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プロジェクト【サハ】  作者: 諸星佑月
【第三章】天を閉ざすは誰が為
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第三の目

 全員の目的が一つに定まってから、数日ほど休息を取った。

 そして今日――いよいよ軒轅国を離れ、紫微天宮へ向かう時がやってきた。

「軒轅国もすっごく面白かったけど、天宮ってところも見てみたいんだよね!それに昊天には、ちゃんとでっかいお返しもしなくちゃ!」

 ハルカは肩を回したり腕を伸ばしたりと準備運動をしながら、やる気満々な様子を見せる。

 だがその隣で、金髪の少年だけはどこか浮かない顔をしていた。

「ヒヨリ?どうしたの?」

「いや……ハルカ。フクロのことなんだけど……」

「ああ、あいつ?まあ、その時会ってから考えればいいよ!」

「ハルカって、フクロにはずいぶん甘いよな……。俺はいまだに、あいつには腹が立つことが時々あるんだけど」

「ははっ!時々あるってことは、逆に言えば可愛いところもちゃんと見えてるってことじゃん」

 そう言って笑ったあと、ハルカは少しだけ真面目な表情になる。

「でもね、ヒヨリ。私はフクロって、自分が何者なのかをまだ知らないだけなんだと思うんだ……いや、正確には、ヒヨリもフクロも、昔の私と同じ。自分が何をしたいのか、まだ見つけられてないだけなんだよ」

 その言葉に、ヒヨリの瞳へ少しだけ光が戻る。

「それって、全然おかしくないよ。自分が何をしたいのか、自分がどんな人間で、これからどう生きたいのかなんて、答えを見つけるだけでもすごく難しいことだから」

 首から提げたひび割れたペンダントへ視線を落とし、どこか懐かしそうに微笑む。

「うちの兄はね、小さい頃から天才だ神童だって言われてたけど、それでも自分の答えを見つけるまで、すっごく時間がかかったんだよ。だから焦らなくていいって」

 しかし、そこでハルカはふっと表情を引き締めた。

「……もちろん、フクロが最後に出した答えが、私と正反対だったら、その時は敵になるしかないかもしれない。でも今は、まだ何も分からないでしょ?だったら、その時になって考えればいいんじゃない?」

「さて」

 先頭を歩いていたエンが立ち止まり、一同を振り返る。

「そろそろ軒轅国を出るぞ。この大結界は位置こそ一定ではないが、広さは変わらない。あと十歩も進めば外の世界へ戻る。そうなれば、高い確率で昊天に気づかれるだろう。全員、覚悟はしておけ」

「ハルカいう娘」

 タマモが前へ出る。

「平安京で使うておった、あの盾を展開し。できる限り、一番強う防御を張るんや。軒轅国を出るまで、決して解除したらあかんえ」

「え?うん……でも、なんでタマモがあれを知ってるの?蘆屋ドウマンと戦った時、タマモは那須野にいたよね?」

「ええから、妾の言う通りにし」

 理由は分からなかったが、その真剣な声音にハルカも素直に頷く。紫色の粒子が両手へ集まり、やがて虹色の輝きを帯びた巨大な銀白のカイトシールドが姿を現した。ずしん、と大地へ突き立てられると同時に、透明な大樹にも似た防御結界が天へ向かって広がり、全員を包み込んでいく。

 その様子を見つめながら、東華が心配そうに口を開いた。

「……ハルカ。あなたが全力を尽くさなければならない状況なのは分かっている。でも、どうか身体だけは大事にしてほしい。これ以上あなたを傷つけたら……私はどうルキウスに……」

「はいっ!私みたいな無茶するやつを心配してくれる人が、また一人増えちゃったね。ちゃんと大切にするよ!」

 そう言うと彼女はエンに代わって隊列の先頭へ立ち、巨大な盾を両手で押しながら、一歩、また一歩と前へ進み始めた。

 十歩にも満たない距離だった。それだけで世界は静かに姿を変えていく。

 色鮮やかな牡丹が咲き誇っていた花畑は霧のように溶け、湿り気を帯びた暖かな空気もいつしか消えていく。

 代わって現れたのは、鬱蒼と生い茂る竹林。肌を刺すような冷たい空気と、薄暗く静まり返った景色だった。

 軒轅国を出たのだ。

 ――ガキィンッ!!

 耳をつんざく轟き、雲まで届く巨大な氷山が何の前触れもなく一行の周囲へ出現した。

 凍てつく冷気が一瞬で骨の髄まで侵食し、まるでこの一帯だけが永遠の冬へ閉ざされたかのような寒さが襲いかかる。

 ……いや。正確には、ハルカの防御がそれを防いでいたからこそ、氷山が外側に現れたように見えただけだった。もしあの盾がなければ、一行全員が今頃あの巨大な氷塊の中へ封じ込められていただろう。

「なっ……!」

 エンですら、この不意打ちには息を呑み、一瞬思考が止まる。

「顕聖真君だ!」

 叫んだのは東華だった。

「絶対にハルカの防御範囲の外へ出ないで!」

 ガキンッ!!ガキンッ!!ガキンッ!!

 次も、その次も。巨大な氷山が立て続けに出現し、一行を押し潰さんと襲いかかる。一度でも直撃すれば命はない。青々と茂っていた竹林は、いつしか幾重もの氷山によって支配され、まるでその場所そのものが氷雪の王国へ塗り替えられたかのようだった。

「どうなっている……敵はどこだ!」

 エンは鋭く周囲を見回す。しかし、どれだけ探しても見知らぬハタの気配は一切感じられない。

「ヒヨリ!」

 ハルカも盾を押さえながら叫ぶ。

「どういうこと?!」

 ヒヨリは歯を食いしばり、能力を最大限に研ぎ澄ませる。

「……俺にも分からない!気配が……何も感じられないんだ!どうして……!」

【愚かだ……あまりにも愚かだ】

 その場にいた誰もが、その声を耳にした瞬間、全身が硬直していた。

「……そんな、まさか……」

 ヒヨリの顔から血の気が引く。

「昊天……!」

 そのとき、不意に肩へ手が置かれた。振り向くと、タマモが真剣な表情で彼を見つめている。

「落ち着き。よう聞き。あれは空気と氷を震わせて響かせてるだけや。あやつ本人はここにはおらへん」

 タマモの言葉にヒヨリは息を呑む。空そのものから響くような声だけが、なお森一帯へ重々しく降り注いでいた。

【長き付き合いへの情けで、貴様たちには手を出さぬつもりだった……どうやら、我も甘かったようだ。ここで王様ごっこに興じるうち、思い上がったか――フェニックス】

「オレは最初から、オマエのやり方が気に食わなかった!」

 その勢いのままエンは一歩だけ、防御の外へ踏み出した。

「――ッ!」

 凍てつく氷が足元から一瞬で這い上がり、エンの身体を飲み込んでいく。骨の髄まで届くような冷気が根印(ねしるし)そのものを封じ込め、自由を奪った。

「くっ……こんなもの!」

 さらに激しく涅槃の炎を燃え上がらせる。しかし、その命を甦らせるほどの神炎ですら氷は微動だにしない。それどころか、氷はますます冷気を増し、炎さえ呑み込もうとしていた。

「エン!」

 ヒヨリが駆け寄ろうとしたその瞬間、誰かの影が彼を制し、そのまま前へ踏み出す。

【力の差は理解したか。我は皆殺しにするつもりなどない。それでも選んだのは、貴様自身だ】

 氷はさらに広がり、エンの半身を完全に閉じ込めていく。

【結局、獣は獣……我は貴様たちとこの世界を共に守ろうと、機会を与えたが、それすら理解できぬとは……】

 ぽたり。ぽたり、ぽたり、と雫が落ちる音が響いた。

「……まったく。今回は貸しやえ。この借り、ちゃんと覚えとき」

 辺りの温度が静かに変わる。

 凍てついていた氷は少しずつ透明な水へと姿を変え、エンを覆っていた氷塊が溶け落ちていく。周囲にそびえ立っていた巨大な氷山にも亀裂が走り、あちこちで水音が響き始めた。

 拘束から解放されたエンは息を整えながら顔を上げる。

 その前に立っていたのは、九本の尾を揺らす妖狐――タマモだった。

「ダッキ……オマエ……」

 空から、わずかに揺らいだ声が降る。

【……ダッキ。ダッキ、だと?まさか、貴様が戻ってくるとはな、妖狐め】

 昊天の声に、初めて明確な動揺が混じった。

 タマモは鼻で笑い、ゆっくりと空を見上げる。

「ふん。機会を与えた?共に世界を守るやて?ずいぶん、自分だけが被害者みたいな言い草やのう。妾には、おぬしが誰かと肩を並べて戦おうとしてるようには、これっぽっちも見えへんけど?」

【白面金毛九尾狐……なぜそこにいる。なぜ貴様が、この崇目寒氷を破れる】

「やれやれ。妾は野心のある男は嫌いやあらへん。せやけど、おぬしみたいに融通の利かへん男は大嫌いや。妾がどこに立とうと、妾の勝手や。そもそも、おぬしの方が洪荒の怪物である妾らを信用しておらなんだくせに、今さら味方になれやなんて、虫が良すぎるえ」

 そして、その視線は遥か彼方へ向けられる。

「それより、聞かせてほしいのう。こんな男のために、おぬしはいったい何を捧げてるんや――楊ゼンちゃん?」


 その頃、凌霄宝殿。

 昊天の黄金の神体の傍らで、楊ゼンが静かに眉をひそめる。

【どういうことだ、楊ゼン。君の第三の目が見ている千里の彼方の敵は、本来なら崇目寒氷に抗えぬはずだ】

 少女の額には、異形の第三の瞳が大きく見開かれていた。

「ええ。本来なら、こちらへ直接干渉できない限り抵抗は不可能ですが……あの九尾の狐もまた、第三の目の所有者でした。想定外です」

 しばしの沈黙の後、昊天は低く告げた。

【……そこまで隠していたか。さすがは荼枳尼天の眷属だ。ならば遠慮は要らぬ】

「承知しました」

 全身のハタが額の第三の目へと収束し、蒼い光が一気に輝きを増す。

「第三眼・蚕叢――崇目氷原」


 ヒヨリは呆然と、前方に立つタマモの背中を見つめていた。

 彼女の額には、これまで花の紋様だと思っていた印がある。だが今、その場所には一つの瞳が静かに開き、金色の眼球がくるりと辺りを見回している。

「わっ、もう!ヒヨリ、見たらあかんえ!」

 タマモは慌てて額を手で隠し、珍しく頬を赤く染めた。

「こんな姿、妾は可愛うあらへんのや!もう……ほんまこれ使うの嫌になるえ……」

「でも、すごいよ!それって何なんだよ、師匠!?」

 そのやり取りを断ち切るように、空から昊天の怒声が轟いた。

【調子に乗るな、ダッキ。今日こそ貴様らという雑音を、この世から完全に消し去ってくれる!】

 タマモの表情が一変する。先ほどまでの照れた様子は消え去り、黄金の獣瞳が鋭く細められた。

 額の第三の目が見据えているのは、はるか千里の彼方――凌霄宝殿。

 そこでは楊ゼンが全身のハタを第三の目へ集中させ、蒼白い光をさらに強めていた。次に、空がゆっくりと翳り始める。ひらひらと雪が舞い落ちたかと思えば、それはすぐに鋭い氷雹へと変わり、容赦なく大地へ降り注いだ。

 地面は一瞬で厚い氷に覆われ、竹林は次々と氷像へ変わっていく。飛び立つ間もなかった昆虫たちは空中で凍りつき、氷塊となって地面へ叩きつけられた。

 タマモは静かに息を吸い込む。

「……第三眼・マハーカーラ――」

 彼女もまた、全てのハタを額の第三の目へ注ぎ込む。

「――大日焼却」

 灼熱のハタがタマモを中心に爆発するように広がり、押し寄せる極寒の氷原と真正面から衝突した。

 轟音はない。だが、二つの力がぶつかり合う境界には、真っ白な蒸気の帯が遥か彼方まで一直線に伸び、まるで天地を裂く巨大な境界線のような光景を作り出していた。

 片側は万物を凍らせる極寒。もう片側は烈日のごとき灼熱。互いに一歩も譲らない。

「うわっ、暑い暑い……!」

 ハルカは慌てて手で顔をあおぐ。

「タマモ、誰と戦ってるの!?全然わかんないんだけど!」

 東華は白い蒸気の帯を見つめたまま、小さく呟く。

「……おそらく、千里を隔てた瞳力同士の戦いだ。私は今まで、顕聖真君が第三眼を本気で使う姿を見たことがない。彼女は昔から、この力を忌み嫌っていた。それなのに……まさか第三眼の使い手が、一度に二人も現れるなんて」

「おお……よく分かんないけど……なんか、すっごくすごい!」

「第三眼は、一種の加護だ。ごく一部の根印(ねしるし)持つ者だけが、生まれながらに授かる特別な力。額に第三の目を宿し、千里先まで見通す視力と、その眼を媒介にした絶大な術を扱える。顕聖真君・楊ゼンの第三眼は蚕叢。そして、あのタマモの第三眼は、どうやらその力と真っ向から相克する能力のようだ」

 ハクタクは感心したように息を吐く。

「さすがというべきでしょう。あの九尾の狐がこんな切り札を持っていたなんて、一度も聞いたことがありません。ここまで隠し通していたとは……」

「すごい……!」

 ヒヨリはタマモの背中を見つめ、大きく拳を握り締める。

「頑張れ、師匠!師匠なら、絶対に勝てる!」


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