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プロジェクト【サハ】  作者: 諸星佑月
【第二章】鬼も地獄も人の内

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鬼と人の境にて

 また、この夢だ。

 以前よりも景色がはっきりしている気がする。視界の先には一面の花畑が広がり、淡い紫や桃色がかった紫、そして白い花々が風に揺れていた。どこか懐かしく、それでいて思い出せない場所。その花畑の向こうに、人影が見える。

 誰だろう。

 木陰に立つその人物の顔は見えない。見慣れない衣装をまとい、長い黒髪だけが風に流れている。何かを話しているようだったが、声は届かない。唇が動いているのだけは分かる。

 ――お前は、一体誰なんだ。


「ヒヨリ~~~!」

 耳元で炸裂した大声に、ヒヨリは勢いよく目を開いた。目の前にはタマモの顔がある。しかも異様に近い。

「……うわあああっ!?師匠!?なんでここにいるんだ!?」

 慌てて身を起こしながら周囲を見回す。そこは間違いなく源氏の屋敷だった。するとタマモは当然のように肩をすくめた。

「妾も一応ここで住んでおったんやえ。源氏のお屋敷におっても、なんもおかしゅうあらへんやろ?それに、妾、おぬしの身体に触れとうても、ずうっと我慢しておったんやから」

 そう言うなり、彼女はヒヨリの上に跨って妖艶に腰を揺らす。

「こない長う眠っておったんやし、ちぃとくらい発散せんと身体に悪いんと違う?妾がよう相手したげるえ?」

「何者だ!」

 不審者かと思い、飛び込んできたのはナタ、源ヨリミツ、坂田キントキの三人だった。

 五秒。

 本当に誰一人として口を開かなかった。最初に我に返ったのは坂田キントキである。

「大将は見ちゃ駄目だ!」

 そう叫ぶと同時に源ヨリミツの目を両手で塞いだ。

「ちょっキントキ!実年齢なら俺の方が上だぞ!」

 一方、その横ではナタの全身から炎が噴き上がっていた。怒りのあまり身体そのものが震えている。

「ダッキ……貴様……まだオレの前に現れるのか」

 歯を食いしばりながら絞り出された声に対し、タマモは涼しい顔をしている。

「何を言うてはるんや。勝手に飛び込んできはったんは、そちらやろうが」

「よくそんな口が利けるな!今すぐオレの視界から消えろ!くそアマ!」

「あらあら、何年経ってもその憎まれ口だけは変わらへんなぁ、若ぼん」

 二人の口論は瞬く間に激しくなり、ヒヨリは額を押さえた。身体の傷はすでに治っている。だが精神的な疲労だけは、まだまだ回復しそうになかった。


 それから数日が過ぎた。

 戦いによって平安京は大きな被害を受けていたが、坂田キントキの力によって荒れた土地そのものは比較的早く修復が進んでいた。とはいえ、失われた建物まで一瞬で元通りになるわけではない。人々は連日復興に追われ、京のあちこちで木槌の音が響いている。

 それでも平安京は驚くほど早く活気を取り戻していた、むしろ以前より穏やかになったとさえ言えるかもしれない。もう鬼が現れることはないのだから。

「あの……ご覧の通りです」

 チヨは困ったような笑みを浮かべながら更地を示した。そこにはかつての店の面影すら残っていない。

 フクロはしばらく黙ってその光景を見つめていた。

「あっ、でもきっとすぐに建て直されますよ!将軍様たちも手伝ってくださっていますし!」

 慌ててチヨが付け加えるが、フクロはあっさり肩をすくめる。

「まあ、予想通りだ」

 そう言って近くに残っていた椅子へ腰を下ろす。するとチヨは少しだけ微笑んだ。

「でも、なくなったのが店でよかったです。もし消えたのがわたしだったら、あの夜のお菓子をもう一度食べていただくこともできませんでしたから」

 その言葉にフクロはしばらく返事ができなかった。ただ静かに視線を落とし、何かを考えるように沈黙する。

「……そうか」

 チヨは不思議そうな顔をしたものの、それ以上は何も聞かず、ただ柔らかく微笑んだ。


 木漏れ日が差し込む墓所では、カクシが静かに墓碑を見つめていた。そこには源ヒロマサと安倍セイメイの名が刻まれている。周囲には源ヨリミツたちから捧げた色とりどりの花が供えられ、墓前にはあの竹笛が静かに置かれていた。

 ここ数日、カクシはほとんどこの場所を離れていない。

 やがて碓井サダミツが木の桶を提げて現れ、何も言わず墓碑へ水をかけ始める。その姿を見ながら、カクシはふいに口を開いた。

「……笛は持って行って」

「何だ?約束しただろう。手伝ってくれたら返すって」

「今の僕では、この笛を吹いてもあの世へ届く音は奏でられない」

 カクシは墓碑から視線を離さないまま続けた。

「安心しろ。ここ数日、ずっと考えてた。僕のやりたいことを成し遂げた時、その時は必ず返してもらう」

「ほう?それって?」

「少なくとも、平安京をこの翼を隠さずに生きられる世界にしたい」

 そう言いながらカクシは立ち上がり、背中の翼を広げた。

「そしてその時になったら、ヒロマサ様にもセイメイ様にも、胸を張って会いに行ける」

「いいじゃねえか。それ、うちの大将が目指してる世の中そのものだ。だったら見届けないとな。セイメイ様があんたを俺に託したんだから」

「相変わらず身勝手な男……」

 呆れながらそう返そうとしたカクシだったが、碓井サダミツが首の数珠を外して静かに手を合わせる姿を見て口を閉ざした。軽薄そうに見える男が、今だけは誰よりも真剣な顔をしている。

 カクシもまた目を閉じる。

 しばらくの間、二人の間には風の音だけが流れていた。


 その頃、源氏の屋敷では卜部スエタケが事情の説明を終えたところだった。部屋には源ヨリミツとその配下の三人、そしてハルカ、ヒヨリ、フクロが集まっている。当然のように、タマモもいる。

 ナタは九本の尾を揺らす彼女を見るたびにムカついている。

「事情は大体分かった、オマエたちも大変だったな。三人のトランスグレッサーを追っていたのはオレ個人の事情だ。ブリットンスとは関係ない。問題は、第四空間(フォース)はオマエたちがどこの恩人だろうと見逃してはくれない」

 三人が顔を見合わせる中、タマモが横から口を挟んだ。

「ほんまやえ。第四空間(フォース)には紫微天宮という大きな宮殿があってのう。そこの主は異世界の者をえらい嫌うておるんや」

 ハルカは迷うことなく笑った。

「でも行くしかないでしょ。だって他に道もないし!」

「馬鹿が……」

 予想通りの返答だったのか、ナタは深いため息をつく。

 そんなやり取りを聞きながら、ヒヨリはふと首を傾げた。

「そういえば師匠、なんでそんなに第四空間(フォース)に詳しいんだ?」

「何を今さら言うておるんや。妾はもともと第四空間(フォース)から来たんやえ?」

 部屋の空気が固まった。

「あら、言うておらなんだか?」

 タマモは面白そうに笑う。

「妾にはまだまだ秘密がようけあるんやえ。どうしても知りたいんやったら、それなりの見返りを用意してもろうてからにしておくれやす」

 そこへ戻ってきた碓井サダミツが部屋へ入るなり、目を丸くした。

「ただいま――って何だこの人数は!?」

「見ろよサダミツ!本物のタマモだぞ!」

 坂田キントキに首を引っ張られた碓井サダミツは九本の尾を見るなり飛び上がった。

「はあっ!?本当にあのタマモ!?やっべ……すげぇ美人だな……なんで急にこんなところにいるんだよ!」

「すみません、師匠が……その、好き勝手なことばかりするというか……」

「妾はおぬしのことが心配で来たんやえ!ほんま、薄情やなぁ」

 騒がしい声が飛び交う中、渡辺ツナは立ち上がった。少し疲れたように息を吐きながら源ヨリミツへ頭を下げる。

「申し訳ありません。少し一人になりたいのですが」

「ああ、もちろんだ」

 部屋を出て御簾を下ろした渡辺ツナは、静かに深呼吸をした。

 先ほどまでの賑やかな空気が嘘のように遠ざかり、廊下には風の音だけが流れている。渡辺ツナは一人、木造の渡り廊下を歩き始めた。

 角を一つ曲がり、さらにもう一つ曲がったところで、不意に足を止める。

 見慣れた姿が目に入ったからだ。庭の大きな岩の上に、一人が腰を下ろしていた。

 イバラキだった。彼もまた渡辺ツナの気配に気付いたらしく、こちらへ視線を向ける。そして軽く身を翻すと、岩の上から飛び降り、ゆっくりと渡辺ツナの方へ歩み寄ってきた。

 もちろん、そこにいたのはイバラキだけではなかった。庭の木陰にはシュテンの姿もある。

 ヒヨリが意識を失い、戦いが完全に終わった後、シュテンは再びその姿を現していた。かつて大江山の鬼王として名を馳せた彼は、相変わらず気楽そうな様子で木にもたれかかっている。

 だが、渡辺ツナの姿を見つけると何かを察したらしい。シュテンは小さく口元を緩めると、イバラキに向かってひらひらと手を振った。

 「また後な」

 そんな軽い別れの挨拶だけを残し、二人の間に割って入ることなく、その場を立ち去っていく。

 しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのはイバラキだった。

「ツナ」

「……何だ」

「ごめん」

「……私にも、あんたに対して詫びをしなければならないことはある。だが、今さら謝罪だけで済む話ではないだろう」

 イバラキは何も言わず、その言葉を受け止める。

「私は、精一杯生きている民を傷つけた者を許すつもりはない。あんたたちにその意思がなかったとしても、多くの人が命を落とした事実は消えない」

「……うん。ボクもシュテンも、その事実から目を背けるつもりはない。それでも、ボクはオマエに感謝してる。ボクは今まで、人とまともに分かり合えたことがなかった」

 鬼として生まれ、鬼として恐れられ、鬼として憎まれてきた。

 それが当たり前だった。

「でも、オマエとは話ができた。だから、感謝はしてるよ、今もなお」

「そうか……あんたも大した奴だな、イバラキ」

「何がだ?」

「これほどのことを経験して、それでも人を信じようと思えることだ」

 イバラキは少し考え、それから首を横に振った。

「信じたいわけじゃない。ツナみたいな人間がいたから、信じてみたいと思えた」

 渡辺ツナは思わず苦笑した。

「私みたいな人間がか?融通は利かないし、気の利いた冗談も言えん。昔からサダミツにはよく石頭だと言われ続けているぞ」

「それでいい。ボクにとっては、オマエみたいに、自分なりの善を貫き通す人間の方が珍しい。世の中にはたくさんいるんだ、人の姿をしているのに、内は悪鬼みたいな奴が」

 イバラキはどこか自嘲するような、それでいて吹っ切れたような笑みを浮かべる。

「ハルカも言ってたね。今なら、終わらせることもできるし、始めることもできるって」

 戦いは終わった。

 失ったものは戻らない。

 だが、それでも前へ進むことはできる。

 終わったものを受け入れ、新しい何かを始めることはできる。

 渡辺ツナはしばらく空を見上げていた。やがて頷く。

「……ああ」

 その一言だけだった。

 けれど、それだけで十分だった。


「――さて、話を戻そう」

 場の空気を切り替えるように、ナタが腕を組んだまま口を開いた。

「そこの賊徒、オマエはヒヨリと言ったな。今後、またあの時のように暴走しないと保証できるのか?またあんな風に暴れると迷惑だが」

 突然話を向けられたヒヨリは思わず言葉を詰まらせた。

「えっと……俺は……」

 しかし答えようとしたところで、タマモが退屈そうに髪を指へ巻きつけながら横から口を挟んだ。

「ナタちゃん、おぬしほんまに話を聞いておったんかえ?ヒヨリが暴走したんは蘆屋ドウマンの仕業やと説明したやろう。今のヒヨリからは、あやつのハタなんぞ一欠片も感じへんえ」

 もちろん、それは卜部スエタケによる方便だった。

 ヒヨリの暴走に蘆屋ドウマンが関わっていた可能性は高い。だが少なくとも、ヒヨリ自身が蘆屋ドウマンに完全に操られていたわけではなかった。あの時の狂気は、確かにヒヨリ自身の内側から噴き出したものだったのである。

 それにもかかわらず、なぜ蘆屋ドウマンはヒヨリを支配できなかったのか。

 その理由は誰にも分からない。

 卜部スエタケは密かにタマモへ視線を向けた。これまで平安京の出来事にほとんど関わろうとしなかったこの大妖が、なぜ今になって突然現れたのか。もしかすると、ヒヨリの暴走の真相と何か関係しているのではないか。そんな疑念が頭から離れなかった。

 だがナタはその件を深追いせず、話を続ける。

第四空間(フォース)へ戻った後、オマエたち三人について新しい報告を受けた。第二空間(セカンド)、天空城研究所所長ソロ・エターニティが造った広域殲滅兵器、ゴリアテの破壊。そして先日、蘆屋ドウマンによって引き起こされた鬼災害の解決。どちらにもオマエたちが関わっていたそうだな」

 その言葉にフクロはわずかに眉をひそめた。

 第二空間(セカンド)での出来事がそこまで詳細にブリットンスへ伝わっているとは思わなかったのである。妙だった。天空城はすでに崩壊している。あの世界にブリットンスと繋がる者が残っているとは思えない。それなのに、なぜあの戦いの内容が伝わっているのか。

 誰かが見ていたのか。

 あるいは別の方法で観測されていたのか。

「そしてもう一つだ」

 ナタの声が低くなった。先ほどまでの軽い空気が嘘のように消え去る。

「これはもう一度だけ聞く。オレを謀るつもりなら、今この場で処刑する」

 淡い桃色の瞳がハルカ、ヒヨリ、フクロの三人を順番に見据える。

「オマエたちは本気でその先へ進むつもりなのか。まさか、ドミネーターを倒したいとでも?」

 部屋の中が静まり返った。視線が三人へ集まる。

 タマモも髪を弄る手を止め、興味深そうに彼らを見つめていた。

 するとハルカが勢いよく立ち上がった。

「もちろんだよ!」

 迷いのない声だった。

「だってあいつ、宇宙をめちゃくちゃにしてるんでしょ?ここ封鎖して滅びに向かわせてたんだよね。放っておいたら、きっとリツ(にー)だって危ない。それに――」

 ハルカは拳を握る。

 その瞳は真っ直ぐ前を向いていた。

「私の人生、私たちの冒険はまだ始まったばっかりなんだから。生きられる時間なんて限られてるんだ。だったら全力で生きなきゃ損でしょ?」

 その言葉を聞き終えた後も、ナタはしばらく何も言わなかった。

「……全力で生きるために、か」

「うん!」

 その返事を聞いたナタは長く息を吐いた。そして立ち上がり、御簾へ向かって歩き出す。

「紫微天宮は、オマエたちの存在を知れば必ず動く。一度目を付けられれば見逃されることはない」

 そう言いながら御簾へ手を掛ける。

「だが――オレが直接、オマエたちを第五空間(フィフス)まで送ってやる」

 全員が固まった。ハルカなどは口を半開きにしたまま声も出ない。

「……は?」

「同じことを二度言わせるな。二日だ。準備する時間は二日だけやる。遅れたら置いていく」

 それだけ言い残すと、ナタはそのまま部屋を出て行った。

 残された者たちはしばらく誰も口を開けなかった。あまりにも話の展開が急すぎて、理解が追いつかなかったのである。

 ただ、タマモだけは違った。

 彼女は去っていくナタの背中を見つめ続けていた。その表情はどこか複雑だった。驚いているようにも見えるし、何かを惜しんでいるようにも見える。



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