10.アイビーは姉と見つめ合う
輝く黄金の短髪。
猛禽のような金眼。
衰える事を知らない鍛え抜かれた大きな身体。
冒険者を引退した今でも父さんの姿は《黄金のアキレア》の名にふさわしいと言えるだろう。
「黄金の勇者の後継者になる……その意味がわかりますぅ?」
姉さんは、どことなく責めるような口調でそう言った。
あの伝説の勇者が、自分の息子を後継者に任命した――それが周知されれば、必ず、僕を狙う者が現れる。
人質として、アキレアの弱味として、姉さんの言う通り、僕は父さんの足手まといになるだろう。
だからこそ護衛のクローは、僕を変装させて身分を偽らせた。
「こぉんな格好したかわいい弟に、重荷を背負わせて大丈夫ですかぁ? 鍛えてるって言ったって、たかが知れてますぅ」
屋敷で雇われている傭兵達は荒くれ者ばかりだ。
それも全て、父さんが冒険者として生きていた頃の仲間だ。
『元英雄』ともなれば、倒して名を上げてやろうなどという無法者もやって来る。
そんな奴らを軽くいなせるほど、屋敷のみんなは強い。
「貴族社会で上手くやってけますぅ? あんな有名人の後継って言ったら、凄いプレッシャーですよぅ。色々と言ってくる人も多いんじゃないですか?」
父さんはお金で爵位を買った成金貴族だ。
けれど表立ってそう揶揄する者は少ない。
なぜなら、誰もが父さんの功績を知っているからだ。
伝説の主人公にひと目会って、冒険譚を聞きたいのは、貴族だって例外ではない。
でも、僕には何の功績もない。
「憧れだけで後を継ぐのは無理ですぅ。それに、『信じてない』ですよねぇ? 父さんの事」
僕が世界一、尊敬している人。
それは父さん以外考えられない。
勇者アキレアは、小さい頃から僕のヒーローだった。
だからこそ、こんな僕を後継者にと考える父さんの気持ちがわからない。
信じられない。
屋敷を出てふた月とちょっと。
僕は不安で押しつぶされそうだった。
ティオーラ姉さんがたたみかけるように放つ言葉は、すべて僕自身の弱音でもあった。
僕自身が、僕を後継者だと認めていない。
僕は、何も見えない。
何も知らない。
何もわからない。
淀んだ湖のようなティオーラ姉さんの瞳。
底が見えない琥珀色の水面。
僕は何も言えず静かに沈んでいく。
姉さんは本当にいた。
残り十八人の姉さんも、探せば会えるかもしれない。
父さんの言った事は本当で、心の底から僕を後継者にと思ってくれているかもしれない。
でも、僕には、未来が見えない。
僕なんかが、あの父さんの後を継いでいいのだろうか。許されるのだろうか。
僕の十二歳の誕生日のあの日、父さんは一体何を思っていたのだろう。
暗い水の中に取り残されたように、どこまでも深く沈んでいく。
何か――光があれば。
それを目指して泳いでいけるのに。
溺れずに済むのに。
必死に手を伸ばす僕に、あの日の父さんの声が聞こえた。
『世界を知り、家族を知り、そして己を知るのだ!』
そうだ。
僕はまだ何も知らないんだ。
僕は顔を上げた。
「僕は、ヤドリ草もなかなか発芽しないような奴です。そんな僕が、父さんの後を継ぎたいなんて、笑われるかもしれません」
ティオーラ姉さんだけじゃない。
クローも、黙って僕の言葉を聞いてくれている。
「父さんに言われたんです。『世界を知り、家族を知り、そして己を知るのだ!』って」
僕は、姉さんの目をまっすぐ見上げた。
夕闇の中、哀しみと孤独と郷愁の混ざった美しい琥珀色は、さっきより透き通って見える。
「僕はまだ、世界の事も家族の事も、自分の事も知らない。何も見えていないし、何もわかってないんです。だから……」
世の中に『絶対』はない。だから、絶対無理ということもない。
父さんの教えだ。
「だから、まだ『僕には無理だ』と諦めるには早いと思うんです」
見えないから。
知らないから。
わからないから。
僕は占い師じゃないから、未来が見通せない。
だからこそ。
「僕が本当に相応しくないかどうか、世界を見て、家族を知り、自分の事がわかってから、決めようと思うんです」
僕を見つめる姉さんは、今にも泣き出しそうだった。
「僕は、十九人の姉さんを訪ね、認めてもらい、父さんの後継者になります。なれるように頑張ります」
一歩、姉さんに向かって踏み出す。
「ティオーラ姉さん、お願いです。僕を、父さんの後継だと認めてもらえませんか」
そう言いながら、僕は姉さんに占ってもらった時の事を思い出す。
僕は、クローの姿について一言も説明していなかった。
だとすれば――。
姉さんが言っていた、『お姉様とすぐに会えます』というのは、クローの事ではなかったのではないか。
建前上の姉ではなく、僕が探していた、本当の姉。
――お嬢さんが探しているお姉様は、とにかくここで会えますぅ――
――お姉様の方も、お嬢さんを探してますぅ――
――ひとりで寂しいから早く会いたいって思ってますぅ――
姉さんも、暗闇の中、溺れそうになっているのだろうか。
光を探して。
ティオーラ姉さんは、僕に背中を向けた。
その背中が、小さく震えて見える。
「姉さん――」
「認めますよぅ」
こちらを見ずに、くぐもった声で姉さんは言った。
「アイビー=デンタータ。あなたを後継者だと認めますぅ。それであなたは――」
続く声は、とても儚く小さかった。
「あなたは、私を自分の姉だと……家族だと認めてくれますか?」
僕はたまらず、ティオーラ姉さんの手を取った。
「当たり前じゃないですか」
大人だったら、こんな時、抱きしめたりするのだろうか。小さな僕では、腰の辺りに抱きつくのが精一杯だろう。
姉さんの細い指は、強く握れば折れてしまいそうだった。
いつか姉さんに頼られるような、そんな後継者に、僕はなりたい。
姉さんは「そう」と言って小さく笑ってからこちらを振り返った。
「だったら、あなたの旅に、私もついて行ってあげますぅ。クローだけじゃ、心許ないですよねぇ?」
「え……姉さんが一緒に?」
突然の申し出に、僕は目を白黒させた。
「そんな顔しないで下さいよぅ。私、ヤドリ獣の使い手としてはなかなかですよ?」
「でも……結構危ない事もあると思いますよ?」
「んむぅ、心配してくれるんですかぁ?」
姉さんはフッと笑みをこぼした。
「私を潰せるのはお酒だけですよ?」
「うるさいなぁ」
思わず声に出てしまった。
「お酒は飲んでも飲まれるな。涙は飲んでも飲まれるな、ですぅ」
「ちょっと黙ってもらえませんか?」
ティオーラ姉さんは、髪をかきあげて空を見上げた。
「悲しみに飲まれると、抜け出すのに時間がかかる――ですよねぇ、クロー」
話を振られたクローは、無言のまま視線を下に逸らす。
「……よくわからないけど、姉さん。お酒はほどほどにして下さい」
「ほどほどって、どのくらいですぅ?」
「どのくらいって……舐める程度とか?」
「人生とお酒は舐めちゃダメですぅ。深く味わい酔いしれなきゃですぅ」
「だから、意味がわかりませんって」
僕は深い深いため息をついた。
「僕は、酔っ払いとは関わりたくないです」
ティオーラ姉さんは「そう」と短く答える。
「だけど、ティオーラ姉さんだけは、例外です」
ランタンの明かりが灯るオルレアの街で、僕は一人目の姉さんを見つけた。
ティオーラ姉さん。
未来を見通す占い師。
お酒と悲しみに溺れる琥珀色の瞳。
「だって姉さんは、家族だから」
気恥ずかしさから、呟くように言った言葉は、それでも姉さんに届いたようだった。
水面が揺れる。
淡く溶けてしまいそうな笑みを浮かべた姉さんの頬に、雫が一つ転がり落ちた。
それはゆらめくランタンの明かりの中、流れ星みたいに煌めき、そして見えなくなった。




