第46話
グロティウス邸の玄関を入ってすぐの場所にある応接室で、俺は衛視たちに左右から見張られた状態でソファに腰掛ける。
「待たせたな、ユナトの紋章官殿」
側近を伴って入室してきたのは、哲学者みたいな顔をした白髪の老人だった。
杖をついているが、足取りはしっかりしているから装飾品としての杖だろう。杖の飾りには錨を抱いた人魚の紋章が刻印されている。グロティウス当主の証だ。
俺は立ち上がって会釈する。
「お目にかかれて光栄です。私はユナト王女フィオレ殿下付紋章官、ジュナン・エンドと申します」
「そうか。まあ座りなさい」
「はい、失礼いたします」
老人がソファに座ったのを見てから、俺も改めてソファに座り直す。
老人は俺をじっと見つめ、自らも名乗る。
「私はウィレム・グロティウス。君の話は私が聞くとしよう。それにしても随分と若いね。私の孫と同じぐらいに見えるが」
「若輩で申し訳ありません。フィオレ殿下の家臣には若者しかおりませんので」
前世分と合わせれば俺だってそれなりのおっさんなのだが、そんなことは誰も知らないからこうして軽く見られてしまう。まあ仕方ない。
ウィレムと名乗った老人は目を細める。
「なるほどな」
たぶん「じゃあ町を包囲しているユナト軍の上層部は経験不足なんだな」とか考えてるんだろう。誤解を解く必要はないので気づかないふりをしておく。
「わかっていると思うが、君たちは突然押しかけて町を包囲した狼藉者だ。その狼藉者の使い走りである君が、私に何を話すのかね?」
「降伏勧告の使者として参りました。不躾ですがユナトの支配下に入っていただきたい」
包囲しといて要求も何もなければ怖いだろうから、形だけでも降伏勧告はしておく。
もちろん拒絶される。
「この程度の包囲で降伏するほど、テルダムは衰えておらんよ。降伏はできんな」
俺はすかさず切り返す。
「それは当主の御判断でしょうか?」
「……いや」
ウィレム翁は短く答え、それから杖の刻印を撫でる。
「どうやら紋章官というのは本当のようだな。疑ってすまなかった」
「いえ。紋章官としても経験不足ではありますが、紋章の縁取りを見落とすようでは務まりませんので」
紋章というのは個人の出自や経歴を示すものなので、立場が変われば紋章も変化する。特定の意味を持つ意匠を追加したり、外したりするのだ。
ウィレムの紋章には縁取りが施されているが、こちらの世界では引退した当主が用いることが多い。
さっきの自警団が使っていた紋章には縁取りがなかったので、基本の図案に縁取りが使われていないのは確認済みだ。
ウィレム翁はうなずく。
「数年前に家督を長男に譲ったので、今の私はただの隠居爺だ。だが当主をユナトの使者に会わせたのが陛下に知れると、またあれこれと気を揉まれるであろうからな」
サイダル王ってそういうタイプの人物なのか。
いや待てよ。
「本当は未だにウィレム殿が実権を握っておられるだけではありませんか?」
「ははは、どうかな」
うーん、狸だ。サイダル側の人事はユナト側にはなかなか入ってこないことが多く、紋章の変更についても情報収集に漏れがある。今回もそうだ。
ウィレム翁は引退した当主なので、表向きはグロティウス家の決定権を持っていない。しかしおそらく、院政を敷いて権力を保ち続けている。
もし何かあってもウィレム個人が責めを負うだけで、彼の息子……つまりグロティウス家当主は無傷という構図だ。
だがそれじゃ困るんだよ。仮に降伏を受諾したとしても、後で反故にされる可能性がある。現当主が「降伏など父上が勝手に決めたことだ」と言えばそれで終わりだ。
一応、ちょっと探っておくか。
「当主殿にお会いしたいと言っても、やはり無理なのでしょうね」
「私では不満かね?」
「いえ滅相もありません。ただ積み重ねた経験の差か、こうして相対しているだけで緊張してしまいます」
俺はハンカチを取り出し、わざとらしく額を拭いてみせる。
ウィレム翁は微笑んだが、たぶん俺の見え透いた世辞なんかお見通しだろうな。
「そう畏まることはない。何か飲み物を運ばせよう。ついでに菓子でも食べるかね?」
「では御言葉に甘えまして」
小腹が空いてきたので、なんか食べさせてもらおう。敵の兵糧を奪う好機だ。うん。
すぐに蜂蜜入りの果実水と、数種類の焼き菓子が運ばれてきた。まるで子供扱いだ。
「遠慮せず食べなさい。おかわりもあるぞ」
「ありがとうございます」
テーブルに並べられたスイーツは豪華絢爛で、ナッツやドライフルーツがふんだんに使われている。
なるほど。兵糧には余裕があると言いたい訳だ。
でも、こんな風に「余裕たっぷりですよ?」みたいな出し方をされると、本当は余裕ないんじゃないかなって気がしてくるな。
俺はナッツのタルトを一切れ頂くと、それで終わりにする。
「もっと食べないのかね?」
「お恥ずかしながら、緊張で喉を通りませんでした。残りは皆様で召し上がって頂ければ幸いです」
俺は笑ってみせるが、要するに「本当は無理して用意したんだろ? みんなで食えよ」と言っている。
ウィレム翁はフッと微笑み、それから使用人たちに皿を下げるように命じた。
「ずいぶんと気を遣っているようだが、テルダムの眼前には広大な海が広がっている。交易船が絶えず訪れ、この町に富と物資を落としていくのだよ」
ウィレム翁は「海上封鎖はされていない」と言っている。本当かな?
ユナト艦隊が海上封鎖に失敗している可能性はある。洋上に出てしまった艦隊は音信不通になるので、戻ってくるまで情勢がわからない。
テルダムの港の方からは大砲の音は全く聞こえていないので、海側で戦いが起きているという様子もないな。
俺は果実水を飲む間に素早く考える。
海上封鎖できていなければテルダム攻略は失敗だ。だから俺がここでどんな交渉をしようが状況は好転しない。
逆に海上封鎖ができているのなら、ここで俺が動揺したら損だろう。
だから俺は海上封鎖が完了していると仮定し、強気の態度で交渉に臨む。
「なるほど、交易船ですか。では弾薬もどんどん運び込まれている訳ですね」
「そうとも」
うーん、本当にそうだったら凄く嫌だな。
でも海上封鎖が完了してるのなら、テルダム側は撃てば撃つほどじり貧になる。
よし、どんどん撃たせよう。
俺は微笑んでみせる。
「我が方が必死に包囲を続けていても、海上から運び込まれる弾薬で一網打尽ですね」
「そういうことだな。なに、フィオレ殿下はまだお若い。失敗は若者の特権だよ」
優しく諭すような口調のウィレム翁。
俺はすかさず切り返す。
「なるほど、サイダル王がこちらに援軍を派遣しないのも道理ですな」
「ん?」
ウィレム翁の眉が一瞬、ぴくりと動いた。かかったな。
俺は勝手に納得した様子でうなずいてみせる。
「テルダムに至る街道は全て、我が方の後詰めが封鎖しています。斥候らしいのが遠くからちらちら見え隠れはしているのですが、救援が来る様子は全くありません」
ウィレム翁が黙ってしまったので、俺は勝手にどんどん話を進めていく。
「ユナトの主力はサイダルの王都を目指しております。サイダル王はテルダムを見捨てて守りを固める様子なので、薄情な王だと思っておりました。ルマンデに侵攻したガソー公を見捨てたときと同じ動きでしたから」
サイダル王の命令でユナト領のルマンデに上陸したガソー公の軍勢は、後詰めが到着しなかったこともあって戦死した。後詰めが来なかった理由はおそらく、ガソー公がサイダル王と不仲だったせいだ。
一度見捨てたヤツはまた見捨てる。
俺は言外に「あんたもガソー公と同じように見捨てられたぞ」と匂わせ、揺さぶりをかけておく。
こういう揺さぶりは、さりげなくやっておいた方が効くだろう。今日はここまでだな。
潮時とみた俺は肩をすくめてみせた。
「ですが、どのみち陥落しないのであれば援軍など最初から不要でしょうな」
ウィレム翁は小さくうなずいた。
「そうとも。援軍が来ないのに籠城しても意味はないが、そもそも包囲が完成していないのだから援軍も必要ないという訳だ。君たちの包囲は徒労だったな」
「どうやらそのようです。ですが勝手に持ち場を離れる訳にもいきませんし、王命あるまでは包囲を続けさせてもらいますよ」
テルダム側は早く包囲を解いてほしいのだろうが、もちろん解く訳がない。このままギリギリ締め上げてやる。
じっと俺を見るウィレム翁。俺も彼を見つめ返す。
「ジュナン君だったか。いくつかね?」
「もうすぐ二十になります」
「では私の一番上の孫と同い年だな。御家族は息災かね?」
「故郷の村には誰も残っておりません。父は私が赤ん坊の頃に亡くなり、母は再婚して遠方に嫁ぎましたので」
その言葉にウィレム翁は一瞬沈黙した。
「その様子だと、君は平民の出身かね」
「はい。身分不相応に出世してしまい、重責に身が縮む思いですよ」
俺は苦笑してみせると、果実水をまた飲んだ。これは冷やして炭酸で割ったら美味しいだろうな。ないけど。
俺は立派な柱時計をチラリと見る。
「しかし降伏勧告など出過ぎた真似のようでした。これ以上恥をかかないうちに引き上げることにしましょう」
俺はそう言って交渉を切り上げるふりをして、最後にこう伝える。
「ですがもし降伏なさるのであれば、フィオレ殿下は一切の略奪や破壊を厳しく禁ずると約束しておられます。この漆喰塗りの美しい町に傷ひとつ加えてはならぬと仰せでした」
「降伏する理由はないが、その言葉は覚えておくよ。またいつでも来なさい」
ウィレム翁がうなずき、側近に命じる。
「この坊やに菓子折を持たせてあげなさい。『レシピ』も添えてな」
ん?
今の言葉、どことなく含みのある感じだったが……。




