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プロジェクト【サハ】  作者: 諸星佑月
【第二章】鬼も地獄も人の内

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世界に拒まれた子

 そうか。ははっ、さすがセイメイだな。やっぱり、あんたはすごい。本当に、お疲れ様。

 みんなのおかげよ。私一人じゃ、絶対にここまで支えられなかったもの。

 俺も会ってみたかったな。きっと、とんでもなく破天荒な奴らなんだろう。

 一緒に、見守りましょう。彼らの、世界の、宇宙の未来を。


「うぅ……っ、ああ……セイメイ……セイメイ様ぁ……!」

 カクシの嗚咽が、廃墟の中に痛いほど響いていた。彼は安倍セイメイの亡骸を抱きしめ、まるで幼い子供のように顔を歪めて泣いている。

 安倍セイメイは微笑んだまま逝っていた。人生の最後に耳にしたのは、かつて心へ深く刻まれたあの笛の音だった。きっと穏やかな気持ちで旅立てたのだろう。

 源ヨリミツの黒く戻った瞳からは涙が零れ落ちていた。その周囲では配下たちが揃って片膝をつき、深く頭を垂れている。ハルカたち三人もまた黙したまま。

 ただ一人、少し離れた場所に立つイバラキだけが、拭い切れない違和感を覚えていた。


 ――いいな。

 ――本当に、いいな。

 ――死んだ後でさえ、こんなにも多くの人に嘆いてもらえるなんて。


 ヒヨリはびくりと肩を震わせた。慌てて振り返る。しかし、そこには誰もいない。

「ヒヨリ?」

 フクロが怪訝そうに眉をひそめる。

「どうした?」

 ハルカも不思議そうに声を掛けた。

「え……あ、いや……なんでも……」


 ――羨ましいか?

 ――羨ましいだろう。

 ――お前は、自分以外のすべてを羨んでいる。


「なっ……誰だ!?」

 ヒヨリが突然叫んだ。そのことに源ヨリミツたちも気づく。


 ――不公平だ。

 ――不公平じゃないか。

 ――どうしてお前だけ、何も持っていない?


「何を言ってるんだよ……!」


 ――自分を騙すな。

 ――お前が一番よく分かっているはずだ。


 フクロは慎重に立ち上がり、ヒヨリへ手を伸ばした。

「おい、お前――」

 だがヒヨリは両手で頭を抱え込んだ。

「……やめろ…………黙れ……」


 ――化け物め。


「黙れ……黙れって言ってるだろ――ッ!!」

 その絶叫と同時に、ヒヨリの身体から凄まじい暴風が噴き上がった。圧縮されたハタが爆発するように解き放たれ、周囲にいた全員が木の葉のように吹き飛ばされる。

「うわっ!?」

 ハルカが思わず悲鳴を上げる。

 だが風は一瞬で止んだ。

 そこに立っていたのは、もはや先ほどまでのヒヨリではなかった。

 浮想紋は本来、身体の一部を強化するためのものだ。しかし今のヒヨリは違う。黒い紋様が血管のように全身へ広がり、首筋から頬、指先に至るまで隙間なく覆い尽くしている。

 ゆっくりと顔を上げたヒヨリを見た瞬間、ハルカたちの背筋を冷たいものが走った。

 その瞳だ。

 いつも澄んだ空のようだった青い瞳は消え失せ、代わりに深淵を覗き込んだかのような血の色が揺らめいている。

「……ハァ」

 獣の吐息だった。

 次にヒヨリは地面を蹴った。いや、蹴ったというよりも獣そのもののように四肢を使って飛び出した。

「っ!」

 狙われたのは一番近いところにいるフクロだった。鋭い牙を剥き出しにしたまま一直線に襲い掛かる。

「――ッ!」

 フクロは反射的に天譴を構えたが、衝撃を殺しきれずそのまま地面へ押し倒された。ヒヨリはまるで獲物へ喰らいつく獣のように天譴へ牙を立てる。ギリギリギリと、嫌な音が鳴った。

「おい!ヒヨリ!何してやがる!おい!聞こえてるのか!」

 ヒヨリは反応しない。血走った瞳には理性の欠片も映っていなかった。

 その様子を見ていたイバラキは、ようやく違和感の正体に気付く。

「……おかしい」

 イバラキの顔から血の気が引いた。

「蘆屋ドウマンのハタは確かに消し去ったはずだ。それなのにシュテンが姿を現していない……!」

 渡辺ツナも即座に反応した。

「まずい!セイメイ様が言っていた!蘆屋ドウマンに触れられた者にはサハが影響されると!あいつの中に……まだあの女のハタが残っているのか!」

「ちっ……!」

 源ヨリミツが悔しげに歯を食いしばる。

「そうだった、あの時確かにヒヨリが触れた、最後の最後でやられたか……!」

 だが卜部スエタケだけは首を横に振った。

「いや……違う。たとえ蘆屋ドウマンに操られていたとしても、あんな状態にはならないはずだ。何かがおかしい……!」


 セイメイよ。アナタはもうこの世に未練がないのなら、誰もワタシを止められない。

 ワタシが、たった一つの器だけで戦うと思った?さあ、この子を使わせてもらうわ。

 アナタの退場がどれほど愚かな選択だったか教えてあげる。人の善なんて、世界の悪の前では脆いものよ。

 平安京も、この世界も、全部滅茶苦茶にしてあげる。

 ……何?

 これは……あり得ない。

 何なの……これ……?

 こんなサハ……見たことがない……!

 何なの、この子は……?!

 ……ああ。

 そういうこと。

 なるほど、なるほどね。

 ははははは!素晴らしい!やはり世界の可能性は無限だわ!

 呑み込まれるのは、どうやらワタシの方らしい。

 でも、それでいい。

 ワタシが何もしなくても、この子は世界を壊せるでしょう。

 ははっ。はははははははははは……!


「グオオオオオオッ!!」

 ヒヨリが咆哮する。

 フクロは反撃に転じた。右手に握った薄緑を振り下ろす、すぐさま根印(ねしるし)を起動した。

審判(トライアル)――落雷!」

 轟雷が炸裂した。雷光がヒヨリを直撃し、ようやく牙が離れる。

 フクロは地面を蹴って距離を取った。煙の向こうで、ヒヨリの身体から黒煙が立ち昇っている。だが倒れない。ふらりと身体を揺らした次の瞬間、右腕へ炎が噴き上がった。そして再び突撃。

「ちっ!」

 フクロは再び刀を構えた。炎を纏った拳が嵐のように降り注ぐ。ヒヨリは炎そのものを噴射するように放ちながら攻め続ける。激突のたびに地面が砕け、廃墟に新たな穴が刻まれていく。

 本来ならフクロの方が遥かに強い。それは誰もが知っていた。だが今のヒヨリは違う。全身を覆う浮想紋、制御を捨てたハタの放出、力も速度も常識を超えていた。隙間なく押し寄せる猛攻に、フクロですら押され始めている。

「いい加減にしろォッ!!」

 怒号と共に雷光が蛇へ変わった。雷蛇はヒヨリへ食らいつく。土砂が四方へ吹き飛び、周囲の者たちは慌てて身を伏せた。

 やがて煙が晴れる。ヒヨリの前には巨大な氷壁がそびえ立っていた。攻撃を完全に防ぎ切っている。

 氷壁が内側から粉砕された。ヒヨリはまた咆哮を上げながら飛び出してくる。

「おいハルカ!」

 坂田キントキが叫んだ。

「どうなってんだあいつは!」

「私が知りたいっての!」

 ハルカも思わず叫び返す。しかしその肩をイバラキが掴んだ。

「落ち着け!今のヒヨリはシュテンと似た状態だ。もう一度ボクの力を使えば助けられるかもしれない。ただし、そのためにはヒヨリを完全に動けなくする必要がある!」

「なら話は簡単だ」

 源ヨリミツが前へ出た。その背後では渡辺ツナ、坂田キントキ、卜部スエタケ、碓井サダミツも残刻器(ざんこっき)を構えている。

「今度は我々も加わる。異論はあるか?」

「ありませんよ、大将!」

 碓井サダミツが笑い、そしてカクシへ振り向いた。

「カクシ。セイメイ様をできるだけ遠くへ運べ」

「……ああ」

 涙を拭ったカクシはその言葉に頷いた。

 渡辺ツナもまたハルカへ視線を向ける。

「今回は俺たちも手を貸す。これで貸し借りなしだな」

「貸し借りなしなんて無理だろ、ツナ。むしろこれで、私たちの縁は切れなくなったってことじゃないか?」

 そしてハルカは拳を握り締め、暴走するヒヨリを見据えた。

「よし――あの馬鹿を叩き起こすぞ!」


 蒼く澄み渡る空。丁寧に手入れされた芝生。無邪気な子供たちの笑い声。

 その間を隔てる一面の金網。二つの世界だった。

 ヒヨリはそれを見ていた。ぼろぼろの服を着た小さな自分が、金網に指を絡めながら向こう側を見つめている。

「あー、宿題やりたくないー」

「あの先生ほんと感じ悪い!」

「わかるー!嫌だな!」

 楽しそうな声が飛び交う。

 ……嫌?どうして?

 ヒヨリがそう思った次の瞬間、小さな自分は金網から手を離し、向こう側へ向かって走り出していた。

 ――ああ。

 行くな。

 行っても無駄だ。

 お前は受け入れてもらえないよ。


「またあのどこの誰かも分からないガキだ!」

「近寄るなよ!変な病気でも持ってるんじゃないの!?」

「追い払え!」

 小さな身体が押される。突き飛ばされる。泥だらけの地面へ転がされる。

 雨水の溜まったぬかるみの中に倒れ込んだ金髪の男の子は、何も言わなかった。ただ黙って起き上がる。

 何度も。何度も。何度も。

 ヒヨリは離れた場所からその光景を見つめていた。

 ……何も食べなくても、何も飲まなくても、死ぬことすらできない俺は、こうして世界から拒絶され続けていた。


 深い群青色の夜空。祭りの灯り。人々の賑やかな声。そして夜空に咲く大輪の花火。

 ――ああ。

 ここも覚えている。

 香ばしい匂いに釣られて屋台の隙間へ潜り込み、見つからないように食べ物を盗んだ。

 食事なんて必要ない。それでも腹が鳴る気がした。香りに抗えなかった。そして何より、誰かと一緒にいる温もりにも抗えなかった。

「パパー!抱っこして!花火見たい!」

「はいはい」

「もう、甘やかしすぎよ」

「ママ!あれかっこいい!欲しい!」

「今回だけだからね?」

「うん!」

 笑い声。優しい声。当たり前の会話。

 小さな金髪の男の子はビルの隙間から見える花火を見上げていた。だが花火はそれほど眩しく見えなかった。

 それよりも。道を歩く人たちの方がずっと輝いて見えた。

 家族。友達。恋人。

 誰もが誰かの隣にいる。

 ……みんな、一人じゃない。

 どうして俺にはいないんだろう。

 どうして俺には、手を繋いでくれる人が一人もいないんだろう。


 焼け付くような白い日差し。一面の砂地。建設途中の建物。黄色い重機。そして人々。

「危ない危ない。あんた、どこの子だ?えっ、知らない?今どきの子供は変な冗談を言うなあ。とにかくここは危険だから離れな」

 小さなヒヨリは頭をぽんぽんと叩かれた。

 ――初めてだった。笑顔を向けられたのは。

「そういや、あんた、ヒヨリって言うんだっけ?ずっとここにいるのもまずいよなあ」

 だが、誰も追い払わなかった。

 誰も石を投げなかった。

「家がない?それは困ったな……。機会があったら孤児院とか探してやるよ」

 ――行ったことはある。

 でも、中へ入る前に追い出された。

「……そりゃ大変だったな。まあ、仕方ないか。少しくらいならここにいても問題ないだろ」

 その言葉を聞いた瞬間、幼いヒヨリは固まった。

「お、おい。そんな驚くことか?」

 だって。初めてだったのだ。

 ここにいてもいい、と言われたのは。

「……ははっ。簡単に泣くなよ、ヒヨリ」

 眩しい日差しの下、石畳に並んで腰掛ける大人と子供。

 ヒヨリはその光景を見つめていた。

 本当に数少ない、幸福だった記憶。

 けれど、そんなものが長く続くはずもなかった。


「ヒヨリ!ちょっと向こうから道具持ってきてくれ!」

 男の子が広い工事現場を走っていく。

 ――ああ。覚えている、この日を。

 砂埃の匂い、焼け付く太陽、目が痛くなるほどの光。

 そして。

「――ヒヨリ!!危ない!!」

 空から落ちてくる何かが鈍い音が響いた。

 巨大な鋼管が、幼いヒヨリの身体を押し潰した。

 鮮血が飛び散る、周囲の人間たちが悲鳴を上げながら駆け寄る。

 だが誰も近付けなかった。なぜなら、その直後に起きた光景があまりにも異常だったからだ。

 潰れたはずの少年が立ち上がった、鋼管を両手で押し退け、折れ砕けた骨が音を立てながら元へ戻っていく。潰れた肉が再生する。流れ出した血を拭う頃には、そこに傷一つ残っていなかった。

 沈黙。

 誰も言葉を発せない。

 やがて一人が震える声で呟いた。

「……化け物……」

 その瞳にあったのは驚きではない。恐怖だった。


【よくもまあ、そんな目に遭いながら今まで平気でいられるものだ】

「……俺は、俺は一体何なんだ。お前たちは一体何なんだ」

【仕方のないことだ。お前も、我々も、あらゆる世界から拒絶され続ける存在だからだ】

【誰かに生み出されたわけでもない】

【誰かに創られたわけでもない】

【ただ余ったものだ】

【それでも誕生してしまった】

【お前の意思など関係なく】

【我々の意思など関係なく】

「……ならどうしてだ。どうして俺は生まれた?」

【……さあな】

「そんなの、答えになってないだろ……!なんで俺だけなんだ!どうして他の奴らが当たり前に持っているものを、俺は何一つ持てないんだ!……なんでだ……なんでなんだよ!!!」


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