重ね合う道
風が唸りを上げながら、フクロとハルカの間を吹き抜けていく。二人はなお向かい合ったまま、一歩たりとも退いていなかった。
戦況は拮抗している。フクロは左腕の袖を大きく裂かれ、ハルカも右腕の服が破れ、そこから血が静かに滴っていた。頬にも肩にも大小様々な傷が刻まれ、呼吸も決して穏やかではない。それでも、二人の背筋だけは少しも曲がっていない。
赤い瞳が、まっすぐハルカを射抜く。
「……何をした」
フクロが低く問いかける。
「アルテミスが変化した残刻器は、ずっと副作用があったはずだ。徐々に軽減されているとはいえ……根印を持たないお前の身体が、急に完全に適応できるはずがない」
「ははっ。私自身もびっくりするくらい身体が軽いんだよ!もう自分の身体じゃないみたい。でもね、すっごく頼りになる助っ人がいるってだけ」
そう言って剣を軽く振る。
「残念だったね。本当はずっと、正々堂々とあんたと勝負してみたかったんだけど。今はそういう場合じゃなさそうだ。ねえ、まだ考えを変える気はない?」
黒髪の少年はしばらく黙り込んだあと、視線を逸らした。
「……そもそも、お前たちと出会い、一緒に行動していたこと自体が偶然だった。もう十分だ。記憶はまだ全部戻ってはいないが……それでも、お前たちをここで止める。それが俺なりの餞別だ」
ハルカは即座に首を横へ振った。
「なら、その餞別は正式にお断り」
剣を肩へ担ぎ、いつものように笑う。
「私の目的は変わらない。この道は誰のものでもなく、私自身のものだから。ドミネーターを倒すって決めた以上、私は絶対に諦めない!その餞別は受け取らないし、あんたをそんな訳の分からない理由で一人行かせたりもしないよ!」
その言葉に、フクロの眉がぴくりと動いた。怒りを押し殺していた表情が、少しずつ険しさを増していく。
「それに、ヒヨリだって、そんな終わり方は絶対に認めないと思う」
「……必要ない。俺にあいつの許可なんていらない。たとえあいつが会いに来なくても……何を言うかくらい、分かっている」
ハルカは目をぱちりと瞬かせた。その言葉には、ほんのわずかに寂しさが滲んでいるようにも聞こえた。
「俺は一度、本気で思ったことがある」
フクロはゆっくりと刀を構え直す。
「……俺とあいつは、同じかもしれない、と。だが違った。完全に思い違いだった。俺とあいつは、決して同じ所には立てない」
ハルカは静かに剣先を持ち上げ、真っ直ぐ彼へ向けた。
「……そういうことはね、私じゃなくて、ヒヨリに言いなよ。尚更、私はここで負けるわけにはいかない」
フクロは雷を帯びた薄緑を握り締める。
「……なら、お前にそれだけの力があるか、見せてもらう!」
再び二人の姿が地を蹴った。一筋の雷光と黄金の閃光が天宮を駆け抜ける。
「これは……」
雲海の上では、無数の天兵たちが次々と動きを止め、その場へ崩れ落ちていく。金属の身体が音を立てながら折り重なり、あっという間にカラクリ兵士の山が築かれていった。
その光景を見つめたエンは、思わず口元を緩める。
「ヒヨリたち、やってくれたか。やっぱりオレの目に狂いはなかった!」
しかし、その隣ではキュウキが翼を大きく羽ばたかせ、ふわりと空へ舞い上がっていた。巨大な翼が影を落とし、エンを覆う。
「……キュウキ。どこへ行く」
「ん?」
キュウキは振り返りもせず、気楽そうに笑う。
「もう契約は済んだからな。あいつが呼べばいつでも行ける。だったら後は自由行動ってわけさ」
「相変わらず勝手な奴だ、気が合わん……行きたいなら、とっとと行け」
キュウキは肩越しに振り返った。
「じゃあそっちは?このままあいつらを助けに行くのか?」
「……いや。本当にオレの力が必要になるまで手は出さない」
エンの瞳は、遠く天宮を見据えている。
「契約を交わしたとはいえ、主従など絶対ではない。あのトランスグレッサーたちが、どこまで自分たちの力で道を切り拓けるのか……もう少し確認したい」
「へぇ~相変わらず慎重だなぁ」
キュウキは楽しそうに口笛を吹いた。そして背中を向けると、ひらひらと片手を振る。
「ま、好きにしなよ、鳥の王様。俺はさ、本番はむしろ――地上で始まる気がしてるんだよね」
破壊された統括中枢は、もはや完全に光を失っていた。青銅鼎の内部は静まり返り、先ほどまで回転していた球状機構も、まるで命を失ったように沈黙している。
ジョウガはその光景をしばらく見つめたあと、ゆっくりと視線をヒヨリへ向けた。彼の全身を覆っていた傷は、もうその再生能力によってほとんど塞がりつつある。
「……これで、昊天から託された役目は失敗だね」
ヒヨリが白兎の上に座る少女を見上げる。
「まだ俺の行動を止めるつもり?」
「……いいえ。失敗は失敗です。そもそも私の立場は特殊ですから。昊天には私へ命令する権利も、罰する資格もありません」
そう言って、もう一度壊れた青銅鼎へ目を向ける。
「天兵たちの統括中枢を私へ任せたということは……つまり彼は、中枢を失ったとしても、自分が勝つ自信を持っているということです」
「ちっ……昊天のやつ、本当にどこまで行っても自信家だな……!」
ジョウガは白兎の背から軽やかに飛び降りる。その仕草にはもはや敵意はなく、戦う意思が完全に消えていることが伝わってきた。
「トランスグレッサー、あなたの名前は?」
「……ヒヨリ」
「そう。私はジョウガ」
少女は小さく頷いた。一拍置き、その瞳でまっすぐ彼を見据える。
「あなたたちは昊天を倒し、その先では自分たちの手でドミネーターを討とうとしているのでしょう?なら教えてください」
その声は責めるものではなく、純粋な疑問だった。
「あなたたちは、何を根拠に、自分たちが昊天以上に成功できると思っているのですか?」
ヒヨリはきょとんとしたあと、苦笑する。
「どうして、そんな根拠が必要なんだ?今の俺たちに力が足りないとしても、昊天だろうが誰だろうが、勝手に決めつける権利なんてない。だから俺たちは全力でぶつかる。そして、自分たちの歩く道は間違ってなかったって、俺たち自身の力で証明するんだ」
ジョウガはしばらく黙って少年を見つめていた。呆れるようでもあり、理解できないものを見るようでもある。
「……表側がどうなろうと、私には興味がありません」
その声はどこか寂しげだった。
「ただ、この宇宙が動き続けるよう支えなければ……おじい様が悲しむでしょう。あなたたちは、自分たちの意思でここまで辿り着きました。なら、この先は……私は余計な干渉はもうしませんわ」
「……おじいさんのこと、本当に大事なんだね」
「ええ。おじい様は、私たち皆に優しい方です。そして、この宇宙そのものにも」
ヒヨリは思わず笑みを浮かべる。
「……なんだ。もっと怖い人なのかと思ってた。おじいさんの話をしてる時のお前、めっちゃいい顔してるぞ」
「……っ」
ジョウガは目を見開き、慌てて袖で顔を隠す。自分でも気づかぬうちに浮かべていた表情だったのだろう。
「……話はここまでです」
ぶっきらぼうに言うと、彼女はもう片方の手を軽く向けた。
「うわっ!?」
ヒヨリの身体が再び重力を失い、宙へと浮き上がる。
「ちょっ、今度は何だ!?」
「本来、あなたとこんなに話すべきではありませんでした。早くここを離れてください。その方が、お互いのためです。小玉、送りなさい」
「えっ!?ちょ、待っ――」
巨大な白兎が勢いよく駆け出した。その柔らかな身体へヒヨリは勢いよくぶつかる。
「わっ……?」
しかし痛みはまるでなかった。身体はふかふかの毛並みへ吸い込まれるように沈み込み――次に、巨大な反発力と共に勢いよく空高く弾き飛ばされる。
「うわあああああぁぁぁぁっ!!」
絶叫しながら彼の姿は彼方の空へと消えていった。
ジョウガはその背中を静かに見送り、小さく指を鳴らす。夜の帳は音もなく消え去り、蟠桃園は再び青空と陽光に包まれた。
少女はなおも、ヒヨリが消えていった空を見つめ続ける。
「……何を恐れておられるのです、ジョウガ様」
静寂を破ったのは、地に伏したままの敖コウだった。ジョウガは振り返らず、背中だけを彼へ向ける。
「……何のことか分かりません」
「長い年月の中で、月界の存在は伝説となり、陽界の人々から忘れ去られていきました」
青龍はゆっくりと言葉を続ける。
「表側の住民へ怒りを抱くお気持ちは理解できます。しかしシン様は……だからこそ、ご自身の目で陽界の人々を見てほしかったのでしょう。誤解を残さないでほしかったのでしょう……私がかつてナタを誤解し、取り返しのつかない過ちを犯したようなことを、君には繰り返してほしくないのです」
ジョウガはわずかに横目で敖コウを見た。
少女は何も答えない。ただ、隣へ寄ってきた白兎の柔らかな毛並みを静かに撫で続けるだけだった。
「キィンッ!」
刃と刃がぶつかり合う甲高い音が響く。ハルカとフクロの戦いは、ますます決着の見えないものとなっていた。
豪奢だった宮殿群は、二人の斬撃が巻き起こす衝撃だけで次々と崩れ落ち、いつしか辺り一帯は瓦礫の海へと変わっている。互いに体力の消耗も激しく、肩で大きく息をしながらも、一歩たりとも譲ろうとはしない。
「……ちっ、しぶとい」
フクロは舌打ちする。その胸中では、ハルカの成長速度に舌を巻かずにはいられなかった。
「ははっ!どう?私、まだ切り札残ってるよ?フクロ、もう疲れちゃった?」
「……どこまでも愚かだ、本当は、お前には使いたくなかった。だが……聞き分けがないのはお前の方だ、ハルカ!」
青黒い雷が巨大な蛇のように少年の全身を這い回り、その細身の身体を包み込んでいく。赤い瞳には凶光が宿り、その姿は先ほどまでとはまるで別人だった。
それを見たハルカの額に、一筋の冷や汗が流れる。
「……来なよ」
彼女は両手で剣を握り直す。
「あんた一人すら引き止められないなら……私は何一つ守れないんだ!」
「――ッ!」
ハルカの視界からフクロの姿が消えた。いつ動いたのかすら見えない。気づけば、目の前にいる。
隙が、一切ない。反応速度だけは誰にも負けないはずだったハルカですら、まるで追いつけない。
これが、生まれながら根印を持つ者の身体能力。その圧倒的な隔たりを、彼女は初めて骨身に染みて理解した。
「っ――!」
だが。
刃が届く寸前、フクロの姿が突然視界から消えた。
「……え?」
違う。消えたのではない。何かに激突し、吹き飛ばされたのだ。
「ドォンッ!!」
「ガラガラッ!」
瓦礫が崩れ、大量の白煙が舞い上がる。
ハルカは慌てて煙の中へ駆け寄った。そこに見えたのは、見慣れた金色の髪。
「……ヒヨリ!?」
「いててて……」
ヒヨリは頭を押さえながら起き上がる。
「え?ハルカ?うわ、こんなところにいるの?!もしかしてジョウガ、わざと――」
そこまで言って、視線が止まる。
瓦礫の向こう、刀を突き立てて身体を支えながら立ち上がる黒髪の少年。
「……フクロ」
フクロもまた、突然空から降ってきた少年を見つめていた。赤い瞳が大きく見開かれる。刀を握る手にも、思わず力がこもった。
「……ヒヨリ」
その場の空気が、一瞬で張り詰める。ヒヨリもまた油断なく二人を見比べた。
「……二人とも、さっきまで戦ってたの?……なんで?」
沈黙が落ちる。誰も何と言えばいいのか分からない。
そんな空気を吹き飛ばすように、ハルカは大きく息を吸い込むと――ばんっ、とヒヨリの背中を思い切り叩いた。
「はははっ!見ての通り、大喧嘩の真っ最中!」
満面の笑みで親指を立てる。
「フクロってば、女の子相手なのに全然手加減してくれないんだから!」
「……お前を手加減していたらとっくに俺がやられているだろうが。どの口が言う」
「そんなに評価してくれるなんて嬉しい!だからこそ……あんたには、私のやりたいことを邪魔する人にはなってほしくないんだよ、フクロ」
ヒヨリは二人のやり取りを見つめながら、ようやく状況を理解したように静かに立ち上がる。服についた埃を払い落とし、ゆっくりと口を開いた。
「……ハルカ、ここは俺に任せて。まだ、本当に倒さなきゃいけない相手が前にいるだろ」
「えー?こっちはちょうど盛り上がってきたところなんだけどなぁ。でも……あんたにも、フクロへ伝えたいことがあるんでしょ?」
「……いいの?」
「もちろん!」
ハルカはいつもの満面の笑みを浮かべる。
「私相手なら、思いっきりわがままになっていいんだからね、ヒヨリ!」
「……ありがとう。任せて」
ハルカは瓦礫を軽やかに飛び降り、そのまま二人へ背を向けて歩き出す。
フクロも、ヒヨリも、その背中を黙って見送った。
そしてハルカは大きく息を吸い込み、振り返ることなく高らかに叫ぶ。
「――二人とも!」
その声は瓦礫の街へ力強く響き渡る。
「遠慮なんかしないで、全部ぶつけ合ってきなよ!本気で戦って出した答えなら……私は、どんな結果だって受け入れるから!」




