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プロジェクト【サハ】  作者: 諸星佑月
【第二章】鬼も地獄も人の内

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訃報

 この事実だけは、ハルカも予想していなかった。

 彼女の妙に男に関してよく当たる直感からして、渡辺ツナが何かから必死に目を背けていることまでは分かっていた。だが、その真実がこんなものだとは思ってもいなかった。

 ハルカは振り返ってイバラキを見る。しかしイバラキは何も答えず、ただ静かに俯いていた。

「本当なのか、イバラキ?だったらどうしてあんたは、大江山みたいな鬼ばかりの場所にいたんだ?」

「……母さんは、ボクを十六か月近く身籠った末に産んだ。ボクは生まれた時から鬼の子と呼ばれ、母さんも、化け物に穢されたふしだらな女だと蔑まれた」

 そこで一度言葉を切った。

「そんなドス黒い心を持った人より、鬼の方がよほど付き合いやすかった。それだけだ」

 渡辺ツナは、握り締めた刀をわずかに震えていた。

 ハルカはそんな渡辺ツナを横目で見つめると、構えていた盾を識転し、深く息を吐いた。

「……それって、むしろ良いことじゃないか、ツナ?あんたは騙されてなんかいなかったんだ。あんたが信じたいと思った相手は、本当に信じる価値のある人だった」

「良いことだと?どこが良いことなんだ!私の甘さのせいで失われた命を、なかったことにしろと言うのか!?ハルカ!」

「違う!」

 ハルカは真っ向から叫び返した。

「いい加減にしろよ、ツナ!結局これは、鬼を許すとか、シュテンやイバラキを許すとか、そんな話じゃないでしょう!あんたが自分自身を許せないだけじゃないか!今日の災害が誰の責任だったかそんなのど私は知らないけど、やることは変わんないでしょう?私とみんながいる、あんただってここにいる、だから全員でとりあえず明日を守れ!じゃなきゃ何も終わらねぇし始まんねぇじゃない!」

 渡辺ツナは呆然とハルカを見つめた。何かを言おうとして、結局一言も出てこない。

 安倍セイメイもまた驚いたようにハルカを見ていた。しかし彼女はすぐに表情を引き締め、沈黙を破るように口を開く。

「……ツナ。私からも頼む。この災害によって、あなたも、平安京の人々も、多くのものを失った。だからこそ、私たちは先ずすべてをかけてドウマンを倒さなければならない」

 そしてイバラキへ視線を向ける。

「私は知りたい。イバラキがどうやってドウマンを止めるつもりなのかを。頼む、ツナ」

 渡辺ツナは黙ったまま刀を握り続けた。震える手に力を込め、何度も葛藤するように拳を握る。

 やがて――。

「……っ」

 強く歯を食いしばり、刀を鞘へ収めた。

 イバラキはしばらく呆然とその場に立ち尽くしていた。やがてハルカが振り返り、彼女から笑顔をイバラキに向ける。

「それじゃあ、イバラキ、あんたはどうするつもりなんだ?」

 ハルカには二度も助けられた。一度目も、そして今も。

 イバラキは横を向いたまま自分を見ようとしない渡辺ツナを一瞥し、口を開く。

「以前、一度見ただろう。暴走したシュテンを、ボクが正気へ戻したのを」

「あっ、そうだったね!」

「ボクの異能力――羅生門(ラショウモン)は空間を繋ぐ門を開く能力だ。だが本質はそれだけじゃない」

 イバラキは自らの掌を見る。

「なぜかは分からない。だがボクのハタには、シュテンのハタそのものを消させることができる」

「消させる?」

 安倍セイメイが鋭く反応する。

「吸収でもなく、抑制でもなく……消させるのか?」

「そうだ。間違いない。だが……ツナの居所知(イソシリ)が、根印(ねしるし)の働きを影響する能力であることは、オマエも知っているだろう。ボクはあの時その能力にやられた。それ以来、自分のハタを思うように扱えなくなった。命懸けでシュテンを蘇らせたが、今のボクは、シュテンの体内に溢れるハタを十分に消すことができない。その結果が……今の状況だ」

「なるほど」

 安倍セイメイは頷く。

「だからあなたはまずここへ来て、ツナを説得する必要があったのか」

「……ああ」

 イバラキは苦く笑った。

「今のボクは、オマエたちの誰にも勝てない。それでも、他に選べる道がなかった。ボクを救ってくれたシュテンが戻らないのなら、この命に未練などない」

 言葉が終わる。誰もすぐには口を開かなかった。長い沈黙が流れる。

 やはりハルカが安倍セイメイと渡辺ツナへ向かって笑った。

「じゃあさ、私はイバラキに協力してもらうつもりだ。それに、シュテンには私も話したいことがある。どうする?」

 返事はない。

 渡辺ツナはただ黙ったままイバラキを見つめていた。

 イバラキもまた静かに見返している。その表情には覚悟しかなかった。どんな答えが返ってきても受け入れる――そう語っているようだった。

 渡辺ツナはゆっくりと目を閉じる。


「一閃!」

 凄まじい雷光が奔り、襲い来る鋸斧をまとめて断ち切った。

 フクロはそのまま高く跳躍し、単身で蘆屋ドウマンへ斬りかかる。

「……衆合地獄(サンガータ)、現界」

 無数の棘を生やした巨大な鉄槌がフクロの右側から激突する。フクロは咄嗟に天譴を盾代わりにして衝撃を受け流そうとしたが、完全には防ぎ切れず、そのまま吹き飛ばされ家屋へ叩き込まれる。

 だが攻撃は終わらない。周囲にいくつもの血池が開き、その中から金属の荊棘が一斉に伸びてくる。

 鋭い棘が獲物を貫こうと迫った。家屋の外から見る蘆屋ドウマンは、自らが生み出した荊棘が再び赤雷によって粉砕されるのを見た。

 黒髪の少年が瓦礫を蹴散らしながら飛び出してくる。

 全力の斬撃に蘆屋ドウマンは即座に浮想紋で両腕を覆い、その一刀を受け止めた。

 一方、戦場から距離を取った卜部スエタケは坂田キントキ、そして源ヨリミツと既に合流していた。三人はそれぞれ異なる表情で戦況を見守る。

「……信じられませんね」

 卜部スエタケが先ず呟く。

「シュテンほど能力を上手く扱えていないとはいえ、あの蘆屋ドウマンもかなり厄介なを相手なのに……たった一人で、ここまで」

 対照的に源ヨリミツは楽しそうに笑った。

「さすがだな。フクロの奴、まだ本気を出していない。だが、そろそろ本気になる頃だろう」

 フクロの足元に再び血池が現れる。そこから無数の血塗れの手が伸び、両脚へ絡みついた。しかしフクロは微動だにしない。迷うことなく長刀を地面へ突き立てる。

「落雷!」

 天より雷鳴が轟いた。眩い閃光が夜を赤く染め上げる。その隙を逃さず、フクロは脚を掴んでいた血の手を斬り落とし、一気に血池から距離を取った。やがて雷鳴が消える。

 蘆屋ドウマンは腕を振り払うように下ろし、フクロを見据えた。

「……完全に侮っていたようだな。これほど能力を使いこなす者がいるとは。いったいどこの強者だ?」

「まだ何か隠しているなら、さっさと出せ」

 フクロは天譴の切っ先を突き付けた。

「源氏の連中が散々警戒していたから、どれほどの相手かと思ったが、どうやら俺一人で十分らしいな」

裂炎(クラック)!」

 突然響いた叫び声に、蘆屋ドウマンは咄嗟に無数の鉄槌を呼び出し、防壁のように前方へ並べる。

 しかし。厚さ十メートルにも及ぶ防御陣が灼熱の炎によってまとめて吹き飛ばされた。

 鉄は溶解し、真っ赤な鉄水となって飛び散る。その向こうから飛び出してきた人影が高く跳び上がった。花のように咲き誇る眩い業火をまとい、そのまま蘆屋ドウマンへ降り注ぐ。

「グレン・インフェルノ!」

 巨大な炎の華が夜空で咲き誇った。美しく、そして圧倒的に破壊的な火炎。まるで街路の半分を呑み込まんばかりの熱量が周囲を焼き尽くしていく。焦げた臭いが鼻を刺し、熱風が吹き荒れる。

 フクロは片腕で顔を庇いながら炎を見つめた。

 やがて一人の少年が隣へ降り立つ。フクロはそちらを見ることもなく口を開いた。

「……誰がお前に手を貸せと言った」

「俺自身に決まってるだろ!」

 ヒヨリは即座に言い返した。

「そもそもシュテンとイバラキを助けようって言い出したのは俺だぞ!勝手に先走ってるのはそっちだ!」

 あれほど猛威を振るっていた炎が急速に消え始める。深紅の血池が現れ、炎の花を飲み込むように吸収していく。すべてを食らい尽くしたところでようやく血池は閉じ、爆炎も消え去り、街は再び静寂に包まれる。

 その中心に蘆屋ドウマンは立っていた。まるで何事もなかったかのように。

「……ほう、今度は二人か。何人来ても構わない。こちらも切り札ならまだ山ほど残っているからな」

 蘆屋ドウマンは軽く笑いながら両腕を広げる。まるで歓迎すると言わんばかりだった。

「足を引っ張るな、ヒヨリ」

「それはこっちの台詞だ、フクロ。またアルジャーノンの時みたいな真似をしたら許さないからな」

 淡い桜の花びらが風に舞った。厚く垂れ込めていた雲がゆっくりと割れていく。姿を現した満月が、白銀の光を戦場へ降り注いだ。

 同じ呼吸。

 同じ間合い。

 二人は全く同じ瞬間に叫ぶ。

「行くぞ!」

「――メギドフレア!」

 無数の火球が街路を蹂躙した。建物が何列もまとめて吹き飛び、黄金色の炎と暗赤色の溶岩が四方へ広がる。

 ヒヨリのメギドフレアによって、蘆屋ドウマンは回避を余儀なくされる。そしてその隙へ。雷鳴とともにフクロが降臨した。

 だが彼の手にあるのは天譴ではない。いつの間にか識転を終え、握られていたのは彼が最も使い慣れた刀――薄緑だった。

 青白い雷が迸る。鋸斧が再び立ちはだかるが、今度は長くは持たない。斬撃とともに鎖ごと粉砕される。

「同じ手が何度も通じると思うな。審判(トライアル)――平地轟雷!」

 蒼雷と紅雷。二色の雷光が交錯しながら夜空を切り裂いた。それほど壮観な光景は滅多に見られるものではない。遠く愛宕山からも、その雷ははっきりと見えていた。

 地上から天へ向かって駆け上がる二色の雷霆に、人々は思わず息を呑み、驚きの声を上げるのだった。

 鋸斧も鉄槌も次々と斬り砕かれ、蘆屋ドウマンは後退を余儀なくされていた。もはや攻める余裕はなく、防戦一方である。

 しかし次の瞬間、両脇の血池から末劫火が噴き上がった。フクロは眉をひそめ、追撃を断念して後方へ飛び退く。

 それで終わりではなかった。ようやくフクロの猛攻から逃れた蘆屋ドウマンの背後へ、灼熱の拳が迫る。そのまま彼女は手を伸ばし、ヒヨリの腕を掴もうとする。

清淼(スピンドリフト)

 浮想紋が変化した。ヒヨリの腕を覆っていた炎が、一瞬で冷たい飛沫へと姿を変える。

 ――二つ目の異能力。

 さすがの蘆屋ドウマンも、その事実に一瞬だけ意識を奪われた。そしてヒヨリはその隙を逃さない。

 腕に絡みつく水流が蘆屋ドウマンの手ごと凍り付く。ヒヨリはそのまま豪快に背負い投げを決めた。蘆屋ドウマンの身体が地面へ叩きつけられる。

 だが彼女も即座に反撃した。起き上がりざまに蹴りを放ち、ヒヨリを吹き飛ばす。そのまま数度の後方宙返りで距離を取った。

審判(トライアル)

 再び背後から紅い雷。天譴から放たれた歪んだ閃光が一直線に襲い掛かる。

 蘆屋ドウマンは必死に身を捻るが、完全には避け切れない。

 肩口が裂け、鮮血が舞った。

「まだ終わりじゃない!」

 ヒヨリが地面へ手を叩き付ける。

「千氷刃!」

 接触した地点から無数の氷柱が噴き出した。半人ほどの高さを持つ鋭利な氷槍が、大地を割りながら一直線に迫る。

 今度は蘆屋ドウマンも避けられなかった。鋭い氷が胸を貫き、その身体を遥か後方まで吹き飛ばす。瓦礫の中へ転がり落ちる。

 それでも蘆屋ドウマンは休むことなく立ち上がった。

 黒髪の少年と金髪の少年。二人は肩を並べて立っている。

 見事な連携だった。何日も別行動を続け、つい先ほど共闘を始めたばかりとは到底思えない。積み重ねた訓練によるものというより、もっと根源的な何かが心の奥底で繋がっているからこそ生まれる呼吸だった。

 だが当の二人は、未だ余裕を失わない蘆屋ドウマンから警戒を解いていない。

「……厄介な奴だ」

 フクロが低く呟く。

「アナタたちのようなトランスグレッサーと戦えるのは実に楽しいよ。だがワタシは、やはりこの世界の住人たちともっと語り合いたいな――」

 そう言いながら、彼女はふと別の方向へ目を向けた。

 次に、体が大量の血水へと崩れ落ちる。ぱしゃり、と音を立てて地面へ広がり、そのまま消え去った。

「まずい!ヨリミツの大将たちの方が――!」

 ヒヨリが叫んだが、もちろん源ヨリミツたちも気を緩めてはいなかった。

 たとえ蘆屋ドウマンがフクロとヒヨリに押されているように見えていても、警戒を解く理由にはならない。

 三人は背中を預け合う。その周囲を血の水たまりが円を描くように囲んでいた。

 やがて源ヨリミツの正面で血が盛り上がる。そこから再び蘆屋ドウマンの姿が現れた。

「――鬼だけでなく、トランスグレッサーまでもがアナタたちと共にワタシに立ち向かうか」

 彼女は感慨深そうに微笑む。

「平安京もずいぶん変わったものだね。素晴らしいことじゃないか?源氏の小さき将軍殿」

「どの口が言う」

「ふふ。でも否定はしないんだね。よかった、ヒロマサ様も、この十年をもっと楽に過ごせたのでしょう」

 どこか懐かしむような目だった。

「再会ができたとして、何を話せばいいのかは分からないけど、もしあの人が、幸せだったなら……ワタシがした全てにも、想定より価値があったということでしょう」

 三人は視線を交わす。源ヨリミツは依然として刀を構えたまま、問いかけた。

「……君はまだ、源ヒロマサが君に会いたがると思っているのか」

「そうね……あの人は優しいから。一度くらいは会ってくれると思う」

 その言葉に、源ヨリミツは冷たい視線を向けた。

「この世を地獄に変えておきながら、まだそんな甘い幻想を抱いているのか。世のためとか、より良い未来のためだと口では言う。だが、そのために流される血についてはあまりにも無頓着だ。自分自身の犠牲ですら平然と切り捨てる。君には、人の命の重さというものが欠片も分かっていない」

「命なんて、また新しく生まれてくるさ」

 蘆屋ドウマンはあっさりと答える。

「世界の歪んだ理を洗い流せないなら、命がいくら増えたところで意味はないでしょう?」

 その言葉を聞いて、源ヨリミツは鼻で笑った。

「……そうか。そこまで言うなら、もう隠しておく必要もないな――」

 蘆屋ドウマンの表情が初めて曇る。嫌な予感でもしたのかもしれない。

「――源ヒロマサは死んだ」

 空気が凍り付く。

「十年前。君が血の雨を降らせた、まさにあの日にな」

 その言葉は、どんな刃よりも深く蘆屋ドウマンの胸を貫いた。


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