第59話
国王率いる殿軍が俺たちの本隊に合流したのは、その日の午後だった。
激しい戦闘があったにもかかわらず、王を守護する騎士たちに大した損害は出ていないようだ。人数がほとんど減っていないように見える。
「父上!」
行軍する騎士たちの中に父をを見つけて、姫が愛馬で駆け寄っていく。本来なら止めるべきだが、瀕死の親を心配するのは人の情だ。さすがに止められない。
「フィオレか……」
国王オルバは額に脂汗を浮かべていたが、それでも馬上から気丈に笑ってみせた。
「ガソー家の小倅に撃たれてな。だが愚かな男よ。弾が外れることを恐れて頭や胸を狙わずに腹を撃ちおった。腹を撃たれても即死はせぬというのにな」
王の言葉通り、甲冑の胴体には大きなへこみがある。止血の布が詰め込まれて血で染まり、変色してどす黒くなっていた。
少し離れた場所にいる俺に、カナティエがそっと尋ねてくる。
「陛下の御容態は……」
「鏃と違って銃弾は体内に侵入すると跳ね回り、衝撃によって臓物に大きな損傷を与えます。甲冑のへこみを見る限り、大口径の弾で至近距離から撃たれたのでしょう。とすれば……」
俺に医学の知識はないが、おそらく輸血込みの外科手術でしか救命できないだろうというのは察しがついた。
だがこの世界に輸血なんてものはないし、臓器を縫い合わせるような高度な外科手術も無理だ。菌もウィルスも発見されていない時代だから、滅菌処理の技術だって不完全だ。
つまり救命はできない。
国王オルバはまもなく死ぬ。それは誰の目にも明らかだった。
しかし姫はそれを受け入れられないようで、すがるような目で父を見つめる。
「すぐに良い医者を……。そうだ、ファルガ港まで戻れば、良い医者をウィレム殿が手配してくださるかも」
その言葉を優しく遮り、オルバが微笑む。
「それが現実味のない願望でしかないことは、おぬしが誰よりもよく理解しておろう。大事なのは王の死を敵方に悟られぬことだ。それゆえ、余は存命のうちに急いで帰国せねばならぬ。そして当面の間、余の死を他国に知られぬよう隠し通すのだ」
そしてオルバは遠くに見えるリュジオン河を指差した。
「もう少し河を下れば、対岸にルマンデ城があるはずだ。近隣で舟を確保できればルマンデ城までは戻れよう。余の渡河まで時を稼いでくれ。この命、おそらく明日の夜明けまでは持たぬ」
オルバは若い頃、幾度も戦場で戦ってきたと聞いている。戦場で多くの死を見てきたはずで、それゆえに自らの死期も察しがついているようだった。
「フィオレよ、このような形でおぬしを置いて去ることを許せ。おぬしの花嫁姿を見るのが願いだったが、まあそれはよかろう」
「良くはありません! 今すぐ婚礼をいたしますので少々お待ちを!」
今すぐ結婚するのはいいとしても、結婚相手がどこにもいないぞ。もう少し冷静になってくれ。
オルバは苦笑し、俺とカナティエをじっと見る。
「王室紋章官ジュナン・エンドよ。ルマンデ奪還とファルガ攻略において、おぬしは多大な貢献をした。よってルマンデ城主に任ずる」
「それは……!」
通常、俺みたいな平民上がりの一代貴族は領地を持たせてもらえない。身分が相続されない以上、どのみち不動産も相続できないからだ。
にもかかわらず、俺は城主に任じられた。破格の出世だ。
ルマンデ城はただの集積所だが、一応は城ということになっている。城主の地位は高い。なんせ行政と軍事を担う重要施設だ。
当然、宮中での発言力も増す。
俺の表情を読み取って安心したのか、王は落ち着いた様子で続ける。
「おぬしが隣にいる限り、フィオレが道を間違えることはあるまい。この子の未来、頼んだぞ」
死にゆく王が我が子を俺に託したのだ。俺は背筋を正し、畏まって答える。
「命に代えましても」
「ふ……おぬしはそればかりだな」
俺が前に同じことを言ったのを覚えていたらしい。ちょっと恥ずかしい。
だが王は馬を寄せ、震える手を俺の肩に置く。震えてはいてもその手はずしりと重く、力強かった。
「二度も同じ誓いを立てたからには、二回は死んでもらうぞ」
「はい!」
二度目の人生だから間違いなく二回死ぬ。今度は姫のために死ぬだろう。
俺の返答がちょっと面白かったのか、瀕死の王はニヤリと笑った。
「よい。実によいな。余がもっと早くにおぬしの真価を見抜いておれば、フィオレにやるのを惜しんだであろう。人を見る目はフィオレの勝ちだ」
周りの家臣たちに聞こえるように、大きめの声で告げる王。
そして王はこう言った。
「我が騎士たちよ、フィオレに忠誠を誓え。そなたらの忠誠は王個人ではなく、王室に対して捧げるものだ。よいな」
「ははっ!」
激戦を勝ち抜いてきたであろう王の近衛騎士たちが、泥だらけ傷だらけの甲冑を鳴らして敬礼する。
王はカナティエにも声をかけた。
「カナティエよ。そなたは先代ガソー公を討ち取った大功がある。この遠征にて実務経験も積んだゆえ、正式に騎士になるがよい。今後も武を以てフィオレに仕えるからには、それぐらいでなければ釣り合わぬ」
「は、はい!」
「それとメステスにも相応の地位を与えねばなるまい。フィオレの神学教授では少々重みが足りぬゆえ、王室顧問神官に任ずる」
王室顧問神官は、神学のエキスパートとして王室に助言する役職だ。本来ならメステスみたいな若い神官が就ける役職ではないが、メステスの地位を上げるには手っ取り早い。
姫がこれから王国を支えていくためには、家臣にも相応の格が必要になる。だから王はこの場で姫の幕僚たちを昇進させているのだろう。
王の意図が汲めたとき、森の方を見張っていた兵士が叫ぶ。
「森から騎兵が出てきました! 三百……いや五百騎ほど!」
その瞬間、姫が馬首を転じて怒りの叫びをあげる。
「血の臭いを嗅ぎつけてきたか、忌まわしい山犬どもめ! 父上、ここは私にお任せを! 我が親衛隊は父上の指揮下に入れ! 父上をルマンデ城までお連れしろ! ルマンデ城対岸の地理なら、おぬしたちが一番詳しい!」
親衛隊の兵士たち……といってもごく普通の兵士なのだが、彼らは姫に好意的だ。
「承知しやした、姫様!」
「あっしらにお任せを!」
兵卒を率いる組頭たちが力強くうなずく。
王は姫に微笑みかける。
「すまぬな。おぬしの親衛隊を借りるぞ。代わりに余の近衛騎士たちを使え。まだ暴れ足りぬと申しておるわ」
「はい、父上! では兵を交換いたしましょう。親衛隊の兵士たちを私だと思ってお使いください!」
「ははは、それは良いな。ならばお前も余の騎士たちを余と思い、存分に頼るがよい」
互いの兵を交換する形になった。
「さあ父上、急いでお退きください! 敵に討ち取られては一大事ですぞ!」
「うむ……。すまぬな、その言葉に甘えるとしよう」
王は壮健そうに見えるが、実際はもうかなり弱っている。普段通りの姿を見せるのも辛いはずだ。
馬の轡を兵士に取らせながら、王はニコリと微笑む。
「本当に立派になったな、フィオレ」
「それは……」
姫は一瞬、泣きそうな表情になる。
だがすぐに胸を張り、毅然とした態度で応じた。
「はい! ユナト王オルバの子ゆえ、当然のことです!」
「うむ。そうだな。……余は果報者だ」
マントを翻し、王はわずかな兵と共に川岸の方へと退いていく。
「父上……」
姫は目を真っ赤にして今生の別れを惜しんでいたが、目をゴシゴシ擦ってバッと振り向いた。
「うぉのれえぇいっ! サイダルの山犬どもめ、ここから先へは一騎も通さぬ! 腸ぶちまけて死ぬがよいわ!」
腰に吊していた魔剣ウィルベルニルをシャランと引き抜くと、姫はその覇王の剣を高々と掲げる。
「王の騎士たちよ、私に力を与えよ! 汝らこそ王室の剣、王国の守護者なり!」
「おおっ!」
老騎士たちがどよめき、敵の騎士たちに相対するように整列した。
敵の騎士たちは整列しているが、まだ突撃してこない。妙だな?
すると背後から報告が飛んでくる。
「向こうの町の城門が開きました! 歩兵が出てきます!」
「何だと!?」
姫が目を見開いて振り返ると、確かに城門が開いて市民兵らしいのがぞろぞろ出てくるところだ。軍楽隊の演奏がトンテントンテンパパラパーと聞こえてくる。
ぞろぞろ出てきただけで一向に攻撃してくる様子がないが、一応は騎兵たちと挟撃する構えらしい。でもたぶん本気じゃないだろう。
ん? 途切れ途切れに何か聞こえてくる。
「そもそもぉ、我が義勇兵はぁ……であるからしてぇ……」
遠すぎるせいでよく聞き取れないが、指揮官が訓示をしているようだ。
そういうのは出撃前にやるものなので、どうやら時間稼ぎをしているらしい。何があっても町から出たくないのだろう。
しかし姫はそんな申し訳程度の反攻すら許さない。
「恥知らずの風見鶏どもが! あの耳障りな鳴き声を黙らせよ! 撃ち方用意、各個に放てい!」
こちらには少数だがクロスボウ兵とマスケット銃兵がいる。姫の命令は即座に伝えられ、ありったけの太矢と銃弾が撃ち込まれた。
距離がだいぶあるから殺傷力はほとんどないだろうが、それでもいきなり撃ってきたので市民兵たちは度肝を抜かれたらしい。わっと隊列が乱れる。
軍楽隊が慌ててタンタカタタタンパッパラパーと合図を鳴らし、市民兵たちは出てきたときより素早く城門の奥に引っ込んでしまった。さすがだ。
「はん! 臆病者は引っ込んでおれ!」
姫は鼻息荒く言い捨てると、再び前方のサイダル騎士たちをにらみ据えた。森を背にしているので総数が読めないが、挟撃の目論見が外れたので動揺しているようにも見える。
姫はすかさず自軍に命じる。
「歩兵に横隊を組ませよ! 騎兵を阻む壁となるのだ! 射手は後列に配し、後方からの挟撃を警戒せよ! 騎兵は縦隊に整列! 委細構わず敵右翼に食らいつけ!」
きびきびと指示を下した後、姫は魔剣ウィルベルニルを掲げる。
そしてその呪われた先鋒を敵騎兵に突き出す。
「ぶち殺せええぇいっ!」
歴戦の騎士たちが一斉に凶暴な雄叫びをあげる。
「うおおおおおおぉうっ!」
「ゆくぞおおおっ!」
おお、あっという間に駈歩で突っ込んでいくぞ。勇壮だな。
……いや、ちょっと待って?
駈けていく騎馬集団の先頭に姫がいるんだが!?
「姫!? 姫! 何を考えてるんです!? おい待て姫ええぇっ!」
俺は慌てて自分の馬を走らせた。




