8.スミは恐怖する
炎とも違う鋭さのある赤い光は、徐々に弱まっていった。
閃光に包まれていた女は、だらりと両腕を前に垂らしている。
その女に、もはや理性は残っていなかった。
言葉にならないうめき声をあげながら、女は前のめりにうずくまった。
そして。
彼女の背中から、果物を潰すような音が聞こえ始めた。
耳障りな音が一層大きくなった瞬間、白い物体がメキメキと音を立てて飛び出した。
それは翼だった。
いや、翼になるはずのものだったと言うのが正しいのかもしれない。
羽根もなければ皮もない。
白い骨だけで形成された二枚の翼が、女の背中から突き出したのだ。
「まさか!」
声をあげたのはキョウ姉ちゃんだった。
「促進剤を使ったの? 効果や安全性はまだ立証されてないはずよ! 闇で捌かれているのは全て紛い物だわ!」
(促進剤? 噂に聞いたことがある。確か、孵化や発芽を促すアイテムだったはず……)
先ほど、女に刺さっていた小さな緑の小瓶。
あれが、ヤドリ獣の孵化を促す促進剤だったのだ。
でも、だとしたら、目の前の女の姿は一体――。
「グ……グボぅ……ググぁ……」
カクン、カクンと首を左右に揺らしている。
眼球はほとんど動かさず、激しく頭を揺らしながら辺りを見回した女は、突然、近くにいた男に飛びかかった。
「うわ、お前! 何するんだ……チクショウ!」
男は悲鳴をあげた。
さっきまで仲間だった女にナイフを突き立てる。
しかし、女は脇腹にナイフを生やしたまま彼の喉に噛み付いた。
「……やめ……ぐ……かは……」
あまりの事に、あたしは姉ちゃんに縋りついた。
姉ちゃんはそんなあたしをグッと抱きしめる。
「……あれは……あれは何なの?」
「生きる屍――『アンデッド』よ」
流石のお姉ちゃんも血の気の引いた顔で、ごろつき達を見つめている。
「本来ヤドリ獣は、卵のうちから人間の身体に植え付ける。魔獣の魂をゆっくりと使役化してヤドリ獣にする。そういうものなのよ」
そう語る姉ちゃんの顔も、心なしか血が引いたように白かった。
「促進剤なんて、安全性の確立されてない紛い物を使って、無理矢理に孵化を進めてしまった――おそらくそのせいで、宿主が使役できず、逆に魔獣に支配されてしまったのよ」
「味方に襲いかかったのはそのせいなの?」
あたしはささやくように姉ちゃんに尋ねる。
「そう。魂を殺され、身体をヤドリ獣に乗っ取られた状態――それをアンデッドと呼ぶの。たとえ身体が腐ったとしてもヤドリ獣が死なない限り、彼女に死の安楽は訪れない……全てものに襲いかかるわ」
ヤドリ獣に乗っ取られた女は、しばらくは仲間の身体を蹂躙していたが、やがて飽きてしまったかのようにそれを突き放した。
ゴロリと血まみれの身体が転がった。
男の身体から命が失われている事は明らかだった。
「ヒッ」と小さな悲鳴があたしの喉の奥から飛び出す。
キョウ姉ちゃんは、ギュッと《凶竹刀》を握り直した。
「大丈夫よ。スミ。私が絶対に守るから」
キョウ姉ちゃんの身体が小さく震えているのがわかった。
「家族を奪われてたまるものですか。今度は――今度は必ず役に立つ。私が家族を守ってみせる」
「姉ちゃん?」
キョウ姉ちゃんはゴクリと唾を飲み込み、口をギュッと結んだ。
「家族って、そういうものなんだから」
口元を血で汚した女が、次に狙いを定めたのは、ビーと名乗っていた金髪の少女だった。
「……させるか」
飛びかかってきた女を剣士が薙ぎ払う。
しかし、女は素早く後方へ飛び退いた。
背中の翼がギシギシと音を立てる。
「ゴォ……ググ……こホゥ」
女が孵化させようとしていたヤドリ獣――おそらく魔鳥か何かだったのだろう。
意識を乗っ取られ、思考を食い尽くされた女は、瞬きを失った瞳でこちらをじっと見つめている。
(ああ……どうしよう……あたし)
その時のあたしの心を支配していたのは恐怖だった。
命の危機から来る恐れではない。
得体の知れないモノ、実態を把握できないモノ……そう言ったモノを、あたし達は身体に寄生させて来たのだ。
そうやって生きてきたのだ。
その恐ろしさに、今やっと気がついた。
ゾワゾワと背筋を這い上がる悪寒――あたしは、自分の腕に寄生させたヤドリ草をむしりとりたい衝動に駆られた。
(逃げたい……怖い……気持ち悪い……)
自分の身体に、自分以外の意思が寄生している。
『アンデッド化』を目の当たりにしたあたしは、湧き上がる吐き気を必死に抑えた。
骨の翼が音をたてる。
小刻みに揺らしながら首の向きを変える女の様子は、まさに鳥類のそれだ。
あたしを抱きしめるキョウ姉ちゃんの手に力が込められた、その時だった。
『まったく――諸君、子守りをご苦労』
あどけない、けれども従わざるを得ないような、威厳に満ちた声が後ろから聞こえた。




