9.アイビーは邂逅を果たす
「ごめんなさいぃぃぃ……」
「いや、いいんだ。ビーがはぐれたんじゃなくて、あたしがはぐれたんだ。そうだろう?」
クローが僕の肩をポンポンと叩く。
叩く力が強いのは気のせいじゃないだろう。
「やっぱり手を繋いでないとダメなようだな? この先何かあったら困るからな」
こんな時でもクローは笑顔だ。
それがとてつもなく怖い。
「もうすぐ日が暮れる。そうなったら会えるかどうかは賭けだったんだぞ」
「はい……ごめんなさい……」
なんだか本当に厳しい姉に怒られている妹の気持ちになってくる。
クローのお説教を涙目で聞いている、その時だった。
「あのぅ。代金の五千ステム、まだ払ってもらってないんですけどぉ」
背後からティオーラの声がした。
(しめた! 話をそらすチャンス!)
空気を読めない酔っ払いも、たまには役に立つ。
僕は「そうでしたそうでした」と、ティオーラの方をくるりと向いた。
「クロー姉さん、こちらはティオーラさん。酔いどれ占い師です」
「んむぅ?」
「こちらの飲んだくれに、五千ステム請求されてて」
「なんだか悪し様に言われてる気がしますぅ」
酔っ払っていても耳は聞こえているみたいだ。
ジロリと睨みつけられたけど、この際言いたい事は言っておこう。
「ティオーラさん。少しはお酒を控えた方がいいと思いますよ」
「酒は人間関係の潤滑油なのですぅ」
「滑りすぎですよ。もう十分です」
「生活の潤いなんですぅ」
「潤いどころか溺れてますよ」
「お酒に対して誠実でありたいんですぅ」
「誠実の意味がわかりません」
「毎日限界まで向き合うって事ですよぅ」
「それは己の欲望に誠実なだけです」
「もぅ、いいから五千ステム払って下さいよぅ」
そうは言われても、僕は旅費を持たされていない。
なので、支払いはクローに頼まなくてはならない。
そっと彼女を見上げると、呆然とした様子だ。
たぶん「よりによってこんな酔っ払いに騙されて……」と怒り心頭なのだろう。
(また怒られるかも)
そう思いながら、恐る恐る「クロー……姉さん?」と声をかけた時だった。
「……ティオ……ラ……」
クローのかすれ声が聞こえた。
喉から搾り出すような声だった。
いつもヘラヘラと笑みを浮かべている顔が、少し強張っている。
そして――。
「久しぶりね、クロー」
それは、先ほどの酩酊気味の声とは打って変わって落ち着いた……そして、どこか哀しげな声だった。
あまりの変わり様に、驚いてティオーラを振り返る。
クローを見つめるティオーラの瞳は、少し潤んでいた。
僕の頭の上で、視線が交差する。
「クロー……? この酒浸りと知り合いだったの?」
「んむぅ」
スッとティオーラが目を細める。
「どんどん言葉が酷くなってますぅ」
「本当の事じゃないですか」
「でも占いは当りましたよぅ。ここで、ちゃんと姉に会えるって」
「そりゃまあ――」
「ビー様」
僕の言葉をクローが遮った。
彼女は改まったように姿勢を正した。
「アイビー=デンタータ様。ようやく、姉君と会えましたね」
「…………え?」
クローは、いつの間にか冷静さを取り戻していた。
そんな彼女とは反対に、今度は僕が大きくたじろぐ。
(――あね、ぎみ?)
クローは、銀髪の彼女の前に跪いた。
「ティオーラ=デンタータ様。あなた様と弟君をお引き合わせするため、ここまで旅をして参りました」
呆気に取られる僕に、クローは告げた。
「アイビー様。あなたの十九人の姉君のうちのお一人が、こちらのティオーラ様ですよ」
♢ ♢ ♢
「――後継者、ですかぁ。認めて貰いたくて訪ねて来たってわけですねぇ」
ティオーラ姉さんは、僕を頭のてっぺんから爪先までジロジロと眺める。
僕らの事情は、クローが説明してくれた。
「かわいらしいお嬢さんだと思ってましたけどぉ、まさか弟とは」
いつの間にか日が暮れ、あちこちの店先にぶら下がっているランタンに光が灯る。
「あの父さんの跡を継げるんですかぁ? こんなかわい子ちゃんに出来るか不安ですぅ。ねぇクロー。ちゃんと鍛えてあげてますぅ?」
「ええ、それはもちろん」
クローが静かに答える。
「その格好は、変装ってわけですねぇ。お似合いですぅ」
僕のワンピースの裾を摘まもうとする姉さんの手を急いで避ける。
「嬉しくないです」
「そんな事言わないで下さいよぅ」
ティオーラ姉さんは、大きく息を吸って、吐いた。
深いため息だった。
「どうしてですか?」と僕は彼女に訊ねる。
「どうして、姉さんは、家を出たんですか? どうして父さんと暮らさないんですか? どうしてこんな所で――」
「こんな所で、酒に溺れているか、ですかぁ?」
ティオーラ姉さんは、首を軽く振って、口の端に笑みを浮かべた。
「そんなの決まってますぅ。私が弱いからですぅ」
「弱いって――」
彼女は立ち上がると、僕の顔を覗き込んだ。
「金の髪に、黒い瞳か――目の色は父さんと似てませんねぇ」
気にしている事を言われ、僕は一歩下がって顔を背ける。
すると今度は手が首元に伸びてきた。
白くて細い指が、僕の肩で切り揃えた髪を優しく撫でる。
「私、少しも似てないんですぅ」
輝く銀色の髪。
どこか虚げな琥珀の瞳。
風に揺らぎそうな細い身体。
ぼんやりとしたランタンの明かりの中、姉さんは哀しげな笑みを浮かべている。
確かにティオーラ姉さんは、父さんとは似ていない。でも――。
姉さんの話しているのは、きっと、見た目の事ではない。
「私、逃げたんですぅ。あの人の子供でいる事から」
横にいるクローは何も言わずに姉さんを見つめている。
「父さんの子供でいるって事は、つまり父さんの弱みでいるって事ですぅ。強くならなきゃ、足手まといになる……」
姉さんは、手触りを確認するかのように、僕の髪を摘み、そして離した。
「だってそうじゃないですかぁ?」
姉さんの琥珀の瞳に映った僕は、どんな表情を浮かべていただろうか。
ティオーラ姉さんの乾いた声が耳に届く。
「だって父さんは、元英雄――《黄金の勇者》アキレア=デンタータなんだから」




