第51話
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こうして何とも奇妙な形で、ファルガ包囲戦は終わった。いや、公式には終わっていないのだが、実態としては終わった。
ファルガを統治するグロティウス家は水面下でユナトに降伏し、ユナト軍を全面的に支援する。
「大砲でも破城鎚でもなく、舌先三寸で城門を開かせてしまうとはな」
姫が呆れたような顔をしながら、グロティウス家の別邸で紅茶を飲んでいる。
俺は入港してくるユナトの船舶を眺めながら苦笑する。
「無傷で港を手に入れられたのですから、それで良いではありませんか」
「ほいほいと裏切るような連中は、すぐにまた裏切るぞ」
ジト目の姫が指摘するが、それは確かにありえそうだ。
俺はうなずく。
「そうですね。なので『こういう裏切り方ならしてもいいよ』という条件を密約に盛り込んでいる訳です」
ファルガ周辺にサイダル軍が迫ってきたら、ユナト軍は海路で退去する約束になっている。ファルガ周辺を戦場にしないのが密約に盛り込まれているからだ。
しかし姫は不満そうだ。
「この港を今後も支配するためには、前線を拡大しなければならぬ」
「もともとサイダルを滅ぼすために来ているのでしょう?」
「まあそうだが……おぬしは戦が嫌いだと思っておったぞ」
姫が首を傾げているので、俺は溜息をつく。
「戦争なんか始めるヤツは全員バカだと思っていますが、この戦争を始めたのはそもそもサイダル王です。バカでも理解できるぐらいの力で殴り返しておかないと、また同じことが繰り返されるでしょう」
「敵方とはいえ、一国の王をバカ呼ばわりするとは大胆よな」
「これぐらいは言わないと気が済みませんよ」
誰が何と言おうが俺は絶対に戦争には反対だ。そんなにやりたきゃ貴族だけでやってくれ。平民を巻き込むな。
俺は腕組みし、ソファに座り込む。
「このままファルガをユナトの支配下に置き、サイダル侵略の橋頭堡にする。これは陛下の御判断でもあります。姫も同じでしょう?」
「うむ。ルマンデに築城してちまちま渡河作戦を繰り返すより、港を奪取して帆船で兵を輸送した方が圧倒的に便利だからな」
リュジオン河の渡し船ではせいぜい二十人ぐらいしか運べないが、万舟湾を航行する帆船なら百人から二百人ぐらいは軽く運べる。
大型船舶の輸送力は桁違いで、これは航空機が登場したとしても変わらない。
「海路で十分な兵を連れてきましたので、ぼちぼち北上することになります。指揮権は返上ですね」
「ぬあああ! 私が手柄を立てる千載一遇の好機を、紋章官のおぬしがふいにしおって!」
何を言ってるんだか。
「姫の役目はファルガの陸路を封鎖し、孤立させることでしょう。それは完璧に果たしましたよ」
「だが敵を一人も討ち取っておらんではないか!」
俺は肩をすくめてみせる。
「倒す必要がない敵を倒しても武功にはなりませんよ。そうでしょう、カナティエ殿?」
俺は隅っこの方にいるカナティエに声をかける。
しょぼくれた様子のカナティエが、弱々しくうなずいた。
「それはまあ……そうなのですが」
こっちもか。
カナティエは街道を封鎖するために諸将と共に兵を指揮していたが、サイダル王や諸侯からの救援はないし、かといってファルガから敵が打って出てくる訳でもないので暇だったそうだ。
実際には検問などもしていて多忙だったはずだが、そういうのは数のうちに入らないらしい。
俺は少し考える。
「ファルガを包囲するという大任を果たした上、陛下からお預かりした兵をほぼ失うことなくお返しできたのですから、これはもう最高の武功ですよ?」
「確かにそうですね!」
姫よりは扱いやすいな。
それにしても、なんか微妙に忙しいぞ。書類仕事が多いのはいつものことだが、姫やカナティエの相談にあんまり丁寧に向き合えていない気がする。
前世で経験があるが、こういうのは良くない兆候だ。重大インシデントの元になりかねない。
やっぱりメステスがいないせいかな? 交渉事や事務手続きの類はメステスも得意だし、ファルガまで来てもらった方がいいかもしれない。
「姫、メステスにもファルガに来てもらった方がいいかもしれません。ユナト軍が前進すれば、今後はここが策源地になるでしょう。ユナト領のルマンデでは遠すぎます」
すると姫は不承不承ではあるが、こっくりうなずいた。
「そうだな。来れば来たで私にぐちぐちと嫌味を言うのであろうが、あやつがおらぬとおぬしが過労で倒れそうだ。こちらに来るよう伝えるがよい」
姫が苦笑したそのとき、ドアがノックされてファルガ家の使用人が入室してきた。
「失礼いたします。フィオレ殿下の神学教授を務めるメステスと名乗る神官が面会を求めておいでです」
「なぬ?」
姫が目を丸くした。
* *
時間は少し遡り、ファルガ降伏直後。
後方の集積所であるルマンデ城では、メステスが忙しく指示を飛ばしていた。
「兵糧は川舟で港に送ってください。ファルガ港に……そうです、渡河して陸路で運ぶのは終わりです。河口で運搬船に積み替えてください。これが命令書です」
聖典ではなく伝票の束を抱え、額を拭うメステス。
「困ったな、思ったより軍の前進が早いよ……」
「お困りと聞いて駆けつけましたわ!」
独り言をつぶやいた瞬間、ドアが「バーン!」と開かれる。
「うわぁ!?」
思わず声をあげてしまったメステスだが、闖入者の顔には見覚えがあった。
「ミオレ様じゃないですか!?」
「はい、ミオレでございます!」
スカートの裾をつまんで優雅に一礼したのは、フィオレ王女の妹ミオレだった。まだ十歳で、姉とは四歳差になる。
背後にぞろぞろとお付きの者たちを従えているのは相変わらずだ。
ミオレはそのまま、くるりと優雅に一回転した。舞踏も嗜むらしい。
「お姉様がついにサイダルの町をひとつ攻め落としたと聞き、いてもたってもいられなくなって馳せ参じた次第ですの!」
あっけにとられたメステスだが、すぐに冷静になって反論する。
「港湾都市ファルガを降伏させたのはジュナンですよ。彼の交渉がファルガを治めるグロティウス家を動かしたんです」
「はい、聞き及んでおりますわ! それはつまり、ジュナン殿を大抜擢したお姉様の慧眼あればこそでしょう? やはりお姉様こそ乱世の覇者、まことの覇王なのですね!」
「そうですとも! ジュナンの交渉術に心動かされない者などいませんからね! なんでああも毎回、相手の思考の内側に滑り込めるのか不思議なんですよ! 同い年とは思えない!」
力強くうなずき合うミオレとメステス。
「つまりそれほどの逸材が埋もれていたのを、お姉様が掘り起こしたと!」
「そういうことです。直情径行の姫が覇道を突き進むために必要なのは、深謀遠慮の腹心ですからね!」
そして二人はガシッと力強く握手する。
「自分に欠けたものを見いだしたお姉様は凄いですわ!」
「あの姫に認められたジュナンは凄いですよ!」
二人ともそれぞれの「推し」に夢中で会話は全く噛み合っていないはずなのだが、なぜか会話が成立している。二人の能力の高さゆえだった。
なお、背後のお付きの者たちは会話についていけず、虚無と化して虚空を見つめていた。
再度うなずき合った後、メステスが正気に返る。
「それはいいとして、ルマンデまで何をしにいらしたんです? 僕は忙しいんですが」
「お困りの上にお忙しいんですの?」
人の話を全く聞いていないように見えて、最初の発言をちゃんと記憶しているミオレだった。
うなずくメステス。
「ええ、主にあなたの兄君のせいで」
首を傾げるミオレ。
「まあまあ、お兄様が何か?」
「いえ、ミオレ様に愚痴ってもしょうがないんですけどね。前線への補給が滞りがちで余裕が全然ないんですよ。ここは前線に物資を送る集積所なんですが、集積するほど物資が集まっていません」
国王オルバの遠征中はウルリス王太子が国事の一切合切を取り仕切っており、遠征軍への補給もウルリス王太子が全権を握っていた。
「北部で睨みをきかせているオルフィン王弟殿下への支援もあるとかで、こっちに十分な兵糧や人員が集まってこないんですよ」
「まあまあ! それは一大事ですわ!」
ミオレは目をまんまるにして、両手で口を覆った。見れば見るほど対照的な姉妹だとメステスは思う。
しかしその直後、ミオレは胸を張る。
「そういうことでしたら、なおのこと私にお任せくださいな! お姉様の名代として、このミオレが一肌脱ぎましょう!」
そう言って存在しない袖をまくるミオレ。
メステスは慌てて止める。
「いえ、ミオレ様が出てきてどうにかなるものでは……え?」
メステスは途中で言葉を呑み込んだ。
ミオレが懐から封書を取り出したからだ。国王の紋章で封蝋がしてある。
「お父様は万が一に備え、お兄様だけでなく私にも権限をお認めくださいましたの! 用途は限られますが国庫からお金をじゃんじゃん出せますし、諸侯に賦役を命じることもできますわ!」
「おいおい」
十歳の子供にそんな権限を渡していいのかとメステスは呆れる。
「娘に甘すぎるだろ、あの王様……。まあいいや」
使えるものなら何でも使おうと思うメステスだった。大事なのはジュナンを助けることだ。
「それで交易船を徴発したり、港で兵糧を買い集めたりできますか?」
「できますわよ! お姉様のためなら!」
誇らしげに胸を張り、目を輝かせるミオレ。無駄に行動力があって思い切りがいいところは姉にそっくりだった。
「えーと、じゃあそれを……」
メステスが言いかけると、彼の唇にミオレの人差し指がちょんと触れた。
「交換条件として、私をファルガまで連れていってくださいませ」
「何言ってるんだ!? いや失礼、国外ですよ!? しかも戦地ですよ!?」
しかしミオレは動じない。
「お姉様がファルガを屈服せしめたのでしょう? ではもうユナトの支配下ですから国内ですし、戦闘も終わっているのですよね?」
「それは、まあ……そうなんですけどね」




