第48話
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「ほへにひひへも」
姫がもごもご咀嚼しながらしゃべっているので、俺は紅茶を淹れながらたしなめる。
「お行儀が悪いですよ、姫」
頬張った焼き菓子をゴクンと呑み込んでから、姫が口を開く。
「それにしても、なんで菓子折など持たせたのだろうな。とても美味いが」
「毒が入ってるとか思わないんですか」
「家紋入りの菓子箱に一服盛るのは、さすがに無茶が過ぎる。そういうものはな、誰が盛ったかわからぬようにやるものだ」
自信満々に姫が言うが、俺は毒殺犯の考えることなんか想像できないのでそこまで自信はない。
だが育ち盛りの姫が美味しそうにお菓子を食べているのは、見ていて気持ちが良いものだ。
「しかし美味いな、なんでこんなに美味いのだろう。バターの量か?」
「そういえばレシピを預かっていました」
俺は菓子箱に添えられた封書を差し出す。たとえレシピといえども敵方から預かった文書だからな。全て姫に渡すのが使者の責任だ。
「私は菓子作りなどできんぞ」
そう言いながら、油まみれの手で封書を開く姫。ああもう、ちゃんと手を拭いて。あと口も。
「ふーむ」
「どうしました?」
姫の口調から微かな違和感を感じ取った俺は、レシピを勝手に覗き込んだ。
「古い小麦粉三十キューレ、砂糖二十キューレ、モルカディス産バター一本……一本!?」
「そこではないわ。おぬし、何も気づかぬのか?」
バターの量が法外すぎること以外は特に何も……。
すると姫は呆れたようにレシピのメモをヒラヒラ振った。
「キューレは粉の計量に使う単位ではないぞ。油や水の単位だ。だがそれよりも『古い』という言葉からは、あのキューレを彷彿とさせる」
「どのキューレです?」
「古代の大詩人キューレだ。おぬしが知らぬとは意外だな」
もしかしてホメロスみたいな人?
姫は勢いづいた様子でまくし立てる。
「キューレが詩人の名前とすれば、このモルカディスも詩人のキサント・モルカディスであろうな」
誰?
俺が首を傾げているので、姫は大仰な溜息をつく。
「やれやれ、おぬしは存外に物を知らぬようだな。この程度は王侯貴族の嗜みだぞ?」
「平民ですみませんね」
俺が拗ねると、姫はやけにニコニコな様子で俺の背中を気安く叩く。
「ははは、よいよい。おぬしにも知らぬことがあるという訳だ」
「そりゃそうでしょう。知らないことの方が遙かに多いんですよ」
平民の知識は読み書き計算、自分の業種の法律と商慣習などだ。法律の抜け穴や治安の悪い場所については貴族より詳しい。
だが王侯貴族には彼らの社会がある。
「もしかしてこれ、知らないと恥ずかしい感じですか?」
「そうだな。メステスなら知っておるはずだぞ」
いわゆる外交僧だもんな。貴族と交渉するんだから貴族文化には通じているはずだ。
姫はふんふんと鼻歌混じりにレシピの謎を解き明かしていく。
「なるほどなるほど、材料表が解読のヒントになっている訳だ。モルカディスはキューレと同時代の詩人ゆえ、この時代が軸とみてよい」
そうなんだ。知らんけど。
「とすれば調理法については、その方向で読んでいけば……なんじゃ、まるで児戯ではないか」
レシピに記された調理法は「どっしりとこねて」とか「発酵あるいは大いに発酵させて」みたいな記述が多く、なんとなく不自然さが目立つ。しかしなぜそんな記述になっているのか、俺には全くわからなかった。
「『どっしりと』はキューレたちの時代では『アンファント』と発音していたらしい。これは現代の『城塞』や『鎧』の語源である。『発酵あるいは大いに発酵させて』は古代詩の『栄光あるいは大いなる栄光の中に』が元ネタであろう」
得意げな様子でフフンと胸を張る姫。胸を張っていてもちっこいので、なんとなく可愛い。
「とまあ、このような感じでな? このレシピに隠されている謎は全て、古代ユゴネイア戦争を連想させる。海に面した都市国家ユゴネイアが隣国ペルデイの軍勢に包囲され、十四年耐えた叙事詩だ」
「十四年というと、姫の年齢と同じですね」
「む? そうだな、そこまで計算に入れてのことか……小癪な真似をしおる」
十四歳の子に小癪って言われちゃったよ、あのお爺さん。
姫は腕組みしながら天井を見上げた。
「おおかた、その御老体は『お前の人生と同じ年数だけ耐えてみせるぞ』と言いたいのであろう。ユゴネイアは最後に陥落したというのにな」
しかし俺はそうは思わなかった。
「本当にそう言いたいのであれば、わざわざレシピの中に隠さなくても普通に書けば良いでしょう。真意は別にあると思います」
「どういうことだ?」
姫が天井を見上げた姿勢のまま、首だけぐりんと動かして首を傾げる。
俺は自分の推論を披露した。
「レシピの解読自体はそれほど難しくないのでしょう? サイダル側に読まれても申し開きができるよう、徹底抗戦を表明する内容にしているんですよ」
「つまりどういうことだ? 回りくどすぎてイライラしてきたぞ」
姫はまだ子供だから短気すぎる。俺は苦笑した。
「このレシピの目的は、おそらくふたつあります。まず一つ目は、平民の俺には絶対に解読できない内容にして、姫や他の貴族に解読させること。誰も解読できないようなら、知識人が一人もいないことになりますからお話になりません」
俺が平民出身であることを確認した上で、俺には解読できない暗号を仕込んできたからな。姫や家臣団がどれほどのものかテストしたんだろう。
姫は不満そうに腕組みしつつ、俺を見上げる。
「こんな児戯で試されるのは不愉快だが、まあいいだろう。それで二つ目はなんだ?」
「解読文の裏の意味を読み取れるかどうか。そのユゴネイアとかいう都市国家は滅亡したんでしょう? 籠城側が持ち出してくるのは不自然です」
すると姫は当然のようにうなずく。
「それもそうだな。ユゴネイアの侍女パルラの裏切りが将軍セフォンの戦死を招き、そこから守りが崩れていくの……だ、が……?」
「どうしたんです?」
俺が尋ねると、姫はさっきまで焼き菓子をつまんでいた指をじっと見つめながら首を傾げる。
「そういえば、焼き菓子に何か焼き印がしてあったような」
「食べる前に確認しましょうよ、そういうのは!?」
思わず声が出ちゃったよ。やっぱダメだよ、子供相手にお菓子で連絡するのは。食べるのに夢中で確認なんかしやしない。
俺も必死に記憶の糸をたぐり寄せる。
「そういえば俺も見たような……確か一単語でしたよね?」
「うむ、『侍女』だった気がせんこともない」
「裏切ったパルラとかいう人が侍女なんですから、もうそれで確定でしょう。たぶん」
「たぶんなのか確定なのかハッキリせんか」
「全部食べた姫に言われたくないです」
レシピと違い、焼き菓子は食べてしまうので証拠が残らない。
それが良いところでもあり、良くないところでもある。
まさか読まずに食べちゃうなんてな。ヤギのお手紙じゃあるまいし。
俺は慎重に考えながら、ひとつの可能性を姫に伝える。
「焼き印が裏切り者を示しているのなら、レシピの真意はむしろ逆で『我が方に寝返りの用意あり』になりませんか?」
「なるかもしれんな」
唇周りが甘いのか、しきりにペロペロ舐めながら姫がうなずく。今は格好つけてるところなんだから、姫も格好良くしてほしいな。
俺は菓子箱の蓋や底を確かめつつ姫に告げた。
「もしかするとグロティウス家はさらなる交渉を求めているのかもしれません。明日もう一度行ってきてもいいですか?」
「そうだな。こちらからの返礼の品を送り届けてやるがよいぞ。私が気の利いたものを選んでやろう」
唇をペロリと舐めて、姫が笑みを浮かべた。
あっ、ここだけ切り取ったらちょっと格好いい……。




