血と土
リリスは素直に頷き、すっと二人の間をすり抜けて部屋を出て行った。外のドアが閉まる音を聞くと、カーミラは口を開いた。
「ヴラドからの頼みで、ここに食糧を運んできたのかい?」
「えっ、ああ。ここ以外にも配る場所はあるんだけど……」
とヒヨリは正直に答えた。
「もっと近くへおいで、坊や。よく聞こえないんだ」
ヒヨリとハルカは顔を見合わせ、一緒に近づいた。そしてヒヨリはしゃがみ込み、さらに顔を寄せて、先ほどの答えをもう一度繰り返した。
「そうかい。それなら、リリスの分だけ残しておくれ。半分もあれば十分だよ」
「えっ?じゃあ、カーミラさんは?」
「エリィは説明したかい、この拠点の食糧事情を」
「あ、長いこと雨が降らなくて、ずっと不足しているって……」
「それなら話は早いね。私はもう十分長く生きたのに、若い子たちが飢えるなんて、不合理な話でしょう。ヴラドは優秀だ、いろんな意味でね。でも、まだまだ甘い。カインも、ヴラドのそういうところは直してやらないと」
彼女は小さくため息をつき、続けた。
「これはね、あなた達余所者にしか頼めないことなんだ。どうか、リリスや他の子どもたちのためだと思って……」
その意図を理解したハルカは、眉をひそめた。
「そんなの、できるわけないだろ。あんたを見殺しってことじゃない」
「……どうして?」
そう問い返したのはヒヨリだった。
「カーミラさんは……リリスみたいな人がそばにいて、ヴラドだってカーミラさんの為考えてるはずだ。なのに……生きたくないのか?」
それは問い詰めているのか、怒っているのか、ヒヨリ自身でもわからない声だった。
「現実は残酷なものさ、坊や。どうしてあなたはそう思うのかは分からないけど、私はもう、何をするにも手が震え、目もよく見えないし、耳もだんだん聞こえなくなってきている。この世界で、何もしないというのは、ただ死を待つのと同じこと……ならば、私はとっくに終わりを迎えるべきでしょうに」
彼女は穏やかに言葉を続けた。
「安心して。リリスには上手く隠す。あなた達が口をつぐんでくれれば、誰も疑いやしない。どうか、助力を……」
「……わるい。何を言ってるのか、俺には一言も分からない」
重たい袋を床に置き、ヒヨリはそのまま背を向けて外へ出ていった。
「おい……」
ハルカはまだ状況を完全には理解できていなかったが、仕方なく食糧を置き、老女に軽く頭を下げると、後を追った。
カーミラはその場に座ったままだった。
白髪に覆われ、顔には深いしわが刻まれている。それでも、その振る舞いはどこまでも優雅で、美しさを失ってはいなかった。
老女は静かに頭を垂れ、二人が残していった荷物を見つめていた。
ブルーハー血族の糧は、とある植物から採取される。その植物は、拠点の一角に整然と植えられており、見た目は黒いバラに似ているが、トゲの部分には数十個米粒のような赤い果実が実り、花も食用可能である。前日、エリザベスが彼らに淹れたお茶も、この植物の花びらから作られていた。
ヒヨリは何でも食べ慣れているので特に気にしなかったが、ハルカはこの味に馴染めなかった。彼女曰く、「血と土が混ざった草の味がする」とのことだった。それでもハルカはしっかり完食した、どうやら美味しさにそこまで気にしていないようだ。
ただカーミラに食料を届けるだけでなく、ハルカとヒヨリは手分けして他の年配者たちにも届けることにした。ハルカは大丈夫と言ったが、リリスはどうしても手伝いたいとついてきた。小柄な身体でも一袋の糧食を持てる彼女の姿を見て、ハルカも彼女のやる気を認め、同行を許した。
「わたし、すっごく強いんだから!前にみんなで咲血を試した時、カイン兄ちゃんがすごく褒めてくれたの!将来きっと外に出て戦えるよ!」
「リリスは外に出たいか?」
「うーん……出たいというより、みんなの役に立ちたいの!ヴラド兄ちゃん、本当に大変そうなんだよ。前はいつも笑ってたのに、族長になってからずっと難しい顔ばっかりで……あ、別に族長になってほしくなかったわけじゃないよ!でも、わたしが早く大人になれば、少しはヴラド兄ちゃんも楽になるかなって……」
「へーーヴラドが好きなんだ」
「そっ、それは!その……」
リリスの顔が真っ赤になって、その淡いピンクの髪とより一層似合う。
「ははっ、いいじゃん!あいつにちょっと色々言われたけど、私もヴラドは結構”いい男”だと思うよ?小さいのに見る目あるねリリス!そういえば、ヴラドが族長になる前のブルーハーって、どんな感じだった?」
リリスは困った顔をして考え込んだ。
「うーん……あんまり覚えてないけど……ヴラド兄ちゃんが族長になった頃、わたしの両親が亡くなった時期だった」
「えっ?」
「二人とも戦闘員だったんだ、グールの攻撃でウイルスに感染されて……どうしようもなくなって、完全に感染する前に殺されたの」
ハルカは沈黙した。
だがリリスは、その悲しい事実をもう完全に受け入れているかのように、静かに語った。
「そのとき、ヴラド兄ちゃんは両親と一緒に行動していた。すごくすごく悲しんでた。手術室の前で膝をついて泣いてたの。まだ死っが分かってなかったわたしを抱きしめながら、何度もごめん、助けられなくてって」
「……ごめんな、そんな話させちゃって」
「大丈夫だよ。いまはおばあちゃんと一緒だし、ちゃんと元気に暮らしてるから」
リリスはにこっと笑って顔を上げた。
「ところでハルカの姉さんは?わたし、前から聞きたかったんだけど、本当に別の世界から来たの?」
「うん。考えてみりゃ、あんたと案外似てるのかもね。私も両親はいない、会ったことも、聞いたこともないんだ」
「そうなの?じゃあ、他に家族はいるの?」
ハルカはにこっと微笑んだ。
「いるよ。とっても強くて、やさしくて、大好きな家族たちが」
時間はあっという間に過ぎていく。外に出ていた人も日没前には全員帰還した。彼らの任務は、できるだけ遠くまで探索し、血族以外の生存者や、まだ汚染されていない土地が残っていないかを調査すること。保存している地図には、何も発見されなかった区域にバツ印をつけて記録している。
長時間の外出はやはり疲れるものだ。カインは笑いながら、フクロに拠点の端っこには体や衣服を洗うための地下水があるから、使いたければ手配するよっと伝えた。
フクロも遠慮せず、それに甘えることにした。
ただ、その場にはすでに先客がいた。
ヒヨリだった。
そっちもフクロに驚いた様子で、水中で少しウロウロしているようだった。フクロはため息をつくと彼を無視し、服を脱いで池に入った。
水温は低かったが冷たくはなく、むしろ疲労を癒すのにちょうどよかった。大きくないこの池の地下水は、多分ブルーハーの食用作物に使えないだろうと、フクロは考えながらゆっくりと身体を沈める。
水の流れる音だけが響く中、二人の間には言葉がなかった。
その沈黙に我慢できなくなったのヒヨリは先に口を開く。
「フクロ」
黒髪の少年は表情を変えず、赤い瞳でヒヨリを見つめた。
「今朝の言葉って、どういう意味だ?ハルカに……」
「……聞く必要ある?分かっているだろう」
「それって、お前もか?自分のこと何にも分からなくって、だからここに来て探そうと……」
「だったら何だ?勘違いするな、俺とお前は同じじゃねえ。俺には、どうしても知らなくじゃならないことはあるんだ。どこかの命知らずの奴と違う」
「……っ何だよ上から目線して!」
「上だろう。っつうか今朝のあれは何だ?まさに世間知らずな馬鹿がする動きだな。信じられないほど甘いな、お前は。その体質じゃなきゃ、何回死んたかもわからない。恵まれてんな」
「……恵まれる、だと?」
声が震え、拳も痛いくらい握りしめた。
「もっかい言ってみろよテメェ」
「やんのか、上等だ」
フクロも立ち上がり、そのまま水池でやり合うつもりのようだ。どっちも引くつもり一切しない、互いの怒りが、今こそ頂点に上った。
誰も止めてくらないなら、本気に殴り合うだろう。
「やめなあんたたち。風呂場だろう?男の子同士の喧嘩、私嫌いじゃないけど、せめて場所変えな」
池の中心にある岩の上、あぐらをしているハルカはまさにベストタイミングで二人を阻止した。
「……」
ヒヨリもフクロも、明らかに不服しているが、間をおいてようやく違和感を察知し、同時に少女に向ける。
「えっ、は、ハルカぁぁぁーー?!いつから……」
「……そこで何をしている、ここは男用だろうが」
「いやーーーー冷たいこと言うなよ!一緒に寝た仲じゃないか!」
「真面目に、答えろ」
フクロの視線は、殺気に満ちている。
「べ、別に悪いことじゃないし……誰にでも趣味や興味のひとつくらいあるでしょ……せっかくいまルキウスに煩く言われないから……」
少年二人がようやく確かめることができた。
初対面の時から薄らかと気付いた。この女、男に対する趣味は異常だ。変質と言っても過言ではない。
「ハルカ、その趣味って一体……」
ヒヨリの問いに、ハルカは突然生き生きと答えた。
「いい男さ!少年からお爺ちゃんまで、私がいいと思ったら、対象になれるよ!だって私、博愛なんだから!」
「……男の風呂場にまで潜るの……?」
「それはめちゃくちゃ好みに合うやつがいたら見るでしょう!別にわざわざ風呂場じゃなくてもいいけど、あんたたちなかなか隙がないからね。もう、いい体してるなら人に見せるこそ世に福なのに、そして私の目と心にも福ってね!」
「出てけ変態」
「何だよフクロ!いいじゃん減るもんじゃない……」
「出てけぇぇぇぇぇぇぇ!」
轟く雷鳴のような叫びが、岩を裂いたかのような音と共に、拠点全体に響き渡った。




