第47話
* *
ユナト軍の紋章官を見送った後、ウィレムは急ぎ足で書斎へと向かう。
彼の書斎には息子たちが緊張した面持ちで集まっていた。
「父上!?」
「どうでしたか!? 降伏の条件はどうでしたか!?」
口々に問いかけてくる息子たちを片手で軽く制止して、ウィレムは静かに告げる。
「降伏勧告の件などどうでもよい。それよりも使者の口ぶりでは、やはり海上封鎖されているようだ」
その言葉に息子たちが険しい表情になる。
「やはり……」
「道理で大型船が入ってこないはずですよ」
「小型船は波間に隠れるから見つからないんでしょうが、物資が全然足りません」
息子たちが慌てふためくのを、ウィレムは眼光だけで黙らせた。
「この程度の戦で何を慌てている。お前たちはそれでもグロティウスの男か」
「もっ、申し訳ありません!」
既に中年の域に差し掛かっている息子たちが慌てて頭を下げる。
息子たちが落ち着いたところで、ウィレムは表情を和らげた。
「我らが動揺すれば全てが終わりだ。まずは状況を冷静に見るとしよう」
ウィレムはそう言い、愛用の椅子に腰掛ける。すぐさま侍女が紅茶を運んできた。
「大旦那様、お茶をお持ちしました」
「おお、ありがとう」
湯気の立つ紅茶を一口飲み、ウィレムは肩の力を抜く。
「すでに陸路も海路も封鎖されているが、海路は小舟なら行き来できそうだ。全ての快速艇を西に向かわせて、沿岸の漁民や交易商と接触を図れ。おそらくどこかで海戦が起きているはずだ。必ず痕跡を見た者がいる」
海戦が起きれば、船の残骸や水夫の死体が海流に乗って浜辺に漂着する。それに大砲の砲声はかなり遠くまで届く。
ウィレムは軽く溜息をついた。
「こちらの艦隊は六隻。小分けにして巡回に出していたが、全て無傷で戻ってきた。おそらくユナトの艦隊はテルダムを大きく迂回し、西進して他家の艦隊を叩いたのであろう」
「なぜそんな回りくどいことを?」
息子の一人が困惑した様子で疑問を呈したので、ウィレムは無造作に答える。
「テルダムの海上補給を断つなら、艦隊を西側に展開するだけでいいからな。西側なら航路のどこでもいい。東側はユナト領ゆえ、監視する必要がない」
ウィレムは眉間を押さえて揉みながら、椅子の背もたれに体を預ける。疲労感が濃い。
「最初に航路の『根元』を断たれたのは痛かった。しばらく他家の救援は望めまい。テルダム沖に展開していれば叩きようもあったのだが……」
グロティウス家保有の艦隊も、テルダム港の砲台も、見えない敵が相手では戦いようがない。ただ守りを固めてじっとしているだけだ。
「籠城している間に海路の情勢がどんどん悪くなる。陸路の救援が頼りだが、陛下の御判断次第だ」
「茶のことが露見しているはずがありませんから、そこは大丈夫でしょう。この数年、陛下の御幸はありませんでしたし」
息子の一人がそう言うが、ウィレムは首を横に振った。
「ユナト茶が申告よりも大量に流通していることぐらい、茶に税を課した陛下はお気づきのはずだ。当然、我らに疑惑の目が向けられているとみてよい。何せユナト領に最も近いのだからな」
そう言って先ほどの紅茶をまた飲むウィレム。
彼が今飲んでいる紅茶もまた、ユナト半島から密輸した最上級の逸品だった。サイダル領では茶の木がうまく育たず、上質の茶はユナト半島から仕入れるしかない。
「陛下は先日の侵攻でガソー公に後詰めを送らず、わざと見殺しにした。そして陛下は沿岸部の諸侯を快く思っておられぬ」
「交易で富を得て何が悪いのですか。この程度の脱税ぐらい、内陸部の諸侯もやっているでしょうに」
ウィレムは茶の湯気をじっと見つめながら答える。
「悪いか悪くないかをお決めになるのは陛下だからな。私に言っても仕方あるまい。テルダムでは洋上と河川の二つの航路が交わり、なおかつユナトとの国境にもある。交易の富が最も多く落ちる港だ。私の代で少々稼ぎすぎたかもしれんな」
湯気をふっと吹いて、ウィレムは満更でもない様子で微笑む。
「海上封鎖され、陸側も包囲されたとあっては少々厳しい。お前たちも知っての通り、テルダムは国境の都市として城壁の内側に全てを折り畳んでいる。内部は過密であり、港湾と城門を閉ざせばすぐに窒息する。絶えず流れていることがテルダム繁栄の秘訣だ」
息子たちが真剣な表情でうなずく。
「港の倉庫には仕入れた商品が山積みです。あれが滞留しているかと思うと頭がおかしくなりそうですよ」
「ああ、この数日でどれだけの稼ぎを逃したことか」
「他家から預かっている宝石や美術品もあります。略奪にでも遭えば莫大な補償金が……」
息子たちの嘆きにうなずき返しながら、ウィレムは答える。
「そうとも。こんな儲からんことをやっている場合ではない。ましてや町に被害が出ようものなら最悪だ。先の大火の損失を取り返すのに三十年かかった。ようやく復興した町が荒らされでもしたら、あの世の父上たちに会わせる顔がない」
その言葉に息子たちも沈痛な表情でうなずく。
ウィレムは腕組みをしつつ、こう続けた。
「テルダムが本気で籠城すれば、半年は持ちこたえられよう。だがその半年間、グロティウス家も領民たちも収入を失う。この町は絶えず循環していなければ淀んで腐る定めだ。たった数日でも既に兆候は出ている」
書斎の窓を開けると、外は夕凪だった。風がぴたりと止み、ゆっくりと異臭が室内に流れ込んでくる。
「防衛と発展を両立した結果、復興後の町を過密にしすぎたな。やむを得ん、汚物は海に流すことを許可しよう」
窓を閉じ、ウィレムは溜息をつく。
「だが汚物と違って負債は海に流せるものではない。無論、サイダル王家もそこまでは面倒を見てくれん。それゆえ、あらゆる選択肢を視野に入れねばならぬ」
その言葉に息子たちがざわめく。
「まさか本当に降伏なさるおつもりですか!?」
「さすがに早すぎます!」
「王家からの信頼を失うことにでもなれば……」
ウィレムは軽く手を挙げて制止して、それからこう言った。
「無論、今の時点で降伏はできぬ。ユナトの王族とはいえ、姫の約束では心許ない。だがあの紋章官、二十歳そこそこに見えたが円熟した落ち着きがあった。あれは相当にできるぞ」
「それならうちの息子たちと同世代ではありませんか」
息子の一人が苦笑したので、ウィレムも笑う。
「そうとも。だがああいう若者がいるのであれば、私もお前たちも後継を育てる才能はなかったということになるな。何をどうすればあの若さで百戦錬磨の風格が出せるのか、私には見当もつかぬ」
窓の外をじっと見つめたまま、ウィレムは独り言のようにつぶやいた。
「紋章官はユナト王が任じる。あの平民の若者を逸材と認めたからこその大抜擢だろう。その逸材を手元に置かずに、娘に付けた。とすれば、あのフィオレとかいう姫君に相当期待しているとみてもよいか」
南西の水平線に太陽が近づいている。
「だがどれほどの傑物であろうとも、あの『レシピ』は平民には読めぬ。フィオレが無能ならここまでだ。しかし……」
カーテンを閉め、ウィレムは息子たちを振り返る。
「ユナト側が『レシピ』を読めたのなら、交渉相手として認めよう。その場合は和戦両面の対処をする。それでよいな?」
「父上の御判断に異論などありませんが、後々まずいことになりませんか?」
するとウィレムは自分の首をトントンと叩いた。
「そのときは隠居の私が勝手にしたことにして、この皺首を差し出すまでのことだ。当主のお前は何も知らなかった。それで済む」
「しかしそれは……」
「どうせ老い先短い命だ、子や孫の役に立てるのなら惜しむ理由もない」
にこりと笑ったウィレムは、それからパンパンと手を叩いた。
「さあさあ、それよりも当面の問題の対処だ。防衛線の見直しから汚物の処理まで問題が山積だぞ。皆がお前たちの指示を待っている」
「はい、父上」
息子たちがうなずき、それぞれの担当部署に指示を出すために慌ただしく動き始めた。




