第61話
* *
その頃、サイダルの王室紋章官は森の中で歯がみをしていた。
「ええい、王を討ち損ねるとはガソー家の無能どもめが」
ユナト王が渡河中に崩御したことなど知るはずもなく、王室紋章官は馬上で嘆息する。
「オルバが無理なら、せめて娘のフィオレぐらいは討ち取らねば、陛下の御機嫌がますます悪くなるわ。何とかせねば……」
眼前ではサイダル王から借りた騎士たちが激しい戦闘を繰り広げている。だが戦況は明らかに劣勢だ。
「森に誘い込めとあれほど命じておいたのに、こんな簡単な命令も実行できぬのか」
紋章官はますます嘆くが、兵法の専門家ではない彼は気づいていない。
左右に分かれてユナト騎士たちの背後に回り込み、森に追い込むという企ては、フィオレ王女に見破られていた。
だからフィオレ王女は一翼に集中攻撃を加え、包囲の手を封じたのだ。
「ううむ……」
森の中に伏せている兵は百ほど。木陰に身を潜めたクロスボウ兵たちだ。隠れて狙撃ができるのが強みなので、森から出せば騎馬の餌食になる。
そのとき、紋章官の目があるものを捕らえた。
「あの鞍の紋章は!? まさか!? いや、間違いない! フィオレ王女だ!」
焦った紋章官は射手たちに命じる。
「あの将を射よ!」
* *
「うわっ!?」
何かが耳元をヒュッと横切ったので、俺は慌てて振り返る。今のはたぶん矢だ。背後の森から飛んできた。危ないな、当たったらどうするんだ。
「姫、伏兵です!」
「やはり兵を伏せておったか! 猪口才な!」
姫は鼻息荒く叫ぶと、魔剣ウィルベルニルを掲げる。
「背後の森に射手がおるぞ! だが構うな! このまま敵の騎馬を突破せよ!」
森の中に突っ込まないのは賢明な判断だ。こっちは騎馬だからな。
それよりもサイダル騎士たちの隊列を突き崩して、味方の歩兵たちと合流した方がいい。退却戦で長居は無用だ。
ユナトの騎士たちはすぐに反転してサイダル騎士の残党に襲いかかっていく。あれにくっついて帰ろう。
そう思って視線を戻したとき、俺は姫の愛馬……烈風の様子がおかしいことに気づく。
「姫、どうされました?」
「烈風が走らぬのだ。まさか矢傷でも負ったか?」
よく見ると尻に矢が刺さっている。クロスボウの太矢だ。刺さり方は浅いから、遠くから撃ってきたのだろう。
「姫、尻に矢が刺さっております」
「私の尻に刺さっているみたいに言うな」
「そんなこと言ってる場合じゃないですよ。これじゃ歩かせるのも一苦労です」
致命傷にはなっていないと思うが、すぐに馬医に診せた方がいいだろう。
だがそれよりも、問題は前後を敵に挟まれていることだ。
「まずいですよ、味方が先行しています」
ユナト騎士たちはサイダル騎士たちと壮絶な戦闘を繰り広げており、背後の俺たちを見る余裕はなさそうだ。
しまった、最後列に下がったのは失敗だったな。でも怖かったし……。
フルフェイスの兜は正面しか見えないから、こういうことがちょくちょくある。俺は兜を被っていないので気づいたが、隣にいた騎士たちは気づかずに行ってしまったようだ。
「姫、ゆっくりでいいから味方についていきましょう」
「そのつもりだが、烈風が痛がってなかなか進まぬ」
馬の脚力は主に後ろ足に依存しているので、尻に矢が刺さっていると馬力が出ないのだろう。困ったな。
そうこうするうちに、またクロスボウの太矢がヒュンヒュン飛んでくる。距離を詰めてきたのか、さっきよりも風切り音が鋭い。
「まずいですよ、姫」
「わかっておるわ。おぬしは構わず先に行け」
「行ける訳ないでしょう!?」
戦場に女の子を一人で置いていけるかよ。秩序も人権も何もない時代だぞ。何をされるかわかったもんじゃない。
「姫、俺の馬に乗ってください」
「烈風を置いていくのか!?」
「姫が騎乗したままだと狙われます。これ以上くらったら連れて帰れなくなりますよ」
俺の言葉に姫は即断し、馬上からひらりと俺の馬に飛び乗ってきた。体が軽いからできる芸当だ。着地の衝撃はほとんどなかった。
俺の腰にしがみつき、太ももをペチンと叩く姫。
「よし行け」
「俺は馬じゃありませんよ」
クロスボウの太矢がまた飛んでくる。姫は鎧を着ているから助かる可能性があるが、俺は鎧を着ていないから当たったら終わりだ。
矢傷は長く苦しんで死ぬことが多いから、絶対に当たりたくない。
とりあえず馬を走らせるが、二人分の重量を嫌がって馬がうまく走らない。
「ええい、何をしておる」
「馬の尻の上に体重を置いてる人がいるからですよ。それじゃ走りにくいでしょう」
「つべこべ言わんと走らせんか」
あいにくと俺の馬は軍馬ではなく、そこら辺の乗用馬だ。戦場の騒音には慣らしてあるが、鍛え方が全然違う。
俺の馬術が拙いこともあり、俺たちは完全に味方から置いてきぼりにされてしまった。味方の巻き上げた砂塵がもうもうと舞っている。
「このままだとクロスボウの的です。砂塵に紛れて、いったん森に逃げ込みましょう」
「事態を悪化させるだけのような気がするが……まあよい、他に方法はあるまいな」
姫は溜息をつき、俺の太ももをペチンと叩いた。
「よし行け」
「だから俺は馬じゃありません」
俺は溜息をつきつつ、砂塵に咽せながら森の中へと馬を進めた。
どうか敵に遭いませんように……。
森の中は鬱蒼としていて、足下は茂みと雑草で覆われている。こりゃ騎行は無理だな。下馬しよう。
幸い、戦況はユナト側有利のようだ。王の騎士たちが奮闘してサイダル騎士たちを掃討している。もう少しすれば戻っても大丈夫だろう。
肝心なときに王女不在というのは格好悪いが、あいつらだって守るべき王女を見失ってるんだからお互い様だ。
「姫、しばらくは静かにしていてくださいね」
「総大将がこれでは格好がつかんではないか」
「格好よりも生きて帰れることの方が大事ですよ」
姫を降ろし、馬を座らせ、俺も座る。下生えが凄いので見つかる心配はないだろう。
そう思っていたのだが、周りからガサガサと茂みを掻き分ける音が聞こえてくる。
「こりゃもう無理だな、引き揚げた方がいい」
「心配するな、あいつらは騎馬だから森には入ってこないさ」
「そうそう。ユナト軍は退却中だしな」
森の中にユナト兵がいるはずがないし、会話の内容からしても間違いなくサイダル兵だ。おそらくクロスボウを撃ってきた連中だろう。
まずいことにガサガサという音がどんどん近づいてくる。どうも散開しているらしく、右からも左からも声がする。
クロスボウ兵の大半は農民だ。弓術は鍛錬に時間がかかるが、クロスボウなら素人でもそれなりの戦力になる。
農民兵だから士気も練度も低いが、体力と欲深さは侮れない。
それと上官の命令を平気で無視するから、何をするか読めないという怖さもあった。捕虜になれる保証がない。
そういえば故郷の農家に飾られていた甲冑は、兜が大きく凹んでいたな。たぶん落ち武者狩りに遭ったのだろう。今日は我が身だ。
今から馬に乗っても、走り出す前に見つかってしまう。残念ながら、俺は騎兵みたいに颯爽と騎乗できない。
もたついている最中にクロスボウで撃たれたら終わりだ。
「どうする、ジュナンよ」
そっとささやくように姫が問う。姫もこの状況はわかっている。声が緊張していた。
俺は腰の剣を静かに抜きながら、小さな声で返す。
「先手必勝……ですかね」
標準装備はキルト地の布鎧。少し金のあるヤツは鉄兜をしている。接近戦用に帯剣していることが多い。
普通の歩兵よりは軽装だな。
よし、やろう。
ガサガサという音がすぐ近くまで来たとき、俺は剣を構えて立ち上がった。




