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プロジェクト【サハ】  作者: 諸星佑月
【第三章】天を閉ざすは誰が為

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帰らぬ民の町

 第■■ページ 第■■項

 根印(ねしるし)・ハタ・サハについて

 根印(ねしるし)とは、肉眼では見ることのできない人体器官の一種であり、脳によってある程度制御・指令することが可能である。

 その主な役割は、ソルスに由来するエネルギー――ハタと相互作用し、そのエネルギー粒子を生命体が吸収可能な形へ変換して運用すること、そして個々の特性に応じた固有の異能力を発現させることにある。

 根印(ねしるし)によって使用された後のハタのエネルギー変換、およびルナーに関する詳細は別ページを参照。

 宇宙の表側、すなわち陽界(ソウロー)におけるハタの正体とは、宇宙の運行に不可欠なエネルギーである。

 根印(ねしるし)持つ者は小規模な宇宙に例えられ、根印(ねしるし)はその小さなソルスに相当する。

 しかし生命体と宇宙は完全に同一ではない。

 第一に、宇宙はソルスを失えば壊死する。ソルスは唯一のエネルギー輸送経路であり、それを失えばいかなる星や空間も存続できない。

 一方、生命体は根印(ねしるし)を失ったとしても、血管やその他の器官によってエネルギーを循環させ、生存を続けることが可能である。

 第二に、生命体のエネルギー出力はサハの影響を受ける。しかし現在までのところ、宇宙にはサハに類する物質は確認されていない。

 サハ――地域によっては人格、感情、あるいは魂とも呼ばれる概念である。

 その起源は、シャカの円環本尊によって提唱された概念に遡る。

 サハは人体におけるエネルギー循環の不安定要素であることが確認されており、正常なハタ出力を阻害する。また、その正負双方の影響は安定しておらず、予測が困難である。

 特殊な手段を用いない限り、サハを除去することはできない。

 その発生源は脳内の記憶に由来する可能性、あるいは生来身体に備わる可能性が考えられているが、現時点では未解明である。

 ――メルリヌス・アンブロシウス


「ごめん……ごめん……君を守れなかった。せめて謝らせてくれ……」

「どうでもいい……もう誰が悪いのかなんて考えたくない。あっちへ行って」

「僕にできることなら何でもする。でも、それだけは駄目だ。君を一人にはしない」

「……どこもかしこも、踏みにじられた。痛みはもうないのに、目を閉じれば悪夢ばかり見る。もう疲れた……やっぱり、死んだ方が楽なんだ……」

「だめだ!死ぬなんて一番簡単なことだ!お願いだ、自分を大切にしてくれ!」

「……嫌い。自分も、誰も、世界も嫌い。ねえ、アドニス。自分を大切にしろって言うけど……私は今、何を理由に生きればいいの?教えてよ」

「……僕が」

「ん?」

「僕が、その理由になっても、いいのか?」


 貫通トンネルを抜けると、そこは高い山の中腹に広がる森だった。

 だがこちらの木々は前の世界よりもずっと鬱蒼としており、空気も湿り気を帯びている。辺り一面には、まるで薄絹を漂わせたような白い霧が立ち込めていた。

 ナタは森の外へ視線を向けて周囲を確認すると、振り返って三人と一匹の狐に声をかけた。

「慎重に行動しろよ。あのじじいはどんな些細な動きでも察――オマエたち、どうした?」

 ハルカたちは貫通トンネルを出てからずっと黙り込んでいた。

 三人は互いに顔を見合わせると、言葉を交わさずとも理解したように頷き合う。

「……また、あんな夢だ」

「いったい誰のものなんだろう……」

 フクロもヒヨリも険しい表情で呟いた。

 タマモはナタと同じように首を傾げる。

「何の話どす?」

「なんでもない!」

 ハルカは勢いよく立ち上がった。

「ここが第四空間(フォース)?外を見て回ってもいい?」

「ああ。この山を下りたところに町がある。ついてきて」

 ナタはそう言って歩き出した。

 山の空気は心地よく、鳥のさえずりや蝉の声が耳に優しい。

 ハルカは落ちていた枝を拾うと、あちこち突き回しながら歩き、やがて山の下に見えた翡翠色の湖を見つけて嬉しそうに皆を呼んだ。

 山麓へ辿り着くと、確かに町があった。

 しかし妙に静かだった。住民の姿が一人も見当たらない。

 ナタは彼らを布や衣服を扱う店へ連れて行った。中にもやはり誰もいない。

 それでも商品はきちんと並べられており、品揃えも豊富だった。ただ、どれも少し埃を被っている。

「せっかくここに来たんだ、オマエたちもここの服に着替えておけ」

「妾は遠慮しとくえ。この着物がえろう気に入っておるさかいな」

「オマエには言ってない」

「えっと……でも店の人がいないよ?」

 ヒヨリが戸惑ったように尋ねる。

「勝手に持っていくわけには……」

「……構わない。好きに取れ」

「え?」

「いいと言っただろう。後はオレに任せろ」

「はぁ……」

「ナタがそう言うなら着替えようよ!戦いやすそうなのはっと……」

 ハルカはさっそく店内を見回した。彼女は翠色の上衣と膝丈の淡黄色のプリーツスカートを選ぶ。フクロは無言で赤褐色の長衣を手に取り、ヒヨリは淡い白装束に青緑色の上着を合わせた。

 着替えを済ませた一行は、ナタに続いて宿を探しに向かう。

「わぁーっ!ヒヨリ!フクロ!見て見て!」

 先頭を走っていたハルカが大声を上げた。

「吊り橋だよ!すっごく長い!渡ってみようよ!」

「大人しくしてろ!」

 ナタは即座に彼女の襟首を掴む。

「先に宿を決める。この道沿いに旅館があるんだ」

「えぇぇ……」

 ハルカは露骨に落胆し、反対側の山まで続く長い吊り橋を名残惜しそうに見つめた。

 やがて辿り着いたのは二階建ての木造建築――旅館だった。だがここにも人影はない。館内もひっそりとしている。机や椅子には埃が積もっているのに、帳場の酒瓶は綺麗に整えられていたが、どうにも不気味だ。

「どうして誰もいないんだ。この町は捨てられたのか?」

 尋ねたのはフクロだった。

「……そんなところだ」

 ナタは少々あっさりと答えた。

「しばらくはここを使え。厨房も寝室もあるはずだ。ただ掃除は必要だろうな」

 そう言うと、比較的綺麗な椅子を引いて腰を下ろした。

「オレは先に第五空間(フィフス)への入口を確認しておく。その後で迎えに来る」

「ねえナタ」

 ハルカは以前から感じていた違和感を口にした。

「本当にそんなに警戒しなきゃいけないの?天宮にはいったいどんな奴がいるのさ」

 ナタが答える前に、壁にもたれていたタマモが先に口を開く。

「ナタちゃんだけやあらへん。この世界の誰一人として、そやつを軽々しゅう扱える者などおらへんえ」

 彼女は艶やかに微笑んだ。

「万聖を率いるお方――昊天金闕無上至尊自然妙有弥羅至真玉皇上帝。まあ、ふつうは昊天と呼んどるのう」

「……そんなに強いの?」

 ヒヨリが更にナタに問う。

「じ……陛下は、遠い昔この世界へ来る以前から、すでにモニターだった」

「モニター?」

「なんだ、それも知らないか。モニター――群星の守護者。宇宙の存続を脅かす存在を排除する者たちじゃ。その中でも最強格ともなれば、あのドミネーターとすら互角に渡り合える」

「ちょっと待って。そんな存在なら、なんでドミネーターを倒さないんだ?」

「あのドミネーターも馬鹿じゃない、それを防ぐためにソルスを断ち切ったのだろう。七つの空間を宇宙から隔離し、外から誰も入れず、中からも出られぬようにした。そんな無茶をされた以上、陛下一人ではどうにもならん。だが何にせよ、モニターとはドミネーターですら警戒する存在だ。陛下は紫微天宮が築かれる遥か以前からモニターだった……これで分かったか?」

「なるほどなぁ……」

 ハルカは腕を組んで頷いた。

「つまり昊天を倒せば、ドミネーターも怖くないってことだね!」

 ――ゴンッ!

 次の瞬間、乾坤圏が飛んできてハルカの後頭部を直撃した。金色の輪は弧を描いて飛び、再びナタの首元へ戻る。

「オマエ本当に馬鹿だろう!ちっ、オレが戻る前に見つかれたら、助けになど来てやらんからな!じゃあな!」

 バァン!

 旅館の扉が乱暴に閉められる。

 ハルカは後頭部を押さえながらゆっくり起き上がった。

「痛ぁ……あいつ、本気で投げたでしょ……」

「まあ、ナタちゃんがそこまで警戒しておる理由は、昊天の強さだけやあらへん」

 タマモはくすりと笑った。

「昔、ブリットンスの者らがここへ来た折のこと。向こう見ずな阿呆がおってのう。昊天に直接手を出したうえ、大事な計画まで台無しにしてしもうた。そのせいで昊天は今でも、外から来たトランスグレッサーをあまり好いておらん」

「ふーん……」

 ハルカは大きく伸びをすると、そのまま入口へ向かった。

「私は外を見て回る!まだ夕方にもなってないのに、ここでじっとしてるなんてもったいないもん!」

「じゃあ俺も行く!フクロは?」

「……俺も行こう。この世界がどうなっているのか、何も知らないし」

「若いのう。好きに遊んでくるがよい。妾は少し休ませてもらうえ」


 第四空間(フォース)が今どの季節に当たるのかは分からない。だが、とにかく今日は最高の天気だった。

 洗い立てのように澄み切った空を、どこまでも続く青い山並みが彩っている。山肌には段々畑が幾重にも広がり、その先には鏡のような湖面が横たわっていた。湖は柔らかな綿雲を映し出し、風景全体がまるで一枚の絵画のようだった。

 ハルカたちは湖の中央を横切る杭道を歩きながら、楽しそうに話していた。

「これめっちゃ楽しい!吊り橋は渡れなかったけど、こっちもいいね!フクロ?何見てるの?」

「山のあの段々畑の向こう……寺か?」

「あっ!本当だ!じゃあ行ってみようよ!」

 ハルカは目を輝かせる。

「アルテミスも出てきて一緒に歩こうよ!誰もいないし、いいでしょう!」

【えっ、わ、私は……わかった】

 紫の髪に白いワンピースの少女が姿を現し、おそるおそる皆の後を追って湖を渡り始めた。

 しばらく杭道を歩いてようやく湖を渡り切り、そのまま山へ入って数歩進むと、今度は空へと続いているかのような長い石段が現れた。

 かなり古くから存在しているらしく、石段には苔が生え、両脇の木々も鬱蒼と茂っている。

「懐かしいなぁ!」

 ハルカは額に手を当て、果ての見えない石段を見上げる。

「昔の特訓でさ、こういう階段を何往復も走らされたんだよね!」

「うぅ……私は無理かも……」

「やってみようよ、アルテミス!フクロ!ヒヨリ!誰が一番に登り切るか勝負だ!」

「負けても言い訳するなよ」

 フクロが即座に返す。

「望むところだよ!」

 ヒヨリも腰を落として構えた。

「せーのっ――スタート!」

 三人は風のような勢いで駆け出した。

 アルテミスが目を丸くして見送る間に、彼らはあっという間に石段の半分近くまで登ってしまう。

 ……いや待って。私たち、目立たないように行動するんじゃなかったっけ……?なんで完全に観光気分なの……?

 不安が百倍ほど膨れ上がる。


 やがて石段を登り切った一行は中腹へ辿り着いた。そこから見下ろすと、段々畑に植えられている作物がよく見える。稲、トウモロコシ、香辛料になる植物、果樹や野菜類。

 だが、やはり長いこと手入れされていないらしい。雑草があちこちに伸び、一部の作物は枯れていた。

 先ほどフクロが見つけた寺も同じだった。蜘蛛の巣が至る所に張られ、屋根瓦はいつ飛ばされたのか崩れている。そのせいで雨水が入り込み、堂内には水が溜まっていた。

 幸い仏像はまだ大きく損傷していない。だが、このまま放置されれば、いずれ朽ちてしまうだろう。

「本当にどこにも人がいないんだな……」

 ハルカは辺りを見回した。

「アルテミス、この前ここを通った時もこんな感じだったの?」

 ちょうどその頃になって、アルテミスが息を切らしながらようやく追いついてきた。

「え?ああ、うん……だってここのポラリス、本当に厄介なんだもん。私もあんまり周りを見る余裕なかったし……」

「ポラリス?誰それ?」

「さっきナタが言ってたでしょ。昊天のこと。モニターとしての称号がポラリスなの。宇宙にはモニターがたくさんいるからね」

 ヒヨリは再び仏像を見上げた。

「……ここ、本当に捨てられたんだろうか。もう、誰も戻って来ないのかな。こんなに綺麗な景色があって、畑もたくさんあって……下の町にもあれだけお店があったのに。きっと昔の人たちは、ちゃんとここで暮らしていたんだよね……」

「さあな。あまり余計なことを考えるな」

 フクロは淡々と言った。

「ナタも言ってた、誰もいないなら多少物を使っても構わないって」

 そして彼は山下の畑へ視線を向ける。

「まだ食べられそうな作物を少し貰おう。どうせ飯も自分たちで作るしかないだろう。行こう」


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