第53話
とにかく先行きは不安だが、とりあえずファルガ港はユナトの支配下に入った。サイダル王国の領地に、絶好の飛び地ができた形だ。
「周辺の小領主たちもユナトへの恭順を申し出てきました。あくまでも秘密裏にですが」
「えらくあっさりと寝返ったな……?」
首を傾げている姫に俺は説明する。
「この辺の町や村はファルガ港抜きには成り立ちませんからね。ファルガ港を治めるグロティウス家が降ったのなら、一緒についていく方が安泰でしょう」
「それはまあそうか」
「あと、進軍や包囲攻撃をしているときにユナト軍から被害を受けていないというのも大きいと思いますね」
人権も国際法も何もない世界だから、軍隊は通りすがりに村を焼いて人や物資を奪い去るのがごく当たり前とされている。
国内でやらなければ紳士の軍隊だし、国外でやる分には賞賛されるぐらいだ。
しかし今回、俺は断固として略奪を禁じるよう提案した。姫も意外とあっさり認めてくれたが、おそらくマルダー村での生活が良い経験になったのだろう。
その姫がうなずいている。
「農民どもは木の一本、山羊一頭を失うだけでも生活に困窮するからな。農民から奪うと後が怖い」
「仰る通りです。恨みを買わなかったおかげで、すんなりと恭順してくれたのでしょう」
農村生活を知らなかった頃の姫だったら、略奪し放題だったろうな。たぶん話がもっとこじれていたはずだ。
あと俺は現代日本からの転生者として流血を何よりも嫌っている。地図を塗り替えるのに血のインクは使いたくない。
「これから兵を整えて北上しますが、進軍中も無用の揉め事は起こさないでくださいよ」
「ええい、わかっておるわ。おぬしは私をなんだと思っておるのだ」
不機嫌そうに頬をふくらませる姫。
「それよりもファルガから先に進めば進むほど、補給線が延びきってしまうぞ。いずれは補給が追いつかなくなり、略奪も必要になるのではないか」
「そうならないよう、メステスが動いてくれてます」
俺が振り返ると、視線の先にいたメステスがうなずく。
「王弟殿下が北部から渡河して、途中で合流してくれることになっているからね。あくまでも予定だけど、地図で示すとこうかな」
地図を広げ、ユナト北部にあるティゲル城を示すメステス。王弟オルフィンの居城だ。
「対岸の城が厄介だけど、なんとか攻め落としてくれることになってる。ここを落として橋頭堡を作り、そのまま補給線を構築しながら進軍してくれるはずだよ」
「ほう、そのような手はずが整っておったか」
姫が感心したような顔をしたが、すぐに眉をしかめる。
「しかしそのような重要な計画が、なぜ私に知らされておらんのだ?」
「姫の兄上が消極的なので、まだ準備が整っていないんです」
「解せぬ。なんで兄上は消極的なのだ?」
メステスが俺の代わりに答えた。
「そんなもの決まってるでしょう。北部の守りが手薄になることを恐れておいでなんですよ、あの御方は」
北の山岳地帯には盆地が転々と存在し、小さな国があちこちにひしめている。
単独でユナトに刃向かう国はないはずだが、サイダルと密約を結んで攻め込んでくる可能性はあった。
「ふーむ。兄上の懸念はもっともだが、今はそのようなことを気にしておる場合ではなかろう」
腕組みしてますます眉をしかめる姫。
すると勝手に軍議に参加しているミオレが、勝手に発言をする。
「お兄様もお父様やお姉様を見殺しにはできませんから、きっと叔父様の兵を送ってくださいますわ」
「そうだな。兄上なら間違いはないはずだ」
どうやらこの姉妹、一番上のお兄ちゃんに対する信頼は篤いらしい。良いことだ。
良いことではあるんだが、俺はあのお兄ちゃんが苦手なんだよな。
俺はそっとメステスにささやく。
「オルフィン殿下の参戦が遅れた場合、進軍途中で補給が不足する可能性がある。ファルガからの補給との二本柱でいこう」
「そうだね。陸路だと馬車でしか輸送できないから、どうしても足りなくなるけど……」
河や海があれば船を使えるのだが、内陸では馬車が頼りだ。しかし船と比べると輸送力が小さすぎる。
「ファルガ港に兵がどんどん増派されてるから、兵糧だけでも毎日かなりの量が必要になるな」
「兵と一緒に兵糧も運んではいるんだけど、陸路に切り替えた瞬間にあまり運べなくなっちゃうからね」
メステスがうなずき、それからふと心配そうな顔をした。
「もしオルフィン殿下からの加勢が間に合わなくて、ファルガも寝返った場合はどうするんだい?」
俺は笑う。
「その場合は遠征軍は壊滅だな。捕虜になれれば幸運な方だろう」
メステスは驚いた顔をして、それから軽く溜息をついた。
「なんだか君、ちょっとだけ姫に似てきたね」
そう……かな? それはちょっとやだ。
親友の忠告に、俺は真摯にうなずく。
「そうならないよう気をつけるよ」
「聞こえておるぞ」
姫がまた拗ねていた。
* *
その頃、ユナト本国の王城。
「いよいよ本格的にサイダルを攻めることになったな」
国王オルバの弟、オルフィンが顎鬚を撫でながらニヤリと笑う。
だが王太子ウルリスは浮かない顔をしていた。
(どうして僕だけが居残りなんだ……これではまた、フィオレに差をつけられてしまう)
そんな甥の様子を見て、叔父が心配そうな表情になる。
「何か思い悩むことがあるのか?」
「いえ……」
いったんは言葉を濁したウルリスだが、叔父は王位継承のライバルではないことを思い出す。叔父や従弟たちにも王位継承権はあるが、あくまでも宗家の血筋が絶えた場合の備えだ。
「フィ……父上がいともたやすくファルガを攻め落としたと聞き、王太子として焦っているのですよ」
「ははは、そんなことか」
オルフィンは楽しげに笑い、兄と似た屈強な肩を揺らす。
「戦場は矢弾が飛び交う最前線だけではない。ここもまた戦場だ」
「そうでしょうか?」
「そうとも」
オルフィンは力強くうなずき、優しい目をした。
「ここには王国からの情報が全て集まり、矢弾の代わりに書類と金が飛び交う。ここをきっちり押さえねば、最前線の勝利はない。誰にでも務まる持ち場ではないぞ。お前だからこそ、兄上はこの持ち場をお預けになったのだ」
「それは……光栄ですね」
ウルリスは微笑んでみせるが、心の中の焦りは消えなかった。
(フィオレの家臣は数こそ少ないが、どれも皆若くて優秀だ。私の若い家臣には、ああいう強烈な個性がいない)
万事平穏を望むウルリスの下には、同じようなタイプの人材が集まっていた。聡明で穏健、そして従順。型破りな者は一人もいない。
(私にもあの紋章官のような逸材がいれば……)
そう考え、それから心の中で首を横に振る。
(いや、私がフィオレと同じ立場だったら、平民上がりの紋章官なんか選んでいない。実家の家格で選んでいただろうからな。そこがフィオレとの差か)
ウルリスは明確にフィオレを脅威として認識していた。聡明な彼だからこそ、自分に欠けているものを持つ妹を認めているのだった。
(仕方ない。今は自分にできることを精一杯やろう)
気を取り直したウルリスは、叔父との本題に入る。
「ところで叔父上、本当にティゲルから進軍なさるおつもりですか?」
「ああ。フィオレの配下にメステスという神官がいるのだが、その者の発案でな。ルマンデからの補給に困っていると聞いて相談に乗っていた際、ファルガ攻略後の補給についても相談を受けたのだ」
(ジュナンだけでなく、他の配下も相当にやり手だ。私の知らない内にあちこち根回しをしていたのか)
知らないのはウルリスだけでなくフィオレもそうだったのだが、そこはウルリスにもわからない。
わかるのは、自分がどんどん遅れを取っていることだけだ。
再び焦りを感じつつ、ウルリスは懸念を口にする。
「しかし叔父上がサイダル領に攻め込んでしまうと、北の守りが手薄になるのではありませんか?」
「どうだろうな。交易商人たちからも情報は得ているが、北の国々に不穏な動きは見られない。ま、見つかっていないだけで不穏な動きはあるかもしれん。あいつらは狡猾だからな」
楽しげに笑う叔父だったが、ウルリスは笑うどころではない。
「内陸部の小国たちはいずれも弱小ですが、全軍でティゲルを攻めれば陥落させることはできるでしょう。サイダルが密約を結んでいる可能性がある以上、叔父上がティゲルを留守にするのは得策ではありません」
オルフィンはウルリスの表情をじっと見つめ、それから目を閉じた。
「そうか。王城を預かるお前がそう言うのなら、私も臣下として聞かねばなるまい。サイダル領への進軍は息子たちの誰かに任せよう。経験が浅いので不安はあるが、何事もやらせておかねばな」
頼もしい叔父が国内に留まってくれそうなので、ウルリスはホッとする。従弟たちも信頼はしているが、やはり父や叔父の安心感には及ばない。
「ありがとうございます、叔父上」
「なに、可愛い甥っ子の頼みは断れんよ。なんといっても未来の国王だからな。国王をお支えするのが私の役目だ」
王弟オルフィンは国王オルバの補佐役として不動の地位を築いており、国王の分身とも称される。
(父上には叔父上がいて、フィオレにはジュナンがいる。私には……誰がいるのだ?)
家臣たちの顔を思い浮かべるが、叔父やジュナンに比肩できそうな者はいなかった。
ウルリスは頭を下げる。
「では北の守りはお任せしますので、私は航路での補給を考えておきます」
「わかった。サイダルを攻め滅ぼすとまではいかなくとも、領地をいくばくかでも切り取れば上出来だ。お前の王国がデカくなるのは痛快だな」
オルフィンの笑顔に、なぜかウルリスの胸がずきりと痛んだ。
「そう、ですね……」
(私はいずれ、妹が切り取った領地を治めることになるのか。自分自身は一度も戦場に立たずに)
焦りがまた、疼き始めた。




