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プロジェクト【サハ】  作者: 諸星佑月
【第三章】天を閉ざすは誰が為
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月の仙女

「……おじい様。そこまで頑張らなくてもいいじゃない。おじい様がどれだけ頑張っても、向こうの人たちは何も知らない。誰も、おじい様にありがとうなんて言わないし、ごめんなさいだって言わない。そんなの……あんまりじゃない」

「ジョウガ、そういうものじゃないよ。私はね、自分がやりたくて、この事をしているんだ」

「やりたい……?こんな場所で?何もないのに?誰にも知られなくて、誰にも感謝されなくて、それでも……やりたいことなの?そんなはず、ないじゃない」

「同じことを言った子が、今まで何人もいたよ。ジョウガ。君が表側を好きじゃないことは知っているけど、私のお手伝いだと思って、一度だけ、向こうへ行っておいで」

「……え?おじい様のお手伝いなら、私はいくらでもするよ。おじい様は、ずっと私たちのために頑張ってきたんだから。でも……私は、おじい様にはもっと、自分のために生きてほしい」

「ありがとう。宇宙はね、とても残酷だ。だけど同じくらい、美しい。ここには、その美しさがほとんどない。だから君には、その美しいものを見つけてきてほしいそしていつか――君自身が、本当にやりたいと思えるものを、見つけてくれたら、おじい様はそれだけで十分嬉しいよ」


 夜の帳に覆われた蟠桃園は、昼間の穏やかな景色とはまるで別世界だった。銀白色の果樹は霜をまとった硝子細工のように静まり返り、冷え切った空気だけが辺りを満たしている。その中心では、青銅鼎の姿をした統括中枢の傍らに、巨大な白兎へ静かに腰掛けたジョウガが佇んでいた。

 その前に立つのはヒヨリ。そして彼の背後には、全身を傷だらけにしたまま倒れ伏し、もはや立ち上がる力すら残されていない青龍――敖コウが荒い息を吐いている。

「降伏しろって……?ナタにあんな仕打ちをして、ハルカも、師匠も……それだけじゃなく、こんなボロボロになった相手にまで手を掛けようとしてる!そんなお前なんかに、誰が降伏するか!」

 叫ぶと同時に、ヒヨリの右拳へ黄金色の炎が轟と燃え上がる。ごく自然に根印(ねしるし)を発動しただけだった。しかし、それを目の当たりにしたジョウガの表情が、初めて大きく揺らいだ。

「……あり得ませんわ。どうして……?」

 その驚愕は彼女だけではない。

「君……なぜ能力が使える……?」

 背後から敖コウまでもが信じられないものを見るように目を見開く。

「え?どういうこと?本当は使えないはずなの?……うわっ!?」

 言葉を言い終えるより早く、ヒヨリの身体が突然ふわりと宙へ浮き上がった。重力そのものを奪われたかのように体勢を保てず、必死にもがく。しかし次の瞬間、地面から硝子のように透き通った銀色の枝が無数に伸び上がり、蛇のように彼の手足や胴へ絡みついていく。

「あっ、ちょっ……これ何だ!?うっ……!」

 鋭く細い枝先が肌へ食い込んだ瞬間、身体中の力が一気に抜け落ちた。炎を纏った拳もみるみる勢いを失い、ヒヨリは枝に吊るされたままぐったりと項垂れる。

「くそ……何だよこれ……全然、力が入らない……!」

 ジョウガは乱れた翡翠色の髪を指先でさらりとかき上げ、ため息をつく。

「だから降伏しなさいと言ったでしょう。本当に驚かされたわ……どういうわけかは知りませんが、あなた自身の体内だけで根印(ねしるし)を動かせるほどのハタを持っているらしい。ですが、表側の住人である以上、対処法はいくらでもあります」

 その声には焦りはなく、すべてを掌の上で転がしているような余裕だけがあった。

「安心しなさい。私は別に戦いたいわけじゃありません。ただあなたたちをここへ閉じ込めて、中枢へ近づけさせなければそれで十分ですよ」

「戦いたくない……?だったら何で!お前は天宮の、昊天の配下なんだろ!」

「私はルナーですよ。ただ、たまたまここへ残っているだけです」

「ルナー……?何、それ?」

 ジョウガは露骨に疲れたような顔を浮かべ、小さく眉を寄せる。

「本当に何も知らないのね……」

 そう呟くと、彼女は指先を軽く動かした。

「――うわぁっ!?」

 絡みついていた銀色の枝が一斉にヒヨリを引き寄せる。次の瞬間には彼の顔はジョウガの目前まで運ばれ、互いの吐息が触れ合うほどの距離で向き合っていた。

 翡翠色の瞳が、じっとヒヨリを覗き込む。

「あなたみたいな何も知らない男が、あのナタに認められて、自分の意思でここまで辿り着いたとは……」

 ヒヨリは束縛されたまま、それでもまっすぐ彼女を見返した。

「……俺は、自分のやりたいことを見つけたいんだ。俺がなりたい俺になるために、ここまで来たんだ!」

「……ふっ」

 ジョウガは思わず吹き出し、冷ややかな笑みを浮かべた。

 袖を軽く払う。その動きだけで銀色の枝がヒヨリを勢いよく地面へ叩きつけた。

「ぐっ……!」

「信じられませんわ。本当に子供みたい」

 ジョウガは冷たい眼差しで地面に押さえつけられたヒヨリを見下ろす。

「やりたいことを見つけたい?そんなもの、叶うはずがないでしょう。この宇宙の誰一人、自分のためだけに生きることなんてできないというのに」

 彼女の碧色の瞳でヒヨリを射抜いた。

「ルナーとは何かと聞きましたわね。いいわ、暇つぶしに教えてあげます。どうして宇宙の根印(ねしるし)持つ者が、あれほど好き勝手にハタを消費しながら能力を使えると思っていますか?宇宙中のハタが無限だと、本気で思っていますか?」

 ヒヨリは言葉を失った。そんなことは考えたことすらなかった。

「当然ですよね。表側の人にとって、ハタは使えて当たり前。尽きないのが当然のことです。図々し過ぎてムカつくわね……あなたたち表側陽界(ソウロー)で消費されるハタは、私たち裏側月界(メーノン)で回収し、精製し、新たなエネルギーへ作り変えて送り返しているものなのですから」

「……えっ?」

「遥か昔、ルナー……つまり裏側に生まれた私たち。その中で、私たちのおじい様は自ら月界(メーノン)のエネルギー変換炉を管理する役目を引き受けました。果てしない極寒の永夜の下、何もない荒野で、来る日も来る日も変換炉を守り続け、陽界(ソウロー)へ新しいハタを送り続けてきました」

 余りにも破天荒な話で、ヒヨリの思考が追いつけない。

「……こんなの、本当なのか、師匠?」

 彼はこそりとタマモに尋ねる。

【まあ、ほんまやったんどすなぁ。妾も前に言うたことあったやろ?おぬしらが今おるこの宇宙は、変換炉とのつながりが切れてしもたよって、滅びを待つばかりなんどすえ】

「……変換炉って、まさか人がそれを見ないといけない、なんて……」

 ヒヨリが抗っていないことを確認し、ジョウガの声は次第に沈み、どこか彼女自分へ言い聞かせるように変わっていく。

「私は……おじい様のそんな姿を見ていられなかったんです。だから、おじい様一人に背負わせたくなくて、自分自身を変換炉の機能の延長としてこちらへ来ましたわ」

 ジョウガは目を伏せる。その横顔には、長い年月を耐え続けてきた者だけが持つ疲労と諦めが滲んでいた。

「何も知らないというのは、本当に幸せですね、トランスグレッサー。あなたは自由に理想を追いかけていますが、その自由は、数え切れない誰かが夢を捨てた上で成り立っています」

 彼女は笑っているが、その笑みには温もりなど微塵もない。

「今のあなたはきっと、だから何だって思っているのでしょうね。残念、私は、あなたたち表側の、自分勝手な人を見ると……どうしても腹が立つ面倒な女よ。運が悪いですね、あなたは」

 ヒヨリは地面に伏せたまま黙っていた。抵抗する様子もない。その姿を見て、ジョウガはほんの一瞬だけ警戒を解く。

 ドンッ、とヒヨリの全身を黄金の炎が包み込む。絡みついていた銀色の枝は一瞬で燃え尽き、灰となって砕け散った。少年が、ゆっくりと立ち上がる。

 ジョウガは再び身構える。なのに、ヒヨリは攻撃するどころか、その身を包んでいた炎を静かに消した。

 彼はジョウガを見つめ、どこか吹っ切れたような穏やかな表情を浮かべる。

「……そうか。だったら、俺はもう、お前と戦う理由はない。でも、統括中枢だけは壊さなきゃいけないんだ。そこは、譲れない」

「……どういう意味?」

「少し安心したんだよ」

 彼は真っ直ぐジョウガを見据え、言葉を続ける。

「みんな、苦しみながら生きてるんだね。苦しくても、それでも自分にできることを必死にやってる……お前も、そうなんだのようで、ほっとした」

 ヒヨリは静かに一歩を踏み出し、統括中枢である青銅鼎へ向かって歩き始めた。

 ジョウガは眉をひそめると、指先を軽く動かす。たちまちヒヨリの身体は再び重力を失い、ふわりと宙へ浮き上がった。

 ――だが、ヒヨリの足元から瞬時に氷が広がり、両足首を地面ごと凍りつかせる。宙へ浮かぶことを強引に拒み、自らを大地へ縫い留めたのだ。

 そして彼は、一歩踏み出すたびに足元の氷を砕き、新たに踏み出した先をまた凍らせる。砕き、踏みしめ、凍らせる。その動作を何度も繰り返しながら、一歩、また一歩と前へ進み続ける。

 ――二つ目の異能力。

 ジョウガは一瞬目を見開いたが、それを驚いている余裕などもうなかった。

「……っ!」

 次に、夜の領域の至る所から、硝子細工のような半透明の瑠璃色の蟾蜍が無数に現れる。群れをなした蟾蜍は一斉にヒヨリへ飛び掛かり、肩へ、背中へ、胸へ、太腿へと次々に張り付いた。そしてその身体はどろりと崩れ、腐食性の泥へと変わる。

 じゅうっ、と焼ける音。

 皮膚が溶け、白い煙が立ち上り、鮮血が溢れ出した。

「ぐっ……!」

 激痛に思わず歯を食いしばる。それでもヒヨリは止まらない。彼の驚異的な再生能力は傷口を次々と塞いでいく。けれど、痛みだけは一切消えてはくれなかった。

 傷付き、癒え、また焼かれる。その繰り返しの中で、流れ出る血は再生が追いつかないほどの量となり、歩くたびに雲上の大地へ赤い血溜まりを残していく。

 滴り落ちた血は、やがて倒れ伏す敖コウの足元にまで流れ着いた。

 青龍は、その金髪の少年の背中を、ただ見つめていた。決して折れず、決して立ち止まらない、その背中を。

「……やめなさい」

 ジョウガの声が夜空へ響く。

「無謀にも程がある。あなたは一体、何がしたいというのですか?」

 ヒヨリは苦しげに息を吐きながら、それでも足を止めない。

「別に……大したことじゃないよ……たぶん……お前は俺がありがとうって言っても、ごめんって言っても……きっと受け取ってくれないだろうし……」

 額までも腐食され、流れ落ちる血が片目を覆う。

 それでも彼は前だけを見ていた。

「でも……お前にはお前の歩いてきた道がある。俺にも、俺の歩いてきた道があるんだ……っ!」

 左腕の前腕が激しく焼け、とうとう肉が削げ落ちて白い骨が露わになる。それでも、その歩みは止まらない。

 ジョウガの声が震えた。

「あなた……異能力を二つも持っているのに、その力で私を倒すことだってできるでしょう。それに、初対面の私の話を全部信じたというのですか?何という甘い男……!」

「戦いたくない人に、手を出してどうする……万が一……万が一お前の言ったことが本当だったら……」

 彼は息を切らしながら、一歩踏み出す。

「俺が力でお前をねじ伏せたら……お前はきっと、更にこの宇宙のことが嫌いになる!きっと、自分が本当にやりたいことなんて……もう探せなくなる……!」

 今度は右脚が激しく腐食される。力を失ったヒヨリは片膝をつき、片手を地面へ突いた。

 それでもなお、中枢まであと十歩。あと十歩だった。

 ジョウガは呆然と呟く。

「……私が……?そんなこと……己の道を進みたければ、他人の道を断つしかないというのに、どうして……」

 ヒヨリは血だらけの顔で彼女を見上げ、照れくさそうに笑った。

「お前のことは、よく知らない。でも俺は、前へ進めば進むほど、自分一人の道なんてどこにもないって知った。必ず誰かの道と重ね合わせるんだ」

 その笑顔に、ジョウガは思わず息を呑む。やがて迷いを振り払うように歯を食いしばると、白兎へ鋭く命じた。

「……もういいわ」

 巨大な白兎が勢いよく跳び出し、ヒヨリの進路を完全に塞ぐ。真紅の瞳が、少年を鋭く睨みつける。

「宇宙中探したって、あなたみたいな馬鹿な男はいません……!私は昊天のやり方を全面的に認めているわけじゃありませんが、だからといってあなたたちの好き勝手を許せば、この宇宙はもっと混乱になる――これ以上、一歩も進ませません!」

 ヒヨリは満身創痍の身体をゆっくり起こし、血に濡れた顔のまま穏やかに笑った。

「……そうかな。でもさ」

 彼が地面についた掌から、灼熱の熱流が地中へと一気に走った。

「たくさんの世界がなり立つ前に、宇宙は、最初から混乱だっただろう」

 大地の奥を駆け抜けた炎は、ジョウガと白兎の足元を迂回し、そのさらに先――古樹と一体化した青銅鼎へ到達する。

 鼎の内部で回転していた球状機構が突如として炎に包まれた。回転は急激に加速し、制御を失った球体は内部へ激しくぶつかり続ける。

 そして――ぱちん、と音を立てるように光が消えた。球体は完全に停止する。

 静寂が訪れた。

 ジョウガは息を呑み、ゆっくりと振り返る。そこには、完全に機能を停止した統括中枢。そして彼女の前には、全身を覆っていた傷が驚異的な速度で癒え始めているヒヨリの姿があった。

 敖コウは戦う力こそ残されていなかった。それでも、その瞳からは一筋の涙が静かに零れ落ちる。

「……ああ」

 青龍は空を見上げ、震える声で呟いた。

「ナタ……君が守ろうとした未来は、君がずっと探し続けていた人間は……ようやく、見つかったんだな」


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