第50話
* *
万舟湾の白波を蹴立ててユナト艦隊が征く。
「連戦連勝だと気分が良いな」
ユナト王オルバは甲板の上で御満悦だった。
海軍所属の若い紋章官が相槌を打つ。
「本当ですね、陛下! まさかこれほどまでに海戦がお強いとは!」
「なに。これもお前の実家、ブレンダン商会の良質な火薬あってのことよ。不発が少ない上に砲弾の伸びが違うと評判だぞ」
若い紋章官の肩をバシバシと叩き、オルバは笑う。
「して、分捕った船はどれほどになったか?」
「はい。ええと……七隻ですね。五隻ほど沈めてしまいましたので」
「もう少し欲しかったが、まあよかろう。増えた艦隊で一気にテルダムを制圧してやる」
分厚い掌を拳でバシンと叩くオルバ王。
だが若い紋章官は落ち着かない様子で、しきりに空を見上げている。
「そう……そうですね」
「ん? 浮かぬ顔をしておるな?」
「いえっ、そのようなことは!?」
紋章官は慌てるが、オルバは気にしていない様子で船長に命じる。
「シュテンファーレン家の旗を掲げてテルダム港に侵入せよ! 港を制圧する!」
「はっ!」
船長が敬礼し、部下たちにそれを命じようとした瞬間、マストの見張りが叫ぶ。
「テルダム港にユナトの軍旗っぽいのが掲げられてますぜ!」
「なんだと!?」
船長が慌てて望遠鏡で確認し、それから紋章官に駆け寄る。
「おい、すぐに確認しろ」
「は、はいっ!」
まだ新米の紋章官は、高価な望遠鏡を恐る恐る握ってレンズを覗き込む。
それから宣言した。
「フィ、フィオレ殿下の紋章です! えっ、どういうこと!? なんで!?」
「それを考えるのはお前ではない。フィオレの紋章で間違いないのだな?」
「はい……やっぱり間違いありません」
紋章官の言葉に、オルバは腕組みをする。
「まさか包囲に失敗して軍旗を奪われたのではあるまいな?」
「陛下、どうなさいますか? 他船も指示を待っておりますが」
そう尋ねたのは船長だ。
オルバは悩むことなく判断を下す。
「構わぬ。全艦突入せよ。陸戦隊は揚陸準備。ただし敵方より砲撃あるまでこちらは砲撃するな」
船長が恐る恐る尋ねる。
「承知しました。ですが、入港後に一斉に砲撃されたらいかがします?」
するとオルバは大笑した。
「そのときは港内で戦い、テルダムを腹の内から食い破るまでだ。我が姫の軍旗を奪って我らを欺くような連中ならば、どのみち生かしてはおけぬ」
「ははっ!」
船長が敬礼し、ただちに水兵が旗を振って他船に合図を送る。
「揚陸準備!」
「ぼやぼやするな、整列しろ!」
甲板を船乗りや兵士たちが走り回る中、紋章官が恐る恐る尋ねる。
「陛下、私たちは下にいた方がよろしいのでは……。その、危険ですから」
「危険だからこそ陣頭におらねばならぬのだ。お前は肝が小さすぎる。同期のジュナンを見習え」
「そんな無茶な!?」
悲鳴のような声をあげる紋章官を無視して、オルバは立ち上がる。
「どのような形になろうとも、テルダムは今日を以てその姿を変える。どのように変えるかはグロティウス家次第だ」
次第に近づいてくる港。
砲台のある塔にはフィオレの軍旗が掲げられているが、その砲台からは一発も砲撃がない。だが油断はできない。
整列した陸戦隊の兵士たちがヒソヒソとささやきあう。
「撃ってこないな……」
「懐に入れてからズドンってくるかもな」
「上等だぜ、皆殺しにしてやる」
その会話をさりげなく聞き取りながら、オルバも腰の剣を抜く。
「久しぶりに斬り合うのも一興よな。やはり戦は己が肉体で行うのが良い」
「ひいぃ!?」
若い紋章官が怯えた声をあげる中、ユナトの艦隊は港内への突入ルートに入った。もう引き返せない。
だがそのとき、マストの見張りが叫ぶ。
「埠頭に人影です! 一名!」
「何者だ」
オルバが問うと、見張りが大声で答えた。
「なんか小綺麗な格好をした若い男です! そこのあんちゃんに似たような……あ、てことは紋章官か! たぶん紋章官です!」
「んん?」
オルバは眉間に皺を寄せる。
「紋章官だと?」
思い当たる節しかなかった。
やがて艦隊は埠頭に横付けし、大砲で睨みを利かせたままタラップが下ろされる。
「走れ! 走れ!」
「さっさと陣形を組め! 横隊だ!」
マスケット銃と剣で武装した陸戦隊の兵士たちが慌ただしく展開する中、オルバも下船する。
「お待ちしておりました、陛下」
「やはりおぬしであったか、ジュナン・エンド卿」
オルバは剣を納め、それから周囲を見回した。
「まずは説明を」
「はい。グロティウス家はサイダル王家に忠誠を誓い、今も籠城を続けております。表向きはそのような感じです」
「なるほど」
全てを理解したオルバはうなずき、簡潔に感想を述べる。
「またおぬしか」
「はい?」
「いや……まあいい。無血開城できたのであればそれが一番だ」
本当は暴れたかったなと口の中でゴニョゴニョつぶやいて、オルバは歩き出す。
「では建前として、グロティウス家当主はあくまでも徹底抗戦の意思表示をしておるのだな?」
「はい。交渉の窓口となっているのは先代のウィレム殿です」
「ああ、あの面倒くさいジジイか。まだ生きとったか」
げんなりした顔をしたオルバは、気を取り直して若き俊英に問う。
「フィオレは城壁の外か?」
「はい。サイダル王が救援をよこした場合に備え、外側に向けて兵を配置しておられます」
「なるほどな。表向きではテルダムを包囲すると見せかけ、その実は敵を迎撃するために布陣しておる訳だ」
「はい、テルダムの大砲を二十門ほど『鹵獲』しておりますので。後ほど『奪還』される予定ですが」
オルバは苦笑を隠せない。
「要するに大砲を借りておるのか」
「そうとも言いますね。砲手も借りました」
「よかろう。して、どのような条件で密約を結んだ?」
オルバが尋ねた瞬間、さっと封書が差し出される。
「フィオレ殿下とウィレム殿の間では、このような条件で話がまとまっております。どうか御裁可を」
「どれどれ」
一読したオルバは即答する。
「この程度なら安い買い物だ。交戦による損害を考えれば安すぎるぐらいにな。よかろう、全て認める」
「ははっ」
ジュナンが恭しく一礼したので、オルバは彼の肩をポンと叩く。
「おぬしをフィオレに付けたのは失敗だったな。これではフィオレの力量を見極められんではないか」
「いえ、全てフィオレ殿下のお力あってのことです」
「はっはっは、そういうところだぞ。だがよくやった。見事な手際だ」
オルバは苦笑し、それから背後でビクビクしている別の紋章官に声をかけた。
「ブレンダンよ、何を怯えておる。お前の実家がここに火薬を納入しておることぐらい、余が知らぬとでも思ったか」
「ひっ!?」
「輸出品は保存性と引き換えに威力を弱めていると聞いておるゆえ、余の裁量で黙認しておるのだ。説明に虚偽があれば、お前の父には死んでもらうことになるがな」
「ひいぃ!?」
真っ青になった紋章官に、ジュナンが馴れ馴れしく声をかける。
「大丈夫だよ、ブレンダン殿。ウィレム殿も同じことを言っておられたからな」
「そ、そうか……よかった……」
へなへなと尻餅をついた紋章官を見て、オルバとジュナンは声をあげて笑った。




