る。
「ジュナンは私にしがみついておれ! 落ちるなよ!」
俺は次第にぼやけていく意識の中、言われるがままに姫にしがみつく。
流れていく景色のあちこちにまだ敵がいたが、俺は不思議と穏やかな気持ちだった。
死ぬときはこんな感じがいいな。
そう思ったとき、意識がフッと途切れた。




