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プロジェクト【サハ】  作者: 諸星佑月
【第三章】天を閉ざすは誰が為

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獣の国

 軒轅国――

 タマモの説明によれば、ここは極めて特殊な空間なのだという。普通の人類にはその存在を認識することすらできず、もちろん足を踏み入れることもできない。軒轅国と外界を自由に行き来できるのは、その術を知る獣のみ。はるか昔、何者かによって創り出されたこの異界は、今では根印(ねしるし)を持つ獣たちが暮らす安住の地となっていた。

 キュウキは一行が鳳凰を訪ねると決めた時点で、あっさりと別れを告げて姿を消していた。理由は「あいつとは仲が悪いから」。まさに現れた時と同じく、風のように去っていったのである。

「まったく……妾が第四空間(フォース)を離れて久しゅうなってしもうて、軒轅国へ入る術式さえ忘れておらなんだら、おぬしにあやつと契約なんぞ結ばせはせなんだのに」

 タマモが悔しそうにため息を漏らすと、ヒヨリはただ苦笑しながら首を振った。

「大丈夫だよ。師匠には十分助けてもらった。それより……アルテミス。この先、何が待っているか分からない。絶対にはぐれないようについて来てね」

「うん!」

 一行は森の奥へと歩みを進めていく。

 奥へ入るほど空気は湿り気を帯び、じわりと熱を含み始める。先ほどまで舞っていた蝶や虫たちは、いつの間にか一匹残らず姿を消していた。

 その時、先頭を歩いていたタマモが不意に立ち止まる。

 バサバサバサッ!

 前方の森から無数の鳥が一斉に飛び立った。激しい羽音と甲高い鳴き声が辺り一帯に響き渡り、巻き起こる強風にヒヨリたちは思わず足を止める。

「ふん……なかなか派手な歓迎やないかえ」

 タマモが袖を一振りすると、さらに強烈な気圧が吹き荒れ、鳥たちは一斉に吹き飛ばされて周囲の枝へ散っていく。

 その中で、一羽だけ異彩を放つ銀色の大鳥が、彼らの正面にある大岩の上へ静かに舞い降りた。人の半身ほどもある巨体を持つその鳥は、鋭い瞳でタマモを見据えながら、低い声で口を開く。

「……二度と軒轅国へ戻らぬと豪語しておきながら、今さら鳳凰様の縄張りへ他所者まで連れて来るとはな。何を企んでいる、ダッキ」

 ヒヨリは咄嗟にアルテミスの前へ半歩出て身構える。

「妾はあやつの鳥の巣なんぞ、恋しゅうもあらへん」

 タマモは鼻で笑った。

「今日は命に関わる大事があって来たんどす」

 銀色の大鳥はヒヨリの背に負われたハルカと、アルテミスへ視線を移す。

「……まさか、トランスグレッサーのために鳳凰様を訪ねるというのか」

「お願いだ!」

 ヒヨリが一歩踏み出した。

「ハルカは俺の大切な仲間なんだ!死なせたくない!」

「お願いです!」

 アルテミスも深く頭を下げる。

「鳳凰なら死者すら蘇らせられるって聞きました!どうかハルカを助けてください!」

 しかし大鳥の声は冷え切っていた。

「鳳凰様が会うかどうかは別として……なぜ素性も知れぬ者ども、それも女狐まで我らの居場所へ通さねばならん?見ず知らずの人類の命を、私がなぜ案じねばならん。ここで死ぬなら、私たちの晩餐が増えるだけの話だが」

 その一言で、ヒヨリの中の何かが切れた。タマモの制止を振り切って大鳥の前へ歩み出る。

「……何があっても、俺は鳳凰に会う」

 右手へ紅蓮の炎が燃え上がる。

「力ずくでも止めるっていうなら、このまま突破する!」

 周囲の鳥たちが一斉に騒ぎ立て、数羽は警戒を知らせるように空高く飛び上がった。

 だが、銀色の大鳥の視線はヒヨリの右手へ釘付けになっていた。

「……その術式は」

 思わず目を細める。

「まさか、セイメイの神祇契約術式か」

「え?」

 ヒヨリは拍子抜けしたように目を丸くした。

「お前もこれ知ってるの?」

「知っているも何も。私はかつて、安倍セイメイの式神の一柱だった。契約を結んでいた頃の名は――天空」

 そう名乗ると、大きな翼を一度だけ羽ばたかせた。

「だが、セイメイは己の命が長くないと悟り、自ら契約の解除を望んだ。……貴様たちは、あの方に会ったのか」

「安倍セイメイは、もう亡うなったえ。蘆屋ドウマンとの戦でな」

 タマモがここで答えた。

「この術式は、あやつが自らヒヨリに託したもんや。その意味は……説明せんでも分かるやろ」

 天空は長い間黙り込んだ。ヒヨリの手の甲に刻まれた紋様を何度も見つめ、やがて静かに息を吐く。

「……貴様たちが無理やり奪ったのではないかと疑った。だがセイメイは、自ら認めた者以外にこれを渡すような人ではない」

 その警戒は、ようやく少しだけ和らいだ。

「……よかろう」

 天空は背を向ける。

「セイメイの顔に免じて、貴様たちを通そう。ついて来い」

 銀色の翼が森の奥へ舞い上がる。

 ヒヨリは引き続きハルカを背負い、タマモとアルテミスもその後を追った。周囲の鳥たちは左右へ道を開けるように飛び退き、一行を静かに見送っていく。

 やがて生い茂る濃い葉をかき分けると、景色は一変した。

 目の前には鮮やかな緑の大平原が広がり、小さな木々には色とりどりの鳥たちが止まり、不思議そうに首を傾げながらこちらを眺めている。天空が先導しているおかげか、騒ぎになる様子はなかった。

 平原の奥、小高い丘の上には巨大な石の玉座が据えられている。しかし、その座には誰の姿もない。

 天空はヒヨリたちへ待つよう制し、自らだけ前へ進み出して地面に降りた。

「鳳凰様。お取り次ぎ願いたき儀がございます」

 返事はない。

 一同が不思議そうに見守っている、その時に――。

 ドンッ!!

 タマモが鋭く左を振り向く。

 赤い影が凄まじい速度で飛び込み、彼女は即座に掌で受け止めた。衝突と同時に猛烈なハタが爆ぜ、衝撃波が平原を駆け抜ける。

 現れたのは、一人の男の姿している獣だった。

 燃えるような紅い長髪を高く束ね、黒を基調とした豪奢な赤衣をまとい、薔薇色の獣の瞳には獰猛な光が宿る。何より、人とは違う巨大な鳥の脚が、その正体を雄弁に物語っていた。

「よう」

 男は不敵に笑う。

「久しいな、ダッキ」

「相変わらずやのう。それが旧友への挨拶どすか」

 男は力を抜くと軽やかに後方へ跳び、そのまま玉座の上へ着地した。

「厚かましさだけは昔のままだ。誰が旧友だ。殺さずに済ませてやっただけでも感謝してほしいくらいだ」

 ――百鳥の王、鳳凰。

 男は玉座へ腰を下ろし、頬杖をついた。

「さて……」

 鳳凰は足を組みながら眉をひそめた。その鋭い視線がタマモたちを順に見渡し、最後に天空へと向けられる。

「どういうつもりだ、天空。なぜこの女狐と、俗世の人類どもをここへ通した。納得できる理由を申せ。さもなくば、こいつらの首をこの場で食い千切ってやる」

 天空は頭を垂れ、前へ出た。

「どうかお鎮まりください、鳳凰様。こちらは、かつて私が契約を結んでいた陰陽師――安倍セイメイの遺志を継ぐ者です。私情により、この者たちをここへお連れしました。いかなる処罰も甘んじてお受けいたします」

「ほう……あの第三空間(サード)の術式使い、ね」

 鳳凰は興味深げにヒヨリへ視線を向け、口元をわずかに吊り上げた。

「その安倍セイメイの意思を継ぐ者が、オマエなんぞと行動を共にしておるとはな、ダッキ。どう考えても妙だが」

「この子が、妾好みの男やった。それでは不満かえ」

 タマモは涼しい顔で言い返す。

 鳳凰はしばらくヒヨリをじっと見据えていた。その鋭い視線に晒され、ヒヨリは背筋を這い上がるような寒気を覚える。

「なるほど。ずいぶんとハタを宿しておるな。酒の肴にするには申し分ない。よかろう。用件くらいは聞いてやる」

 その言葉を待っていたように、ヒヨリが一歩踏み出した。

「どうかハルカを助けてくれ!」

 必死な声が平原に響く。

「俺の仲間が今、瀕死なんだ!お前なら助けられるんだろう!?お願いだ、鳳凰!ハルカには根印(ねしるし)すらない。このままじゃ、本当に――」

 鳳凰の表情が一瞬だけ揺らいだように見えたが、その口から盛大な笑い声が噴き出す。

「……ぷっ、はははははッ!根印(ねしるし)すら持たぬ人類だと!?ダッキ、オマエはそんな脆弱なものを救えと、このオレに頼みに来たのか!ははははは!長く生きておれば、実に愉快なこともあるものよ!天空、この話は後でオレの玉座の裏へ刻んでおけ!しばらくは笑い話に困らぬわ!」

「私たちは本気なんです!」

 アルテミスも声を張り上げる。

「ハルカは私たちにとって、本当に大切な人なんです!お願いです、どうか――」

 その瞬間、鳳凰の笑みがすっと消えた。

「……大切、とな」

 先ほどまでとは別人のような冷え切った声が響く。

「ならば、なぜ失ってから後悔する」

 ヒヨリもアルテミスも言葉を失った。

 鳳凰は石座にもたれながら、冷淡に続ける。

「オレの力を聞きつけては、愛する者を蘇らせてくれと、山を越え谷を越え、数え切れぬ愚か者どもが押し寄せてきた。オマエたちのような者など、もう嫌というほど見てきた。悔いるくらいなら、生きておる間に尽くしておけよ、凡俗の輩ども。まずは悔の字でも一億回書いて出直してくるがよい」

 その言葉に、ヒヨリは拳を強く握り締めた。

 食い込んだ爪から血が滲み、赤い雫がぽたり、ぽたりと草原へ落ちていく。

 その様子を見たタマモは、小さくため息をついた。

「……どうしたもんかえ。昔のおぬしは、人を助けることが何より好きやったやないか、フェニ……」

「その名で呼ぶな、ダッキ」

 鳳凰は即座に遮る。

「今のオレは()()だ。オマエの知る以前のオレは、とうに存在せぬ」

「……面倒なやつやのう。まあ、おぬしが今なんと名乗ろうとかまへん。せやけど、その娘は昊天に刃向こうた末、こないな姿になってしもうたんや」

 その一言で、辺りの鳥たちの囀りがぴたりと止んだ。

 鳳凰の表情も変わる。彼の視線は、ヒヨリの背に負われたハルカへ真っ直ぐ向けられた。

「……その娘が?」

 天空も信じられないという様子だった。

根印(ねしるし)無き者が……昊天に?あの無敵の金身へ挑んだというのか?」

 鳳凰怪しくタマモを見据えた。

「ダッキ。そのバカバカしい話を信じる根拠は、オレにはない――」

 タマモは何も言い返さなかった。沈黙が流れ、やがて鳳凰は息を吐く。

「――が、オマエも、人類のためにここまで嘘を吐くとも思えぬ」

 そう呟くと、鳳凰は石座からゆっくり立ち上がった。燃え立つような紅い瞳が、真正面からヒヨリを射抜く。

「小僧」

「……はい」

「その娘は、オマエの仲間だと言ったな」

 ヒヨリは力強く頷く。

「はい。俺の、かけがえのない仲間だ」

「ならば」

 鳳凰の口元に獰猛な笑みが浮かぶ。

「もしその娘が真に昊天へ牙を剥いた者ならば、オマエにも同じ気概が宿っておるはずだ」

 次に、鳳凰の全身から灼熱の気炎が噴き上がった。炎そのもののような熱風が草原を駆け抜け、木々を大きく揺らし、無数の鳥たちが一斉に飛び立つ。

 ヒヨリは吹き飛ばされまいと足を踏み締め、それでも一歩も退かず、百鳥の王を真っ直ぐ見返した。

「証明してみせよ。全力でオレに挑め。もしオレを打ち倒せたなら、その娘を救ってやろう」

 ヒヨリは大きく息を吸い、背負っていたハルカをそっと降ろしてアルテミスへ預ける。

「……アルテミス。ハルカを頼む」

「うん。私にできることは?」

「鳳凰が見たいのは、俺の覚悟だ。アルテミスは手を出さなくていい」

 そして、安心させるように一度笑みを浮かべる。

「大丈夫。俺は必ずやり遂げる」

 アルテミスの腕の中で眠るハルカは、なおも体温を失ったまま、微動だにしない。その姿をしばらく見つめたヒヨリは、ゆっくりと前を向いた。

 その瞳には、迷いはなかった。

「……全力で行かせてもらう、鳳凰」


 重い枷が、フクロの両手首にはめられた。

「前へ進め」

 二人の兵士に両脇を固められ、フクロは白一色に包まれた天宮の中を歩いていた。濃い雲霧が一面を覆い尽くし、足元さえ見えない。これほど何も見えない場所で、この者たちはどうやって道を覚えているのだろう――そんなことが、ふと頭をよぎる。

 両腕は背中で拘束されていた。それだけではない。手首にはめられた金属の手錠は尋常な代物ではなく、異能力を使おうとしても一切反応しない。

 そして、フクロにはもう一つ気になることがあった。自分を護送している二人の兵士は、顔立ちから体格まで、まるで鏡写しのように同じだった……ただの偶然か。

 しばらく歩いたところで、不意に兵士たちがフクロの肩を掴み、足を止めさせる。辺りには建物らしきもの一つ見当たらない。ただ白く霞む広場が広がっているだけだった。やがて、誰かがこちらへ近づいてくる気配がした。

 濃霧の向こう、一人の女性が静かに姿を現す。

「この者がトランスグレッサー?」

 淡い翡翠色の長い髪と、透き通るような緑の瞳を持つ少女だった。どこか物憂げで落ち着いた表情には、年齢以上の聡明さが滲んでいる。薄緑色の羽織に青紫を基調とした和装をまとい、胸元には金木犀を思わせる華やかな意匠が咲いていた。金色の簪と宝玉をあしらった髪飾りが、その気品ある佇まいをより際立たせている。

 感情を表へ出すことはほとんどなく、その静かな眼差しには揺るぎない意志が宿っていた。

 その傍らには、大きな白兎が一匹、主人に寄り添うように静かに座っている。

「はい、ジョウガ様」

「よろしい。では、その手錠の鍵は私へ。あなたたちは下がりなさい」

「はっ」

 二人の兵士が一礼し、その場を離れていく。

 彼らの姿が十分に見えなくなるまで見届けると、ジョウガはようやくフクロへ向き直り、腕を組んだままじっとその顔を眺めた。

「自ら投降したそうね」

 淡々とした声で問いかける。

「こんなところまで来ておいて、わざわざ自分から降伏するなんて……何か企んでいるのでしょう?」

「……たとえ企みがあったとしても。今の俺に、何ができる?」

「……それもそうね」

「予想が外れていなければ、俺はこれから、お前にブリットンスまで護送される。ならば、お前が協定騎士ってやつなんだろう」

「その通りだわ。私はブリットンスとの交渉を担う七人の協定騎士の一人――召喚使いよ。妙な真似をしようなんて考えないことね。昊天から貫通トンネルの開通許可が下り次第、あなたをブリットンスへ連れて行くわ」

「好きにすれば」

 フクロはそれ以上何も言わなかった。ただ、一つだけ気になることがあった。

 ナタすら昊天を陛下と呼んでいたが、目の前のジョウガは、その敬称を使わない。

 ……もっとも、今となっては、そんなことを気にしたところで意味はない。

 記憶を失って目覚めたあの日。脳裏に残っていた、たった一つの声――絶対に、ブリットンスは避けろ。それだけが、自分に残された唯一の言葉だった。

 でも、記憶が僅かに戻った以上、早く知らなければならない。自分は何者なのか。なぜ自分は、かつて――

 フクロは静かに目を閉じた。

 ……どの道俺は、あいつらと一緒にいない方が正しいんだ。

 きっと。



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